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2016-02-07 | 司馬遼太郎

 

司馬遼太郎
『街道をゆく
 4 郡上・白川街道、堺・紀州街道 ほか』★★★

毎度通勤本になっている司馬遼太郎

本書は1978年11月に刊行された朝日文庫の新装版

http://publications.asahi.com/kaidou/04/index.shtml

 

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山伏というのは、僧ではなく在家の修験者である。

 

「ヤマブシとは、サムライのことではないか」
「そうではございません。山伏はブシではなく宗教者でございます。山野を駆けあるくためにあのような装束をしているのでございます。日本における修験道の歴史は古うございますが、山伏の装束があのようになったのは平安期の中ごろぐらいからだといわれております。なるほどあの装束を異様なものとして御覧になるのは無理からぬことでございますが、しかし兜巾と言い、不動袈裟といい、どれ一つとして宗教上の意味を持たぬものはございません。要するに日本古来の旅行服であるとともに、平和で哲学的な服装でもあります。決して戦争のためのものではございません」

 

真言密教は西洋でいう魔法である。東洋の場合、魔法が悪魔の側になくて体制の側にある。さらに西洋とちがっているのは、魔法が、真言密教という、思想を論理化したという点で完璧ともいうべき体系を背景にもっていることである。

 

大鳥居の前に車をとめると、陽が大原山のむこうに落ちているらしく、東のほうの野ばかりがあかるく、まわりは夕靄がこめはじめている。
参道には散り腐た紅葉があちこちに掃きかためられ、いかにもこのの社の晩秋の華やぎが果てて初冬の寂寥のなかにあるといった観である。
大野原神社は、都が奈良から長岡京に遷るとき、ともに新都に移らねばならない藤原氏が自分の一族の氏神として新都の西北角にあるこの山ふところに地を相し、春日様式でもって建てた。
社殿は小ぶりで、美しく朱装されている。境内の林と言い、池と言い、すべてが『古今』『新古今』の美学で造形化されていかにも王朝風であり、考えてみると奈良の春日神社といい、河内枚岡の元春日と言い、藤原氏の神社というのは総じて華やかなところに共通性があるようにおもえる。
社前から戻り、参道を大鳥居にむかって歩く右側の森に、
「花の寺に至る」
という小さな木の道標が据えられていた。その至る道というのは森の下草みちで、梢が日をさえぎって、緑の洞窟をゆくようなぐあいになっている。花の寺は割愛した。

 


織田信長は日本史上の人物でめずらしく世界感覚がいきいきしている。信長は極東の孤島の一隅でうまれた人間でありながら地球のかなたのイスパニア人やポルトガル人によっておこされた大航海時代という世界的な動向をいちはやく嗅ぎ知り、疑いもなくその潮流に乗った人物であった。

 

むかし満州(いまの東北)に渤海国という国があった。七一三年に興り、わずか二世紀余でほろんだ。

 

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今回読んでいて衝撃を受けたのは大量虐殺 それも日本で。
!!!
さすが司馬遼太郎、、
その昔水戸天狗党(合計三百五十三人)を江戸からきた幕府の田沼意尊という人物が越前敦賀にて大量処刑を行った。
実見した加賀藩士の赤井伝右衛門という人物が、田沼のやりかたのひどさに痛憤しながら記録している。
人間としての尊厳をまったく剥奪したという点で、日本の政治犯に対する刑罰史上これ以前には例がない。
この田沼 田沼意次の子孫とのこと。
知らない歴史がたくさんある。うむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『モンタナの風に抱かれて』
思えば馬が出てくる映画が好きらしい(笑)

 

メールをチェックする勇気がないいくじなしなわたし。じくじく。
たった一日だけの独り時間 結局は“誰か”とつながっている。
辛辣な意見をありがとう。

 


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