goo

“必生 闘う仏教”を読んで

学生時代、“戦うキリスト者”なる人々が居たように思う。この人々の主張がどんなものであったのかは、あまり良く知らないし、その人々はその後どうなったのかも、全く知らない。ただ、キリスト自身が本当は“戦う”姿勢が強かったという、そういう姿勢への原点回帰であると当時聞いたように思う。そして、仏教者にはそのような人々が居ないのかと思っていたが、そのまま今日に至ってしまった。そして今“戦う仏教者”がいきなり目の前に登場して来た。この本の標題を見て、そのような感慨が 頭の中を巡った。さて、この著者である佐々井秀嶺師は 何に対し、どのように“闘っている”のだろうか。インドのおける仏教の復興、それにはどんな意味があるのだろうか。 . . . 本文を読む
コメント ( 0 ) | Trackback ( )