農閑期

2010年01月07日 | Weblog


 「天声人語」に農閑期のことが出ていました。冬は農業は暇になるので、学べということで古い時代の中国では冬の間だけ寺子屋のようなものが開かれたのだそうです。

 また、雨の日と夜と冬は本を読むのに適した三つの時ということで「三余(さんよ)」という言葉があったそうです。

 私など、冬は読書が良いのですけど、睡魔が襲ってきて長時間は続けて読めません。いつも「睡魔せん」と自分に謝っています。


 

 わが家は県道から近いところでは3~40mくらいしか離れていないのですが、とても静かです。時々、脇の小道を車が通るくらいで、遠方の音はわずかにしか聞こえず、大方は鳥の声などが聞こえてくるくらいです。

 特に冬は静かです。時間が止まっているような感じがするときもありますが、やがて夕方になるので、時間は止まってはいないようです。

 読書には向いているんですけどね~。眠たいのを払いのけるという祈りみたいなのがねぶた祭りなんだと聞いたことがあります。「ねぶた」は眠たいという意味らしい。睡魔といいますから、眠気は一種の魔物なんですね。その魔物を、あの祭のときに登場するバカでかい武将に追い払ってもらうのでしょうか。

                            


 

 川べりにニンジンが捨てられていました。出荷に漏れたものでしょうか。もったいない。一握りのニンジンを出荷するのに、かなりの量のニンジンが規格に合わないと、捨てられます。

 わが家などでは、これは調理はもちろんのこと、ジュースなどにして飲んでしまいますね。どうしても処分できなかったら、たい肥に混ぜてしまいます。腐らせて2~3年もしたら肥料になってしまいますよ。


 

 落ち葉は良いですね。カサカサと落ち葉を踏んで歩くというのは、遠い子供の頃を思い出すし、あるいは何かリスでも出てきてドングリを探すシーンを想像するような童話の世界に入って行ったり、あるいは非日常的な、たとえば堀辰雄ではないですが、軽井沢の林の中を歩くなんてことを思ったりと、いろいろなことを思います。

 でも、ここはわが家の裏です。すぐ近くでそのような想像の世界に入れるのは、ほんとにささやかなことですが、一つの幸せかななんて思ったりしています。

 


     冬の日は自分の息の音を聞き
     本開き五分もすれば睡くなり
     いつの間に眼だけが行を追っている
     そのうちに夢の世界に遊ぶ我
     選別し見目良い野菜が出荷され
     一方で廃棄野菜の多いこと
     規格とはやがて資源の無駄使い
     財務相退かなきゃ絶対気が済まぬ
     横やりが入れば悔しい思いする
     党圧に押されっぱなしの政府かな
     日の出てるうちに歩け陰る前
     太陽光パネル取り付け雨漏りに              雑な工事で雨漏り
     健康と時間は何より欲しいもの
     七草のかゆをおかわり寒い朝