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科学者の憂鬱―森林科学者と火山学者の場合

9月から市民講座に参加している。迂闊にも3コースも受講することにしたのが、大変な負荷となってしまっている。翌日に審査があると、夕方6時半から午後8時までのゴールデン・タイムを費やすことは時間がタイトになる。御蔭で結構睡眠不足になっている。 森林科学者の講演で、原始の自然が保護されてきたはずの西宮神杜を調査したところ、驚いたことにシュロが繁茂していたという。このままでは“自然”は護れないので、人手を入れて太古の自然を取り戻すことにした。この学者“太古の自然を護る”と言いながら、それを護るために“人の手を入れなければならない”この矛盾に悩んでいるという。 しかし取り戻そうとしている“太古の森”といえども永遠の森林ではなかった。それは人の手が入ろうと、入るまいと地下の荒ぶる神は、時期が来れば地上を遠慮会釈なく破壊していたのだ。それは正しく“地表の自然の神は死にはしない。命そのものだから”なのだ。だから自然を尊重し、学術的に社会のためになることならば、人工的か否か悩まずに素直に手入れすれば良いのではなかろうか。とは言うものの、その地下の神のことを教えてくれた学者にも、悩みはあった。 . . . 本文を読む
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