The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
テレビのCM
風邪を引いてしまって、気合の入った原稿が作れません。
ブログを始めて以来 こんなことはありませんでした。チョットした危機です。投稿のタイミングもずれて遅れています。
とにかく投稿ということで、今回は 特に 軽い話題で失礼させていただきます。
いつもテレビのコマーシャル・メッセージCMを見ていて感じるのですが、本編の番組より音声のボリュームが大きい印象です。特に トーク番組などを見ていて、本編のボリュームを上げていると この落差に戸惑いを感じます。
我が家でも ケーブル・テレビが見れるのですが、何気なくCNNを見ていると、CMと本編のこの音声の差がほとんど無く、いつの間にかCMになっていて、いつの間にか本編にもどっているという風です。最近 海外旅行をしたことがないので、よく分からないのですが、CNNのCMのスタイルが欧米の一般的なものであるのならば、日本のCMはかなり異様な感じになっているのではないかと思われます。
何が違うのか、不自由な英語力を駆使して少し我慢しつつ じっとCNNのCMをみつめていて、少し判ったのですが、どうやらCNNのCMは かなり説得的であるということです。つまり、論理的な部分が多く こんな風に この製品・サービスは良いのだという主張を冷静に、そして軽快に表現しているという風に見えます。
日本のCMは大抵、感情に訴えるスタイルで 絶叫しているものや大ボリュームのバック・グラウンド・ミュージックを流すのが多く、中には何のCMなのか分からないものもあり、これが逆に 注意を引く仕掛けにしているつもりのようです。
ここに いわゆる国民性の違いが現れているのかも知れません。
つまり 欧米では 論理的に説得しなければPRにならないのだが、日本では感情的、感覚的に訴えなければ 聞いてくれない、そういう 国民性の違いなのだろうと思うのです。
米国の大統領選挙では 候補者のディベートが非常に重視されます。日本では 中々 選挙公約は重視されません。以前 堂々と 消費税の導入はないと言って選挙に臨んでおきながら 選挙後しばらくして消費税を導入したという政党もありました。公約なんて大したことではない、と明言した首相もいました。それでも その政党は 政権に就いています。
前回の衆議院選挙では格差社会を増大させるような政策を多くの若者が 感覚的に支持しました。
論理的であるよりも 何となく感覚的、感情的に政権が選択されているという国民性が そういったことの結果を生むのでしょう。
その結果 かつては論理的でない好戦的“空気”に支配され、国家の方針を誤ってしまったのではないでしょうか。
戦後の反省から生まれた反戦・平和の思想もどうやら論理的に組み立てられたものではなかった。この結果、最近の思想界の右傾化増大の前に 退潮的です。それも右と左の堂々たる論戦もなく 右側の声が大きくなるに従い 左側の言説を吐いていた人々が口をつぐむという形で反戦・平和思想が退潮しているという印象です。
最近の人々の 昆虫脳化傾向が より感覚的傾向を助長していないでしょうか。特に、世界の国際政治パラダイムが 大転換しようとしている時には、こうした傾向は 大いに問題ではないかと思うのです。
論理的でない者に、グランド・デザインたる国家戦略など描けるはずが ありません。国家戦略がないところに 外交戦略はなく、北朝鮮のような瀕死の国家にも手も無く敗退するのです。感覚論や感情だけでは 世界の世論は動かせないのです。
ブログを始めて以来 こんなことはありませんでした。チョットした危機です。投稿のタイミングもずれて遅れています。
とにかく投稿ということで、今回は 特に 軽い話題で失礼させていただきます。
いつもテレビのコマーシャル・メッセージCMを見ていて感じるのですが、本編の番組より音声のボリュームが大きい印象です。特に トーク番組などを見ていて、本編のボリュームを上げていると この落差に戸惑いを感じます。
我が家でも ケーブル・テレビが見れるのですが、何気なくCNNを見ていると、CMと本編のこの音声の差がほとんど無く、いつの間にかCMになっていて、いつの間にか本編にもどっているという風です。最近 海外旅行をしたことがないので、よく分からないのですが、CNNのCMのスタイルが欧米の一般的なものであるのならば、日本のCMはかなり異様な感じになっているのではないかと思われます。
何が違うのか、不自由な英語力を駆使して少し我慢しつつ じっとCNNのCMをみつめていて、少し判ったのですが、どうやらCNNのCMは かなり説得的であるということです。つまり、論理的な部分が多く こんな風に この製品・サービスは良いのだという主張を冷静に、そして軽快に表現しているという風に見えます。
日本のCMは大抵、感情に訴えるスタイルで 絶叫しているものや大ボリュームのバック・グラウンド・ミュージックを流すのが多く、中には何のCMなのか分からないものもあり、これが逆に 注意を引く仕掛けにしているつもりのようです。
ここに いわゆる国民性の違いが現れているのかも知れません。
つまり 欧米では 論理的に説得しなければPRにならないのだが、日本では感情的、感覚的に訴えなければ 聞いてくれない、そういう 国民性の違いなのだろうと思うのです。
米国の大統領選挙では 候補者のディベートが非常に重視されます。日本では 中々 選挙公約は重視されません。以前 堂々と 消費税の導入はないと言って選挙に臨んでおきながら 選挙後しばらくして消費税を導入したという政党もありました。公約なんて大したことではない、と明言した首相もいました。それでも その政党は 政権に就いています。
前回の衆議院選挙では格差社会を増大させるような政策を多くの若者が 感覚的に支持しました。
論理的であるよりも 何となく感覚的、感情的に政権が選択されているという国民性が そういったことの結果を生むのでしょう。
その結果 かつては論理的でない好戦的“空気”に支配され、国家の方針を誤ってしまったのではないでしょうか。
戦後の反省から生まれた反戦・平和の思想もどうやら論理的に組み立てられたものではなかった。この結果、最近の思想界の右傾化増大の前に 退潮的です。それも右と左の堂々たる論戦もなく 右側の声が大きくなるに従い 左側の言説を吐いていた人々が口をつぐむという形で反戦・平和思想が退潮しているという印象です。
最近の人々の 昆虫脳化傾向が より感覚的傾向を助長していないでしょうか。特に、世界の国際政治パラダイムが 大転換しようとしている時には、こうした傾向は 大いに問題ではないかと思うのです。
論理的でない者に、グランド・デザインたる国家戦略など描けるはずが ありません。国家戦略がないところに 外交戦略はなく、北朝鮮のような瀕死の国家にも手も無く敗退するのです。感覚論や感情だけでは 世界の世論は動かせないのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« お役人の緑化運動 | “恐慌前夜”雑感 » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |