The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
鑪幹八郎・著“アイデンティティの心理学”を読んで
北京五輪が終わったら、早速、ロシア・プーチンはウクライナ侵攻。
聞くところによれば、酷いのはバイデン氏。ウクライナを西側に傾くように、息子を使って工作しておきながら、半分成功しかけたら、ロシアの実力行使を前に当面、知らんぷり。ウクライナをプーチンの暴虐から守ろうとせずに、見捨ててしまった!手を汚さないバイデン氏。そんな人物は信用できまい!!少なくとも、ついては行けない。
プーチンはKGB出身。KGB辞めて、ペトログラード市長に巧く取り入って成功。それを足掛かりにロシア中央政界へ。だが、その思考回路は19世紀。ネイション・ステートのそれも古いタイプ。大ロシアの過去の栄光を追う。スラブ人の統合国家が頭から離れない。それも意のままに動かせる国。それは王国でしかあり得ない。
だから今のロシアは、近代国家の顔をした王国。王様には誰も逆らわない。共産党時代を思い出し、組織の中枢に必ず自らの息のかかった人物、情報機関や警察出身者を監視役に派遣して、運営させる。企業・組織のトップが反政権と分かれば、脅迫し最後には逮捕・投獄。これで、経済社会が自由に躍動するはずがない。
権力で動く人々、これではコネでしか動かない。法では動かない。これは近代国家ではない。若者はまともな方法で就職できない。だから天然資源は豊富だが、経済は発展しない。GDPは韓国未満だという。
だから軍事力はあるが経済はダメ。まるで北朝鮮。
それが又、プーチンには不満の種、欲求不満の種、不思議の種。
ウクライナは穀倉地帯。ソ連時代の最先端兵器産業の国。技術はある。
ウクライナが手に入れば、大スラブになればこれから上手く行くはず。幸い、ベラルーシには子分の大統領ができた。後はウクライナを手に入れれば何とかなるはず。だから難癖付けて侵攻した。
五輪中、ウクライナにインネンばかり付けていた。プーチン・ロシアの東ウクライナでのやり口は古典的。
というか戦前の日本が中国でやったやり口そっくり。前回も指摘したが、まずは現地のロシア人に危害を加え、場合によっては殺人事件を起こして治安維持が必要だと自作自演で騒いで軍隊を派遣する。やがて、その地域に傀儡政権を作って、その政府を勝手に承認する。プーチンはドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を承認したが、日本は満州国を作った。国民党が北伐を開始すると、その満州国を守ると称して、北京と満州国の間の冀東地域に冀東防共自治政府を作った。この政府、今や日本史の教科書にすら登場しないが、歴史的事実である。まぁ、日本は南京にも国民党の分派汪兆銘政権を作って、その下には軍隊もあった。
ウクライナでは、それは単なる序の口で全面侵攻に至った。費やす戦費を思えば、グズグズできない。今を逃せば、凍土も解けて軍車両の移動がままならない、という。
だが、しかし、ウクライナでの紛争が泥沼化すれば、その戦費はもっと高価となる。北朝鮮のごとく経済制裁がさらに強力になり長引けば、経済成長はままならず、大ロシア構想も“夢のまた夢”となる。プーチン軍国王国=“悪の帝国”、上手く行くのか。
現に昨日今日の、首都キエフへの侵攻速度が意外に遅い。本作戦は迅速が戦略目標達成のキィだが、思わぬ苦戦なのか。侵攻が泥沼化すれば、ロシアへの返り血も相当なものになると予想される。それはプーチン劇場の破滅で大詰めを迎えることになる。
ロシア軍の現状ついて私が奇妙だと今、思う点を挙げてみたい。
①ロシア側はウクライナ国境に集結させた大軍の全軍ではなく3分の1を侵攻に投入→迅速さを欠く?
②ロシア側の軍のトップの発言が聞こえて来ない→プーチンと軍のトップの見解が異なる?
③ロシア側のロケット弾に不発弾が多いこと→兵器武器の性能劣化?
一部識者は、ウクライナ侵攻が一旦終われば、NATO加盟の東欧諸国にある米軍基地をプーチン・ロシアは叩くだろうと見ているようだが、戦費は大丈夫なのか?しかも、そうなれば米国との全面戦争を覚悟しなければならない。そうなれば核戦争も視野に入る。それは最早、マッド・プーチン!!
