私は今、おばあちゃんと二人でぼつぼつながら家の要らないものを片付けている。
一番の片付けものが 築百年は経っているという傾きかけた納屋。もともとが お米を作っていた農家と
山林業であった先々代、いやもっと先のご先祖さんからのものであり、その納屋も母屋と納屋の建物で
母屋は親戚に移築されて納屋を ここに建てたという、建物の引っ越しを普通にやっていた頃のもので
中二階な造りで、その中にはもうかれこれ何十年も使われない農機具や昭和時代のものが、積み上げられている。
百姓をやめてからでも十年くらいになるから それからでも片づけをしていたら今私たちがこ~んなに苦労は
しなかったはずだと愚痴をばらまきながら汗を流している。おじいちゃんと一番親交の強い親戚に言わすと
「負の遺産やの!」っと一言で言われてしまったけど そぅまさに負の遺産だわ!!
親が物を捨てられないというのは 断捨離が叫ばれる、世間のゴミ屋敷が疎まれるこのご時世には
子孫はどれほど苦労するか・・・わかってんのか?と天に向かって叫びたい。いやぁ 世の中の高齢者が
皆皆、モノを捨てられないことではなく キチンと要るもの、要らないモノと気持ちもゴミも分別できるのが
普通なのに・・・。私が「まったく こんなもの残しておいて何に使うつもりだったん?」とおばあちゃんに
言うと「それでも 戦時中を生きてきた者には 物がなかった時代だったから 簡単には捨てられないんやら」と
言い訳めいた言いかたをするのがまた 腹立たしくなってくる。いやぁ たとえば、壊れた扇風機のコード部分を
切って残して束ねておいてどうするの?その扇風機の羽カバーの前後ろは庭の草を引いた後の雑草入れにはなるけど、
え?コードは中に鉄線?銅線?が入っているから切れにくいから 何かを縛るときに強いからって、その何かって
なに? 紐なら黒でも、白でも、黄黒でも業務用みたいにあるじゃん、わざわざコードを何本も残さなくっても
いいやん。おまけに 差し込み部分を自分でつないでぐるぐると絶縁テープで巻いたもの・・・そんなの怖くって
コンセントにさせない・・。なにかを刺すつもりだったのか、針のように尖らせた自作千枚通しがこれまた道具小屋
から何十本もでてきたり、いつか使うであろう、いつか何かに使うかもしれない・・・仮定に基づいた物ものが
溢れかえって、たぶん おじいちゃんは感覚的に 何か工作物を残しておいたら私たちが活用するだろうと、
あんなに細かい人だったから それを貯め込んでおいても何にもならないということはわからなかったのかと残念だわ。
思えば 子供の時から 片付けろ、片付けろと毎日のように言われて育った私、そんなことは身につかないというのが
50年も生きてきたらわかってきた。しかし、父親と同じように「これって何かに使えるかも?」なんて残していたら
息子たちに同じように迷惑がられ、嘲笑され 私自身が捨てられるかもしれない(笑)ので できる限り 要らないものを
この残された時間に捨て続けていかねば!と思うのです。納屋だってそう、おじいちゃんが生きている頃から
「地震で倒壊するやろ、百年物やし。取り壊したらいいんやけど・・・だいぶいるからなぁ。おまえらの代で
壊したらええんやら」と究極の丸投げ?それならそうで地震で倒壊をまつか・・と思っていたけど いよいよ
屋根瓦がずりはじめた。べつに日常生活に必要なものは入ってないので(私が使うものは高枝切狭くらいか)
