The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
2019年年始ご挨拶
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
今年は人生の節目と思われた方々からは年賀状仕舞宣明のお知らせが多かったように思う。若者の年賀状離れに加えて、高齢者の仕舞増加は、郵便会社にとってはつらいことだろう。
そう言えば、昨年末は金券ショップに格安年賀状が品薄になっていた。郵便会社の従業員への不当なノルマが無くなったためと思っていたが、一部では未だそんなパワハラをやっているというニュースも聞かれたのは残念なこと。それでも、一部従業員が寒風の中、戸外で臨時の仮設販売所を設けて賀状販売をしている姿が痛々しい印象であった。そこまでしてやるべきこととは思わない。
大晦日に見た“朝生”で、司会者・田原総一朗氏が“ここ数年、同じことばかり議論しているような気がする。”との科白が印象的だった。・・・かように日本は停滞しているのか。“やっているフリ”政権下では、そうなるのも止むを得ないのかも知れない。
年末に予告したようにレンタルDVDで、次の3つを見た。
①コンタクト(1997) 150分/監督:ロバート・ゼメキス主演:ジョディ・フォスター
②ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書(2017) 116分/監督:スティーヴン・スピルバーグ/主演:メリル・ストリープ
③アウトレイジ 最終章(2017) 104分/監督・主演:北野武
それから、娘がネットで見ているのを、横から眺めたのが次の3つ。
④ディープブルー(1999)105分/監督:レニー・ハーリン/主演:サフロン・バロウズ
⑤アウトロー(2013)130分/監督:クリストファー・マッカリー/主演:トム・クルーズ
⑥ブレードランナー(1982)116分/監督:リドリー・スコット/主演:ハリソン・フォード
①は古い映画だが見た記憶がなかったので、選んでみたのだが、コンタクトしたところのシーンはかすかに記憶があったので、どうやら一度見ていたのかもしれない。高名な天文学者カール・セーガン原作のSFとのことで、どんな深遠な内容かと思ったが大したことはない。それにしてもワームホールを通過して異星に行くための装置の設計図をその異星人から貰って、そのまま製造できるものではあるまい。その技術も動物やロボットで試してみて、それから人間が異星に飛ぶという段階を踏むのが普通だが、いきなり人間でやってみている。とても立派な科学者の監修による映画とは思えなかった。
昔、明治維新前夜、日本人が各地で進んだ欧米の技術の成果の反射炉や蒸気船、はては蒸気機関車を書物の絵を見て、勿論本文も訳して、それだけで想像力で創造したというのは、実は驚異的なこと。機械加工の方法も知らずに付属するノウハウも知らずに作り出すことは、不可能に近いと思うのだ。
主演のジョディ・フォスターは美人なので、それだけで何とか見るに堪える映画ではないか。
②は米紙ワシントンポストが地方紙同族経営から抜け出して、ニューヨーク・タイムズと肩を並べようとしていた時の、タイムズとの競争のなかでのニクソン政権との軋轢の過程を描いている。事実に基づいていて、正に“事実は小説より面白い”を地で行く内容で、テーマの取り上げ方が、さすがスティーヴン・スピルバーグと思わせる。
“国益か、報道の自由か”で時の政権と裁判闘争となる。先ずはタイムズが叩かれる。同じニュース・ソースをポストが引き継ぐ。日頃競争している新聞社が政権に対し裁判で共同歩調を取る。ポストの後を全国の地方紙が引き続いた。裁判の結果は勝利。最高裁判決で、一人の判事の意見が紹介された。“建国の父たちは報道の自由に保護を与えた。民主主義における基本的役割を果たすためだ。報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。”