プーチン・ロシアが簡単に破滅してくれれば良いが、長引けば物価の上昇となって、日本社会・経済を直撃するものとなる可能性も含んでいる。下手すれば、日本の円安、日本財政の破綻への道も有り得る。固唾をのんで見守るよりないのか。
“中国はこの程度のことでは動かない、もっと老獪”との観測が日本の“専門家”の間では主流のようだ。
何度も言いたいが、中国の台湾侵攻に当たっては事前に尖閣を攻めるとの言説がまかり通っているが、あんな無人島を攻撃するはずがない。それより米軍基地がある沖縄本島を攻撃する可能性の方が高い。在沖米軍を無力化するためには、下手すれば核攻撃も有り得ると考えるべきだろう。だが、何故か誰もそれを指摘しない。
正しい想定とはそういうことだ。それをさせないために何をするべきか。先ずは中国の軍の動きを精確に察知すること。現状、自前でその能力がないのならば、出来る限り米軍に協力を仰がざるをえない。自前の敵基地攻撃能力の構築、それもあるのかも知れない。対北朝鮮ばかりではない。否、むしろ対中国が正面だと考えるべきだろう。
その前に、巧みな外交努力を展開することも肝要だ。外交努力とはこの場合具体的に何が有効なのか、私には分からないのだが・・・。
その中国の2隻の艦隊がニューギニア島と豪州を隔てるアラフラ海を航行し、オーストラリアの軍用機にレーザーを照射したという。ミサイル駆逐艦「合肥」と強襲揚陸艦「井岡山」だという。先週そんな報道があった。第二列島線どころではない、何とインドネシアを超えて南に進入し、オーストラリアのEEZ]に入り込んでの狼藉である。しかもこんな海域に強襲揚陸艦が必要なのか。オーストラリアを強襲して上陸するつもりなのか。
中国海軍は結構強気、というより傲慢な印象だ。どこからそんな自信が生まれるのか。中国は近代の海戦を経験したことがない。その実戦力は未知数だ。だが、中国海軍の艦艇が日本にやって来た時に艦内を見学してみると、可燃物が結構あった、という。可燃物を艦内に置かないのは、海戦ノウハウの初歩の初歩だという。それすら知らない中国海軍。実力・実態はどれほどのものか。日清戦争前の中国海軍の傲慢さを想起させる。
コロナ禍感染、いよいよ実効再生産指数が、先週末25日現在で0.96。見かけ先週と変わりないが、先週から増減があって、いよいよ各地は1未満が確実になってきた。今後春めき感染は縮小するだろう。
地域 実効再生産指数最大時期 ピーク値 先週末2月25日の値
全国 9日 5.9 0.96
東京 10日 5.26 0.95
大阪 9日 4.82 0.94
兵庫 10日 5.48 0.97
京都 11日 3.80 0.96
子供にまでワクチン接種を進める、という。だが子供が重症化したというデータは無い、ようだ。これでは科学的対応とは思えない。
このワクチンは最近できたもので、10~50年の長い将来にわたってどんな副反応があるか、誰にも分からない。そういう危険に子供を曝して大丈夫なのか。
重症化するのは高齢者。高齢者、50歳以上、40歳以上と順次、ワクチン接種対象を増やすのが本来だろう。何故、そうしないのか。日本の政策は情緒的に過ぎるのではないか。
さて、今週は鑪 幹八郎・著“アイデンティティの心理学”(講談社現代新書)の紹介をしたい。身近の若者が“‘自分は何者?’という思いがズーっとある!”と言っていたのが妙に気になって読んでみたのがこの本である。
“アイデンティティidentity”とは、次のこととされる。“個物や個人がさまざまな変化や差異に抗して、その連続性、統一性、不変性、独自性を保ち続けることをいう。哲学用語としては「同一性」あるいは「自己同一性」に同じ。同一律「AはAである」によって端的に表現される。”返って、分かり難い。英語の辞書で“本人であること、正体、身元、独自性、主体性、本性”と言われると分かったような気がする。identification(ID) cardと言えば身分証明書。ネットでIDナンバー、PWパスワードがないと、“以前に登録した人物”と認識されないので、現代人ならば分かるだろう。
この本の著者は“タタラ ミキハチロウ”氏。心理学者・臨床心理士にして、アメリカの精神分析学者E・H・エリクソンの研究者。広島大学名誉教授,京都文教大学名誉教授、前京都文教大学学長。元日本心理臨床学会理事長。生没年:1934年8月3日~2021年5月7日(86歳没)残念ながらつい昨年お亡くなりになったようだ。
著者は珍しい御名前である。第1章でその説明がある。読みにくい名前のために、本人曰く“小さいときから、たいへん苦労させられた。学校に行っても、先生方にちゃんと名前を読んでもらえないのである。・・・このときがいつも一番つらかった。”広島大学時代に“たたら研究室”ということで、“たたら製鉄”の研究室と間違えて電話がかかって来て、“この鉄の製法、産物、工人をすべて「たたら」と呼んでいた。そして「鑪」という字を当てていたのである。これらのことがわかってから、私はまるで故郷に帰ったように、自分のルーツを探し当てたように、安心したのであった。”
“自分の生まれた場所、親を求めようとする私たちのこころは、ルーツを明確にすることによって、自分のアイデンティティを確立していこうとするものである。その意味では、ルーツ探しはアイデンティティの根であるといってよい。”と書いている。
そして、“アイデンティティ”という言葉・概念の心理学的側面で、“心理学上の用語としては、1950年代にアメリカの精神分析学者E・H・エリクソンが特有の含蓄をもった概念として用いて以来、広く人間諸科学のキーワードとして定着した”とあるが、著者はそのエリクソンの日本の研究者でもある。つまり“アイデンティティの心理学”は、この著者が書くべき立場にあったひとなのだ。
いつものようにこの本の出版社の紹介文と目次を載せておく。
内容紹介
自分とは何者か? これまで何をしてきたのか? 何のために生きているのか?…… 生涯に幾度か訪れる自己喪失や自己崩壊の危機をいかにして乗り越え、本当の「自分」に出会うか。
「アイデンティティ」とは何か――若者は常に現在の存在を模索し、将来を展望し、自分の存在を吟味していく。「アイデンティティ」とは、まさに、このような歴史と時代の中で、揺れ動く自分の存在意識をさしているのである。このような歴史と社会状況との交点に存在する自己の表現する適切なことばがなかった。アイデンティティということばが、この状況をとらえ、表現することばとして現れたとき、人々はそのイメージの喚起力にとらえられたのであろう。これ以降、この用語を抜きにして、問題を語れなくなってしまったといってもよい。――本書より
目次
●「自分」とは何か
●エリクソンの自己形成史
●「アイデンティティ学」の確立
●ライフサイクルとアイデンティティ
●登校拒否とスチューデント・アパシー
●対人恐怖症とナルチシズム
●犯罪の中のアイデンティティ
●精神の病とアイデンティティ
●日本人の自我と人間関係
●“選択の時代”のアイデンティティ
“アイデンティティの研究を初めて世に出した自身は養子であったし、実の父親は誰であるかわからなかったのである。エリクソンはこのために、苦労をし、父親探しをいろいろと行っている。・・・その過程で彼が到達していくのが、「自分は何者か」という「アイデンティティ」を探求していくテーマであったのである。”そこで、第2章ではエリクソンの経歴を紹介している。
そこで、先ずエリク・ホーンブルガー・エリクソン(Erik Homburger. Erikson)の経歴概略を紹介する。
1902年ドイツに生まれる。母のカーラ・アブラハムセン(Karla Abrahamsen)はユダヤ系デンマーク人で、生後3年間はカーラと共にフランクフルトで過ごす。父親は定かではない。デンマーク人の芸術家だったのではないかと言われているが、カーラは最期まで息子にその父の名を明かさなかった。なおミドルネームのホーンブルガー(Homburger)は母の再婚相手の苗字である。(ホーンブルガーはユダヤ系ドイツ人)
精神分析家・思想者。精神分析の創始者・ジークムント・フロイトの娘フロイトの亡き後、学派の後継者となるアンナ・フロイトに教育分析を受け、ウィーン精神分析研究所で児童の分析に従事。(ユダヤ系のためナチス台頭により)1933年渡米、ボストンで児童分析医を開業しつつ、M・ミード、G・ベイトソン、R・ベネディクトなどと交流をもった。1938年スー族の幼児教育を調査し、人間の成長と文化的・社会的環境との関係を理論づけた。1939年サンフランシスコに移り、カリフォルニア大学児童福祉研究所で研究を継続、1946-50年にかけ『幼児期と社会 1・2』(みすず書房、1977、1980))を著わし、彼の発達理論の基礎をなすエピジェニシスの原理を明確にした。マッカーシー旋風のとき忠誠宣言を拒否し、カリフォルニア大学を去り、1950-60年、オースチン・リッグズ・センターの主任医師として活躍した。1958年、『青年ルター』によって心理=歴史的研究方法を試みた。1960-70年ハーヴァード大学で人間発達講座の教授。その後シカゴのロヨラ大学エリクソン幼児教育研究所顧問。1994年歿。
“エリクソンの生涯を通じて、たびたび見られる特徴的なことは、どこにもしっかり所属することのできない「周辺的な存在」ということであろう。”という箇所があった。だから自分の名前を米国へ渡った時に自分で正式に決めるのだが、そこには父母のデンマーク=北欧への思い、養父への気遣いなどが込められていると、著者は想像している。
