歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

シャトーカミヤ “ラ・テラス・ドゥ・オエノン” でランチ

2009年06月16日 | 食事の話し
昨日の続きです。

さぁ、ランチです。連れは、かなり迷っていました。“限定10食”の“冷製パスタランチ”にするか? それとも、普通の“パスタランチ”にするか?


私の方は、もう、迷いなど一切無く、“テラス特製ハンバーグランチ”です。もちろん、デミグラスソースで決まりです。

連れは、けっきょく、普通のパスタランチを選択、“下記のどちらか1品をお選び下さい!” は、二人とも「スープ」を選択。そして、300円の“デザートセット”を注文しました。

程なくして、スープとサラダが運ばれて来ました。ハンバーグセットはパンかライスを選択できます。

  【写真を撮るの忘れスープを飲み始め、途中で気付いて慌ててパチリ】

そして、ハンバーグ! まぁ、大きくもなく、小さくもなく、程良い大きさ。


こちらが、ホタテと長ネギと“スナップエンドウ”のペペロンチーノ。それで、何ですが、“スナック”エンドウは商品名で、正式名称は“スナップエンドウ”なのであります。

でも、最近は“スナック”表記が優勢で、“スナップ”は劣勢のようで、近い将来“スナック”が正式になるかも? 見た目と味と食感は、“スナック”の“語感”に似合っているのです。


ハンバーグは牛肉100%で、あっさり味でした。私としては、豚肉の脂身と玉ねぎを加えた方が好みです。

ペペロンチーノは、それなりに、さっぱりして、味付けはしっかりしていて、ベビーホタテもジューシーで、パスタの湯で加減もOKで、連れも満足。

デザートは、これです。


黄色はパイナップルだったか? 黄桃だったか? それに苺ソースに、下のメインは“杏仁豆腐風”の、色、味、食感でした。


ランチメニュー以外は、


こんな価格で、こんなモノがあります。


次回は、孫達と来て“あつあつグリルソーセージの盛り合わせ”と“皮付きポテトのフライ”で生ビールを飲み、仕上げは、シーフードピザに、断固決めております。

それで、今回のランチは二人で2800円でした。スープ、サラダ、メイン、デザート、コーヒー、これだけ食べて、この味で、この価格は、大変にお得感がありました。

ほぼ、ファミレス価格です。店内はファミレスよりも、テーブル間隔が広く、雰囲気も、外の眺めも、ファミレスよりも上質です。

フランス料理の“キャノン”もいいですが、こちらは、それなりに大衆的で、子供連れでもOKだと思います。


それでは、また明日。



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紫陽花を探しに“シャトー・カミヤ”へ

2009年06月15日 | 牛久市の風景
昨日は、アジサイを探し求め牛久市に行って来ました。

途中、つくば市の外れ、牛久市の直ぐ隣の“高崎自然の森公園”を覗いて見ました。本日は、二人連れです。

あの、“アキレスと亀”の、“隠れた名所”を案内し、


その先にある、アヤメ池は、もう当然、アヤメの季節は終わっていました。もしかしたら、アジサイがァ!と思っていたのですが、何処にも見あたりませんでした。


それでも、睡蓮の見頃は続いていました。


兎に角、一応、ロケのセットを見学し、美しい睡蓮を鑑賞して、先ずは、それなりに満足。

そして、次に向かったのは、この日の本命“シャトー・カミヤ”です。10分ほどで到着。

本当は“ゴールデンウィーク”で、食べ損ねたレストランでの食事が、本日のメインで、アヤメの鑑賞はオマケのようなものなのです。

時間は昼ちょっと前、前回の事もあり、先ずはランチタイムです。前回、地ビールが飲みたくて、勝手に“ビアレストラン”と呼んでいたのですが、ホントの名前は“ラ・テラス・ドゥ・オエノン”です。


今日はランチメニューでいきます。


店内は、なかなかいい雰囲気です。一段下のフロアーに案内されました。丸テーブルで2~3人向きの席になっています。前方は広い庭です。


後ろは一段高いこんな雰囲気。ファミレスより、テーブル間隔は広くとってあります。価格はファミレスとほぼ同じ程度。


地ビールの“生”がァ!、とても、とても、飲みたかったのです・・・・・・がァ! 車です!涙をぐっと飲み込み堪えます。

あちら、こちらの席に運ばれて行くジョッキを、恨めしそうに眼で追っていました。 

飲んでから、庭を1時間ほど散策したら“消えるかも知れないよ”と、微かな期待を胸に抱きつつ、口に出したのですが、連れの“ダメッ!”の一言で却下されました。

飲酒運転は絶対に止めましょう!

