昨日の続きみたいなものです。
実は、あの日、途中で気になった場所があり、牛久宿から引き返しその場所へ戻ったのです。
その場所は、“ニュータウン長山”の手前にあり、周囲にパイプの柵を巡らし、入り口には鎖が張られ、それなりに車両の進入を阻止していました。
何なんだ?と思いつつ、水戸道を目指し、先を急いでいたので、ちょっと横目で眺め、通り過ぎたのでした。
辺りをそれとなく警戒し、鎖を乗り越えたのです。“私有地に付き進入禁止”とか、“危険進入禁止”とか、“関係者以外立ち入り禁止”とか、その手の看板は見あたりません。
すこし入り口を進んだ処に、これが、
保全事業で整備された森林のようです、“みんなで大切にしましょう”と呼びかけているようですから、勝ってに入って散策を楽しんでも問題は無いようです。
でも、この看板の説明書きは、積極的に散策を歓迎している様ではなく、“まァ。自然を大切にするならば入ってもかまわないけどねェ”的な匂いがします。
入り口に張られた鎖は、車両の進入を阻止する為のようです。兎に角、何となく、辺りを窺いながら、遠慮がちに歩きはじめます。
なかなか、いい感じ、
見上げると、木漏れ日が、
右も、
左も、雑草繁る雑木林。
こんな感じ、
こんな感じ、こんな感じが、ずっと、ずっと、続きます。
マンホールの蓋です。
すこし先に看板が、ガス管が埋まっているようです。
何となく、終点が近い雰囲気が、
左側に柵が現れました。柵の向こうは私有地?
柵の杭は、じょじょに、自然に、大地に、戻りつつあります。
針金に支柱が、支えられて、やっと立っています。
やっと民家が見えて来ました。
何処に出たの?と思い、あたりの様子を窺うと、出た処は“水戸道”でした。
自然を観察し、鳥の囀りを聞き、のんびり散歩するにはいいところです。のんびり、ゆっくり歩いて、往復1時間弱です。
この日は、ウグイスが囀り続けていました。夏になると、セミの合唱で相当に五月蝿いかもしれません。
地図で云うと、黒い線で描いたところを辿って来たようです。
それで、地図を改めて見ていたら、女化道標から“水戸道”へ続く道は、牛久市と龍ヶ崎市との境界線を辿っているのでした。
正しくは、境界を辿って道が出来たのではなく、この古い、脇街道? 枝街道?を、昔、むかし、その昔に、境界線にしたのだと、そう思うのです。
ですから、故に、この道は、かなり昔のままなのです。道標が建てられた当時と、ほとんど同じ道筋を辿っている筈なのです。
本日は、何となく、それとなく、“そうかァ、そうかァ”で、お終いです。
それでは、また明日。
実は、あの日、途中で気になった場所があり、牛久宿から引き返しその場所へ戻ったのです。
その場所は、“ニュータウン長山”の手前にあり、周囲にパイプの柵を巡らし、入り口には鎖が張られ、それなりに車両の進入を阻止していました。
何なんだ?と思いつつ、水戸道を目指し、先を急いでいたので、ちょっと横目で眺め、通り過ぎたのでした。
辺りをそれとなく警戒し、鎖を乗り越えたのです。“私有地に付き進入禁止”とか、“危険進入禁止”とか、“関係者以外立ち入り禁止”とか、その手の看板は見あたりません。
すこし入り口を進んだ処に、これが、
保全事業で整備された森林のようです、“みんなで大切にしましょう”と呼びかけているようですから、勝ってに入って散策を楽しんでも問題は無いようです。
でも、この看板の説明書きは、積極的に散策を歓迎している様ではなく、“まァ。自然を大切にするならば入ってもかまわないけどねェ”的な匂いがします。
入り口に張られた鎖は、車両の進入を阻止する為のようです。兎に角、何となく、辺りを窺いながら、遠慮がちに歩きはじめます。
なかなか、いい感じ、
見上げると、木漏れ日が、
右も、
左も、雑草繁る雑木林。
こんな感じ、
こんな感じ、こんな感じが、ずっと、ずっと、続きます。
マンホールの蓋です。
すこし先に看板が、ガス管が埋まっているようです。
何となく、終点が近い雰囲気が、
左側に柵が現れました。柵の向こうは私有地?
柵の杭は、じょじょに、自然に、大地に、戻りつつあります。
針金に支柱が、支えられて、やっと立っています。
やっと民家が見えて来ました。
何処に出たの?と思い、あたりの様子を窺うと、出た処は“水戸道”でした。
自然を観察し、鳥の囀りを聞き、のんびり散歩するにはいいところです。のんびり、ゆっくり歩いて、往復1時間弱です。
この日は、ウグイスが囀り続けていました。夏になると、セミの合唱で相当に五月蝿いかもしれません。
地図で云うと、黒い線で描いたところを辿って来たようです。
それで、地図を改めて見ていたら、女化道標から“水戸道”へ続く道は、牛久市と龍ヶ崎市との境界線を辿っているのでした。
正しくは、境界を辿って道が出来たのではなく、この古い、脇街道? 枝街道?を、昔、むかし、その昔に、境界線にしたのだと、そう思うのです。
ですから、故に、この道は、かなり昔のままなのです。道標が建てられた当時と、ほとんど同じ道筋を辿っている筈なのです。
本日は、何となく、それとなく、“そうかァ、そうかァ”で、お終いです。
それでは、また明日。