この一文は私にも十分に当てはまる内容だった。私の幼児期から少年期に育った所は新興住宅街で、近所に同じ年頃の子供のいない所で、幼稚園や学校から家に帰ると、遊ぶ相手がいなかった。心理的に依拠する仲間がいない状態だった。その上、教育に不熱心な地域だったので、親は伝手を頼って大阪市阿倍野区内の学校に越境入学させてくれた。このため心理的な地域依存が一層酷くなった。“根無し草的”な意識になり、これは私のアイデンティティに大きな傷害となった気がする。
この“根無し草的”意識は高校まで続いた。しかし、大学に行き専門課程に入って、3~4年生で研究室に所属するようになってようやくそれが薄れはじめ、就職してようやく完全にそうした意識は無くなったような気がする。それまでは何かの団体に所属できることが、潜在意識下で密かな喜びだったような気がする。そんなことを思い出した。
ところで、エリクソンは絵を描くことが好きだった。“ギムナジウムを卒業すると、大学に行かずに、絵の勉強のためフランクフルトの絵画学校に入ったりしている。”ドイツが第一次大戦で敗戦した後、“エリクソンは当時、ドイツや隣のオーストリア、スイスの国々をスケッチしながら放浪していたのである。”エリクソンの論文が難解なのは、絵画的なさまざまなイメージが錯綜しているためではないかと著者は言う。
こうして約十年の絵の修行時代を経て、フランクフルトで友人と二人で個展を開くが失敗する。“この時期、彼がアイデンティティの混乱に陥っていた”だろうと著者は想像する。“後に彼は、この時期を長い「モラトリアム」(猶予期間)の時期だったと述べている”という。
この時期に、友人の誘いでフロイトとつながりのある私塾の絵の教師として職をえたという。ここでアンナ・フロイトと出会い、精神分析の訓練を受けるようになった。ここで“エリクソンの才能は精神分析に触れることによって、急激に花を開いていくことになった。3年ないし4年で訓練を修了しているので、現在から思えば、非常に短い期間で精神分析の訓練をおえている。”と評している。
こうしてエリクソンが研究した“アイデンティティの心理構造”では次の8つの概念要素を挙げている。
(1)時間的展望の喪失(時間的展望/時間的展望拡散)
(2)自意識の過剰(自己確信/自意識過剰)
(3)否定的アイデンティティへの逃避(役割実験/否定的アイデンティティ)
(4)活動の麻痺(達成の期待/労働麻痺)
(5)アイデンティティの拡散(アイデンティティ/アイデンティティ拡散)
(6)性的アイデンティティの拡散(性的アイデンティティ/両性的拡散)
(7)権威の拡散(指導性/権威の拡散)
(8)理想の拡散(イデオロギーへの帰依/理想の拡散)
“アイデンティティとは、このようにプラスとマイナスの要素が激しくぶつかりあいながら、私たちの中に存在している。そしてこの点から見ると、さまざまなアイデンティティ拡散の意味もわかりやすくなるだろう。”
だが、こうした概念を使って、様々な“アイデンティティ形成の実例”の説明は乏しかった。
主な事例として、森有正*氏について説明している。日本でエリート教育を受け、東大に研究・教育の職を得た後、フランス留学した時のアイデンティティの変化を詳しく紹介している。エリート教育により漱石の『坊ちゃん』と似た“お坊ちゃんコンプレックス”や“予定アイデンティティ”の概念を説明している。それがフランス留学によって壊され、新たに“自分の目(感覚)”で“無名の自然に対峙”して“経験”を獲得して、自身の認識を確信して行った、という。
*[もり ありまさ、1911年11月30日~1976年10月18日]哲学者、フランス文学者。明治時代の政治家森有礼の孫。父の森明は有礼の三男で、キリスト教学者で牧師。母は伯爵徳川篤守の娘。祖母寛子は岩倉具視の五女。妹は世界平和アピール七人委員会の委員を務めた関屋綾子。
こういう森の経緯から、日本人特有のアデンティティの特徴を説明している。日本人は人との対話の中で絶えず“相手との関係性”を意識していて、言葉遣いも場合によって具体的に異なると気付く。つまり常に“場”・“座”が意識されているという。そこには暗黙の上席と下席がある。そして“座”には、それにふさわしい発言内容が暗黙の内に求められる“予定アイデンティティ”がある。
欧米ではそれがなく、自分で“選択するアイデンティティ”があるので、日本人が欧米化するにあたって、“予定アイデンティティ”から“選択するアイデンティティ”での混乱があるというのだ。近年の“性役割”についても混乱が見られるのだという。
また、定職に就かずに役割実験的にフリー・アルバイターとして、“一種の足踏み状態、準備状態のように見える時期”が見られ、これをエリクソンは“モラトリアム(猶予期間)”と名付けた。小此木啓吾氏はこの概念を発展させて、日本の社会的性格のテーマとして論じている、という。
