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志賀桜・著“タックス・ヘイブン”、“タックス・イーター”を読んで
先月の中頃、書店店頭で岩波新書の書棚で“タックス・ヘイブン―逃げていく税金”と書かれた本を見つけた。今、話題のテーマをそのまま書名にした岩波新書があるのだと、驚き手に取ってみた。著者は名前からだけでは女性かと思ったが、紹介を見ると、元大蔵官僚。しかも主税局国際租税課長OECD租税委員会日本国メンバー、とある。直球ど真ん中の著者ではないか。こんな本が岩波新書で出ていたのだと、思わず買ってしまった。
しばらくすると、朝日新聞の書評欄に次のような紹介文が載った。
“著者は大蔵省(当時)国際租税課長などを務めた元官僚で、昨年末に亡くなった。本書には、国際租税の専門家だからこそ書けるリアリティーと凄みが詰まっている。国際社会を震撼させている「パナマ文書」でも話題のタックスヘイブン(租税回避地)は、税金が安く、その場所にあるペーパー会社がどのような資産をもっているのかという情報をほとんど公開しない。企業や富裕層が資産をタックス・ヘイブンに移転させてしまうと、その先でお金がどう運用されているのかはわからなくなる。欧米では、アップルのような企業がタックス・ヘイブンを使って税金を安くしたり、払わなかったりしていることが大きな問題となった。”
著者は“昨年末に亡くなった。”とある。気になって、改めてWikipediaで経歴を見る。
“税務訴訟を得意分野とする。大蔵省時代は主計局と主税局に長く勤務している。また、外務省参事官(ロンドン在勤)、OECD租税委員会日本代表を歴任するなど、国際金融の経験も豊富。民間税制調査会の税制改正大綱にも積極的に関与し、国際租税分野の専門家として貢献した。「税は文明の対価である」という言葉を好んでおり、テレビ出演時やインタビュー、著書などで度々用いていた。”とあり、結構詳しい年次の入った経歴を見ることもできる。
1967年;東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業(鳩山邦夫、高橋文明らと同級)とあるが、生年は1949年1月19日なので、今話題の舛添 要一知事(1948年11月29日生)と同学年、東大法学部同窓となるはず。それに、1970年;司法試験、国家公務員上級甲種試験合格とある。就職活動で司法試験にもついでに受かったようだ。
大蔵省入省なのでエリート中のエリート。主計局から20代で宮崎税務署長、その後主税局、大臣官房、主計局等へ出世街道驀進。1988年;在イギリス日本国大使館参事官。1991年;主税局国際租税課長(OECD租税委員会日本代表)1993年;岐阜県警察本部長。1995年;経済企画庁。1998年;金融監督庁国際担当参事官・特定金融情報管理官。2005年;弁護士登録。
昨年、2015年12月20日に亡くなったようだが、別のネット・ページには、“『タックス・ヘイブン』に書かれていますが、志賀さんは第1次湾岸戦争のときに、ロンドンから観戦武官としてイラク=クウェート国境に出張したのですが、劣化ウラン弾の微少粉末が空中に充満しており、そのため毎年検診している、と。ひょっとしてその劣化ウラン弾の微少粉末が死因となった癌をもたらしたのではないかと疑ってしまいます。”とあった。
財務官僚が税務署長や税関長を歴任するのは分かるが、警察署長や観戦武官までやるのかと、驚いてしまう。まさに“生き過ぎた”人生を駆け抜けた印象だ。
さて残念ながら、この本には“タックス・ヘイブン”を使った“節税”のメカニズムについては、直接的には何故か詳しくは語られていない。そこで、朝日新聞の書評欄にこの続編として『タックス・イーター―消えていく税金』も紹介していたので、これも読んだのだった。朝日・書評には“日本国内では、無駄な公共事業や租税特別措置によって莫大(ばくだい)な税金が消えていっていることが、克明に描かれる。これが巨額の財政赤字を生みだした。”と書いている。続けて“まさに「内憂外患」そのものの状況を、日本は乗り越えられるのか。かなり暗澹となる内容だが、まずはこの現実を正確に認識することが重要だ。その意味で本書がベストセラーとなったことは第一歩といえるだろう。”とも書いていた。
