カズオ・イシグロ
訳:土屋政雄
『わたしを離さないで』★★★
やっと完読!!挫折に挫折を重ね・・
十年以上の月日を経て読み終わることが出来た。
こちらは表紙買いした本
カセットテープがよいなとその当時思った。
2008年8月20日 印刷
2008年8月25日 発行
その後カズオ・イシグロは2017年にノーベル文学賞を受賞
一躍脚光を浴びた。
その際も一冊ぐらいは読まないとと挑戦するものの、睡魔に襲われ挫折(^▽^;)
ずーっと本棚に眠っていた。
今回あえて読書会の課題本に提案
そうすればどうにか読めるかなと。
ホッとしてます(^▽^;)何語る?
--------(抜粋)
自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春 の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇 妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々 がたどった数奇で皮肉な運命に……。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく――
英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』を凌駕する評されたイシグロ文学の最高到達点
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「何か大事なものをなくしてさ、探しても探しても見つからない。でも、絶望する必要はなかったわけよ。だって、いつも一縷の望みがあったんだもの。いつか大人になって、国中を自由に動き回れるようになったら、ノーフォークに行くぞ。あそこなら必ず見つかるって‥‥‥」
ルースの言うとおりでしょう。ノーフォークはわたしたちの心の拠り所でした。そういう感覚は当時からあったかと思いますが、自覚していた以上に大きな拠り所でした。だからこそ、いい年をしたいまになっても、冗談を装いながら、相変わらずノーフォークについて語り合うのだと思います。
たぶん、わたしにとっていかに大切なテープか、みなには秘密にしていたことと関係があるのでしょう。そのくらいの秘密は、ヘールシャムの誰もが持っていただろうと思います。無から作り出した自分だけの隠れ家、恐れや望みをいくらでも持ち込める場所――それが秘密です。でも、そんな秘密を必要としていること自体が、当時のわたしたちには、周囲の期待を裏切ることで、いけないことのように感じられていました。
わたしたちは「教わっているようで、教わっていない」
ウォークマンセッション
「よし。で、そういう店はどこにあるんだ」
いま、あのときのことを思い出すと、胸に暖かさと懐かしさが込み上げてきます。小さな裏通りにトミーと一緒に立ち、これからテープ探しを始めようとしたあの瞬間、突然、世界の手触りが優しくなりました。一時間以上の待ち時間に、あれ以上の過ごし方があったでしょうか。わたしは必死に自分を抑えました。そうしなければ、どうしようもなく笑い転げたり、小さな子供のように歩道を飛び跳ねたりしそうでしたから。しばらく前、トミーの世話をしているとき、ノーフォークへの旅の思い出に触れてみたことがあります。トミーもまったく同じ気持ちだったと言っていました。わたしのなくしたテープを探しにいこうと決めた瞬間、突然、すべての雲が吹き払われ、あとに楽しさと笑いだけが残った。と。
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「ね、トミー?わたしたちが知ったこと、ルースは知らないまま使命を終えたわけだけど、あれでよかったのかしら」
トミーはベッドに寝転がっていました。しばらく天井をにらんでいて、「偶然だな」と言いました。「おれもこの前同じことを考えてた。ああいうことになると、ルースはおれたちとちょっと違っていたからな。君やおれは知りたがり屋だ。最初から――ほんとがきの頃からそうだった。何かを見つけ、知ろうとした。おれたちの内緒話なんて、その典型だな。覚えてるだろ、キャス? けど、ルースは違うぞ。あいつは信じたがり屋だ。知るより、信じるのがルースだ。だから、そうさな、ああいう形で終わってよかったんじゃないか」そして、こう付け加えました。「それに、エミリ先生のこととか、おれたちはいろいろ知ったわけだが、だからって、ルースがしてくれようとしたことが変わるわけじゃない。おれたちに最善を望んでくれたんだ。最高の贈り物をくれようとした」
わたしは、その場でルースのことを深く話し合うつもりはありませんでした。ですから、素直にトミーに同意しました。でも、あれからずっと考え続けてきて、いまは、どうなのかと迷う気持ちもあります。わたしの一部は、知り得たすべてをルースにと分かち合いたいと望みつづけています。確かに、知ったらルースはがっかりするかもしれません。わたしたちにしたことの償いを望んだのに、それが果たされなかったのを知って、二重に後悔するかもしれません。それでも――正直の申し上げると、それでも――わたしの中には使命を終える前のルースにすべてを知らせてやりたかったと思う自分がいます。復讐心や意地悪もあるかもしれません。でも、それだけではありません。トミーが言ったとおり、ルースは最後にはわたしたちに最善を望んでくれました。あの日の車の中で、わたしに許されることはないだろう、とルースは言いました。でも、それは間違いでした。わたしには、もう、ルースへの怒りはありません。知り得たすべてをルースと分かち合いたいと言うとき、それはスールがわたしやトミーと違うままで終わったことが悲しいからです。一本の線のこちら側にわたしとトミーがいて、あちら側にルースがいます。こんなふうに分かれているのは、わたしには悲しいことです。知ればルースも悲しいでしょう。
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わたしはトミーと同意見かな。
多分ルースには言わないと思う。
ルースの立場であってもよい思い出として最期を終えたい。
信じたがり屋でありたいし、綺麗な思い出と共に暮らしたい。
よい面だけを見るようにね。
だって、そうじゃないって分かっているから。
ノーベル文学賞を受賞した作家さんの作品は内面を巡る物語でした。
表面をなぞるだけでも、残るものがあるし、ちょっとした葛藤もある。