本日は、午前中出掛けていたので、更新が午後になってしまいました。いつもと、ペースが変り、何か、調子が悪い。


さぁ、これから、床屋に行って来よう、この続きは次回とします。


それでは、また明日。


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ジェノバから密集建築と洗濯物のそよぐ街へ

2009年06月12日 | 世界の風景
昨日の続きです。

ジェノバから海岸線を南下し、小さな港町を訪ねます。

この建物の色が、何とも云えず微妙なところです。ヨーロッパでは建物の外観はそれなりに統一され、街のイメージを壊さないようにしていると聞きます。

この外壁の色使いは、個々バラバラで、好き勝手に塗りたくったようにも見えるし、また、それなりに全体のイメージを考慮した配色のようにも見えたり・・・・・・。

いろいろな人が、いろいろな色を、勝ってに塗ったとしても、好みの色が、それなりに狭い範囲の中にあり、結果として調和する? 民族の色?


パステルカラーと云えば、云えなくも無く、そう見えたりもするのですが、これは、単に、風雨に晒されて、退色、脱色、剥離した結果のようにも見えます。

それにしても、建物が密着して、隣同士に隙間が有りません。これってどうやって建てたのでしょうか?

隣の建物の外壁に、煉瓦や石を積み上げていくの? 個々の建物は独立して建っているのでは無く、連結して建っている? 消防法とか、建築基準法とか、問題無いのでしょうか?


それにしても、風に舞う洗濯物です、これも街の風景であり、景色であり、風情であり、趣であり、異国情緒でしょうか。

この街で暮らす人達は、それなりに、洗濯して干す時の事を考え、衣類や、シーツや、ベットカバーの色を選んでいたり・・・・・・。


まぁ、単に、好みの色が、それなりに、すべてに反映し、それなりに、全体として調和する?

狭い路地、狭い階段、水道や、下水や、電気や、ガスはどうなっているのでしょうか、そう言えば、電柱が見あたりません。地下にすべて埋設されているようです。

よく見ると、


あちら、こちらに、緑色が見えます、苔が生えているのです。



陽当たりの悪い場所の苔は、アジアのイメージなのです。ヨーロッパの街角、裏通り、道の隅にも、緑の苔は無く、サラサラと乾いたイメージを抱いていました。

ここは海辺の街、湿気があるのでしょうか、地中海の気候は“太陽がいっぱい”で、ジメジメとは無関係と思っていました。

街の隅々まで綺麗で、雑草もゴミもなく、さっぱり、サラサラは、ヨーロッパでも北の方なのでしょう。北欧は雑草も苔も生えない不毛の大地?

“おじさん”も、洗濯物も、風景。


“おばさん”も、洗濯物も、風景。


我が日本でも、物干し台で、洗濯物の間で、浴衣を着て佇めば、それなりに、街の風景であり、景色であり、風情であり、趣であり、異国情緒になるのでしょう。

見方によっては、


スラム街にも、見えなくも無い街並みです。


こんな感じに、建物が離れて建っていると、それなりにヨーロッパの風景です。


犬と戯れる、地中海の黄昏・・・・・・・。


これで、世界体感旅行“トラベリックス”で歩く、“イタリア・ジェノバ”を終わります。


それでは、また来週。

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世界体感旅行 “ジェノバ”で煮込み

2009年06月11日 | 世界の風景
昨日の続きです。

港街です、街の魚屋さんです。店先の水槽には“鱈”ばかり、干物を水で戻して売っているのです。干物は旨味が凝縮しているのに、水で戻したら旨味が水で薄まりませんか?


日本の魚屋さんと違って、“だみ声”での呼び込みはしません。店内も干物の鱈ばかりが吊されています。ここは、魚屋さんではなく、鱈屋さん?

この辺りは、鱈ばかりが獲れるの? それとも、イタリア人、ジェノバ人は鱈が大好物なのでしょうか? 

それで、鱈の卵の方はどうしているのでしょうか? 明太子にして日本に輸出? そして、日本では地中海産の明太子を、イタリア産のパスタとあえる? そうだと面白いです。


やっぱり、干物は炙って食べるのが、日本人としては、一番美味しいと思うのです。ところ変われば、食べ方も、好みも、味も変わるのです。

こちら、裏通りの居酒屋です。世界中、居酒屋は裏通りにあるのが一番なのです。


いいですねェ~。中世を思わせる看板です。プラスチック製の“行灯看板”より、味わいがあります、風情があります、趣があります。日本で云えば“赤ちょうちん”です。


賑わっています。立って客が待っています。


こちら、何を食べているの? 美味しいですか?


