昨日の続きです。
いよいよ園内巡りを始めます。それで、わたし、大きな勘違いをしていたのですが、“向島百花園”は、何故か、“薬草園”だとばかり長年にわたり思い込んでいたのです。
今日のいま、入り口の説明で、“単なる草花園”であることを知ったのです。いつ頃、何処で、どうして、そう思い込むようになったのかは不明です。
たぶん、“単なる草花園”と云うだけで、江戸の昔より21世紀の今日まで、忘れ去られる事なく、未だに、都内の名勝地として、その名を帝都?に轟かす?筈がないと思い込んだのかも・・・・・・。
兎に角、今回、150円の入園料を奮発した結果、長年にわたる誤った知識を訂正できたのです。それだけでも元は取り戻せたた気分、後はオマケの草花鑑賞です。
それで、入って右手奥に、茶店風の建物を発見、何となく冷たい缶コーヒーでもと、
店の前まで来ると、自動販売機はなく、軒先に貼られた品書きには、“甘酒・自家製シロップ・しょうが・梅・水蜜・麦茶”かなりのレトロメニュー。店番のオジサンも役所の戸籍係り風で回れ右でした。
それで、こんな石碑とか、
こんな、これから“つるの絡まる草”とか、
こんな、祠とか、
近所の庭先でよく見かける“こんな花”とか、
何と、これから絡まる、このつるは、
何と、カボチャなんです。カボチャの花や実を鑑賞するのです。これぞ、江戸庶民の“粋”です。一応、このカボチャは鑑賞用の品種だそうです。
そういえば、何となく、食用のカボチャと葉っぱの感じが異なります。
奥には“芭蕉(バナナ)”が植えられ、手前には“芭蕉の句”です。
“こんにゃくの さしみもすこし うめの花”とあります。わたしは、“刺身蒟蒻”と思ったら、“蒟蒻”と、少しの“刺身”と、梅の花を知り合いの墓前に手向けた俳句のようです。
俳句は、作者が眼にした情景、心の中の想いを、17文字に“フリーズドライ”したものを、鑑賞する人は、水やお湯をかけて“元の状態”に戻して味わうのだと思うのです。
が、しかし、よくあるのですが、この句にしても、知り合いだとか、墓に手向けただとか、何処に、そんな、カケラが忍ばせてあるのか、まったく理解に苦しみます。17字以外の情報があって、はじめて可能な解釈だと思うのです。
と、云う事は、俳句は、17文字だけではなく、関連情報を前提として解釈、味わうモノなの? 何て、ことを、以前より思っていたのです。 まぁ、俳句は奥が深く、きっと、いろいろあるのでしょう。
ここで“松尾芭蕉”が出てきましたが、芭蕉は“寛永から元禄(1644年~1694年)頃の人で、“向島百花園”は、文化2年(1805年)の開園ですから、100年余りのズレがあり、芭蕉は向島百花園を知らないのです。
だから、どうした! 芭蕉の句碑を建てちゃいけないのかァ? と云われると、まぁ、それは、それで、特に、問題は、余り無いと、思っております。
でも、何となく、芭蕉がここを訪れて、“蒟蒻の句を”詠んだと思う方も、無きにしも非ずらず。実は、何を隠そう、その一人がわたしなのでした。帰宅後に調べて判ったのでした。
薬草園と云い、芭蕉と云い、いろいろとあります。
兎に角、まだ、園内には、いろいろあるようです。
それでは、また明日。