そして、その『タックス・イーター』を読んでみると まさしく期待通りに、“節税”のメカニズムをスターバックスの事例“スイス・トレーディング・カンパニー”方式とアップルの事例“ダブル・アイリッシュ・ウィズ・ア・ダッチ・サンドウィッチ”方式を結構詳しく解説してくれていたのだった。
要するに著者・志賀氏はこの2冊の岩波新書で、租税の仕組というより税制を通じて日本の国家財政のあり方を論じて、日本経済そのものの問題点を示したかったのであろう。そして、その中心には過度の円高恐怖症の政官業のメンタリティーの問題があると指摘している。これは私には種新鮮な議論だった。
先ず『タックス・ヘイブン』の冒頭に示された“図序-1 申告納税者の所得税負担率(平成22年度)”と題する図は少なからず衝撃だった。この図は縦軸に“所得税負担率(%)”、横軸に“合計所得金額(円)”として、申告所得額に応じた税負担の状況を示していて、出典は、本文では“政府税制調査会資料”と紹介しているので、信頼すべき情報であろう。(別の箇所では、“国税庁の把握している実数”だと言っている。)そして、驚くべきことには所得1億円で28.3%の所得税負担のピークになっており、所得10億円で22.9%、100億円で13.5%の所得税負担となって減額されている事実である。要するにすっきりした累進課税となっておらず、所得1億円のプチ金持ちが最大の税負担となっていて、いわゆる“金持優遇税制”になっている実態を示している。“放っておくと、金持ちが日本を出て行ってしまう”という議論は、全くの事実誤認であることだ。こうした“富裕層の租税回避”のしわ寄せは、中間所得層と低所得者層に来るのだ。
つまり、著者は日本の租税制度が実は非常に解り難いものになっていることを強調したかったようだ。『タックス・イーター』では、毎年改正される課税基準やサラリーマンの源泉徴収・年末調整は解り辛い愚民政策の結果だとも言っている。事実、この図の線は良く見ると直線や滑らかな曲線にはなっておらず、何故だが凸凹した直線で構成されているように見える。つまり、所得税は全体に一様な方針で税体系が決められているのではなく、ある所得の範囲毎に解り辛いパッチワーク的基準となっているのが実情なのだろう。従い、連続はするが局部的極大箇所に相当する金持は、専門家を雇ってでも必死に“節税”の手段を講じているはずだ。一般にこれで、“税負担の公平性”は担保されていると言えるのだろうか。大蔵官僚、否元財務官僚がこのような実態本を書いてよいのだろうか。否、否このような本にこそ真実が書かれているものと確信してその後読み進んだものだった。
そして、著者は“正直に税金を納めている市民の知らないところで、タックス・ヘイブンを舞台に所得分配の公平を著しく損なう悪事が行われているのである。”と続けて、煽るのだ。タックス・ヘイブンを利用して行われる悪事には、“・高額所得者や大企業による脱税・租税回避/・マネー・ロンダリング、テロ資金への関与/・巨額投機マネーによる世界経済の大規模な破壊”があると指摘している。
“タックス・ヘイブンとは一般に「税金がない国や地域」、あるいは「税金がほとんどない国や地域」をさす。ヘイブンhavenとはもともと「避難港」という意味の英語である。”具体的には、カリブ海の諸島(ケイマン、バハマ、バーミューダ、ブリティッシュ・バージン・アイランド等)、英国のブリテン島の近くの島(ジャージー、ガーンジー、マン島)、ロンドンのシティ、米国のデラウェア州、スイス、ルクセンブルグ、ベルギー、オーストリア等の欧州諸国、等であるという。
