昨日の続きです。
利根川を渡り直ぐに左に折れ、土手沿いの道に面した、クラブハウス(我孫子カントリー)の先を右に折れ、住宅地に入ります。
このあたり、大型トラックの通行も多く、それにも関わらず歩道は無く、写真を撮っている余裕はありません、左右を確認し、自転車を転がし、住宅地に入りました。
この住宅地を歩いて見たいと思っていたのです。常磐線に沿って、天王台の駅から利根川に向かって伸びてきた住宅地です。
最近良くある、色と形の家が並んでいます。この住宅地の“変る様”を電車の窓から20年近く眺めていたのです。
“原っぱ”が整地され、側溝ができ、道に砂利が敷かれ、舗装され、電柱が立ち、駅に近い方から、ポツリ、ポツリと家が建って行きました。
そんな様子を、会社帰りに電車の窓から、あの頃、毎日、毎日、ぼんやりと見つめていました。
“毎日の通勤を終える頃”には、住宅地は土手の近くに到達しました。今でも、東京からの帰り、あの頃の事を思い出し、辺りを眺めるのです。
今回、車窓からぼんやり眺めた“風景の中”を“歩いて見たい”と思ったのです。
町の名前は「青山」となっていました。この辺りで「青山」と云われると、都心のお洒落な町を思い浮かべるよりも、「♪ヨォオ~ ♪フク~の青山」のCMソングが聞こえて来ます。
信号を真っ直ぐに進と天王台の駅に、右に行くと6号線に出る筈です。私はここで左りに折れ、常磐線のガードを潜ります。
こちら側は、出勤する時に眺めていた風景です。取手駅を過ぎ利根川の鉄橋を渡ると見えて来るのが“NEC”の建物です。
通用門の右手の建物は、私が通勤している間に、2回に渡って増築され、利根川に向かって伸びて行きました。今でも、よく見ると“つなぎ目”があるのが判ります。
それで、線路と増築をくり返した建物の間に、気になる建物があるのです。この建物はいったい何なのか、あの頃から、ずっと気になっていました。
この建物です。通用門に近いので工場見学者用の“ゲストハウス的”なものか、それとも“工場の体育館”ではないかと思っていました。
“謎の建物”は公共施設でした。最近良くありますね、この“ふれあい何とか”と云うのが、やはり、いまの世の中“ふれあい不足”なのでしょう。
それにしても、長年の疑問が解けてスッキリです。
NECの向かいは、あの“川村学園”です。“女子大”です。川村学園と云えば目白ですが、こんな処に、いつのまにか、移って来ていました。
川村学園の処で桜並木とお別れし、右に折れ塀に沿って“台地”に向かって進みます。
塀沿いの道から、振り返ると“スーパーひたち”が走って来ました。
塀沿いの道を進み“台地”に突き当たりました。右に折れると常磐線と平行した道がありそうにも見えたのですが、じっくり見ると、どうも行き止まり臭い?匂い?を感じたのでやめました。
川村学園の塀沿いに左に折れます。ここまでまったく民家はなく、生活とか、暮らしとかまったく無縁、写真で見るより“暗く、湿って”人の気配がまったくありません。
不気味な雰囲気の漂う、ホントにホントの“裏道”です。
しかし、ここだけは陽射しがあたり、コブシの花が輝いていました。
コブシ花の先には、暗い緑の中に、赤い椿の花が“いっぱい”咲いていました。
周りも少しずつ明るくなってきました。
この上の方には民家がありそうです。
これから先は次回とします。
それでは、また明日。
利根川を渡り直ぐに左に折れ、土手沿いの道に面した、クラブハウス(我孫子カントリー)の先を右に折れ、住宅地に入ります。
このあたり、大型トラックの通行も多く、それにも関わらず歩道は無く、写真を撮っている余裕はありません、左右を確認し、自転車を転がし、住宅地に入りました。
この住宅地を歩いて見たいと思っていたのです。常磐線に沿って、天王台の駅から利根川に向かって伸びてきた住宅地です。
最近良くある、色と形の家が並んでいます。この住宅地の“変る様”を電車の窓から20年近く眺めていたのです。
“原っぱ”が整地され、側溝ができ、道に砂利が敷かれ、舗装され、電柱が立ち、駅に近い方から、ポツリ、ポツリと家が建って行きました。
そんな様子を、会社帰りに電車の窓から、あの頃、毎日、毎日、ぼんやりと見つめていました。
“毎日の通勤を終える頃”には、住宅地は土手の近くに到達しました。今でも、東京からの帰り、あの頃の事を思い出し、辺りを眺めるのです。
今回、車窓からぼんやり眺めた“風景の中”を“歩いて見たい”と思ったのです。
町の名前は「青山」となっていました。この辺りで「青山」と云われると、都心のお洒落な町を思い浮かべるよりも、「♪ヨォオ~ ♪フク~の青山」のCMソングが聞こえて来ます。
信号を真っ直ぐに進と天王台の駅に、右に行くと6号線に出る筈です。私はここで左りに折れ、常磐線のガードを潜ります。
こちら側は、出勤する時に眺めていた風景です。取手駅を過ぎ利根川の鉄橋を渡ると見えて来るのが“NEC”の建物です。
通用門の右手の建物は、私が通勤している間に、2回に渡って増築され、利根川に向かって伸びて行きました。今でも、よく見ると“つなぎ目”があるのが判ります。
それで、線路と増築をくり返した建物の間に、気になる建物があるのです。この建物はいったい何なのか、あの頃から、ずっと気になっていました。
この建物です。通用門に近いので工場見学者用の“ゲストハウス的”なものか、それとも“工場の体育館”ではないかと思っていました。
“謎の建物”は公共施設でした。最近良くありますね、この“ふれあい何とか”と云うのが、やはり、いまの世の中“ふれあい不足”なのでしょう。
それにしても、長年の疑問が解けてスッキリです。
NECの向かいは、あの“川村学園”です。“女子大”です。川村学園と云えば目白ですが、こんな処に、いつのまにか、移って来ていました。
川村学園の処で桜並木とお別れし、右に折れ塀に沿って“台地”に向かって進みます。
塀沿いの道から、振り返ると“スーパーひたち”が走って来ました。
塀沿いの道を進み“台地”に突き当たりました。右に折れると常磐線と平行した道がありそうにも見えたのですが、じっくり見ると、どうも行き止まり臭い?匂い?を感じたのでやめました。
川村学園の塀沿いに左に折れます。ここまでまったく民家はなく、生活とか、暮らしとかまったく無縁、写真で見るより“暗く、湿って”人の気配がまったくありません。
不気味な雰囲気の漂う、ホントにホントの“裏道”です。
しかし、ここだけは陽射しがあたり、コブシの花が輝いていました。
コブシ花の先には、暗い緑の中に、赤い椿の花が“いっぱい”咲いていました。
周りも少しずつ明るくなってきました。
この上の方には民家がありそうです。
これから先は次回とします。
それでは、また明日。