The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
水平展開は予防処置でないか?
久しぶりの“ISOマネジメント”へのコメントです。まるで、看板の “ISO休戦” を忘れたかのようで、申し訳ありません。だからこそ、“休戦”なのだ、とも言えなくもないのですが・・・・。
最近 実は 私は“リスクの評価”について 興味を持っていて その方向に気持ちが向かっているため、少々 ISOマネジメントへの意識がおろそかになっています。
そして その“リスク”について考える時、必ず行き当たるのが “問題生起の予測”です。この“予測”について考える時、どのような予測の方法が “手法method”として 世の中に存在し、一般に知られたものとなっているのかが 気になります。
ある“リスク分析工学”のテキストに示された “手法method” は、FTA,FMEA,PERT,品質工学(タグチ・メソッド)でした。これらは 全て過去の問題や経験を整理し、見落としがちな重要なリスク要因を潰そうという手法です。
少し、毛色の異なるタグチ・メソッドであっても、いずれ経験するだろうことを実験で巧妙に先取りし、見落としがちな重要な要因を救い上げて、作り込みの中に取り込んでロバストな製品を作ろうとするものです。しかし、この手法であっても、実験起案者の思考の枠組み(想像力の範囲)を越えるものではなく、その意味で 実験起案者の経験を越えるものではありません。したがって、実験起案者の経験の多寡により、パラメータ設計の巧拙が出てしまい、問題が見事に解決する場合と、そうでない場合があるのです。そして、そこで見落とされた要因は そのまま放置される危険があります。
そして、この“リスク分析工学”のテキストには 過去のトラブル事例が豊富に掲載されています。
このように、製造業メーカーでの設計者の最も重用すべきは、“過去トラブル” と言われています。
つまり、“問題生起の予測”は、経験の域を出るものではないのではないか、ということが おぼろげながら了解できる訳です。
さて、そこで思い起こされるのは“水平展開は予防処置ではない”、と言っているISOの権威者がおられたことです。これは、“起こりうる不適合又は その他の望ましくないことの起こり得る状況の原因を除去するための処置”である“予防処置”についての指摘です。
実は、この一言に 私は長いこと ひっかかっていました。というか当初は “そんなものか。なるほどネェ” という思いがあったのは事実です。不適合の再発防止として是正処置した結果をそのまま 他の場面、場所に適用することは “予防処置”を安易なモノに落とし込んでしまうような印象もあります。水平展開は、ある所で既に経験したことを他に転用することなので、予防処置とは馴染めないものというイメージもあります。
しかし、“水平展開は予防処置ではない” と“立派”に言い切ってしまうと 経験の成果である“水平展開”が 予防処置に使えなくなることになります。そして、経験に基づかない予測に頼って予防処置しなければなりません。ところが、経験に頼らない予測の方法は 厳密に言うと あり得ません。
以前に あまりここまで考えずにFMEAは予防処置のツールであるとしていました。しかし、FMEAは自分のところでの失敗の経験も含めて、様々な経路で入手した失敗の経験の情報を集積したものと言えます。それは 水平展開ではないとは言い切れず、逆に 時空を越えて見た場合、水平展開そのものと言えてしまいます。
また、予測する作業というのは 全て過去の経験に基づいて行なわれています。過去の経験がなければ、予測する術、手懸りがないからです。少々怪しい話になりますが、占いすら、何らかの過去の経験に基づいていると言えます。
過去の経験、つまり事例に基づいて 他の分野へ対策することが“水平展開”であるならば、予防処置の全ては “水平展開”そのものによるものと言えるのです。
つまり、“どんな予防処置も 全て広い意味での水平展開であり、水平展開でない 予防処置はありえない” との認識にいたるべきなのです。したがって、“水平展開は予防処置ではない”という断言は 論理矛盾であり、何を予防処置と考えているのか 不思議な発言であると 言えるのです。
だから、“水平展開は予防処置ではない”と言い切ってしまうと 予防処置ができなくなってしまいます。ISO9001の規定は、品質活動を阻害することにあるのではなく、推進するためのものですので、こういう萎縮するような見解は 百害有って一利なしと言えます。
かつて私が指摘したようにFMEAは予防処置の立派なツールと言えます。