日本で各紙が時の政権に対し自ずから共同歩調をとることはあり得るのだろうか。立場の違いから権力の対処を前に、足の引っ張り合いを優先して、“国益優先”が勝利し、民主主義が蹂躙されることは日本では十分考えられる筋書きではないか。
メリル・ストリープ扮するポストの社主は、共に戦った現場キャップに前社主(現社主の夫)の初めて出稿する新聞を前にした言葉を紹介する。“さぁこれが歴史書の最初の草稿だ。”確かに、“事実”に基づく記事こそ歴史書のスタートなのだ。だからこそフェイク・ニュースは全く許されない。そこには歴史は記録だという確かな信念がある。記録の改竄を屁とも思わないどこかの国の高級官僚とは思考・発想の基本が全く異なる。
③は北野武監督・主演のシリーズ第3作だったが、1,2作に比べて力抜けしてしまっていて、面白みが乏しかった。勢い乏しく駄作になってしまった印象で、大変残念。折角の大杉漣にも大立者としてのもう少し巧妙な立ち回りがあって当然ではなかったか。刑事役の松重豊も辞表提出後の最後に暴れて欲しかった。もっと意外性や仕掛を込めて面白くできたのではないかと思う。北野武氏が途中でやる気を無くしたのだろう。
実は、このDVD借りる際に鍵ロックが残ってしまっていて、元日に店に出直した。元日から店にだけ行くのは残念なので、一人だけで初詣したのだった。
④は“ジョーズ”系の20世紀最後の映画でではなかろうか。B級映画だが久しぶりのサメ映画それなりに面白かった。
⑤は西部劇の現代版。クールな流れ者的なトム・クルーズが良い。
⑥は有名になる前?のハリソン・フォードが見れたように思う。人造人間との戦いが何だか物悲しい印象を残した。
正月テレビでは“古館トーキングヒストリー・龍馬暗殺”が気になった。“歴史学者・磯田道史氏”監修の番組との触れ込みで、御本人もはしゃぎながら番組中に登場して、解説をやっていたが、どうも史実を歪曲して龍馬を過大視する世間の意向に迎合している印象が強い。
龍馬が伏見奉行所の手入れを受けた寺田屋事件。龍馬の逃げ込んだ材木問屋小屋は濠川右岸・大手橋のたもとにあった。番組で示された地図には左岸に示されていた。磯田氏はこの史実を知らなかったのか?材木問屋小屋は寺田屋から見て600mの距離にあり、大手橋の対岸。それに小屋は市街地にはなく、今と違って周囲は田圃だったはずだ。これをあたかも市街地内のみでの逃走だったかのようにセットを組み“古館氏の実況中継”したのには首をかしげる。それにもかかわらず龍馬の出血跡を追跡できなかったのは、奉行所の大失態。
かつてのNHK大河ドラマ“龍馬伝”を見ていれば分かるはずだが、後藤象二郎は出身の土佐藩では上士、龍馬は下士。しかし、両者が歴史舞台に登場した時は同格であったとするのが常識ではないか。大政奉還に際して、龍馬は後藤に下手すれば殺すと脅していたことに、“「上司」を脅迫した凄さがある”とどさくさに紛れてコメントしていた。
大政奉還前、龍馬が幕府重臣(大目付)永井尚志に頻繁に会えたのは、龍馬が福井の元藩主・松平春嶽の使いだったので会えたのではないか。或いは、永井が勝海舟と近い仕事をしていたこともあり、海舟の弟子の龍馬はその人脈も利用したものと思われる。その点で永井も龍馬に同行している福井藩士の由利よりも龍馬の方が近しかったのではないか。龍馬には慶喜の処遇についての福井藩・春嶽の見解を伝える役目があった。その背後には横井小楠の意見があったと見るべきだが、そういう解説は一切ない。あたかも龍馬独自の見解であるかのように解説していた。龍馬は要人間の使い走りでしかない。独自の意見を具申する立場には全くない。磯田氏は知っていて意図的にそれを隠して過大な龍馬像を流布しているのではないか。これは真っ当な歴史家のすることではない。