OECD租税特別委員会のタックス・ヘイブンとする基準によれば、“①まったく税を課さないか、名目的な税を課すのみ②情報交換を妨害する法制があること③透明性が欠如していること④企業などの実質的活動が行われていることを要求しないこと”である。OECD租税特別委員会はこの基準で、該当国、地域のブラックリストを作って公表しているとし、ほぼ先述の地域の名が書かれた表をこの本に掲載している。
しかし、英国のタックス・ヘイブンのシティについては、“(英国は)サッチャー首相の下、金融ビッグ・バンという一大規制緩和が行われたのをきっかけに、シティは大きな発展を遂げた。それに伴って、かつて「英国病」とまで言われ揶揄されつづけてきた英国経済は沈滞から抜け出した。シティの活力を削ぐような議論はいかなるものも許さない。英国政府の強い意志がひしひしと感じられた。”要するに、それは英国の国策の核心となっている。どうやら英国のHSBC(昔の香港上海銀行)も、国策に沿ってか歴史的にマネー・ロンダリング等怪しいことに深くかかわって来ていてる噂で有名なようだ。
それは場合によっては英国情報機関MI6の金融ツールにもなっているだろうし、著者はそれをにおわせてもいる。最近は、パナマ文書で各国政治権力者の秘密が暴かれているが、米国の政治家については全くその名が出ていないことや、中国の政治家が最も多いことから、米国陰謀説が言われ始めている。英国のキャメロン首相の名が出たのは、米国の意向に反して中国のAIIB設立に協力的だったためだと囁かれている。外交謀略の手段にも逆用されているようだ。
ついでながら、北朝鮮のマカオの銀行口座を米国政府が凍結できる仕組みもこの本で紹介してくれていて、ようやく理解できた。要するに基軸通貨ドルを使っている限り、取引決済はニュー・ヨークで行われるので、それが可能なのだ。
1987年以来“繰り返す金融危機”について、実需経済ではなくヘッジ・ファンド等をはじめとする金融マネーの余剰資金が害悪を及ぼしている結果であり、そういう状況が続く限り将来的に問題は解消しないと警告している。
しばしば出てくる台詞に、“アメリカでは日本のような確定決算主義とは異なって、企業会計と税務会計が互いに別方向を向いている。”という下りがあるが、どういうことかこの本だけではついには理解できていない。まぁ米国のことなので、十分な理解ができなても我々には当面問題はない。
しかし、現状の世界が変動相場制で上手く回っていると思っていたが、実は固定相場制で回そうと言う考え方もあるようだ。その中でヨーロッパのユーロ通貨をどう考えるべきなのだろう。こうした議論には、私は浅学で全く付いて行けない。そんなところで、消化不良のままこの『タックス・ヘイブン』を読み終えた。
この本の最後には次のように意味深長に指摘している。“「税は文明の対価である」というならば、税を支払う者には逆に、その対価としての「文明」が引き渡されなくてはならないはずである。ところが、タックス・ヘイブンはそうした「文明」の引き渡しを妨げ、さらには「文明」そのものに災厄をもたらしている。”(税には国民の所得再配分の役割があり、必要に応じ配分する正義に近付ける方法でもある。)そして、その災厄の原因は分かっているのだから、対策は行えるはずで、“「文明の対価」を受け取る立場の一般の納税者が問題の所在を正しく理解”する必要がある、としている。
『タックス・イーター』の“はじめに”では実は財政赤字をテーマにしていて、その大きな要因が“法を逆手にとって”国家財政に群がるシロアリつまりタックス・イーターであると言っている。著者はそういう実態を前に、国民の側の課税実態を良く知らないことを問題視し、現憲法に“納税の義務”を明文化していることを“奇異”だとまで言っている。それは、“憲法は、基本的人権を定める部分と統治の機構を定める部分”から成り立つべきもので、“国民の義務”を規定するものではないからと言いたいのだろう。さすが、法学部出身の卓見だ。
