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日本を今一度「カイゼン」致したく候

企業の社会的責任をマネジメントするためのガイドラインを規定したISO26000では“デューディリジェンス(Due diligence)”と言う言葉が何度も登場する。そのISO26000の解説本には、“組織の決定や活動が社会・環境・経済に与える負の影響を調べることをデューディリジェンスとしている。人権の中核主題では、影響の中でも特に組織が人権に与える影響について注目し、デューディリジェンスと呼んでいる。” 実に分かり難い。
詳しい英和辞典では、“1.相当[適切・正当]な注意[配慮] 2.《経済》精査、適正評価◇債権(特に不良債権)の適正価格を値踏みすること。 3.《経済》債務返済追行、改革実行◇今までの債務、赤字解消の努力をすること。”これもISO26000の術語としては少し違うような気がする。
Wikipediaによれば、“ある行為者の行為結果責任をその行為者が法的に負うべきか負うべきでないかを決定する際に、その行為者がその行為に先んじて払ってしかるべき正当な注意義務及び努力のことで、転じて投資やM&Aなどの取引に際して行われる、対象企業や不動産・金融商品などの資産の調査活動である。”とある。
この定義、やっぱり分かり難い。しかし具体例として、この度の“日本オリンピック委員会(JOC)トップの竹田恒和会長(71)が2020年東京五輪・パラリンピックの招致に絡み、フランス当局の調べを受けている”問題の鍵を解くための概念だとすれば分かりやすい。
竹田会長が無実だと主張している要点は、五輪招致で起用したコンサルタント会社に“正当な”コンサルタント料を支払っただけで、その会社が悪質な会社とは知らなかった、というもの。これは日本の国内法では適法と解釈されても、先進諸国では当然の“善管注意義務違反”に問われる可能性があるということだ。つまり、“依頼する相手の実態を知らなかったでは済まされず、分からないのなら十分に分かるまで調査した上で相手にするべきで、その十分な調査の指示をトップ・マネジメントがしなければならず、していなければ当然注意義務違反だ”となるというもの。トップ・マネジメントが“知らなかった”では済まされないのが世界標準。これが“デューディリジェンス欠如”、ということになるようだ。

日本ではこれらすべてをトップの下に居るものが“忖度して実施しておく”ことが美徳とされる。従がって、注意義務違反は部下の問題となる。“お勉強しない”トップにとってはこれ程良い環境の社会はあるまい。
しかし当然のことだが世界標準では、それではトップ・マネジメントは仕事をしているとは言えない。だから竹田会長はフランス司法当局から逮捕状を出される可能性は限りなく高いことになる。日本の常識、世界の非常識がここにもあったのだ。もし、逮捕状が請求されたならば皇族につながるセレブが大変な立場に追い込まれることになる。少なくともフランス御訪問はかなわなくなる。否、恐らくEUでの活動は不可能。これではJOC会長職を辞任しなければならなくなる。日本のエスタブリッシュメントの意識がここまで世界に立ち遅れているのだ。要するに“お勉強”していなかったのだ。
この点において現代日本のエスタブリッシュメントは明治の要人達とは全く違う。明治の要人達は“遅れた日本の社会状況”の中で、“遅れまい”と必死に“お勉強”していたものだった。現在の日本のエスタブリッシュメント達は“日本は先進国”との意識が強いまま世界と接してきていて、“お勉強”の必要性を認識せず時代錯誤のままなのだ。

この傾向は歴史上、日本が“対華21箇条要求”を中国に出した第一次世界大戦中の1915年頃からではないか。日露戦争でからくも勝利し、世界の列強に伍していけるとの自信を持ち始めて以降のことだ。ところが当時既に世界の一部で民族主義の考え方が台頭して来ていた。第1次大戦後その傾向が強くなり、国際連盟が作られたのだが、日本はそのコンセプトに付いて行けなかった。その後それまでの欧米列強のように植民地獲得に本格参入し、そのまま中国侵略を継続して終に破綻に至った。
国家の大破綻直後は大いに反省はしたかのようだった。しかし、国家的、歴史的なレベルでの反省はしていなかった。原発事故後の反省と同じだ。従がって国家破綻の真因を理解し認識しないまま、経済重視で突き進んでしまった。そこで経済的にはジャパン・アズ・ナンバー・ワンとなることができた。そして“お勉強”不足のまま“先進国意識”を持ったまま、現在の日本は同じ愚を再び繰り返そうとしているかのようだ。