“五箇条の御誓文”は、福井藩の参与由利公正が起案し、次いで土佐藩の制度取調参与福岡孝弟が修正し、長州藩の参与木戸孝允が加筆したものとされる。俗論では龍馬の“船中八策”がベースになっていると説くものがあるが、それは明らかに間違っている。由利も龍馬も横井小楠の説くところを親しく聞いており、それを夫々の思いの中で整理し直して表現したまでなのだ。龍馬の姉に書いた手紙に有名な“今一度日本を洗濯いたしたく候”という下りがあるが、これもそのままの小楠の言葉の受け売りなのだ。
繰り返すが、龍馬は要人間の使い走りでしかない。西郷隆盛は長州の重要性を認識していたが、薩摩人として蛤御門事件以来恨みを抱いた長州人士と直接交渉できないので、龍馬を積極的に使った、と見るのが至当だろう。薩長同盟を龍馬の独自の見解で動いたと見ない方が良い。それは西郷の主導であり、西郷に幕末政治での長州の重要性を大坂で直接説いたのは勝海舟なのだ。
正月は特に目新しいことはなく、気が付けば松の内も終わり、先週から審査の仕事も始まった。
この中、日韓の間に大きな亀裂が生じて来ていることが話題になっている。
明確で客観的な証拠があってもシラを切り通し、悪いのは日本だと言い切った上でコトを荒立ててくる。中国も似たようなところがあるが、同様の事案ではコトを荒立てずに収めて大人の対応で終わった。
こうした国々と接する困難さ、日本はもっと巧い外交をしなければならない。外交ルートを通じての“抗議”の繰り返しではなく、その都度それに見合う程度の具体的なジャブを繰り出しておく必要があるように思う。忖度すれば丸く収まるという日本的発想が間違っていないか、と思うが、いかがだろうか。
もう一つ話題がある。このところ日本の司法制度が国際的に問題視されている。
元日産の経営者ゴーン氏の例に見るように、基本的人権を無視した被疑者拘留のやり方は確かに疑問があるので、この点は修正の要有、と思う。しかし、これが海外からの指摘で初めて動くようでは、日本人の民主主義に対する感覚の鈍感さが国際的に問題視されても仕方がないのではないか。どうして日本人の感覚が世界的に遅れているのかの猛省が必要に思うのだが、どうだろう。
その一方、JOCの五輪招致活動について、フランス司法当局が嫌疑をもって3年もかけて捜査を継続してきたという。その結果、JOC会長を対象として予審捜査に入ったという。粘り強い司法捜査に敬服する。
米国でもトランプ政権のロシア疑惑に対する特別検察官の捜査活動は、継続的に実施され未だに結論は出ていない。
それに対し、日本の司法当局のエスタブリッシュメントに対する嫌疑のあっさり感は、どういうことだろう。東電首脳陣然り、首相につながるモリカケ問題然り、・・・極めて淡白な対応だが、それで日本社会に正義は行われるのだろうか。
こうした日本の司法当局の不透明性について、国内で誰も問題視しないのは、どういうことだろう。“空気の国”にあって、こうした司法の闇の問題について誰も問題にしなければ、そのアンタッチャブルな部分がいずれ、肥大化して暴走し、気が付けば非民主的な独裁政権に変化する危険はないのだろうか。“忖度の国”の大いなる問題点・闇ではないだろうか。
こうした闇を大いに有効利用しているのが、アベ政権ではないか。
本来はここで今年の行く先に思いを致すべきだが、未だに何ら軸になる視点を持てないでいる。そもそもそれが問題なのだろう。IT革命の行く先が見当もつかない。中には“資本主義経済の終焉”を説く学者もいるようだ。この方面の知識をもっと仕入れるべきだろうが、残念ながら未だに手がかりが見つからない。
何度も言うようで申し訳ないのだが、アホノミクスの結果が日本経済のとんでもない地獄の底への転落となって現出するような気がしてならない。それが今年ではないかとの思いもある。当たらぬ悪夢でありたい。
個人的には環境マネジメント・システムは、いきなり“社会的責任・全般”に向かうのではなく“共助”に向かって発展するべきではないかと最近思い始めている。“共助”を軸にマイケル・ポーターの言う“共有価値の創造CSV”に向かうべきではないかと思うのだ。そのためには、どうするべきか。それが思案のしどころ、と最近思いつめている。今後はそういう方向で思考固めしたいと・・・。果たしてどうなることやら。
