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科学者の憂鬱―森林科学者と火山学者の場合

先週末、JR西日本は在来線も新幹線も混乱した。原因はいずれも事故。特に、新幹線の混乱の影響は東海道新幹線の東京から山陽新幹線の博多~鹿児島にまで及んだのではないか。
報道によれば“19日午後5時半ごろ、山陽新幹線の姫路駅を通過中の博多発東京行き「のぞみ180号」に男性がはねられ、死亡した。乗客約1千人にけがはなかった。”ということが原因らしい。在来線は、“19日午前10時36分ごろ、大阪駅~塚本駅間の橋桁に自動車が接触したため、琵琶湖線(京都から野洲方面)の列車に遅れや運転取り止めがでていた。”という。

先週、私は“びわ湖ビジネスメッセ2018”見学とセミナー受講(湖北の長浜市で開催)に3日間毎日赴いていた。良く考えてみると、足はJRに100%頼らなければ行けない。トラブルの多いJR利用で、3日間大丈夫か・・・と思いつつ2日目に遭遇した夕方の帰路の混乱は簡単に乗り切れた。(18日は、15時08分頃、尼崎駅~立花駅間で列車が人と接触したため、琵琶湖線の列車に遅れや運転取り止めが出た。)米原から乗車して京都で下車して金券ショップで大阪までの切符購入。これで100円以上のコストダウン。京都から乗った電車は遅れていた。大阪からは阪神電車にして問題をいなした。
案の定懸念の片鱗が出てしまったので、これで終わりだろうと翌日阪神梅田からJR大阪駅に行くと、遅れているとの表示。マッ、多少の遅れはガマンガマン。ところが10時発長浜行き新快速を待っている内に、それが運転取り止め。新快速はやっては来るが、全て草津止まり。何で少なくとも米原まで走らせないのか?
それにしても、大阪駅~塚本駅間の橋桁に自動車が衝突?その詳細の続報はない。事故の写真も見ないが、本当か?
本来、長浜で昼食の予定だったが、30分後の近江塩津行きが定刻10分遅れでやって来た。車内放送では前方を特急が走っているため、との説明があり、結局、この遅れは解消せず。新快速の車両より、特急の車両が古くて早く走れないのか・・・と思ってしまう。御蔭で長浜での折角の昼食は正味20分程度の慌ただしいものとなった。
メッセでの聴講予定を終えて午後3時半、早めに帰ろうとJR米原駅に行ったが、混乱は未だ治まっていなかった。そして、また予定した列車が運行中止。この日は神戸元町に市民講座受講の予定があって、消耗した。
“びわ湖ビジネスメッセ2018”については、いずれ別途報告したい。

しかし、こうした連日のJR西日本のダイア混乱は、“何かあったら、列車を止めろ”という、あまりにも安易で公益性、公共性への配慮を欠いた従業員への指示にあると考える。これらの事件を見ていると、従業員は、正に“何かが起きている”ので、次々と列車を止めているのだ。
どうして、姫路駅での事故影響が大阪駅で止まらず、名古屋を飛び越えて東京にまで及ぶのか。ただ単に、自動車が鉄橋にぶつかって、何故列車を何本も止めなければならない騒ぎになるものか。ただひたすら、何かヤバイことが起きたから列車を止めまくったのではないか。これが“考動”の結果なのだ。

本来は、チョッとした事故の被害・影響を局限化・限定化するための努力をするものだが、“何かあったら、止めろ”は影響を拡大する方向にしか作用していない。恐らく“スジ士”も訳が分からなくなったら、運行停止してその場をしのいでいるに違いない。何の工夫もないのだ。
姫路や大阪での事故の影響が、連携している全線に及んで拡大してしまうようになっている。そうではなくて、要所の拠点駅で容易に折り返し運転ができるように工夫することが大切ではないか。そういう経営方針がなく、全てが順調に動いていることを前提に設備投資し、それが当たり前であるかのように経営している。JRはまるで、歴史の浅い経験の乏しい鉄道会社かのようだ。