それに実は日本の経済力は今や先進国ではない。政治的には言うまでもなく経済的にも技術的にも遅れを取っている。IT分野では決定的のようだ。
週末見たNHK特集は衝撃的だった。特に、大阪市内の交通事情が全て中国で把握されているという。これは、DiDi(滴滴出行)という中国の企業が、Uberのようなクシーの配車サービスを展開した結果なのだ。そう言えば最近DiDiのテレビCMを目にするようになった。従来技術では道路情報を把握するためには多大なカメラ等の機材を道路の要所に配置してようやく作り上げたネットワークを使って、何とかアナログ情報をデータとして整理して交通情報を作成していたものだ。それを中国の会社は日本のタクシー会社にタクシーに積み込む機材の費用と、ネット使用料を払わせることで易々と大阪市内の交通状況をAIで瞬時に解析して精度よく把握できているのだ。日本は把握して頂くために、お金を払っているという間抜けな結果となっている。一般消費者がこの配車サービスシステムを便利だと言って使い込むほど、角度の高い情報が中国に流れて行くことになるのだ。この仕組は近く東京にも進出するとのこと。この会社幹部は世界中にこのようなシステムを配置して、AIでコントロールできるようにしたいという意味のことを言っていた。言っておくが、道路情報を押さえることは押さえられた地域の警察や軍の車両の動きも把握できることを意味する。
ファーウェイの5Gもさることながら、自動運転技術では世界のトップを行くと目されるグーグルを上回る技術を持つという会社も紹介していた。日本ではトヨタとソフト・バンクの連合が何とか自動運転技術の先端を走ってはいるようだが、世界一の声は聞かない。
番組は、中国は世界金融のドル支配にブロック・チェーンというIT技術で風穴を開けようとしている、とも伝えていた。一帯一路構想で中央アジアとの貿易や経済開発でドルに頼らずに運営して行こうというものだ。かつて明確な戦略も無いまま、“経済一流、政治は二流”だった日本が目指したこともないポジションに中国は戦略を持って立とうとしているのだ。
これが世界の現状なのだ。米中の相克は激しさを増してきている。この番組中、政治学者イアン・ブレマー氏は米中の間に居る日本は地政学的にも非常に苦しい状態に陥ることになる、という意味のことを言っていた。

私は少なくとも全体主義国家の中国に与することは避けるべきこと、と確信しているが。

さて日本は大失敗した原発優先政策に未だに拘泥するというアホ戦略の中、日本のメーカーはようやくその事業からの撤退を表明せざるを得ないと現実に追い込まれたが、これからの産業であるIT分野では人材も乏しく、教育インフラもおぼつかない状態のようだ。
私はEMS審査で零細なソフト・ハウスを訪れたことがあるが、対応した人々は知的レベルが高いとは言えなかった。環境改善活動の計数管理が何ともお粗末。そのお粗末なまま良しとしてやってきていた。小中学校レベルの算数的センスが全く無いのだ。それにもかかわらず、大阪のど真ん中でソフト開発ビジネスをやって来ている。零細な裾野分野とは言え、日本の先端を担うにはかなり背筋が寒くなる感覚を覚えた。そんな会社のソフト製品はバグだらけではないか。どうやらその程度の人材すら集められないため、受注を増やすことができないと経営者はこぼしていたが、受注を増やせない真因はそこにあるのだろうか。

ついでながら、中小零細の企業ばかりのEMS審査をやって来ている経験から言いたいが、トップ・マネジメントによるマネジメント・レビューがまともに出来ている会社を残念ながら見たことが無い。マネジメント・レビューは改善の機会なのだが、多くの経営者がマネジメント・レビューの意味を取り違えているからなのか、この状態では会社の継続的改善は不可能だ。
日本の会社は世界でも“カイゼン”が得意と思われているようだが、実態はおぼつかないと、私は認識している。こういう傾向は中規模企業や下手すれば大手でもそんなことになっているのかも知れない。そして、質問と言えば“他所ではどうでしょうか。良い実例があれば教えて欲しい。”と平気で言う。会社の実情は千差万別であるし、それを真似たところで意味がないということが分からないようだ。“皆さん同じように「良い実例を教えて欲しい。」と仰います”と応えざるを得ない。
“カイゼン”するための独創がないのだ。下手すれば自社の拙い点の認識すらおぼつかない。何をどうすれば改善できるのかが分からないのだ。否、会社の理想像すら描けない経営者が多く、その理想に向かって突き進む強い意思が感じられない。言語力、表現力が乏しいのだろうか。日本人の受けた教育水準はこの程度だったのだろうか。こんな経営者に国連のSDGs(持続可能な開発目標)やマイケル・ポーターのCSV(共有価値創造)を説いたところでチンプンカンプン、実際、理解不能の表情をする。“お勉強”不足極まれり、否、“気付く力”や理解力がそもそもない。
“カイゼン”がおぼつかなければ、今直ちに必要とされる“改革”はさらに遠い。これが日本社会の実情なのだ。成る程、日本社会が世界から取り残される訳だ。

さらに、魚は頭から腐る。日本のエスタブリッシュメント達は先述のように“お勉強”不足。日本のエリート官僚は首相に忖度することのみに地道を上げて、記録の改竄はもとより、いい加減な統計のでっち上げまで平気でやってきた。周囲の者もそんなことすらチェックできていなかった。国家の仕事に対する点検・査察の仕組が全くないのだろう。そういえば司法当局は寝ボケたままだ。緊張感が全く感じられない、ぬるま湯国家。そのしわ寄せは国際前線の海保職員や自衛官に集中している。
そして官主導の護送船団でやってきた日本の大手産業の改革も進んでいない。その産業の裾野も危うい状態。良い所無し、が日本社会の実情のような気がする。

“日本を今一度「カイゼン」致したく候”とは思えど、一体どこから着手するべきなのだろう。多分教育だろうとは思うが、そのためのビッグ・ピクチャーを描ける人物が日本にいるのだろうか。それに教育の成果は30年先に出て来るものだ。日進月歩の技術革新の現状では間に合わない。近い将来、日本は一旦地獄の底に落ちざるを得ないのか。

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