さらに個人的には船で世界一周旅行がしてみたいとも思うが、これは夢の又夢か。
今年は人生の節目と思われた方々からは年賀状仕舞宣明のお知らせが多かったように思う。若者の年賀状離れに加えて、高齢者の仕舞増加は、郵便会社にとってはつらいことだろう。
そう言えば、昨年末は金券ショップに格安年賀状が品薄になっていた。郵便会社の従業員への不当なノルマが無くなったためと思っていたが、一部では未だそんなパワハラをやっているというニュースも聞かれたのは残念なこと。それでも、一部従業員が寒風の中、戸外で臨時の仮設販売所を設けて賀状販売をしている姿が痛々しい印象であった。そこまでしてやるべきこととは思わない。
大晦日に見た“朝生”で、司会者・田原総一朗氏が“ここ数年、同じことばかり議論しているような気がする。”との科白が印象的だった。・・・かように日本は停滞しているのか。“やっているフリ”政権下では、そうなるのも止むを得ないのかも知れない。
年末に予告したようにレンタルDVDで、次の3つを見た。
①コンタクト(1997) 150分/監督:ロバート・ゼメキス主演:ジョディ・フォスター
②ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書(2017) 116分/監督:スティーヴン・スピルバーグ/主演:メリル・ストリープ
③アウトレイジ 最終章(2017) 104分/監督・主演:北野武
それから、娘がネットで見ているのを、横から眺めたのが次の3つ。
④ディープブルー(1999)105分/監督:レニー・ハーリン/主演:サフロン・バロウズ
⑤アウトロー(2013)130分/監督:クリストファー・マッカリー/主演:トム・クルーズ
⑥ブレードランナー(1982)116分/監督:リドリー・スコット/主演:ハリソン・フォード
①は古い映画だが見た記憶がなかったので、選んでみたのだが、コンタクトしたところのシーンはかすかに記憶があったので、どうやら一度見ていたのかもしれない。高名な天文学者カール・セーガン原作のSFとのことで、どんな深遠な内容かと思ったが大したことはない。それにしてもワームホールを通過して異星に行くための装置の設計図をその異星人から貰って、そのまま製造できるものではあるまい。その技術も動物やロボットで試してみて、それから人間が異星に飛ぶという段階を踏むのが普通だが、いきなり人間でやってみている。とても立派な科学者の監修による映画とは思えなかった。
昔、明治維新前夜、日本人が各地で進んだ欧米の技術の成果の反射炉や蒸気船、はては蒸気機関車を書物の絵を見て、勿論本文も訳して、それだけで想像力で創造したというのは、実は驚異的なこと。機械加工の方法も知らずに付属するノウハウも知らずに作り出すことは、不可能に近いと思うのだ。
主演のジョディ・フォスターは美人なので、それだけで何とか見るに堪える映画ではないか。
②は米紙ワシントンポストが地方紙同族経営から抜け出して、ニューヨーク・タイムズと肩を並べようとしていた時の、タイムズとの競争のなかでのニクソン政権との軋轢の過程を描いている。事実に基づいていて、正に“事実は小説より面白い”を地で行く内容で、テーマの取り上げ方が、さすがスティーヴン・スピルバーグと思わせる。
“国益か、報道の自由か”で時の政権と裁判闘争となる。先ずはタイムズが叩かれる。同じニュース・ソースをポストが引き継ぐ。日頃競争している新聞社が政権に対し裁判で共同歩調を取る。ポストの後を全国の地方紙が引き続いた。裁判の結果は勝利。最高裁判決で、一人の判事の意見が紹介された。“建国の父たちは報道の自由に保護を与えた。民主主義における基本的役割を果たすためだ。報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。”
日本で各紙が時の政権に対し自ずから共同歩調をとることはあり得るのだろうか。立場の違いから権力の対処を前に、足の引っ張り合いを優先して、“国益優先”が勝利し、民主主義が蹂躙されることは日本では十分考えられる筋書きではないか。