そして政府の提供する公共サービスと税との対価関係を良く見えない仕組みにし、そこに“付け込んで税を掠め取り、私腹を肥やす”輩が出て来ていると指摘している。その手段の第一が特別予算(略して「特会」)であると言う。しかもその規模は2013年度で185兆円。一般会計の96兆円のほぼ2倍に当たるが、国民の目はそこに十分及んでいない。
かつて、日本経済の高度成長期(1955~1973年)には税の自然増収があった。その増収分は“通常、三等分して使われた。三分の一は歳出増に使われ、三分の一は減税に使われ、残る三分の一は「その他のこと」につかわれた。「その他のこと」とは、いわゆるバラマキであり、国債が発行されるようになってからは減債基金(発行国債の後年度償還基金)の積み立てである。”このバラマキから“財政規律の弛緩を導くことになった”し、シロアリも増殖したのだろう。
そういう“慣習”のようなものが背景になった頃、為替が固定制(ドル・ペッグ)から変動相場制に移行したのだが、極度の円高恐怖症によって、不況対策として補正予算が組まれるようになり、その後不況の度にそれも慣習化して来た。こうしてますます不況の都度、市場から退出するべきオールド企業がゾンビのように生き残る構造となった、というのだ。現にこうして農業を筆頭に、最強と言われた電器産業や自動車産業ですら怪しい業況になって来ている。しかし、こうした補正予算の決算は国会でもきちんとしたけじめはつけられていないと著者は言っている。
財政にとって大きな問題は社会保険制度である。一般会計で計上されているのは30兆円だが、実際には支出ベースで100兆円を超えていて、今後毎年3~4兆円ずつ増える、という。これこそ年金特別会計の実態であり、保険料や自治体負担分を一旦集めてから給付する仕組にしている。こうして、国民年金の破綻を厚生年金と共済年金につけ回し、年金特会をくぐらせて、支払った保険料と受けられる給付との紐付けを判らなくする仕組みと言う。租税の愚民政策と同じ、“由らしむべし、知らしむべからず”だ。
真面目な著者は言う。“社会保障をめぐっては、所得分配の公正・公平、国民皆保険による高齢者支援、年金保険料を支払うことができない人の公的扶助など、さまざまな理念が唱えられている。しかし、こうした実態の下で、それらの理念を実現できるものであろうか。今の日本の問題は、国民が負担と給付の真の実態を知らされていないことである。したがって、厚労省は正確なデータを直ちに公表しなければならない。実態を正直に国民に知らせることが、社会保険制度改革の初めの一歩である。”
さらに著者は言う。“現在のように一般会計を中心に、特別会計、特殊法人、独立行政法人、その他の公企業などが複雑に入り組んでいる状況では、資金の流れを一覧できず、監視の目が行き届かない。なかでも特別会計という存在は、国際公会計基準から見ると、一覧性を阻害する大一要因である。特段の事情があるものだけに限定し、原則として予算はすべて一般会計に統合して一覧性を確保するべきである。”
著者・志賀氏は財政の執行状況をしっかりと確認し、不正なく消化されているか監視するべきだと指摘する。監視は当然のことだが、現状はこれがおざなりだという。国民の側もこれに関心を持って注目しようとしていない。予算委員会には注目が集まるが、過ぎ去ったことを審議する決算委員会に注目する報道は聞いたことが無い。
決算結果について、会計検査院がその権限をもっと発揮するべきだし、権限を強化するべきとも指摘する。“国会(両院)の議決に法的効果がない”ことも問題だ。つまり、“決算が、国会に提出されて決算委員会や本会議でどのような扱いになろうとも、なんら法的効果はなく、責任問題を生じることもない。”事実、1989年臨時国会の参議院本会議で「決算を承認しない」という議決がなされても、誰かが責任を問われたわけではない、という。
地方公共団体には住民訴訟の制度があって、財務に不正があって住民に不利益があった場合、訴訟が提起できるが、国に対してはそのような制度がないのは、合理性を欠くと指摘している。
