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“必生 闘う仏教”を読んで

学生時代、“戦うキリスト者”なる人々が居たように思う。この人々の主張がどんなものであったのかは、あまり良く知らないし、その人々はその後どうなったのかも、全く知らない。ただ、キリスト自身が本当は“戦う”姿勢が強かったという、そういう姿勢への原点回帰であると当時聞いたように思う。そして、仏教者にはそのような人々が居ないのかと思っていたが、そのまま今日に至ってしまった。そして今“戦う仏教者”がいきなり目の前に登場して来た。この本の標題を見て、そのような感慨が 頭の中を巡った。

さて、この著者である佐々井秀嶺師は 何に対し、どのように“闘っている”のだろうか。この本にある様々な写真から見る肖像は、イメージ通り眼光鋭く、その前では軟弱なウソ偽りなど一喝の下に暴かれてしまうような迫力を感じる。正に凛とした“闘う”羅漢さんの印象である。著者の 鋭い感受性と激しい性格が、厳しい仏教者としての人生へと導き、それがインドへの道となったようだ。インドのおける仏教の復興、それにはどんな意味があるのだろうか。

インドは仏教発祥の地であるにも関わらず、歴史的にはその後 “紀元前千五百年ごろよりカスピ海沿岸から南下を続けたアーリア人は各地の先住民を侵略。やがて、インダス河を越えてガンジス河流域に至り、さらに南下したアーリア人は、次第にインド先住民族のドラビダ人と混血し、よりアーリア系の血が濃い者から順に、下へ下へと階級制度を作っていった”とのことで、“一番上の階級は、ヒンドゥー教僧侶や知識人などのブラーマン、二番めは武士階級のクシャトリア、三番めは商人や一般市民のヴァイシャ、四番めはその上位三階級に奉仕する身分のシュードラ。以上の‘四姓’が、ヒンドゥー教で「人間」と認められる階級。そして、さらにその下に置かれ、アウト・カースト(階級外)と呼ばれているのが、不可触民”となっている、とのこと。つまり、仏教徒は被征服民となってしまったがために、アウト・カーストの不可触民となってしまい、徹底的に抑圧される結果となったらしい。そして、仏教遺跡は 大抵 その後ヒンドゥー教の施設が覆いかぶさるように建設されている事例が多いと言う。
著者、佐々井師は仏教者として、このインドの不可触民の真の解放と、仏教の復興に“闘っている”のだ。

インドには かつてその不可触民の真の解放と、仏教の復興に闘ったアンベードカル博士というインド人が居たという。このビーム・ラーオ・ラームジー・アンベードカル博士は、1956年ナグプールというインド三角大陸の中央に位置する都市でインド仏教復興の一大イベント・ヒンドゥー教から仏教への集団改宗を開催した、という。“博士自身が「不可触民」階級の出身でありながら、苦学の末、米国や英国で学位を取得”し、“インド独立に際してはカースト制度廃止を明記した新憲法の起草者で、二十世紀を代表する巨人”であるという。博士の仏教解釈の書であり、現インド仏教の聖典としての“ブッダとそのダンマ”という本が日本でも翻訳され出版されている。

だが、残念なことに こういう人物の存在を 我々日本人はどうして一般に知ることがないのであろうか。それは他国の下層階級の人々のことにおせっかいな関わりを持とうとしない国民性であり、宗教に恬淡とした国民性であるため仏教発祥の地での仏教徒抑圧に対しても無関心であり、海外の事情を白人の目を通してからしか理解しようとしない国民性から来ているためなのだろうか。こういう知らされていない事実を前にして、不思議だと感じ、呆然とせざるを得ない。ヒョッとして日本人には こういうことが多いのではないだろうか。
日本では報道に個性が無く、多数の新聞、テレビ、様々なマスメディアがあるにも関わらず、そこではほとんど同じ問題が議論され、同じような思考法で議論・検討している。自由なインターネット時代になっても その性向は一向に変化していない。現代日本では、何かある種思考のワナに囚われて、同じところを堂々巡りして一向に問題が解決されない。憲法問題然り、東西冷戦時代の思考パラダイム然り、90年代からの停滞然り、で一向に経済も政治も変革がなされない。“一億総白痴”とはこのことなのだろうか。こういう言葉を使ってはならない等 妙な暗黙のシバリも思考を硬直化させているのではないか。いずれ遠からぬ将来、酷い破綻がやって来るのだろう。

