先週の続きです。
単線の成田線と平行に走る国道356号線を我孫子市街に向かって走っています。天気は良いし、暖かいし、この日(4/3)は快適なサイクリング日和でした。
のんびりペダルを漕ぎながら、“はじめて”の町をボンヤリ眺めているのは、何ともいいものです。
何処かでいつか見たような、そんな普通の町でも“はじめて”と云うだけで、何か? 面白いことが“起き”そうな? “有り”そうな?
そんなウキウキ感、ワクワク感が堪らないのです。
成田線、我孫子駅から一つ目の東我孫子の駅です。ホームに屋根の無い“ローカル単線”の駅です。
周囲は、商店住宅が建ち並び、それなりに賑やかで、ホームの寂しさを消し去っています。“屋根無しローカル単線駅”には、寂れた町が似合います。
駅前で、女性警察官1名、男性警察官2名、ミニパト1台、白い塗装の警察自転車1台を目撃、3人はにこやかな表情で、何やら“談笑風”です。
近くには交番、駐在所も見当たらず、何やら準備をしている様で、いない様で、会話の内容はその表情から、極々私的な会話の様に見えます。
天気も穏やか、世間も穏やか、平和な佇まいです。
長閑な東我孫子駅を過ぎて、この道路標識を発見。“手賀沼”の文字に惹かれて左折しました。
百㍍程行くと、坂があり下ると手賀沼の畔に出るようです。
自転車屋さんの前に立つ街灯の上に“手賀沼遊歩道入口”とあります。このまま直進して、遊歩道に出てしまっては“面白くなさそう”と、思いました。
何故かそう思ったのです。右に逸れ沼を見渡せる住宅街に入りました。正面の家の先は“断崖絶壁的”な、パノラマ眺望の絶景となっていました。
絶景住宅の左側の角地が、小さな“見晴台的公園”になっています。
この庭先からの眺めは最高! 朝起きて窓を開き両手を広げ深呼吸、これも最高!と思うのです。
でも、きっとそう思ってこの家を買ったのでしょうが、人間そういつまでも新鮮ではいられないのです。
毎日、毎朝、眺めていると、いつしか飽きてしまうのです。はじめての感動は続かないのです、普通で当たり前の景色に見えてくるのです。
他人が羨むほど、そう毎日、いつまでも、起きるたびに感動し無くなるのです。単なる“普通の庭先”になってしまうのです。
それでも、年に何回か“気分の良いとき”には、それなりに感動していると思います。
こちらのお家のお庭もお洒落です。正面はマンションですが、右方向の眼下に手賀沼が広がります。
なかなか“今風のお洒落な住宅地”に出来上がっています。今は新しくて「ピカピカ」に輝いています。
この後数十年の時が流れ、それなりに“静かで落ち着いた住宅地”になっているのか“微妙”な感じがします。
“今風見た目お洒落建築”は、時の流れとともに、趣とか、味わいとか、そんな変化を起こす可能性が低い様に思われます。
この手の、“今風見た目お洒落建築”は、時の流れとともに、趣とか、味わいを飛び越えて、“朽ち果て感”が漂ってしまう可能性が・・・・・・、あッ。余計なことを言ってしまいました。
兎に角、今は、高台に並ぶ、眺望絶景、大パノラマ、ピカピカ住宅地です。
眺めを楽しんだ後、356号線に戻ります。
それでは、また明日。
単線の成田線と平行に走る国道356号線を我孫子市街に向かって走っています。天気は良いし、暖かいし、この日(4/3)は快適なサイクリング日和でした。
のんびりペダルを漕ぎながら、“はじめて”の町をボンヤリ眺めているのは、何ともいいものです。
何処かでいつか見たような、そんな普通の町でも“はじめて”と云うだけで、何か? 面白いことが“起き”そうな? “有り”そうな?
そんなウキウキ感、ワクワク感が堪らないのです。
成田線、我孫子駅から一つ目の東我孫子の駅です。ホームに屋根の無い“ローカル単線”の駅です。
周囲は、商店住宅が建ち並び、それなりに賑やかで、ホームの寂しさを消し去っています。“屋根無しローカル単線駅”には、寂れた町が似合います。
駅前で、女性警察官1名、男性警察官2名、ミニパト1台、白い塗装の警察自転車1台を目撃、3人はにこやかな表情で、何やら“談笑風”です。
近くには交番、駐在所も見当たらず、何やら準備をしている様で、いない様で、会話の内容はその表情から、極々私的な会話の様に見えます。
天気も穏やか、世間も穏やか、平和な佇まいです。
長閑な東我孫子駅を過ぎて、この道路標識を発見。“手賀沼”の文字に惹かれて左折しました。
百㍍程行くと、坂があり下ると手賀沼の畔に出るようです。
自転車屋さんの前に立つ街灯の上に“手賀沼遊歩道入口”とあります。このまま直進して、遊歩道に出てしまっては“面白くなさそう”と、思いました。
何故かそう思ったのです。右に逸れ沼を見渡せる住宅街に入りました。正面の家の先は“断崖絶壁的”な、パノラマ眺望の絶景となっていました。
絶景住宅の左側の角地が、小さな“見晴台的公園”になっています。
この庭先からの眺めは最高! 朝起きて窓を開き両手を広げ深呼吸、これも最高!と思うのです。
でも、きっとそう思ってこの家を買ったのでしょうが、人間そういつまでも新鮮ではいられないのです。
毎日、毎朝、眺めていると、いつしか飽きてしまうのです。はじめての感動は続かないのです、普通で当たり前の景色に見えてくるのです。
他人が羨むほど、そう毎日、いつまでも、起きるたびに感動し無くなるのです。単なる“普通の庭先”になってしまうのです。
それでも、年に何回か“気分の良いとき”には、それなりに感動していると思います。
こちらのお家のお庭もお洒落です。正面はマンションですが、右方向の眼下に手賀沼が広がります。
なかなか“今風のお洒落な住宅地”に出来上がっています。今は新しくて「ピカピカ」に輝いています。
この後数十年の時が流れ、それなりに“静かで落ち着いた住宅地”になっているのか“微妙”な感じがします。
“今風見た目お洒落建築”は、時の流れとともに、趣とか、味わいとか、そんな変化を起こす可能性が低い様に思われます。
この手の、“今風見た目お洒落建築”は、時の流れとともに、趣とか、味わいを飛び越えて、“朽ち果て感”が漂ってしまう可能性が・・・・・・、あッ。余計なことを言ってしまいました。
兎に角、今は、高台に並ぶ、眺望絶景、大パノラマ、ピカピカ住宅地です。
眺めを楽しんだ後、356号線に戻ります。
それでは、また明日。