最後に“私たちが何を信じ、何を受け容れるか、また生きる意味の「選択」が迫られている”が、“この「選択」こそ、アイデンティティの問題”であり、それは“簡単に誰かに解決してもらうのではなく、苦しみながらも自分で自分を見出していくことが大事”であり、“その努力の中から、この世でただひとりの自分の生きる意味が生まれてくる”と、言っている。そういえば、いつの間にか私もそうだったと、今にして自覚するのだった。
以上で、心理学で“アイデンティティ”という概念を確立したのは、E・H・エリクソンという学者であり、おれを日本に紹介し研究した鑪幹八郎であったことを知り、なおその心理学の概要を知り得た。だが、あの若者が“‘自分は何者?’という思いがズーっとある!”と言っていたのに対する不安感払拭にはどうすれば良いのかまでは分からず、どのようなアドバイスが有効なのかさっぱり分からないままである。“苦しみながらも自分で自分を見出していくことが大事”なので、一朝一夕で何とかなるような簡単なことはないとは思うのだが、適切なアドバイスについて、さらなる“お勉強”が必要なのだろうか。
聞くところによれば、酷いのはバイデン氏。ウクライナを西側に傾くように、息子を使って工作しておきながら、半分成功しかけたら、ロシアの実力行使を前に当面、知らんぷり。ウクライナをプーチンの暴虐から守ろうとせずに、見捨ててしまった!手を汚さないバイデン氏。そんな人物は信用できまい!!少なくとも、ついては行けない。
プーチンはKGB出身。KGB辞めて、ペトログラード市長に巧く取り入って成功。それを足掛かりにロシア中央政界へ。だが、その思考回路は19世紀。ネイション・ステートのそれも古いタイプ。大ロシアの過去の栄光を追う。スラブ人の統合国家が頭から離れない。それも意のままに動かせる国。それは王国でしかあり得ない。
だから今のロシアは、近代国家の顔をした王国。王様には誰も逆らわない。共産党時代を思い出し、組織の中枢に必ず自らの息のかかった人物、情報機関や警察出身者を監視役に派遣して、運営させる。企業・組織のトップが反政権と分かれば、脅迫し最後には逮捕・投獄。これで、経済社会が自由に躍動するはずがない。
権力で動く人々、これではコネでしか動かない。法では動かない。これは近代国家ではない。若者はまともな方法で就職できない。だから天然資源は豊富だが、経済は発展しない。GDPは韓国未満だという。
だから軍事力はあるが経済はダメ。まるで北朝鮮。
それが又、プーチンには不満の種、欲求不満の種、不思議の種。
ウクライナは穀倉地帯。ソ連時代の最先端兵器産業の国。技術はある。
ウクライナが手に入れば、大スラブになればこれから上手く行くはず。幸い、ベラルーシには子分の大統領ができた。後はウクライナを手に入れれば何とかなるはず。だから難癖付けて侵攻した。
五輪中、ウクライナにインネンばかり付けていた。プーチン・ロシアの東ウクライナでのやり口は古典的。
というか戦前の日本が中国でやったやり口そっくり。前回も指摘したが、まずは現地のロシア人に危害を加え、場合によっては殺人事件を起こして治安維持が必要だと自作自演で騒いで軍隊を派遣する。やがて、その地域に傀儡政権を作って、その政府を勝手に承認する。プーチンはドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を承認したが、日本は満州国を作った。国民党が北伐を開始すると、その満州国を守ると称して、北京と満州国の間の冀東地域に冀東防共自治政府を作った。この政府、今や日本史の教科書にすら登場しないが、歴史的事実である。まぁ、日本は南京にも国民党の分派汪兆銘政権を作って、その下には軍隊もあった。
ウクライナでは、それは単なる序の口で全面侵攻に至った。費やす戦費を思えば、グズグズできない。今を逃せば、凍土も解けて軍車両の移動がままならない、という。
だが、しかし、ウクライナでの紛争が泥沼化すれば、その戦費はもっと高価となる。北朝鮮のごとく経済制裁がさらに強力になり長引けば、経済成長はままならず、大ロシア構想も“夢のまた夢”となる。プーチン軍国王国=“悪の帝国”、上手く行くのか。
現に昨日今日の、首都キエフへの侵攻速度が意外に遅い。本作戦は迅速が戦略目標達成のキィだが、思わぬ苦戦なのか。侵攻が泥沼化すれば、ロシアへの返り血も相当なものになると予想される。それはプーチン劇場の破滅で大詰めを迎えることになる。
ロシア軍の現状ついて私が奇妙だと今、思う点を挙げてみたい。
①ロシア側はウクライナ国境に集結させた大軍の全軍ではなく3分の1を侵攻に投入→迅速さを欠く?
②ロシア側の軍のトップの発言が聞こえて来ない→プーチンと軍のトップの見解が異なる?
③ロシア側のロケット弾に不発弾が多いこと→兵器武器の性能劣化?
一部識者は、ウクライナ侵攻が一旦終われば、NATO加盟の東欧諸国にある米軍基地をプーチン・ロシアは叩くだろうと見ているようだが、戦費は大丈夫なのか?しかも、そうなれば米国との全面戦争を覚悟しなければならない。そうなれば核戦争も視野に入る。それは最早、マッド・プーチン!!