それに関連して、“司法消極主義”の現状を批判もしている。“司法の役割のひとつには、多数決を前提とする民主主義的意思決定の中で、少数者の権利を保護するという重大な役割があるはずである。そうすると現下の裁判所の消極主義は、憲法の想定とは異なっている”という。これも卓見であるが、近代法学の常識であろうか。
現代日本では、近代法学の常識が通用しない社会になりつつあるような気がする。そういった正義論をベースに現状の日本の政治、財政、経済を語る正義漢が、既に亡くなっているのは、日本の大きな不幸のような気がする。
しばらくすると、朝日新聞の書評欄に次のような紹介文が載った。
“著者は大蔵省(当時)国際租税課長などを務めた元官僚で、昨年末に亡くなった。本書には、国際租税の専門家だからこそ書けるリアリティーと凄みが詰まっている。国際社会を震撼させている「パナマ文書」でも話題のタックスヘイブン(租税回避地)は、税金が安く、その場所にあるペーパー会社がどのような資産をもっているのかという情報をほとんど公開しない。企業や富裕層が資産をタックス・ヘイブンに移転させてしまうと、その先でお金がどう運用されているのかはわからなくなる。欧米では、アップルのような企業がタックス・ヘイブンを使って税金を安くしたり、払わなかったりしていることが大きな問題となった。”
著者は“昨年末に亡くなった。”とある。気になって、改めてWikipediaで経歴を見る。
“税務訴訟を得意分野とする。大蔵省時代は主計局と主税局に長く勤務している。また、外務省参事官(ロンドン在勤)、OECD租税委員会日本代表を歴任するなど、国際金融の経験も豊富。民間税制調査会の税制改正大綱にも積極的に関与し、国際租税分野の専門家として貢献した。「税は文明の対価である」という言葉を好んでおり、テレビ出演時やインタビュー、著書などで度々用いていた。”とあり、結構詳しい年次の入った経歴を見ることもできる。
1967年;東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業(鳩山邦夫、高橋文明らと同級)とあるが、生年は1949年1月19日なので、今話題の舛添 要一知事(1948年11月29日生)と同学年、東大法学部同窓となるはず。それに、1970年;司法試験、国家公務員上級甲種試験合格とある。就職活動で司法試験にもついでに受かったようだ。
大蔵省入省なのでエリート中のエリート。主計局から20代で宮崎税務署長、その後主税局、大臣官房、主計局等へ出世街道驀進。1988年;在イギリス日本国大使館参事官。1991年;主税局国際租税課長(OECD租税委員会日本代表)1993年;岐阜県警察本部長。1995年;経済企画庁。1998年;金融監督庁国際担当参事官・特定金融情報管理官。2005年;弁護士登録。
昨年、2015年12月20日に亡くなったようだが、別のネット・ページには、“『タックス・ヘイブン』に書かれていますが、志賀さんは第1次湾岸戦争のときに、ロンドンから観戦武官としてイラク=クウェート国境に出張したのですが、劣化ウラン弾の微少粉末が空中に充満しており、そのため毎年検診している、と。ひょっとしてその劣化ウラン弾の微少粉末が死因となった癌をもたらしたのではないかと疑ってしまいます。”とあった。
財務官僚が税務署長や税関長を歴任するのは分かるが、警察署長や観戦武官までやるのかと、驚いてしまう。まさに“生き過ぎた”人生を駆け抜けた印象だ。
さて残念ながら、この本には“タックス・ヘイブン”を使った“節税”のメカニズムについては、直接的には何故か詳しくは語られていない。そこで、朝日新聞の書評欄にこの続編として『タックス・イーター―消えていく税金』も紹介していたので、これも読んだのだった。朝日・書評には“日本国内では、無駄な公共事業や租税特別措置によって莫大(ばくだい)な税金が消えていっていることが、克明に描かれる。これが巨額の財政赤字を生みだした。”と書いている。続けて“まさに「内憂外患」そのものの状況を、日本は乗り越えられるのか。かなり暗澹となる内容だが、まずはこの現実を正確に認識することが重要だ。その意味で本書がベストセラーとなったことは第一歩といえるだろう。”とも書いていた。