この店の一押しは、先ほどの水で戻した鱈の煮込み料理だそうです。鱈に、ジャガイモ、トマト、セロリ、ニンニク、オリーブ、玉ねぎ等をじっくりと煮込むそうです。

最初は、色とりどりが綺麗なのです。


そして3時間煮込んで、みんな同じ色になります。


う~ん。旨いのかな? これにカレールーをいれたら、絶対に旨いと思います。


そして、もう一品は、ジェノバ名物、バジリコペーストで、ジャガイモ、インゲンをパスタの煮込み。煮込み過ぎてインゲンの緑が消えていました。


何か、やたら、何でも、煮込むのが好きなようです。イタリア料理って、こんな感じだった? それとも、敢えて田舎料理?を紹介したの?

イタリアのテレビ局が日本の居酒屋を取材して、その店一押しの“モツ煮込み”とかを紹介したような、そんな感じを抱きました。

モツ煮込みは、そけは、それで、美味しいのですが、あまり、正々堂々、胸を張って表に出る料理ではありません。密かに、こっそり味わうものです。

バジリコペーストの煮込みとか、干物の鱈の煮込み料理も、そんなジャンルなのでしょうか? 

ジェノバの人が見たら、“もっと他に、ちゃんとした料理があるだろう! 寄りによって、居酒屋料理はないだろう” 何て、思うのでしょうか?

今日は、食い物を取り上げました。

次回は、ジェノバを離れ、世界遺産の港町です。


それでは、また明日。




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世界体感旅行 “ジェノバ”で

2009年06月10日 | 世界の風景
今日は、BS日テレの番組“トラベリックス 世界体感旅行”で、イタリアのジェノバを歩きます。


冒頭はこのシーンです。

この後ろ姿、男性の年齢と女性の年齢に大きな差がある様に思います。


男性の頭髪具合、体型、服装から、60歳±5歳、隣の女性は、髪型、体型、服装から、30歳±5歳と睨みました。

歳の差のある夫婦とか、不倫とか、一時の浮気とか、そんな関係も考えられますが、ベンチに座る二人の距離は、たぶん親子でしょう。

もしかして、関係を清算する為、ジェノバを訪れた上司と部下? 真相は二人はまったくの他人で、たまたま一つベンチに隣り合わしただけだったりして・・・・・・。

でも、やっぱり、イタリア、そして、港町ジェノバとくれば、何かドラマがあっても・・・・・・、そう思ったりするのです。

それで、この断崖絶壁に張り付いた建物の群もスゴイ風景です。


シャボン玉で遊ぶ女の子、左側の子は孫と同じくらいかも?


ヨーロッパで、イタリアで、ジェノバで、重く厚い石造り。


結婚式です、新郎はアラブ系イタリア人?でしょうか? 兎に角、オメデトウ御座います。


むかしは宮殿だった市役所での結婚式です。


こんな、


豪華絢爛で、


歴史を感じる建物で、結婚式です。


市役所ですから、勿論、無料なのでしょう。この後は、近くのレストランで、飲めや、食えや、歌えや、踊れや、の大騒ぎなのでしょう。

この色使いが、


とても、イタリアです。


ホントに驚いたのです、鮮明な画面に、まさに、そこに行った気になるのです。以前のテレビが、叩かないと白黒になり、そして、とうとう、いつしか、何度叩いても白黒のままのテレビでした。

15年前のアナログ画像と、最新のデジタル画像の差、思い知らされました。

それにしても、評判の芳しくない“エコポイント”は、具体的にはどうするのでしょうか? 教えて“麻生さん”


