歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

旧村川別荘で大正、昭和を語る?騙る?

2008年04月23日 | 建物の話し
昨日の続きです。

手の挟まるドアを開けると、2面に窓を大きく切った“パノラマ展望部屋”です。当時は、ここから手賀沼を一望できたようです。

今では、住宅、マンション、家電量販店等の広告塔が建ち並び、パノラマ展望を遮っています。


この部屋で、友人、知人、家族等と供に、眼下に広がる手賀沼の風景を眺めながら、楽しく語らい、お茶を飲み、酒を酌み交わし、食事をしたのでしょう。

時は、大正から昭和初期、ゆっくりとした時間が流れていた筈です。当時のインテリ層は豊かだったようです。

ガイドの方の話では、村川教授は雑司ヶ谷に自宅を構え、箱根方面にもう一軒別荘を所有していたそうです。当時の帝大教授は相当な収入があったようです。


窓際に巡らした腰掛けに座り、「いいなぁー、こんな処で、一杯やりなから、ぼんやり景色を眺める・・・・・・ふーん、堪らないなぁー」と云うと、

「私も、見学者が来ない時にはここで本を読んでいます」とガイドさん。真面目な方なのです。

私としては、ここはやっぱり、楽しく酒を飲む方に行ってしまうのです。この場所は教育委員会が管理しており、会議室として一般に開放しているそうです。

「みんなで我孫子の歴史を語る会」・・・何て騙って、勉強会と偽り、宴会何てやって見たい・・・・・・そんな妄想が頭を過ぎりました。

【窓を開けずに雨戸が閉められるとの説明中】

このガイドの方ですが、温厚で、優しく、穏やかで、親切で、丁寧な方でした。ボランティアの見本のような方でした。

このガラスを見て下さい。シワの様な歪み。


こちらには“えくぼ”があります。


このガラスは、たぶん建物が造られた当時のままだと思います。と云うことは“80年前?”の板ガラスかも知れません。

平面度が悪く波打ったガラスは見たことがありますが、この様なガラスは始めてみました。波打ちガラス以前の製法かも知れません。

こちらの天井の“シミ”に時代を感じます。


展望部屋の奥にある部屋です。寝室として使われベットが置かれていたそうです。青漆喰の壁がなかなかモダンです。こちらは引き戸になっています。


こちらも会議室として使用しているため、エアコンが取り付けられていたり、ポットや湯飲みが置かれていたり、折りたたみ式のテーブルや椅子が置かれていたり、現代の日常が入り込んでいます。

会議室としての使用頻度はそれほど無い様な気がするのです。もったいない使い方と云うか、残念と云うか、もう少し何とか・・・・・・と云うか、昔の匂いをそのまま感じる施設であって欲しいような気がします。

わざわざ、ここで会議室をする事もないと思うのです。全室、大正、昭和の色で染めて欲しいのです。

そして、季節が変わる毎に、静かに、和やかに、大正、昭和を語る“おとなの宴会”・・・何てものを、催したら如何なモノかと思う次第です。

こちらは“厠(かわや)”の前にある“手水場(ちょうずば)”の電灯です。昭和のロマンが“匂い”ます。

但し、トイレの方は水洗になっておりますから“臭い”ません。


つぎは、建物の外回りを拝見します。


それでは、また明日。

コメント
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