そして、その『タックス・イーター』を読んでみると まさしく期待通りに、“節税”のメカニズムをスターバックスの事例“スイス・トレーディング・カンパニー”方式とアップルの事例“ダブル・アイリッシュ・ウィズ・ア・ダッチ・サンドウィッチ”方式を結構詳しく解説してくれていたのだった。
要するに著者・志賀氏はこの2冊の岩波新書で、租税の仕組というより税制を通じて日本の国家財政のあり方を論じて、日本経済そのものの問題点を示したかったのであろう。そして、その中心には過度の円高恐怖症の政官業のメンタリティーの問題があると指摘している。これは私には種新鮮な議論だった。
先ず『タックス・ヘイブン』の冒頭に示された“図序-1 申告納税者の所得税負担率(平成22年度)”と題する図は少なからず衝撃だった。この図は縦軸に“所得税負担率(%)”、横軸に“合計所得金額(円)”として、申告所得額に応じた税負担の状況を示していて、出典は、本文では“政府税制調査会資料”と紹介しているので、信頼すべき情報であろう。(別の箇所では、“国税庁の把握している実数”だと言っている。)そして、驚くべきことには所得1億円で28.3%の所得税負担のピークになっており、所得10億円で22.9%、100億円で13.5%の所得税負担となって減額されている事実である。要するにすっきりした累進課税となっておらず、所得1億円のプチ金持ちが最大の税負担となっていて、いわゆる“金持優遇税制”になっている実態を示している。“放っておくと、金持ちが日本を出て行ってしまう”という議論は、全くの事実誤認であることだ。こうした“富裕層の租税回避”のしわ寄せは、中間所得層と低所得者層に来るのだ。
つまり、著者は日本の租税制度が実は非常に解り難いものになっていることを強調したかったようだ。『タックス・イーター』では、毎年改正される課税基準やサラリーマンの源泉徴収・年末調整は解り辛い愚民政策の結果だとも言っている。事実、この図の線は良く見ると直線や滑らかな曲線にはなっておらず、何故だが凸凹した直線で構成されているように見える。つまり、所得税は全体に一様な方針で税体系が決められているのではなく、ある所得の範囲毎に解り辛いパッチワーク的基準となっているのが実情なのだろう。従い、連続はするが局部的極大箇所に相当する金持は、専門家を雇ってでも必死に“節税”の手段を講じているはずだ。一般にこれで、“税負担の公平性”は担保されていると言えるのだろうか。大蔵官僚、否元財務官僚がこのような実態本を書いてよいのだろうか。否、否このような本にこそ真実が書かれているものと確信してその後読み進んだものだった。
そして、著者は“正直に税金を納めている市民の知らないところで、タックス・ヘイブンを舞台に所得分配の公平を著しく損なう悪事が行われているのである。”と続けて、煽るのだ。タックス・ヘイブンを利用して行われる悪事には、“・高額所得者や大企業による脱税・租税回避/・マネー・ロンダリング、テロ資金への関与/・巨額投機マネーによる世界経済の大規模な破壊”があると指摘している。
“タックス・ヘイブンとは一般に「税金がない国や地域」、あるいは「税金がほとんどない国や地域」をさす。ヘイブンhavenとはもともと「避難港」という意味の英語である。”具体的には、カリブ海の諸島(ケイマン、バハマ、バーミューダ、ブリティッシュ・バージン・アイランド等)、英国のブリテン島の近くの島(ジャージー、ガーンジー、マン島)、ロンドンのシティ、米国のデラウェア州、スイス、ルクセンブルグ、ベルギー、オーストリア等の欧州諸国、等であるという。