プーチン・ロシアが簡単に破滅してくれれば良いが、長引けば物価の上昇となって、日本社会・経済を直撃するものとなる可能性も含んでいる。下手すれば、日本の円安、日本財政の破綻への道も有り得る。固唾をのんで見守るよりないのか。
“中国はこの程度のことでは動かない、もっと老獪”との観測が日本の“専門家”の間では主流のようだ。
何度も言いたいが、中国の台湾侵攻に当たっては事前に尖閣を攻めるとの言説がまかり通っているが、あんな無人島を攻撃するはずがない。それより米軍基地がある沖縄本島を攻撃する可能性の方が高い。在沖米軍を無力化するためには、下手すれば核攻撃も有り得ると考えるべきだろう。だが、何故か誰もそれを指摘しない。
正しい想定とはそういうことだ。それをさせないために何をするべきか。先ずは中国の軍の動きを精確に察知すること。現状、自前でその能力がないのならば、出来る限り米軍に協力を仰がざるをえない。自前の敵基地攻撃能力の構築、それもあるのかも知れない。対北朝鮮ばかりではない。否、むしろ対中国が正面だと考えるべきだろう。
その前に、巧みな外交努力を展開することも肝要だ。外交努力とはこの場合具体的に何が有効なのか、私には分からないのだが・・・。
その中国の2隻の艦隊がニューギニア島と豪州を隔てるアラフラ海を航行し、オーストラリアの軍用機にレーザーを照射したという。ミサイル駆逐艦「合肥」と強襲揚陸艦「井岡山」だという。先週そんな報道があった。第二列島線どころではない、何とインドネシアを超えて南に進入し、オーストラリアのEEZ]に入り込んでの狼藉である。しかもこんな海域に強襲揚陸艦が必要なのか。オーストラリアを強襲して上陸するつもりなのか。
中国海軍は結構強気、というより傲慢な印象だ。どこからそんな自信が生まれるのか。中国は近代の海戦を経験したことがない。その実戦力は未知数だ。だが、中国海軍の艦艇が日本にやって来た時に艦内を見学してみると、可燃物が結構あった、という。可燃物を艦内に置かないのは、海戦ノウハウの初歩の初歩だという。それすら知らない中国海軍。実力・実態はどれほどのものか。日清戦争前の中国海軍の傲慢さを想起させる。
コロナ禍感染、いよいよ実効再生産指数が、先週末25日現在で0.96。見かけ先週と変わりないが、先週から増減があって、いよいよ各地は1未満が確実になってきた。今後春めき感染は縮小するだろう。
地域 実効再生産指数最大時期 ピーク値 先週末2月25日の値
全国 9日 5.9 0.96
東京 10日 5.26 0.95
大阪 9日 4.82 0.94
兵庫 10日 5.48 0.97
京都 11日 3.80 0.96
子供にまでワクチン接種を進める、という。だが子供が重症化したというデータは無い、ようだ。これでは科学的対応とは思えない。
このワクチンは最近できたもので、10~50年の長い将来にわたってどんな副反応があるか、誰にも分からない。そういう危険に子供を曝して大丈夫なのか。
重症化するのは高齢者。高齢者、50歳以上、40歳以上と順次、ワクチン接種対象を増やすのが本来だろう。何故、そうしないのか。日本の政策は情緒的に過ぎるのではないか。
さて、今週は鑪 幹八郎・著“アイデンティティの心理学”(講談社現代新書)の紹介をしたい。身近の若者が“‘自分は何者?’という思いがズーっとある!”と言っていたのが妙に気になって読んでみたのがこの本である。
“アイデンティティidentity”とは、次のこととされる。“個物や個人がさまざまな変化や差異に抗して、その連続性、統一性、不変性、独自性を保ち続けることをいう。哲学用語としては「同一性」あるいは「自己同一性」に同じ。同一律「AはAである」によって端的に表現される。”返って、分かり難い。英語の辞書で“本人であること、正体、身元、独自性、主体性、本性”と言われると分かったような気がする。identification(ID) cardと言えば身分証明書。ネットでIDナンバー、PWパスワードがないと、“以前に登録した人物”と認識されないので、現代人ならば分かるだろう。
この本の著者は“タタラ ミキハチロウ”氏。心理学者・臨床心理士にして、アメリカの精神分析学者E・H・エリクソンの研究者。広島大学名誉教授,京都文教大学名誉教授、前京都文教大学学長。元日本心理臨床学会理事長。生没年:1934年8月3日~2021年5月7日(86歳没)残念ながらつい昨年お亡くなりになったようだ。
著者は珍しい御名前である。第1章でその説明がある。読みにくい名前のために、本人曰く“小さいときから、たいへん苦労させられた。学校に行っても、先生方にちゃんと名前を読んでもらえないのである。・・・このときがいつも一番つらかった。”広島大学時代に“たたら研究室”ということで、“たたら製鉄”の研究室と間違えて電話がかかって来て、“この鉄の製法、産物、工人をすべて「たたら」と呼んでいた。そして「鑪」という字を当てていたのである。これらのことがわかってから、私はまるで故郷に帰ったように、自分のルーツを探し当てたように、安心したのであった。”
“自分の生まれた場所、親を求めようとする私たちのこころは、ルーツを明確にすることによって、自分のアイデンティティを確立していこうとするものである。その意味では、ルーツ探しはアイデンティティの根であるといってよい。”と書いている。
