人の体

2014年06月08日 | Weblog


白内障の手術を、左目に続いて少し間をおいて右目もしたのですが、結果は良くみえるようになりました。しかし、近くを見るには弱い老眼鏡があった方が見やすいです。特に文庫本のルビ(ふりがな)などを読むときには眼鏡が無いと読めません。テレビを見たりするような、ちょっと距離がある場合には、レンズを通すと、ぼけてしまいます。無い方がはっきり見えます。

 

梅がこれくらい取れました。さて、何にするか思案中です。梅はもっと生ったのですが、ポロポロと落ちてしまうものがあります。自分で摘果しているのでしょうか。それにしても、2~3個しか生らない木がありますが、それほどは自分で摘果しないと思います。何か原因があるのでしょうね。

話は戻りますが、眼鏡は一切必要ないのかと思っていました。それなので、がっかりしたという訳ではないのですが、考えて見ました。あるサイトに次のようなことが書いてありました。

 「 目の調節機能は水晶体が膨らんだりしぼんだりして行われますが、年齢とともにこの機能は低下していき、一般に老眼と呼ばれる状態となります。・・・・・」 

これによると肉眼の水晶体の場合には自然に膨らんだりしぼんだりして焦点を合わせる訳です。ところが、人口のレンズの場合にはそれは行わない。その結果、焦点を合わせきれない距離というのが生じ、その部分は眼鏡が必要、ということになるのだろかと判断しました。この次に、病院に行ったときに聞いてみようと思います。忘れそうな気がして・・・。

 

何だ、この大根は? ミーちゃんも不思議そうに調べ廻っていました。大根とかニンジンは、ときどき実に面白い形を見せてくれます。

 

やっぱり、人工のものではなく、肉眼が一番なのでしょうね。それが長年使っていると老化をしたり、病気になったりするので、治療をしたり人工のものに交換せざるを得なくなるわけですから、しかたがありません。

体は、どこが悪くなっても不自由します。ここなら悪くなっても大丈夫。なんていう所はありませんね。また、そういう事を思うことは誠に罰当たりなことです。

今日の朝日新聞の「声」の欄で読んだのですが、電車の優先席に座っていても、すぐ近くでスマホを操作している人がいるという話でした。投書した人は、心臓のペースメーカーをやっている人です。本当に怖いそうです。機械が狂ったら、それこそ命にかかわることになりますからね。世の中にはいろいろな人がいます。都合が良いからとか、便利だからと、あまり物を考えずに使ったり、作ったり、売ったりしています。
一番は、使う側でしょうが、知らないで使っている人もいるわけですから、作る側にもっと考えて欲しいと思います。