OECD租税特別委員会のタックス・ヘイブンとする基準によれば、“①まったく税を課さないか、名目的な税を課すのみ②情報交換を妨害する法制があること③透明性が欠如していること④企業などの実質的活動が行われていることを要求しないこと”である。OECD租税特別委員会はこの基準で、該当国、地域のブラックリストを作って公表しているとし、ほぼ先述の地域の名が書かれた表をこの本に掲載している。
しかし、英国のタックス・ヘイブンのシティについては、“(英国は)サッチャー首相の下、金融ビッグ・バンという一大規制緩和が行われたのをきっかけに、シティは大きな発展を遂げた。それに伴って、かつて「英国病」とまで言われ揶揄されつづけてきた英国経済は沈滞から抜け出した。シティの活力を削ぐような議論はいかなるものも許さない。英国政府の強い意志がひしひしと感じられた。”要するに、それは英国の国策の核心となっている。どうやら英国のHSBC(昔の香港上海銀行)も、国策に沿ってか歴史的にマネー・ロンダリング等怪しいことに深くかかわって来ていてる噂で有名なようだ。
それは場合によっては英国情報機関MI6の金融ツールにもなっているだろうし、著者はそれをにおわせてもいる。最近は、パナマ文書で各国政治権力者の秘密が暴かれているが、米国の政治家については全くその名が出ていないことや、中国の政治家が最も多いことから、米国陰謀説が言われ始めている。英国のキャメロン首相の名が出たのは、米国の意向に反して中国のAIIB設立に協力的だったためだと囁かれている。外交謀略の手段にも逆用されているようだ。
ついでながら、北朝鮮のマカオの銀行口座を米国政府が凍結できる仕組みもこの本で紹介してくれていて、ようやく理解できた。要するに基軸通貨ドルを使っている限り、取引決済はニュー・ヨークで行われるので、それが可能なのだ。
1987年以来“繰り返す金融危機”について、実需経済ではなくヘッジ・ファンド等をはじめとする金融マネーの余剰資金が害悪を及ぼしている結果であり、そういう状況が続く限り将来的に問題は解消しないと警告している。
しばしば出てくる台詞に、“アメリカでは日本のような確定決算主義とは異なって、企業会計と税務会計が互いに別方向を向いている。”という下りがあるが、どういうことかこの本だけではついには理解できていない。まぁ米国のことなので、十分な理解ができなても我々には当面問題はない。
しかし、現状の世界が変動相場制で上手く回っていると思っていたが、実は固定相場制で回そうと言う考え方もあるようだ。その中でヨーロッパのユーロ通貨をどう考えるべきなのだろう。こうした議論には、私は浅学で全く付いて行けない。そんなところで、消化不良のままこの『タックス・ヘイブン』を読み終えた。
この本の最後には次のように意味深長に指摘している。“「税は文明の対価である」というならば、税を支払う者には逆に、その対価としての「文明」が引き渡されなくてはならないはずである。ところが、タックス・ヘイブンはそうした「文明」の引き渡しを妨げ、さらには「文明」そのものに災厄をもたらしている。”(税には国民の所得再配分の役割があり、必要に応じ配分する正義に近付ける方法でもある。)そして、その災厄の原因は分かっているのだから、対策は行えるはずで、“「文明の対価」を受け取る立場の一般の納税者が問題の所在を正しく理解”する必要がある、としている。
『タックス・イーター』の“はじめに”では実は財政赤字をテーマにしていて、その大きな要因が“法を逆手にとって”国家財政に群がるシロアリつまりタックス・イーターであると言っている。著者はそういう実態を前に、国民の側の課税実態を良く知らないことを問題視し、現憲法に“納税の義務”を明文化していることを“奇異”だとまで言っている。それは、“憲法は、基本的人権を定める部分と統治の機構を定める部分”から成り立つべきもので、“国民の義務”を規定するものではないからと言いたいのだろう。さすが、法学部出身の卓見だ。