それで、ジェノバは明日も歩きます。


それでは、また明日。






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水戸道へ続く道は境界線を辿る道

2009年06月09日 | 女化道標問題
昨日の続きみたいなものです。

実は、あの日、途中で気になった場所があり、牛久宿から引き返しその場所へ戻ったのです。

その場所は、“ニュータウン長山”の手前にあり、周囲にパイプの柵を巡らし、入り口には鎖が張られ、それなりに車両の進入を阻止していました。

何なんだ?と思いつつ、水戸道を目指し、先を急いでいたので、ちょっと横目で眺め、通り過ぎたのでした。


辺りをそれとなく警戒し、鎖を乗り越えたのです。“私有地に付き進入禁止”とか、“危険進入禁止”とか、“関係者以外立ち入り禁止”とか、その手の看板は見あたりません。


すこし入り口を進んだ処に、これが、


保全事業で整備された森林のようです、“みんなで大切にしましょう”と呼びかけているようですから、勝ってに入って散策を楽しんでも問題は無いようです。

でも、この看板の説明書きは、積極的に散策を歓迎している様ではなく、“まァ。自然を大切にするならば入ってもかまわないけどねェ”的な匂いがします。

入り口に張られた鎖は、車両の進入を阻止する為のようです。兎に角、何となく、辺りを窺いながら、遠慮がちに歩きはじめます。


なかなか、いい感じ、


見上げると、木漏れ日が、


右も、


左も、雑草繁る雑木林。


こんな感じ、


こんな感じ、こんな感じが、ずっと、ずっと、続きます。


マンホールの蓋です。


すこし先に看板が、ガス管が埋まっているようです。


何となく、終点が近い雰囲気が、


左側に柵が現れました。柵の向こうは私有地?


柵の杭は、じょじょに、自然に、大地に、戻りつつあります。


針金に支柱が、支えられて、やっと立っています。


やっと民家が見えて来ました。


何処に出たの?と思い、あたりの様子を窺うと、出た処は“水戸道”でした。


自然を観察し、鳥の囀りを聞き、のんびり散歩するにはいいところです。のんびり、ゆっくり歩いて、往復1時間弱です。

この日は、ウグイスが囀り続けていました。夏になると、セミの合唱で相当に五月蝿いかもしれません。

地図で云うと、黒い線で描いたところを辿って来たようです。


それで、地図を改めて見ていたら、女化道標から“水戸道”へ続く道は、牛久市と龍ヶ崎市との境界線を辿っているのでした。

正しくは、境界を辿って道が出来たのではなく、この古い、脇街道? 枝街道?を、昔、むかし、その昔に、境界線にしたのだと、そう思うのです。

ですから、故に、この道は、かなり昔のままなのです。道標が建てられた当時と、ほとんど同じ道筋を辿っている筈なのです。


本日は、何となく、それとなく、“そうかァ、そうかァ”で、お終いです。

それでは、また明日。

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牛久の宿 “踏切の哀愁”そして“ヘッドライト”

2009年06月08日 | 女化道標問題
先週の続きです。

道路工事現場を過ぎると、ちょっとした登り坂になります。ここまで、実際には車の往来はかなりあったのですが、なるべく撮さないようにしていました。


坂を登りきった処で、ほとんど全ての車が右折しています。


この奥に、学校や、新興住宅地があるようです。先ほどの道路工事は、その辺の交通量の変化に対応する為だったようです。


こちらは、右折はせず直進し牛久宿を目指します。このあたりから、やっと“水戸道”の風景になってきました。

この感じです、数年前に通ったこの道は、ずっこんな風景の連続でした。あの時は、暗く、狭く、人通りもなく、車の往来もなく、寂しい道でした。


知らない道を、はじめて通るとき、何処に出るのか? 知っている道と何処で繋がるのか? 不安感と期待感の“ごちゃ混ぜ感”がたまりません。遠くに踏み切りが見えてきました。常磐線です。


踏切はいいです。遮断機が下りて警報機が鳴る、遠くから迫ってくる列車、目の前を通過する時の重量感、スピード感、吸い込まれそうな恐怖感、そして、通り過ぎ消えていく赤い尾灯・・・・・・・。

もう、これは、哀愁です! もうこれは“三橋美智也”です! “哀愁列車”です!

哀愁列車  三橋美智也


そして、新沼謙治の、この曲、北に帰る歌もいいです。彼の曲ではナンバーワンだと思います。

ヘッドライト-新沼謙治


今日は月曜日、肌寒く、外は暗く、そぼ降る雨・・・・・・、こういう時は、哀愁が恋しくなるものです。


それで、この踏切、“銅像山踏切”と云うそうです。銅像山? どの山が銅像山?銅像がある山? いわゆる銅像風?の形をした山? 辺りを見回したのですが、何だか良く判りのせん。