長浜に向かう列車が30分遅れる、否1本無くなる、これは都会では大した影響はない。直後に後続の列車があるからだ。しかし、この電車しか足が無い長浜近辺の居住者にとっては大変なことになる。この方面には60分に2本の割合でしか来ない。それが1本無くなったら、1時間後になる。そんな不安定な交通機関を当てにして日常生活は送れない。何らかの自前の足に頼ることになる。したがい、JRを利用する地元客はどんどん無くなっていくのだ。しかもその原因は、地元には一切関係ない理由によるものだ。こうして地元に信頼されない交通機関となってしまう。そして赤字路線は拡大していく。JRはそうなるように“懸命に考動”しているとしか思えない。“何かあったら、止めろ”はそうした結果を招くという想像力がトップから最前線の従業員にまで欠けている。JRは度し難い組織なのだ。JRはまるで、歴史ある日本の鉄道文化を滅ぼそうとしているかのようだ。


さて私は、9月から自治体主催の市民講座に参加している。迂闊にも3コースも受講することにしたのが、大変な結果となってしまっている。夕方6時半から午後8時までなので、昼間予定があっても大丈夫、と気軽に考えたのが大間違い。連日となると夕方のゴールデン・タイムがこれに費やされることは、辛い。特に、審査があると時間がタイトになる。御蔭で結構睡眠不足になっている。
講師陣は、ほぼ地元の難関大学の教官で占められているので、何ら不足は無い。選択した受講コースは、“防災”、“地球環境”、“国際関係”だ。
先週は、連日この3コース全てがあった。“びわ湖ビジネスメッセ2018”があったので審査は予定を入れないようにしていたが、こっちが重なっていたのだ。メッセは昼間全てが塞がってしまうので、消耗が激しい。もう若くはないのだ。

“地球環境”のコースで森林科学者の講演が3回続けてあった。全く専門外だが、私にはだからこそ“環境”審査員のCPDには有効なのだ。
地球温暖化の2大要因は、化石燃料の燃焼使用と、森林破壊。そして、森林は光合成を行い炭素を固定するので、その保護育成は重要な人類的課題。
世界の陸域面積の半分が森林だが、日本では国土面積の3分の2が森林。その比率は先進国第3位。日本では本来(太古)は、その1.5倍つまりほぼ全土が森林だった。
人が列島に漂着し、開拓が始まった。まずは燃料として雑木が必要不可欠だった。“山へ柴刈に行った”のだ。その後は、農業のための開拓で、田畑への開発が続き、使える山岳域以外の森林は全て開発された。治山治水の一環で、里山として人の手も入った。その極限が江戸期。その後、明治期で欧米文明の導入で化石燃料の大量使用となり、温暖化ガスは増加する一方となった。

こういう歴史的背景から、今や西日本には原生林は殆ど存在しない。わずかに屋久島にあるかと思って調べてみたが、残念ながら人の手が入っていた痕跡があるという。そのような自然環境の中で、孤立した孤島のように神社の森が人の手も入らないまま神域として、保護されて来たはずだった。
そこである時、西宮の“えべっさん”の杜を調査したところ、驚いたことにシュロが繁茂していたという。どうやら鳥が種子を運んで来たもののようだが、南国の樹木がここで繁茂するという自然は何なのか。ヒート・アイランド現象が進んでいて、神社の杜も太古のままではなくなっていたという衝撃の現実だったのだ、という。このままでは、“自然”は護れない。そこで、人の手を入れて太古の自然を取り戻すことにした、そうだ。
そこで、講師の森林科学者は、“自分のしていることは、太古の自然を護る”と言いながら、それを護るために“人の手を入れなければならない”この矛盾に悩むことがある、と告白された。そして、年配者の多い聴講者に向かって、“どう考えれば良いのでしょうか。”と質問された。多分、人生経験豊富の人間の言葉が聞きたかったのだろう。しかし聴講者一同、まともに返す言葉はなかった。