話を戻そう。
日本では“マハートマ・ガンディーがカースト制度を撤廃したかのように言われていますが、事実はそうではありません。大英帝国からの独立を最優先に考えていたガンディーは、差別はいけないことだがインドという複雑な国をまとめていくにはカースト制度を残しておくべきだ、と主張していました。それに対し、真っ向から異を唱えたのが、アンベードカル博士でした。”とある。これも 驚くべき事実だ。ガンディーは、一般にはその風貌から聖人であるような印象だが、実像はしたたかな政治家であったのだろうか。中国における毛沢東が あれだけ重視した貧農下層中農を真に解放することなく、農民戸籍を残したのと同じようなことをしていたのだった。どんな偉人と言われる人にも信じがたい蔭の側面があるのが、歴史の真実なのかも知れない。

さて、佐々井師は そのようなインドにおいて具体的にどのような成果を上げているのか。巻末に解説がある。
そこに佐々井師が演説で「禅定(心静かに瞑想し、真理を観察すること)によって、社会は良くなるだろうか。禅定できる人は収入があり、まともな生活が前もってある。だが圧倒的多数の人々はそうでなく、さらに抑圧される。私の禅定とは、闘いの禅定である。『学べ』『団結せよ』『闘おう』、これがアンベードカルのマントラ。この三つのマントラを唱えると、元気が湧いてくるではないか」と語ったとある。佐々井師の精神は、この言葉に凝縮されているように思う。
そして、同師の業績は次の3つに集約されるという。
①貧しく抑圧された人々に、自らの力で生活を改善し、より良く生きていく方向を指し示したこと。
②仏教大遺跡の発掘を通じて古代から現代に到るインド文明の素晴しさ、仏教徒としての誇りを喚起していること。
③ヒンドゥー教寺院になったままのブッダガヤーの大菩提寺(マハーボーディ寺)の仏教徒への非暴力奪還闘争を提起していること。
この3つは具体的にはインドにおけるヒンドゥー教徒との闘いにさらに集約される。そして、仏教徒の生活のスタイルを ヒンドゥー教徒との比較において、スラムにあっても“貧しくとも家の中、家の周りは掃除がいきとどき清潔である”。これは佐々井師の指導力の浸透の結果であるという。“佐々井師は親達に、とりわけ女性達に、子供を学校へ進ませるよう、上級学校で学ぶよう、勉強すれば虐げられた生活から必ず抜け出せると説いてきた。この教えはよく浸透し、実行されている。”という。
かつて、私はインドでは最下層の母親は健全な男の子の手を生きるために切り落とすという話を聞いたことがある。身体障害者であれば物乞いで生きて行ける、健常者では生きることが困難だ、と言う救いようのない悲しい現実がある。“教育”はそういう閉塞状況から人々を抜け出させてくれる。
ヒンドゥー教徒への大菩提寺の非暴力奪還闘争は、まさにガンディーの思想の継承者としての仏教徒のありようを先鋭的に示し、その象徴としようとの戦略のようだ。だが、その闘いは 毒殺の横行するインドではまさに命を懸けた闘いであるという。

このように“闘う”佐々井師は現代日本をどう見ているのか。同師は2009年に44年ぶりに帰国し、“人間がいない”と感じたという。高度成長期前の“昭和”には人間同士が裸でぶつかり合うような熱のある義理と人情が無くなったという。そして、仏教界は陰に陽に宗派に分かれて足を引っ張り合っていること、また僧侶が一般衆生から敬愛されていないこと、つまり日本仏教が現実社会と乖離しすぎていること、を挙げている。こういう世相をどう見るべきなのかについては、同師は 分析してくれてはいない。人々の必生への覚醒に期待して“不正義をただして国を立て直していくのだ、という熱と信念が重要”と述べるにとどまっている。
必生への精神の有り方について、“十界を巡れ”と言い、“苦悩を離れて人生無し。悩み無き人生は、無”と指摘。そして苦しい時に“必死”になるとはよく言われる台詞だが、“必死は当たり前のことなのです。わざわざ宣言しなくても、人間はいつか必ず死ぬ。”だから、何があっても生き抜く姿勢が大切。“必死の発想には限度や終わりがある一方で、必生には、それがない。”
社会の変化の中で悩める人々に対し、同師は“(日本)仏教が力を発揮できずにいるその一方で、怪しげな新宗教が次々に生まれ、隆盛を極めているという現実があることも見過ごせません。霊能者を自称する人がマスコミで顔を売り、若者に限らず幅広い年齢層の人達がそちらへながれていっている。”と言い、“日本仏教は、新宗教や自称霊能者を批判する前に、社会的視点に立って積極的に行動する仏教者を育成する必要がある”と実践派らしい指摘をしている。

アンベードカル博士や この本でしばしば登場する龍樹というインド仏教史を語る上において欠かせない人物のこと、私には まだまだ知らないことが多い。もっともっと “お勉強”が必要であると痛感した次第であった。

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