ほとんどがおばあちゃんのわけのわからない ここ何年も使ってない段ボールやお米を作っていた頃の大きな桶とか
使い切ってない古い農薬の瓶とか、ござにむしろに と思うだけで涙が出てくる(捨てるのに分別するのが)。
おじいちゃんにつられておばあちゃんも 捨てられない病なんだ。と親を侮蔑しても その遺伝子は私にも
子供たちにも脈々と受け継がれてしまって、親ほどでもないものの私も 何かに使えるかも?ってものが残されて
いっている。今回の片付けに子供たちの部屋も長男君が結婚したのもあり もう田舎に残しているものは要らないだろうと
片付け始めたら、私が号泣したくなるような事態に。子供たちは 平成ポケモン世代で 学習机の小引き出しの
二段三段びっしりとポケモンカードが、あぁこれが札束ならば・・って一応 子供たちに捨てる了解をとると
「ゲームもカードも売ったら?」って そんな時間はないんだよ!帰ってきて 手伝ってくれる気もなく
こんだけ購入するには どれだけお小遣いとお年玉を貯めたか・・・私が買ってあげたものは無いんだもん。
ポケカだけでもゴミ袋に4袋。恥ずかしくってしかたない。教科書類も大学を卒業して十年近くたつと
結局は要らないものになるから もっと早い段階で捨てておきゃよかったと猛省。それでも 片付けていたら
小学校時代の文集やなんか出てきたら 「これは私が捨てたらこの世に存在しなくなる」と思ってしまい、とか
写真とかも躊躇してしまう。次男君は これまたコミック本の全巻揃ったものは残しておいてと。何にするのか
ときくと 将来 自分のマンガ部屋を持ってそこでまったりと・・・なんて お気楽な奴だ。
とりあえず 残すものを使わなくなった車庫に移し 二階部分は60%捨てた・・が、その下の道具小屋が・・
おじいちゃんの工具や要らないモノとおばあちゃんの園芸の土やら肥料やらで引き戸を開けて その先に進めない
状況。まぁ 納屋を先にとりこわして二階のある建物は お風呂もトイレも使うからしばらくはこのままに
しておいて、母屋にお風呂とトイレを作り直すことになってしまった。
私は生まれてこのかた 新築に住んだことはない。生まれたときからこの家があったし、二階を建てたのも
姉たちの部屋であって私には作ってもらえず、結婚して親に「建て替えよう」と言ったら「この家があるのに。」
「えらけりゃ 家を建ててみ!」とサラリーマンであるおとうさんと仕方なく 築年数だけを積み上げてきた
古い不便な家に住んでいる。そりゃ 家を建つって現金でポンと支払えないから 何十年も支払い続けていくけど
それでも人は家を建つのだ。家を建たずにお金が貯まる人っていないで。古い家は 今風なメンテは利かない。
瓦屋根に 木材の梁や赤土入りの壁、お笑いだわ・・・おじいちゃんが残してくれたお金をやりくりしてたら
こりゃまぁ二階を取り壊すのは息子たちの時になりそうだ。田舎ゆえ 敷地が広く・・・私は毎日ため息で
夜も眠れない。恨みつらみを仏壇で吐き続け なんでもかんでも私に押し付けてくる両親に、それでも
やらなきゃって・・。姉も甥っ子も姪っ子も家を建てて便利な暮らしをして、それを羨ましく言うと
きまってお金と日々の暮らしを言うけど、わかってて建てたんだからなんの不平があるんだよ!と私は思ってしまう。
ここ数日の 九州での大雨洪水土砂災害を見ていたら、他人事には思えないし 一度あんなに地区全体が壊滅的な
状態になったら 再びその場所で生活しようとは思えない。でも紀伊半島大水害の時も もっと便利な場所に
