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“トヨタ・ショック”

この年末・年始に個人的に トヨタ自動車のプリウスの開発について 少し調べなければならないことがあった。
その結果、トヨタの経営者、技術者のすごさをあらためて認識したものだった。しかし、その時、そのトヨタ自動車の経営が “危機的状況”を迎えているとの報道も頻繁になされていた。この落差について、どうにも理解できず 正直 大いに戸惑いを感じていたのだった。しかし、その危機実態は 外部の人間には知る由も無かった。

その後 3月になって、ようやく その内情についてのレポートが上梓され始めてきた。その内の この記事の表題と同じ書名の単行本“トヨタ・ショック”や文芸春秋3月号の“覇者トヨタに何が起きたのか”を読んだのだが、“読後感想”を 書いてブログ投稿の間もなく 気付くと時間が経ってしまい、タイミングを逸した感があった。ところが、今度は “日経ビジネス”の4月6日号にトヨタに関する特集記事“トヨタの自戒・「急成長の驕り」壊す闘い”が登場した。そこで、これらをまとめて、またまた 読後感想としてみたいが、許していただきたい。

ズバリッ!“トヨタに何があったのか?”
02年にサプライヤーの生産計画のために中長期的生産・販売計画「グローバル・マスター・プラン(通称グロマス)」を策定したが 逆にこれに縛られてしまい、コンティンジェンシーな柔軟対応ができなくなっていたという。そして、このグローバルは、トヨタでは米国基準であるという意味だったという。
一言で言って 優等生トヨタは 米国でもMBA的優等生の経営をやった!つまり、米国流の経営を本場で徹底的にやった。これは端的に言って、米国トヨタのGM化と言えるものではなかったか。その象徴が 米国市場専用に開発した“タンドラ”であったという。これはトヨタ本来の車ではなく まさに米国的車である、という。
したがって、トヨタはGMと同様にコケたのだ、と文芸春秋の記事や“トヨタ・ショック”を 私は読み解いた。だが、グローバル企業トヨタには GMとは違い、未だ余裕があった。

そこで、日経ビジネスではこの不況が “もしかすると、またとない機会ではないか”ということになる。これは、どういうことか。トヨタは 世界一を目指して、足早の経営をやった。その結果、“急拡大の歪み”が出ていたので、その歪みを 不況でヒマな時に是正しようということなのだそうだ。
つまり、あまりにも急拡大過ぎて“現場の核となるリーダーが、実績と経験を持ち合わせていない”という状態となっていた、というのだ。“日本では「チームリーダーになるのに10年かかり、グループリーダーはさらに6~7年かかる」と言われる。ところが、テキサス工場ではわずか2年で、新規に採用した約50人をグループリーダーに昇格させてしまった。”とうのが、実態であったので、現場労働者の底上げのための研修を 不況の間にしっかり浸透させようというのが 今の米国トヨタの動きなのだという。
現場の底上げのために「レイオフを絶対にやらない、とは言わない。しかし、ギリギリまでワークシェアリングで耐える」、つまり、人材をしっかり育成して行く、育てた人材を解雇で手放すことはない、ということのようだ。

さらに、日経ビジネスではトヨタの課題を次のように分析報告している。
(1)レクサスのブランド確立が未熟であること。
(2)モデル・チェンジのタイミングや やり方の見直し。
(3)そのことによる既にあるブランド力を維持することによる結果としての開発コストの節約。
(4)若い女性へのPRや販売方式の変更による浸透力改善。
(5)悪化していた経営・財務内容の改善(原価改善効果が通常1000~3000億円あったのが200億円、従業員数も 前年より6000人増加、高水準の投資結果の原価償却負担の増)←「95年に1ドル=80円を突破したはずの会社が1ドル=90数円台の為替相場で」強く影響されるようになっていた。つまりトヨタの知らず知らずのGM化?
(6)複合ショッピング・センターでの“クルマの露天販売”に見られるような販売形態の見直し。

この内、(2)が自動車メーカーの経営革新の核心部分となるのだろう。この部分では 現段階90年代で、既にGMなどの米国メーカーに大きく水をあけていたのだったが、ここにさらに 絶えざる変革が求められるというのは 非常に厳しいものだという印象である。
(5)も経営的には本質的な課題ではあるが、トヨタにとっては常道への復帰であり、決して先の見えない課題ではないだろうと思われる。文芸春秋3月号では 別に張富士夫氏へのインタビューも掲載され、そこではしきりに原点回帰を強調されていた。忙しいときには忙しいなりに、不況のときはしっかり原点に戻って考えるのだそうだ。
ただ、ここで、一つ気になる問題は 米国で傷付いたトヨタが 本当に“またとない機会”と捉えて地に足の付いた工場運営に復帰するだけで改善できるのだろうか、という疑問である。つまり、あまりにも米国化した米国トヨタが GM同様に 顧客消費者へのファイナンスで問題を抱えていないのか、という疑問なのだ。この点に 触れていない 日経ビジネスの記事は 画竜点睛を欠くと言えまいだろうか。米国での経営の根本問題を 見落としているのではないか。


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コメント
 
 
 
教えていただければ幸いです (u.yan)
2009-04-20 10:22:05
教えていただければ。
車製造は使い回しの上手さが利益の源泉であり、ビック3のトラック系は、その最たるものと思っておりました。
FFからミッドシップを創ったり、所有者の反発を抑えてマークXとクラウンを一緒にする等、トヨタは使い回しが上手と思います。
タンドラの使い回し率が高いとは思えないので、部品コストへの着目だけに終わった、創造的発想の低下が大きいのではないかとの考えはおかしいでしょうか。
 
 
 
u.yan様へ (磯野及泉)
2009-04-24 01:22:40
最近、ほとんどコメント頂戴していませんでしたので、投稿後 あまり省みることもなく放置していましたため、回答が遅くなり恐縮です。
このブログを読んでいただいていれば お分かりかと思いますが、私はクルマ通ではありませんので、クルマ自体についてのコメントや評論は差し控えたいと思います。
ただ お尋ねの件、“使い回し率が高いとは思えない”の意味が タンドラに使用されている部品が 既存部品の共用・流用の度合いが低いという意味であれば、全くその通りと “トヨタ・ショック”にはありました。つまり米国の部品によるクルマであった、と。そういう意味で 私も“トヨタ本来の車ではなく まさに米国的車である”と表現したつもりでした。ですが それは“創造的発想の低下”とは少し違うのではないかと想像します。あくまで、想像ですが。
また、今回のトヨタの落ち込みは いわゆる“失敗”というような範疇のものではなく、外的要因による ある種の経済活動の停滞を余儀なくされただけのものと捉えたほうが 正確な理解ではないかと思っています。それは、トヨタの高い学習能力が 徹底した米国流マネジメントを自家薬籠中のものとし、その結果、見事に収益を得ていたためです。恐らく利益率はGMを凌いでいたのではないかと想像します。ところが、それが行き過ぎて外的要因でタマタマ今回の落ち込みとなってしまった、と見るべきではないかと思っているのです。
徹底した米国流マネジメントをモノした後、再び我に返り原点回帰し、その後の一皮剥けた経営スタイルに期待するべきではないのか、と思っています。絶えざる変化の 一過程であったと見るべきではないか、と。
ただ、その時 米国のファイナンス子会社の焦げ付きの影響が どの程度のものかが気懸かりだったのですが、その点について日経ビジネスは何もレポートしていないのが不満なのです。
 
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