そして、“アイデンティティ”という言葉・概念の心理学的側面で、“心理学上の用語としては、1950年代にアメリカの精神分析学者E・H・エリクソンが特有の含蓄をもった概念として用いて以来、広く人間諸科学のキーワードとして定着した”とあるが、著者はそのエリクソンの日本の研究者でもある。つまり“アイデンティティの心理学”は、この著者が書くべき立場にあったひとなのだ。
いつものようにこの本の出版社の紹介文と目次を載せておく。
内容紹介
自分とは何者か? これまで何をしてきたのか? 何のために生きているのか?…… 生涯に幾度か訪れる自己喪失や自己崩壊の危機をいかにして乗り越え、本当の「自分」に出会うか。
「アイデンティティ」とは何か――若者は常に現在の存在を模索し、将来を展望し、自分の存在を吟味していく。「アイデンティティ」とは、まさに、このような歴史と時代の中で、揺れ動く自分の存在意識をさしているのである。このような歴史と社会状況との交点に存在する自己の表現する適切なことばがなかった。アイデンティティということばが、この状況をとらえ、表現することばとして現れたとき、人々はそのイメージの喚起力にとらえられたのであろう。これ以降、この用語を抜きにして、問題を語れなくなってしまったといってもよい。――本書より
目次
●「自分」とは何か
●エリクソンの自己形成史
●「アイデンティティ学」の確立
●ライフサイクルとアイデンティティ
●登校拒否とスチューデント・アパシー
●対人恐怖症とナルチシズム
●犯罪の中のアイデンティティ
●精神の病とアイデンティティ
●日本人の自我と人間関係
●“選択の時代”のアイデンティティ
“アイデンティティの研究を初めて世に出した自身は養子であったし、実の父親は誰であるかわからなかったのである。エリクソンはこのために、苦労をし、父親探しをいろいろと行っている。・・・その過程で彼が到達していくのが、「自分は何者か」という「アイデンティティ」を探求していくテーマであったのである。”そこで、第2章ではエリクソンの経歴を紹介している。
そこで、先ずエリク・ホーンブルガー・エリクソン(Erik Homburger. Erikson)の経歴概略を紹介する。
1902年ドイツに生まれる。母のカーラ・アブラハムセン(Karla Abrahamsen)はユダヤ系デンマーク人で、生後3年間はカーラと共にフランクフルトで過ごす。父親は定かではない。デンマーク人の芸術家だったのではないかと言われているが、カーラは最期まで息子にその父の名を明かさなかった。なおミドルネームのホーンブルガー(Homburger)は母の再婚相手の苗字である。(ホーンブルガーはユダヤ系ドイツ人)
精神分析家・思想者。精神分析の創始者・ジークムント・フロイトの娘フロイトの亡き後、学派の後継者となるアンナ・フロイトに教育分析を受け、ウィーン精神分析研究所で児童の分析に従事。(ユダヤ系のためナチス台頭により)1933年渡米、ボストンで児童分析医を開業しつつ、M・ミード、G・ベイトソン、R・ベネディクトなどと交流をもった。1938年スー族の幼児教育を調査し、人間の成長と文化的・社会的環境との関係を理論づけた。1939年サンフランシスコに移り、カリフォルニア大学児童福祉研究所で研究を継続、1946-50年にかけ『幼児期と社会 1・2』(みすず書房、1977、1980))を著わし、彼の発達理論の基礎をなすエピジェニシスの原理を明確にした。マッカーシー旋風のとき忠誠宣言を拒否し、カリフォルニア大学を去り、1950-60年、オースチン・リッグズ・センターの主任医師として活躍した。1958年、『青年ルター』によって心理=歴史的研究方法を試みた。1960-70年ハーヴァード大学で人間発達講座の教授。その後シカゴのロヨラ大学エリクソン幼児教育研究所顧問。1994年歿。
“エリクソンの生涯を通じて、たびたび見られる特徴的なことは、どこにもしっかり所属することのできない「周辺的な存在」ということであろう。”という箇所があった。だから自分の名前を米国へ渡った時に自分で正式に決めるのだが、そこには父母のデンマーク=北欧への思い、養父への気遣いなどが込められていると、著者は想像している。
この一文は私にも十分に当てはまる内容だった。私の幼児期から少年期に育った所は新興住宅街で、近所に同じ年頃の子供のいない所で、幼稚園や学校から家に帰ると、遊ぶ相手がいなかった。心理的に依拠する仲間がいない状態だった。その上、教育に不熱心な地域だったので、親は伝手を頼って大阪市阿倍野区内の学校に越境入学させてくれた。このため心理的な地域依存が一層酷くなった。“根無し草的”な意識になり、これは私のアイデンティティに大きな傷害となった気がする。
この“根無し草的”意識は高校まで続いた。しかし、大学に行き専門課程に入って、3~4年生で研究室に所属するようになってようやくそれが薄れはじめ、就職してようやく完全にそうした意識は無くなったような気がする。それまでは何かの団体に所属できることが、潜在意識下で密かな喜びだったような気がする。そんなことを思い出した。