住むんだろうなと思っていたら あまり離れたところには移転していないように思うのは、でもここが住みやすいんだ
って気持ちなんだろうか・・・。私は 残りの人生位 便利なところに住みたい。、家は大きくなくていい。庭なんかプランター
で十分だ。なまぐさな私には 大きな家なんていらないのだ。母屋は部屋数が多く 典型的な和風建築で田の字型の間取り
だもので 押入れが無い。押入れの無い家って 使わない部屋にとりあえず物を仮置きしている状態だから お客さんが
仏間に行こうとしたら 全く恥ずかしい状態な時があったりするし。納屋を壊してお風呂なんか作り替えたら
懐はからっけつで 自分たちがどう生活していくか 先行き真っ暗。他人さまは「こんな大きな家貰って あんたら
大変やの~」という。はははと頭をかくしかない私・・・「それって 私らの知らないところでみんな陰で言ってるのだろうな」
おじいちゃんの時までは 材木の景気も運もよかったから おじいちゃん自分がしたいことにお金を使って、逆に意味も無いものに
固執してゴミばっかり溜めて・・・モッタイナイ精神を通り越して捨てられない病だもん・・自分たちで捨てられるものは
極力町のゴミの日に出して、解体業者さんの運び出す量に加えないよう微々たる努力も 大変・・。
串本の町なかでも 古くなった家の取り壊しを見かけるようになった。誰も住まない家は処分しなくちゃ・・。
まぁ私たち夫婦があと三十年くらい何とか住めたら この家もお役御免してもいいんじゃないかと・・・
仏壇の前で交渉中で、あの世でご先祖さんに呼び出されたら 私を責めることはできないでしょう!と言い放ってやるつもりだ。
何年か前に ブログ友だったぼんくらさんに貰った キーホルダーが壊れた。たしか 釣り具のフェアだったかイベントでもらったというのを
わたしにくれたんだけど、形が釣りの浮きだったので 何度か「え?釣りするの?」と聞かれたことがある。聞いて来た人は 今思えば
全員釣りをする人だわ。釣りもしないのにへんかなと思っていたけど、自分的には気にいっていたので なんとか使えないかとしたものの
ムリで、以前なら浮きの部分を「何かに使えるかも」と仕舞っておいたけど、「ええぃ ゴミになる。ぼんくらさんゴメン!!」と
廃棄した。愛車のキーホルダーだったので何か代わりのものを・・と、子供部屋の片付け中にみつけたのがこちら・・・
ピノキオだ。ウソをつくと鼻が伸びるのだっけ・・・嘘つきな私・・戒め?あ?前のガラケーのストラップも次男君のゴミの中から
≪他力本願≫と書かれたチビ人形を見つけてストラップにした。子供たちも 要らないものを溜めこむ遺伝子があるようだ・・・
一番の片付けものが 築百年は経っているという傾きかけた納屋。もともとが お米を作っていた農家と
山林業であった先々代、いやもっと先のご先祖さんからのものであり、その納屋も母屋と納屋の建物で
母屋は親戚に移築されて納屋を ここに建てたという、建物の引っ越しを普通にやっていた頃のもので
中二階な造りで、その中にはもうかれこれ何十年も使われない農機具や昭和時代のものが、積み上げられている。
百姓をやめてからでも十年くらいになるから それからでも片づけをしていたら今私たちがこ~んなに苦労は
しなかったはずだと愚痴をばらまきながら汗を流している。おじいちゃんと一番親交の強い親戚に言わすと
「負の遺産やの!」っと一言で言われてしまったけど そぅまさに負の遺産だわ!!