一般のISOマネジメントの解釈論では この種の了見の狭い見解が 結構幅を利かせているような印象があります。それを、一部の審査員が 頑固に主張するようだと 大問題ですが、いかがでしょうか。
最近 実は 私は“リスクの評価”について 興味を持っていて その方向に気持ちが向かっているため、少々 ISOマネジメントへの意識がおろそかになっています。
そして その“リスク”について考える時、必ず行き当たるのが “問題生起の予測”です。この“予測”について考える時、どのような予測の方法が “手法method”として 世の中に存在し、一般に知られたものとなっているのかが 気になります。
ある“リスク分析工学”のテキストに示された “手法method” は、FTA,FMEA,PERT,品質工学(タグチ・メソッド)でした。これらは 全て過去の問題や経験を整理し、見落としがちな重要なリスク要因を潰そうという手法です。
少し、毛色の異なるタグチ・メソッドであっても、いずれ経験するだろうことを実験で巧妙に先取りし、見落としがちな重要な要因を救い上げて、作り込みの中に取り込んでロバストな製品を作ろうとするものです。しかし、この手法であっても、実験起案者の思考の枠組み(想像力の範囲)を越えるものではなく、その意味で 実験起案者の経験を越えるものではありません。したがって、実験起案者の経験の多寡により、パラメータ設計の巧拙が出てしまい、問題が見事に解決する場合と、そうでない場合があるのです。そして、そこで見落とされた要因は そのまま放置される危険があります。
そして、この“リスク分析工学”のテキストには 過去のトラブル事例が豊富に掲載されています。
このように、製造業メーカーでの設計者の最も重用すべきは、“過去トラブル” と言われています。
つまり、“問題生起の予測”は、経験の域を出るものではないのではないか、ということが おぼろげながら了解できる訳です。
さて、そこで思い起こされるのは“水平展開は予防処置ではない”、と言っているISOの権威者がおられたことです。これは、“起こりうる不適合又は その他の望ましくないことの起こり得る状況の原因を除去するための処置”である“予防処置”についての指摘です。
実は、この一言に 私は長いこと ひっかかっていました。というか当初は “そんなものか。なるほどネェ” という思いがあったのは事実です。不適合の再発防止として是正処置した結果をそのまま 他の場面、場所に適用することは “予防処置”を安易なモノに落とし込んでしまうような印象もあります。水平展開は、ある所で既に経験したことを他に転用することなので、予防処置とは馴染めないものというイメージもあります。
しかし、“水平展開は予防処置ではない” と“立派”に言い切ってしまうと 経験の成果である“水平展開”が 予防処置に使えなくなることになります。そして、経験に基づかない予測に頼って予防処置しなければなりません。ところが、経験に頼らない予測の方法は 厳密に言うと あり得ません。
以前に あまりここまで考えずにFMEAは予防処置のツールであるとしていました。しかし、FMEAは自分のところでの失敗の経験も含めて、様々な経路で入手した失敗の経験の情報を集積したものと言えます。それは 水平展開ではないとは言い切れず、逆に 時空を越えて見た場合、水平展開そのものと言えてしまいます。
また、予測する作業というのは 全て過去の経験に基づいて行なわれています。過去の経験がなければ、予測する術、手懸りがないからです。少々怪しい話になりますが、占いすら、何らかの過去の経験に基づいていると言えます。
過去の経験、つまり事例に基づいて 他の分野へ対策することが“水平展開”であるならば、予防処置の全ては “水平展開”そのものによるものと言えるのです。
つまり、“どんな予防処置も 全て広い意味での水平展開であり、水平展開でない 予防処置はありえない” との認識にいたるべきなのです。したがって、“水平展開は予防処置ではない”という断言は 論理矛盾であり、何を予防処置と考えているのか 不思議な発言であると 言えるのです。
だから、“水平展開は予防処置ではない”と言い切ってしまうと 予防処置ができなくなってしまいます。ISO9001の規定は、品質活動を阻害することにあるのではなく、推進するためのものですので、こういう萎縮するような見解は 百害有って一利なしと言えます。
かつて私が指摘したようにFMEAは予防処置の立派なツールと言えます。
一般のISOマネジメントの解釈論では この種の了見の狭い見解が 結構幅を利かせているような印象があります。それを、一部の審査員が 頑固に主張するようだと 大問題ですが、いかがでしょうか。
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