佐貫から牛久まで、長い直線が続きます。地平線に続く線路、ずっと、ずっと行くその先は“陸奥”です。


線路と平行する国道6号線、通称“水戸街道”です。旧水戸街道と新水戸街道がここで合流します。


踏切の直ぐ先、二股の信号を左りに入ると、旧街道は“牛久の宿”になります。


この先、ゆるやかな坂を登ると牛久宿に到着。


宿場の面影を漂わすのは、この立派な塀と門構えのお宅です。明治天皇が休憩した事があるそうです。いわゆる本陣ではありません。


以前、聞いた事がありました。牛久近辺の草原で行われた、陸軍の軍事演習を明治天皇が視察?観閲?した事があったそうで、その時に立ち寄ったのかもしれません。

こちらが、入り口が狭く、見落としてしまいそうな正源寺。山門に立つ、石造りの仁王様。かなり強そうです。


これで、やっと、牛久宿に到着しました。

女化道標から、水戸道を目指し、そして若柴宿に向かい、そこから、いったん水戸道を引き返し、牛久宿までを辿る“シリーズ?”でした。

週のはじめに終わるのは、何となく変なので、あと一回だけオマケを付けます。

次回は、ホントに最後のオマケの回です。


それでは、また明日。


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道路工事は4千7百88万円で高いの?安いの?

2009年06月05日 | 女化道標問題
昨日の続きです。

「成井一里塚」を通過して、牛久宿に向かいます。

塚の直ぐ先の交差点、この道が“カントリーライン”です。


地図で見ると、緑色の道が“水戸道”で、向台小を目指して進んでいます。途中で交差している“白い道”がカントリーライン。


ここから先、道路にセンターラインが引かれ、歩道も整備されています。数年前に来たときは、狭まくて暗い山道の印象だったのですが、


とても、明るく、広くなりました。先の方では工事が進行中のようです。、


やってます、赤土が剥き出しになってます、工事車両が動き回っています。


新しい道路を造っているそうです。


工事の看板、驚きました! 


金額が書かれているのです。4千7百88万円です。そう言われても、この位の工事で、安いのか? 高いのか? 適正価格なのか? 素人には判りません。

それにしても、こんなの生まれて初めて見ました。これも、今はやりの市政公開の一端なのでしょう、これを見て、“なるほど”とか、“そんなもんか”とか、“高い!ふざけるな!”とか、考えさせ、怒らせ、悩ませ・・・・・・。

そして、市政に対する市民の参加意識を高めていく、そんな一環なのでしょうか? ねェ、池邊勝幸市長。

えッ!池邊さん?・・・、いけのべ・・・?、イケノベ?・・・、そうか! あの落花生会社や、ガソリンスタンドや、精米所や、不動産屋の、イケノベグループの方だったのですか? ※後で調べたらそうでした。

だから、それが、どうした? と、聞かれても、特に、何も、深い意味も、魂胆も、ありませんです。ハイ!

それで、道路工事の方ですが、右の山から新しい道路が下りてくるようです。


工事現場は見ていて面白いです。


飽きません。でも、平日の昼日中、カメラをぶら下げ、じっと工事現場を見つめ、ときおりシャッターを切るおっさんは、かなり怪しまれます。


以前に一度、橋の工事現場で、いつものように見つめていたら、何故か?工事責任者らしき人に、“ごくろうさまです”と声を掛けられたことがありました。

何が?“ごくろう”なの?と思いつつ、“アッ!どうも”と、軽く会釈をしてその場を立ち去ったことがあります。

工事関係者からの疑いの視線を左頬に感じた処で退散です。

工事現場の先は、以前と変わらない景色です。


今日こそ、牛久宿に到着を予定していたのですが、辿り着けませんでした。次回は来週になってしまいます。


それでは、また来週。


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牛久市の成井一里塚 “存在と築造” の謎

2009年06月04日 | 女化道標問題
昨日の続きです。

昨日のタイトルが「若柴宿から牛久宿へ」となっていたのですが、牛久宿へは辿り着けませんでした。

本日も、牛久宿を目指して出発します。

後ろから、私を抜き去って行った高校生の一団。男の子と、女の子が、自転車で通学しているのです。

う~ん! 青春の1ページです! “青い山脈”です!←知らないか? 彼らは、この道が、昔の水戸街道だと知っているのでしょうか? 


そんなことは、関係ないか、兎に角、“青春時代の真ん中”です。いろいろあるから、いろいろ経験して下さい。 

こんな感じの田舎道です。この道は何度も通っています。初めてではありません。


そろそろ、アレが見えてきます。


アレは、コレではありません。水戸道の面影はココいらには無いのです。


この先です。前を走る赤い車の右手辺りです。


右手、一段高くなった処がそうです。


コレ何です。説明板がせ無ければ、建設残土の上に雑草が生えているだけ、そんな風景にしか見えません。


“一里塚です!” “何処がァ?”