親が物を捨てられないというのは 断捨離が叫ばれる、世間のゴミ屋敷が疎まれるこのご時世には
子孫はどれほど苦労するか・・・わかってんのか?と天に向かって叫びたい。いやぁ 世の中の高齢者が
皆皆、モノを捨てられないことではなく キチンと要るもの、要らないモノと気持ちもゴミも分別できるのが
普通なのに・・・。私が「まったく こんなもの残しておいて何に使うつもりだったん?」とおばあちゃんに
言うと「それでも 戦時中を生きてきた者には 物がなかった時代だったから 簡単には捨てられないんやら」と
言い訳めいた言いかたをするのがまた 腹立たしくなってくる。いやぁ たとえば、壊れた扇風機のコード部分を
切って残して束ねておいてどうするの?その扇風機の羽カバーの前後ろは庭の草を引いた後の雑草入れにはなるけど、
え?コードは中に鉄線?銅線?が入っているから切れにくいから 何かを縛るときに強いからって、その何かって
なに? 紐なら黒でも、白でも、黄黒でも業務用みたいにあるじゃん、わざわざコードを何本も残さなくっても
いいやん。おまけに 差し込み部分を自分でつないでぐるぐると絶縁テープで巻いたもの・・・そんなの怖くって
コンセントにさせない・・。なにかを刺すつもりだったのか、針のように尖らせた自作千枚通しがこれまた道具小屋
から何十本もでてきたり、いつか使うであろう、いつか何かに使うかもしれない・・・仮定に基づいた物ものが
溢れかえって、たぶん おじいちゃんは感覚的に 何か工作物を残しておいたら私たちが活用するだろうと、
あんなに細かい人だったから それを貯め込んでおいても何にもならないということはわからなかったのかと残念だわ。
思えば 子供の時から 片付けろ、片付けろと毎日のように言われて育った私、そんなことは身につかないというのが
50年も生きてきたらわかってきた。しかし、父親と同じように「これって何かに使えるかも?」なんて残していたら
息子たちに同じように迷惑がられ、嘲笑され 私自身が捨てられるかもしれない(笑)ので できる限り 要らないものを
この残された時間に捨て続けていかねば!と思うのです。納屋だってそう、おじいちゃんが生きている頃から
「地震で倒壊するやろ、百年物やし。取り壊したらいいんやけど・・・だいぶいるからなぁ。おまえらの代で
壊したらええんやら」と究極の丸投げ?それならそうで地震で倒壊をまつか・・と思っていたけど いよいよ
屋根瓦がずりはじめた。べつに日常生活に必要なものは入ってないので(私が使うものは高枝切狭くらいか)
ほとんどがおばあちゃんのわけのわからない ここ何年も使ってない段ボールやお米を作っていた頃の大きな桶とか
使い切ってない古い農薬の瓶とか、ござにむしろに と思うだけで涙が出てくる(捨てるのに分別するのが)。
おじいちゃんにつられておばあちゃんも 捨てられない病なんだ。と親を侮蔑しても その遺伝子は私にも
子供たちにも脈々と受け継がれてしまって、親ほどでもないものの私も 何かに使えるかも?ってものが残されて
いっている。今回の片付けに子供たちの部屋も長男君が結婚したのもあり もう田舎に残しているものは要らないだろうと
片付け始めたら、私が号泣したくなるような事態に。子供たちは 平成ポケモン世代で 学習机の小引き出しの
二段三段びっしりとポケモンカードが、あぁこれが札束ならば・・って一応 子供たちに捨てる了解をとると
「ゲームもカードも売ったら?」って そんな時間はないんだよ!帰ってきて 手伝ってくれる気もなく
こんだけ購入するには どれだけお小遣いとお年玉を貯めたか・・・私が買ってあげたものは無いんだもん。
ポケカだけでもゴミ袋に4袋。恥ずかしくってしかたない。教科書類も大学を卒業して十年近くたつと
結局は要らないものになるから もっと早い段階で捨てておきゃよかったと猛省。それでも 片付けていたら
小学校時代の文集やなんか出てきたら 「これは私が捨てたらこの世に存在しなくなる」と思ってしまい、とか
写真とかも躊躇してしまう。次男君は これまたコミック本の全巻揃ったものは残しておいてと。何にするのか
ときくと 将来 自分のマンガ部屋を持ってそこでまったりと・・・なんて お気楽な奴だ。
とりあえず 残すものを使わなくなった車庫に移し 二階部分は60%捨てた・・が、その下の道具小屋が・・