ところで、エリクソンは絵を描くことが好きだった。“ギムナジウムを卒業すると、大学に行かずに、絵の勉強のためフランクフルトの絵画学校に入ったりしている。”ドイツが第一次大戦で敗戦した後、“エリクソンは当時、ドイツや隣のオーストリア、スイスの国々をスケッチしながら放浪していたのである。”エリクソンの論文が難解なのは、絵画的なさまざまなイメージが錯綜しているためではないかと著者は言う。
こうして約十年の絵の修行時代を経て、フランクフルトで友人と二人で個展を開くが失敗する。“この時期、彼がアイデンティティの混乱に陥っていた”だろうと著者は想像する。“後に彼は、この時期を長い「モラトリアム」(猶予期間)の時期だったと述べている”という。
この時期に、友人の誘いでフロイトとつながりのある私塾の絵の教師として職をえたという。ここでアンナ・フロイトと出会い、精神分析の訓練を受けるようになった。ここで“エリクソンの才能は精神分析に触れることによって、急激に花を開いていくことになった。3年ないし4年で訓練を修了しているので、現在から思えば、非常に短い期間で精神分析の訓練をおえている。”と評している。
こうしてエリクソンが研究した“アイデンティティの心理構造”では次の8つの概念要素を挙げている。
(1)時間的展望の喪失(時間的展望/時間的展望拡散)
(2)自意識の過剰(自己確信/自意識過剰)
(3)否定的アイデンティティへの逃避(役割実験/否定的アイデンティティ)
(4)活動の麻痺(達成の期待/労働麻痺)
(5)アイデンティティの拡散(アイデンティティ/アイデンティティ拡散)
(6)性的アイデンティティの拡散(性的アイデンティティ/両性的拡散)
(7)権威の拡散(指導性/権威の拡散)
(8)理想の拡散(イデオロギーへの帰依/理想の拡散)
“アイデンティティとは、このようにプラスとマイナスの要素が激しくぶつかりあいながら、私たちの中に存在している。そしてこの点から見ると、さまざまなアイデンティティ拡散の意味もわかりやすくなるだろう。”
だが、こうした概念を使って、様々な“アイデンティティ形成の実例”の説明は乏しかった。
主な事例として、森有正*氏について説明している。日本でエリート教育を受け、東大に研究・教育の職を得た後、フランス留学した時のアイデンティティの変化を詳しく紹介している。エリート教育により漱石の『坊ちゃん』と似た“お坊ちゃんコンプレックス”や“予定アイデンティティ”の概念を説明している。それがフランス留学によって壊され、新たに“自分の目(感覚)”で“無名の自然に対峙”して“経験”を獲得して、自身の認識を確信して行った、という。
*[もり ありまさ、1911年11月30日~1976年10月18日]哲学者、フランス文学者。明治時代の政治家森有礼の孫。父の森明は有礼の三男で、キリスト教学者で牧師。母は伯爵徳川篤守の娘。祖母寛子は岩倉具視の五女。妹は世界平和アピール七人委員会の委員を務めた関屋綾子。
こういう森の経緯から、日本人特有のアデンティティの特徴を説明している。日本人は人との対話の中で絶えず“相手との関係性”を意識していて、言葉遣いも場合によって具体的に異なると気付く。つまり常に“場”・“座”が意識されているという。そこには暗黙の上席と下席がある。そして“座”には、それにふさわしい発言内容が暗黙の内に求められる“予定アイデンティティ”がある。
欧米ではそれがなく、自分で“選択するアイデンティティ”があるので、日本人が欧米化するにあたって、“予定アイデンティティ”から“選択するアイデンティティ”での混乱があるというのだ。近年の“性役割”についても混乱が見られるのだという。
また、定職に就かずに役割実験的にフリー・アルバイターとして、“一種の足踏み状態、準備状態のように見える時期”が見られ、これをエリクソンは“モラトリアム(猶予期間)”と名付けた。小此木啓吾氏はこの概念を発展させて、日本の社会的性格のテーマとして論じている、という。
最後に“私たちが何を信じ、何を受け容れるか、また生きる意味の「選択」が迫られている”が、“この「選択」こそ、アイデンティティの問題”であり、それは“簡単に誰かに解決してもらうのではなく、苦しみながらも自分で自分を見出していくことが大事”であり、“その努力の中から、この世でただひとりの自分の生きる意味が生まれてくる”と、言っている。そういえば、いつの間にか私もそうだったと、今にして自覚するのだった。
以上で、心理学で“アイデンティティ”という概念を確立したのは、E・H・エリクソンという学者であり、おれを日本に紹介し研究した鑪幹八郎であったことを知り、なおその心理学の概要を知り得た。だが、あの若者が“‘自分は何者?’という思いがズーっとある!”と言っていたのに対する不安感払拭にはどうすれば良いのかまでは分からず、どのようなアドバイスが有効なのかさっぱり分からないままである。“苦しみながらも自分で自分を見出していくことが大事”なので、一朝一夕で何とかなるような簡単なことはないとは思うのだが、適切なアドバイスについて、さらなる“お勉強”が必要なのだろうか。
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