メリル・ストリープ扮するポストの社主は、共に戦った現場キャップに前社主(現社主の夫)の初めて出稿する新聞を前にした言葉を紹介する。“さぁこれが歴史書の最初の草稿だ。”確かに、“事実”に基づく記事こそ歴史書のスタートなのだ。だからこそフェイク・ニュースは全く許されない。そこには歴史は記録だという確かな信念がある。記録の改竄を屁とも思わないどこかの国の高級官僚とは思考・発想の基本が全く異なる。
③は北野武監督・主演のシリーズ第3作だったが、1,2作に比べて力抜けしてしまっていて、面白みが乏しかった。勢い乏しく駄作になってしまった印象で、大変残念。折角の大杉漣にも大立者としてのもう少し巧妙な立ち回りがあって当然ではなかったか。刑事役の松重豊も辞表提出後の最後に暴れて欲しかった。もっと意外性や仕掛を込めて面白くできたのではないかと思う。北野武氏が途中でやる気を無くしたのだろう。
実は、このDVD借りる際に鍵ロックが残ってしまっていて、元日に店に出直した。元日から店にだけ行くのは残念なので、一人だけで初詣したのだった。
④は“ジョーズ”系の20世紀最後の映画でではなかろうか。B級映画だが久しぶりのサメ映画それなりに面白かった。
⑤は西部劇の現代版。クールな流れ者的なトム・クルーズが良い。
⑥は有名になる前?のハリソン・フォードが見れたように思う。人造人間との戦いが何だか物悲しい印象を残した。
正月テレビでは“古館トーキングヒストリー・龍馬暗殺”が気になった。“歴史学者・磯田道史氏”監修の番組との触れ込みで、御本人もはしゃぎながら番組中に登場して、解説をやっていたが、どうも史実を歪曲して龍馬を過大視する世間の意向に迎合している印象が強い。
龍馬が伏見奉行所の手入れを受けた寺田屋事件。龍馬の逃げ込んだ材木問屋小屋は濠川右岸・大手橋のたもとにあった。番組で示された地図には左岸に示されていた。磯田氏はこの史実を知らなかったのか?材木問屋小屋は寺田屋から見て600mの距離にあり、大手橋の対岸。それに小屋は市街地にはなく、今と違って周囲は田圃だったはずだ。これをあたかも市街地内のみでの逃走だったかのようにセットを組み“古館氏の実況中継”したのには首をかしげる。それにもかかわらず龍馬の出血跡を追跡できなかったのは、奉行所の大失態。
かつてのNHK大河ドラマ“龍馬伝”を見ていれば分かるはずだが、後藤象二郎は出身の土佐藩では上士、龍馬は下士。しかし、両者が歴史舞台に登場した時は同格であったとするのが常識ではないか。大政奉還に際して、龍馬は後藤に下手すれば殺すと脅していたことに、“「上司」を脅迫した凄さがある”とどさくさに紛れてコメントしていた。
大政奉還前、龍馬が幕府重臣(大目付)永井尚志に頻繁に会えたのは、龍馬が福井の元藩主・松平春嶽の使いだったので会えたのではないか。或いは、永井が勝海舟と近い仕事をしていたこともあり、海舟の弟子の龍馬はその人脈も利用したものと思われる。その点で永井も龍馬に同行している福井藩士の由利よりも龍馬の方が近しかったのではないか。龍馬には慶喜の処遇についての福井藩・春嶽の見解を伝える役目があった。その背後には横井小楠の意見があったと見るべきだが、そういう解説は一切ない。あたかも龍馬独自の見解であるかのように解説していた。龍馬は要人間の使い走りでしかない。独自の意見を具申する立場には全くない。磯田氏は知っていて意図的にそれを隠して過大な龍馬像を流布しているのではないか。これは真っ当な歴史家のすることではない。
“五箇条の御誓文”は、福井藩の参与由利公正が起案し、次いで土佐藩の制度取調参与福岡孝弟が修正し、長州藩の参与木戸孝允が加筆したものとされる。俗論では龍馬の“船中八策”がベースになっていると説くものがあるが、それは明らかに間違っている。由利も龍馬も横井小楠の説くところを親しく聞いており、それを夫々の思いの中で整理し直して表現したまでなのだ。龍馬の姉に書いた手紙に有名な“今一度日本を洗濯いたしたく候”という下りがあるが、これもそのままの小楠の言葉の受け売りなのだ。