おじいちゃんの工具や要らないモノとおばあちゃんの園芸の土やら肥料やらで引き戸を開けて その先に進めない
状況。まぁ 納屋を先にとりこわして二階のある建物は お風呂もトイレも使うからしばらくはこのままに
しておいて、母屋にお風呂とトイレを作り直すことになってしまった。
私は生まれてこのかた 新築に住んだことはない。生まれたときからこの家があったし、二階を建てたのも
姉たちの部屋であって私には作ってもらえず、結婚して親に「建て替えよう」と言ったら「この家があるのに。」
「えらけりゃ 家を建ててみ!」とサラリーマンであるおとうさんと仕方なく 築年数だけを積み上げてきた
古い不便な家に住んでいる。そりゃ 家を建つって現金でポンと支払えないから 何十年も支払い続けていくけど
それでも人は家を建つのだ。家を建たずにお金が貯まる人っていないで。古い家は 今風なメンテは利かない。
瓦屋根に 木材の梁や赤土入りの壁、お笑いだわ・・・おじいちゃんが残してくれたお金をやりくりしてたら
こりゃまぁ二階を取り壊すのは息子たちの時になりそうだ。田舎ゆえ 敷地が広く・・・私は毎日ため息で
夜も眠れない。恨みつらみを仏壇で吐き続け なんでもかんでも私に押し付けてくる両親に、それでも
やらなきゃって・・。姉も甥っ子も姪っ子も家を建てて便利な暮らしをして、それを羨ましく言うと
きまってお金と日々の暮らしを言うけど、わかってて建てたんだからなんの不平があるんだよ!と私は思ってしまう。
ここ数日の 九州での大雨洪水土砂災害を見ていたら、他人事には思えないし 一度あんなに地区全体が壊滅的な
状態になったら 再びその場所で生活しようとは思えない。でも紀伊半島大水害の時も もっと便利な場所に
住むんだろうなと思っていたら あまり離れたところには移転していないように思うのは、でもここが住みやすいんだ
って気持ちなんだろうか・・・。私は 残りの人生位 便利なところに住みたい。、家は大きくなくていい。庭なんかプランター
で十分だ。なまぐさな私には 大きな家なんていらないのだ。母屋は部屋数が多く 典型的な和風建築で田の字型の間取り
だもので 押入れが無い。押入れの無い家って 使わない部屋にとりあえず物を仮置きしている状態だから お客さんが
仏間に行こうとしたら 全く恥ずかしい状態な時があったりするし。納屋を壊してお風呂なんか作り替えたら
懐はからっけつで 自分たちがどう生活していくか 先行き真っ暗。他人さまは「こんな大きな家貰って あんたら
大変やの~」という。はははと頭をかくしかない私・・・「それって 私らの知らないところでみんな陰で言ってるのだろうな」
おじいちゃんの時までは 材木の景気も運もよかったから おじいちゃん自分がしたいことにお金を使って、逆に意味も無いものに
固執してゴミばっかり溜めて・・・モッタイナイ精神を通り越して捨てられない病だもん・・自分たちで捨てられるものは
極力町のゴミの日に出して、解体業者さんの運び出す量に加えないよう微々たる努力も 大変・・。
串本の町なかでも 古くなった家の取り壊しを見かけるようになった。誰も住まない家は処分しなくちゃ・・。
まぁ私たち夫婦があと三十年くらい何とか住めたら この家もお役御免してもいいんじゃないかと・・・
仏壇の前で交渉中で、あの世でご先祖さんに呼び出されたら 私を責めることはできないでしょう!と言い放ってやるつもりだ。
何年か前に ブログ友だったぼんくらさんに貰った キーホルダーが壊れた。たしか 釣り具のフェアだったかイベントでもらったというのを
わたしにくれたんだけど、形が釣りの浮きだったので 何度か「え?釣りするの?」と聞かれたことがある。聞いて来た人は 今思えば
全員釣りをする人だわ。釣りもしないのにへんかなと思っていたけど、自分的には気にいっていたので なんとか使えないかとしたものの
ムリで、以前なら浮きの部分を「何かに使えるかも」と仕舞っておいたけど、「ええぃ ゴミになる。ぼんくらさんゴメン!!」と
廃棄した。愛車のキーホルダーだったので何か代わりのものを・・と、子供部屋の片付け中にみつけたのがこちら・・・
ピノキオだ。ウソをつくと鼻が伸びるのだっけ・・・嘘つきな私・・戒め?あ?前のガラケーのストラップも次男君のゴミの中から
≪他力本願≫と書かれたチビ人形を見つけてストラップにした。子供たちも 要らないものを溜めこむ遺伝子があるようだ・・・