歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

弘経寺の山門と鐘楼はいつ消えた?

2009年11月19日 | お寺・神社
昨日の続きです。

さぁ、これから、弘経寺の見物とお詣りを致します。先ずは、石畳の参道から本堂を眺めます。そこそこの趣で、それなりの手入れがされているようです。

徳川家康の孫娘である千姫(1597~1666)の墓がある寺にしては、予想外にかなり質素な佇まい。


本堂の屋根は銅板葺き、かなり最近の建物です。


案内板を見ますと、応永21年(1414年)の開基で、その後は、いろいろあって、“了学上人(1549~1634)”により再興されたそうです。

その了学上人が家康、秀忠、家光の三代にわたり厚遇され、“関東十八壇林”の一つとして、多くの僧がここで仏教の修行をしていたそうです。


本堂、山門、鐘楼が昭和歩58年に水海道市の指定文化財となったそうです。でも、しかし、山門も鐘楼も現在はありませんし、本堂も新しいのです。

この説明板が建てられた後に、山門も、鐘楼も、本堂も、全て消滅し、その後、本堂だけが再建され、山門、鐘楼は先ほどの“勧進立て札”で寄進を募っている最中と、云うことなのでしょう。

それにしても、この説明板は、材質も、様式も、かなり新しいタイプのものです。10数年~20数年前ぐらいと推測します。と云う事は、最近になって、山門、鐘楼、本堂が消滅したものと考えられます。

徳川三百年の厚遇の時代が終わり、明治、大正、昭和、平成と世は移ろい、弘経寺は、かなり厳しい状況の中、第二の再興を待っているのでしょう。

真言宗の開祖、弘法大師も見守っています。


こんなお堂も、


そして、この杉の大木。


見上げると、首が痛くなるります。樹高33㍍、幹囲7.53㍍、“来迎杉”と云い、市の天然記念物だそうです。案内板では“樹齢”には触れていません。

私の“勝手な推定”では、樹高、幹囲から樹齢は600年位かも?と、思っております。と、云う事は、寺の開基時に植えられ、その後の栄枯盛衰をじっと見つめていた事になります。


600有余年、いろいろな事があったのです。しばし、思いを巡らしつつ、首を曲げつつ、杉を見上げていたのであります。

最近ですね。この本堂は、


向拝の彫り物。


このような、


よく見かける、


様式です。


飾り金具も新しいです。


さぁ、境内、本堂の見学と参拝を済ませ、いよいよ、次回は千姫のお墓です。

それでは、また明日。



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