“もののけ姫”は、こうした太古の森林に対する人類文明の挑戦を語っている、との解説だった。“むかし この国は深い森林におおわれ、そこには太古からの神々がすんでいた。”私はこのアニメの意味がこれまで理解できていなかったが、この講師の解説で、すっかり腑に落ちたものだった。
このアニメでシシ神様が死んで破壊後に、再び自然・森林が再生するシーンがある。その後のラスト・シーンで、もののけ姫が“よみがえっても、ここはもうシシ神様の森じゃない。シシ神様は死んでしまった。”と言う。しかし、アシタカは慰めるように“シシ神様は死にはしない。命そのものだから。”と一見安易な台詞で返したが、本当にそうなのだろうか、というのが講師の問いかけだったのだ。人の手で復元された森は真に“自然の森”と言えるのか、という問いかけだった。

しかし私は、その前日に火山学者の次のような話を聞いていた。
日本列島にはユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートがひしめき合っていて、300万円前にこの構造となった。従って、“過去300万年間に起きたことは、将来必ず起きる。”南九州にはアカホヤ火山灰の地層がある。これは約7300年前に起きた破局的噴火・アカホヤ噴火による火山灰層で、この噴火によって40㎞の巨大噴煙柱が発生し、神戸付近にも約2㎝の層を為し、東北地方にまで降灰の痕跡を残した。現代社会といえども、2㎝の降灰は人々の生存の危機となる。勿論、当時の南九州の縄文人は巨大火砕流で瞬殺、絶滅した。これによって縄文文化でも比較的進化した形態の土器文化も壊滅。その後の地層から出て来る土器は興味深いことに遅れた形態の土器しか出土しない、という。そしてあの屋久島の森も恐らく瞬間消滅、火山灰に埋もれた。
この噴火した場所は、喜界カルデラとして海底にある。この学者はこの海底を観測しているが、溶岩ドームの形成も見られ学術的には噴火寸前の極めて危うい状態だと言う。

つまり、西日本にあった“太古の森”は7300年前以降に再生した森林だと考えられる。地球は生きている、地表は変転している、特に、日本付近の地表は激動の舞台なのだ。古い自然を懐かしみ、“永遠の太古にこだわる”ことを重大なことと、考える必要が無いのではないか、と思われるのだ。人の手が入ろうと、入るまいと地下の荒ぶる神は、時期が来れば地表を遠慮会釈なく破壊devastateして来た。しかし、正しく“シシ神様は死にはしない。命そのものだから”森林は再生してきたのだ。これは決して安易な台詞ではない。深い言葉だ。
だから自然を尊重し、学術的に社会のためになると考えられることならば、悩まずに素直に実行すれば良いのではなかろうか。こういうことを、一瞬に脳内で整理して語るのは非才の私には困難だったので、御悩みの講師には申し述べることはできなかった。替わりにこの場での表明とさせてもらったが、御当人に伝わる可能性は低い。

だが他方、その火山学者にも悩みはあった。それは、“地下の荒ぶる神”をどう鎮めるべきか、という悩みだ。その喜界カルデラでこの学者の探査により見つけられた溶岩ドームは観測によれば現在着実に膨張しているとのこと。巨大噴火を予兆させるマグマ溜まりは間違いなく膨張している。これをどうすれば良いのか、対処の方法がないという。だからといって放置する訳にはいかないので、少なくともどこにどういう規模のマグマ溜まりがどこに存在するのかを、確認する作業に入ると言う。
これこそ大変な問題だ。マグマ溜まりの所在が明確になれば、ガス抜き、マグマ抜きを考えれば良いが、そのための技術的課題は途方もないものになるに違いない。容易な解消法は無さそうだ。しかし、荒ぶる神は着々と覚醒に向かっている。

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