繰り返すが、龍馬は要人間の使い走りでしかない。西郷隆盛は長州の重要性を認識していたが、薩摩人として蛤御門事件以来恨みを抱いた長州人士と直接交渉できないので、龍馬を積極的に使った、と見るのが至当だろう。薩長同盟を龍馬の独自の見解で動いたと見ない方が良い。それは西郷の主導であり、西郷に幕末政治での長州の重要性を大坂で直接説いたのは勝海舟なのだ。
正月は特に目新しいことはなく、気が付けば松の内も終わり、先週から審査の仕事も始まった。
この中、日韓の間に大きな亀裂が生じて来ていることが話題になっている。
明確で客観的な証拠があってもシラを切り通し、悪いのは日本だと言い切った上でコトを荒立ててくる。中国も似たようなところがあるが、同様の事案ではコトを荒立てずに収めて大人の対応で終わった。
こうした国々と接する困難さ、日本はもっと巧い外交をしなければならない。外交ルートを通じての“抗議”の繰り返しではなく、その都度それに見合う程度の具体的なジャブを繰り出しておく必要があるように思う。忖度すれば丸く収まるという日本的発想が間違っていないか、と思うが、いかがだろうか。
もう一つ話題がある。このところ日本の司法制度が国際的に問題視されている。
元日産の経営者ゴーン氏の例に見るように、基本的人権を無視した被疑者拘留のやり方は確かに疑問があるので、この点は修正の要有、と思う。しかし、これが海外からの指摘で初めて動くようでは、日本人の民主主義に対する感覚の鈍感さが国際的に問題視されても仕方がないのではないか。どうして日本人の感覚が世界的に遅れているのかの猛省が必要に思うのだが、どうだろう。
その一方、JOCの五輪招致活動について、フランス司法当局が嫌疑をもって3年もかけて捜査を継続してきたという。その結果、JOC会長を対象として予審捜査に入ったという。粘り強い司法捜査に敬服する。
米国でもトランプ政権のロシア疑惑に対する特別検察官の捜査活動は、継続的に実施され未だに結論は出ていない。
それに対し、日本の司法当局のエスタブリッシュメントに対する嫌疑のあっさり感は、どういうことだろう。東電首脳陣然り、首相につながるモリカケ問題然り、・・・極めて淡白な対応だが、それで日本社会に正義は行われるのだろうか。
こうした日本の司法当局の不透明性について、国内で誰も問題視しないのは、どういうことだろう。“空気の国”にあって、こうした司法の闇の問題について誰も問題にしなければ、そのアンタッチャブルな部分がいずれ、肥大化して暴走し、気が付けば非民主的な独裁政権に変化する危険はないのだろうか。“忖度の国”の大いなる問題点・闇ではないだろうか。
こうした闇を大いに有効利用しているのが、アベ政権ではないか。
本来はここで今年の行く先に思いを致すべきだが、未だに何ら軸になる視点を持てないでいる。そもそもそれが問題なのだろう。IT革命の行く先が見当もつかない。中には“資本主義経済の終焉”を説く学者もいるようだ。この方面の知識をもっと仕入れるべきだろうが、残念ながら未だに手がかりが見つからない。
何度も言うようで申し訳ないのだが、アホノミクスの結果が日本経済のとんでもない地獄の底への転落となって現出するような気がしてならない。それが今年ではないかとの思いもある。当たらぬ悪夢でありたい。
個人的には環境マネジメント・システムは、いきなり“社会的責任・全般”に向かうのではなく“共助”に向かって発展するべきではないかと最近思い始めている。“共助”を軸にマイケル・ポーターの言う“共有価値の創造CSV”に向かうべきではないかと思うのだ。そのためには、どうするべきか。それが思案のしどころ、と最近思いつめている。今後はそういう方向で思考固めしたいと・・・。果たしてどうなることやら。
さらに個人的には船で世界一周旅行がしてみたいとも思うが、これは夢の又夢か。
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