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ISO休戦
パリ気分 in 京都

先週、1日ヒマを作って 藤田嗣治展が開催されている京都近代美術館に出かけました。
中学時代の美術の教科書に 丸眼鏡をかけて、猫とともに居る自画像を見て、まるで漫画のような絵で、この人が “世界のフジタ”なのか、と思ったことを 思い出しました。
私は、一般に 日本人画家の絵は 欧米の画家に比べて、訴求力が乏しいという印象を持っています。そこで、“世界のフジタ”はどうだったのか 確かめに行ったというのも 目的の一つでした。フジタの 生涯作品の 殆どが見れるということだったので 大いに期待していました。
一番最初の 若い時の自画像が 割に“訴求力”あり、という印象ですが それ以外は あまり“訴求力”のあるものは 無かったように思いました。
成るほど 黒と白の工夫や 繊細で精密な線や デフォルメは 確かに凄いとは思ったのですが・・・・。
戦争画は 酷いモノという印象でした。全体に 何が言いたいのか 主張が 不明確で分裂しているものが殆どのように思います。絵の意味内容においてフジタの国際的センスが 抑圧されてしまったようで 不自然に思いました。
それから 最後に 陳列されていた“黙示録”の意味も さっぱり 分かりませんでした。多分、私の 絵やキリスト教に関する 不明のためなのでしょうね。
ついでに見ることができた 特別展示ではない 美術館所蔵作品のフジタの絵で “路傍” 見て 思わず涙してしまいました。絵には 貧しい母娘が 路傍のベンチで無心に眠っている、その遠くを 学校帰りでしょうか黒い制服を着た親子のような一団が歩いています。思わず、いたいけな娘を母親が殺害した東北の事件を思い出してしまいました。
皮肉にも “訴求力” は この作品が一番だったように思いました。
この “訴求力” という点においては、昨年 衣笠に見に行った 堂本印象の方が 遥かに優れていると思います。絵の描き方の繊細で精密な線や デフォルメは 当然フジタとは 違った味ですが 決して見劣りするようなものではありません。ですが、堂本の名には “世界の” が 付きませんが フジタは パリで有名になったことで “世界の”画家になったのだと思いました。
以上が 絵に不明で感性も鑑賞力も 大したことない私の フジタの絵についての主観的独断的偏見的評価です。
人も登場する“場” によって評価が 変わるものだなぁ・・・という感慨です。
ついでに、つまらない話ですが、絵に“Foujita”と書かれているサインを見て 私の学生時代に著名な教授だった藤田先生が 海外で“FUJITAをファザイターと呼んでくれる。”と ボヤいておられたのを思い出しました。
下の写真は 休憩室からの 大鳥居と京都市立美術館と東山の風景です。

絵を 見ている内に “幸いにも”小腹が空いてきました。そこで、京都で絶品のタルトタタンで有名な ラ・ヴァチュール(La Voiture)が 美術館の近所なので 赴きました。これも 今回の目的の一つでした。店は 何の変哲もないマンションの1階でした。それでも、構えは パリの喫茶店という外観。(残念ながら 私はパリに行ったことはないのですが・・・。)
インターネットで見た タタンを作っている お婆さんが 目の前を行ったりきたり。その内に、お勘定を終えて帰えろうとしている2人の若い女性に パリでのタタンの大会に出場した記録を見せて おられました。また、その時 私も 見た番組で “鶴瓶さんが 絶品だと誉めてくれた” とも説明しておられました。
店の雰囲気も 大いにシャレていました。レジのカウンターが 黒い岩でできているようでした。クラッシクな レジスターも 置いてありました。MJQでしょうかモダン・ジャズが流れていました。お勘定に立って 分かったのですが、それはレコードによるものだったのです。黒いレコード盤が 廻っていました。
美術館と喫茶店。京都で パリ気分たぁ 久しぶりに オツなもんでんした。

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