小貝川の土手をひたすら走っています。
合流点から1.5㎞遠ざかりました。
草刈り機と思ってよく見たら、
刈った草を集める“草寄せ機?”のようです。知らない処で、知らない機械が、いろいろ働いているのです。
草刈り関係者が、この車の中で休憩していました。
“草刈り”ではなく“除草工事”が正しい作業名称のようです。草刈りだと、爺ちゃん、婆ちゃんが鎌でのんびり草を刈っているイメージになりますからね。
車内をチラット覗いて脇を静かに通り過ぎます。
案内標識です。“合流点”から2㎞と思ったら、
よく見ると“利根川から”に変わっていました。
そうか、そうか、この辺から単に“合流点”では、見た人に分からないかも知れないと、国土交通省が配慮しているのです。
ここで気が付いたのです。土手は右側通行なのです。行きは合流点を目指し対岸の土手を走ったのですが、その時は、“まで何㎞”の表示でした。
帰りは、合流点から段々と遠ざかって行く、“から何㎞”の表示。そうです、土手は“右側通行”なのでした。
私は、偶然にも正しい土手の走り方をしていたのです。大した事では有りませんが、それなりの発見です。
きっと「土手に於ける距離表示に関する国土交通省河川局局長通達第何号何項」何て規則があったりして、表示方法が決められているのでしょう。
と、ここまで書いてきて、あッ!と気が付いたのです。もしかして!あの標識は!単に“表と裏”で、使い分けしていた! たぶんそんな気が・・・・・・。
まぁ、いっかぁ。兎に角、ひたすら走り続けます。
それで、こちら、池でしょうか? それとも沼? どちらかと云えば、沼の雰囲気。後で地図で見たら、川が蛇行し流れが変わり、取り残されてしまった昔の小貝川のようです。
いわゆる“三日月湖”です。池でもなく、沼でもなく、湖だったのです。
遠くに見えるのが、竜ヶ崎の市街です。
行く手に、何やら石碑が、
昭和56年8月24日に、ここが決壊したのです。
周囲を見渡したのですが、それらしき“痕”は有りませんでした。後、址、蹟、痕、跡、あとも、いろいろ・・・。
傍らに、朽ち果てた看板がゴミのように寝ころんでいます。
近づいて見ると、
美化・緑化事業の工事を知らせる看板。工事は3年も前に完了しているのです。美化事業の看板が辺りの環境を汚しています。
工事主体が目的をまったく理解していない証拠です。
串田武久クン、もっとしっかりやれ! “武ちゃん”は、まだ市長やってるのかな? 調べてみたら、まだやってました。
“武ちゃん”何て馴れ馴れしく書いたのですが、市のホームページに、市長の部屋“武ちゃんブログ”何てコーナーがあり、やっぱり、本人も“武ちゃん”と呼ばれたいようです。
まぁ、兎に角、この辺で終わり。
明日で、たぶん、土手シリーズは最終回となる筈です。
それでは、また明日。