と、思われることを察して、敢えて写真を載せ、そして、それでも疑問を生じると思い、わざわざ丸く円を描き “ここがァ!”と、示しているのです。

それで、この説明板の内容なのですが、疑問を抱いてしまいました。


「女化の道標」もそうなのですが、またしても、“牛久市教育委員会”そして“牛久市文化財保護審議会”です。今度お会いしたら、この件も聞いてみようと思います。※残念ながらあれからまだ連絡はありません。

それで、疑問なのですが、文面の最初の二行で、一里塚とは?の説明があり、次の二行で、設置された年代の説明があるのです。

そして、またしても、次の二行で、水戸街道の整備と合わせて、設置年代に触れているのです。

先の二行では、永禄4年(1561年)には、既に存在していたと云い、次の二行では、水戸街道が整備された慶長末(1614年)から寛永初年(1624年)の頃に“築造”されたと云い、いったい!どう考えたらよいのでしょうか?

水戸街道と、云われる、呼ばれる、ずっと以前から、ここを通る街道があり、一里塚は存在していた。そのときは、木が植えられているだけで、土台が無かった?

その後、1603年に江戸に幕府が開かれ以降に、街道の整備がなされ、水戸街道の一里塚として、“土台”が築かれた。

依って、存在していた時代と、築造された時代との二つがある? それでは、とても変です。

それと、またしても、説明板をじっと見つめると、またしても、女化道標の説明板と同じく、訂正がされていたのです。


“慶長末年から寛永初年”の後にテープ?貼られ、一部文面が消されているのです。たぶんここには“西暦”が記されていたと推測します。

普通、元号の後には西暦が付きます。前文の永禄には西暦表記があり、慶長と寛永に西暦表記が無いのは不自然です。

たぶん、両方に西暦表記を着けてあった頃に、「存在と築造」の二重表記に疑問がだされ、取り敢えず、片方の西暦表記を消してしまった?

片方の西暦表記を消す事により、ボンヤリ眺めている人々には、「存在と築造の謎」が生じる確率を、かなり低下させる考えた?

たぶん、最初の表記での「存在と築造」の年代二重表記には、いろいろと複雑な理由があったと思います。そして、テープ貼りにいたる経緯についても、それなりの複雑な理由があったと思います。

もしかして、水戸街道が、我孫子から取手→藤代→若柴→牛久を通るコースと、我孫子から取手を通らず、布佐→?→?→荒川沖コースとか、この辺りは、複数の水戸街道が存在していたらしいので、そのあたりが一因なのかも?

兎に角、牛久市の説明板は、女化道標と云い、成井一里塚と云い、いろいろな推理を楽しませてくれる説明板です。

本日も、牛久宿には辿り着けませんでした。


それでは、また明日。
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水戸道を若柴宿から牛久宿へ

2009年06月03日 | 女化道標問題
昨日の続きです。

昨日は、水戸道との合流地点に辿り着いたところでした。

本日は、水戸道を若柴宿まで歩きます。

六号線から龍ヶ崎に向かう広い通りを横断し、若柴宿まで直進します。広い通りは県道何号線と云うのか判りません。


田舎道を真っ直ぐ進みます。


人家が、ちら、ほら、


右手に“星宮神社”が、現れます。しかし、諏訪神社とか、熊野神社とか、氷川神社とかは、よく眼にしますが、“星宮”は初めてです。


突き当たり、左にほぼ90度曲がった先が若柴宿です。


角のお蕎麦屋さん“田舎庵”です。2度ほど入っています、なかなか美味しいです。ここを左に折れると若柴宿。


曲がった先は、こんな風になっています、特に、何も、宿場の面影は残っておりません。ここで引き返します。


引き返し、振り向くと、蕎麦屋の向かいが、地図にも載ってる“金龍寺”となります。


信号のある、広い名前の判らない通りの交差点まで戻りました。


緑が水戸道、赤が女化への道。いま居るのは、緑と赤の合流地点です。


二股を左に、緑の水戸道を牛久宿に向かって歩きます。



この道標、新しいように見えますが、大正12年とあります。大正12年は1923年ですから、今から86年前となります。


86年間も、人通りの少ない(たぶん?)ここに、ひっそりと(たぶん?)佇んでいたのかと思うと・・・・・・、ねェ、ホント! ご苦労様です。

さぁてと、それでは、道標を振り返りつつ、牛久宿を目指します。


この先は、次回とします。

それでは、また明日。


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