そして政府の提供する公共サービスと税との対価関係を良く見えない仕組みにし、そこに“付け込んで税を掠め取り、私腹を肥やす”輩が出て来ていると指摘している。その手段の第一が特別予算(略して「特会」)であると言う。しかもその規模は2013年度で185兆円。一般会計の96兆円のほぼ2倍に当たるが、国民の目はそこに十分及んでいない。
かつて、日本経済の高度成長期(1955~1973年)には税の自然増収があった。その増収分は“通常、三等分して使われた。三分の一は歳出増に使われ、三分の一は減税に使われ、残る三分の一は「その他のこと」につかわれた。「その他のこと」とは、いわゆるバラマキであり、国債が発行されるようになってからは減債基金(発行国債の後年度償還基金)の積み立てである。”このバラマキから“財政規律の弛緩を導くことになった”し、シロアリも増殖したのだろう。
そういう“慣習”のようなものが背景になった頃、為替が固定制(ドル・ペッグ)から変動相場制に移行したのだが、極度の円高恐怖症によって、不況対策として補正予算が組まれるようになり、その後不況の度にそれも慣習化して来た。こうしてますます不況の都度、市場から退出するべきオールド企業がゾンビのように生き残る構造となった、というのだ。現にこうして農業を筆頭に、最強と言われた電器産業や自動車産業ですら怪しい業況になって来ている。しかし、こうした補正予算の決算は国会でもきちんとしたけじめはつけられていないと著者は言っている。
財政にとって大きな問題は社会保険制度である。一般会計で計上されているのは30兆円だが、実際には支出ベースで100兆円を超えていて、今後毎年3~4兆円ずつ増える、という。これこそ年金特別会計の実態であり、保険料や自治体負担分を一旦集めてから給付する仕組にしている。こうして、国民年金の破綻を厚生年金と共済年金につけ回し、年金特会をくぐらせて、支払った保険料と受けられる給付との紐付けを判らなくする仕組みと言う。租税の愚民政策と同じ、“由らしむべし、知らしむべからず”だ。
真面目な著者は言う。“社会保障をめぐっては、所得分配の公正・公平、国民皆保険による高齢者支援、年金保険料を支払うことができない人の公的扶助など、さまざまな理念が唱えられている。しかし、こうした実態の下で、それらの理念を実現できるものであろうか。今の日本の問題は、国民が負担と給付の真の実態を知らされていないことである。したがって、厚労省は正確なデータを直ちに公表しなければならない。実態を正直に国民に知らせることが、社会保険制度改革の初めの一歩である。”
さらに著者は言う。“現在のように一般会計を中心に、特別会計、特殊法人、独立行政法人、その他の公企業などが複雑に入り組んでいる状況では、資金の流れを一覧できず、監視の目が行き届かない。なかでも特別会計という存在は、国際公会計基準から見ると、一覧性を阻害する大一要因である。特段の事情があるものだけに限定し、原則として予算はすべて一般会計に統合して一覧性を確保するべきである。”
著者・志賀氏は財政の執行状況をしっかりと確認し、不正なく消化されているか監視するべきだと指摘する。監視は当然のことだが、現状はこれがおざなりだという。国民の側もこれに関心を持って注目しようとしていない。予算委員会には注目が集まるが、過ぎ去ったことを審議する決算委員会に注目する報道は聞いたことが無い。
決算結果について、会計検査院がその権限をもっと発揮するべきだし、権限を強化するべきとも指摘する。“国会(両院)の議決に法的効果がない”ことも問題だ。つまり、“決算が、国会に提出されて決算委員会や本会議でどのような扱いになろうとも、なんら法的効果はなく、責任問題を生じることもない。”事実、1989年臨時国会の参議院本会議で「決算を承認しない」という議決がなされても、誰かが責任を問われたわけではない、という。
地方公共団体には住民訴訟の制度があって、財務に不正があって住民に不利益があった場合、訴訟が提起できるが、国に対してはそのような制度がないのは、合理性を欠くと指摘している。
それに関連して、“司法消極主義”の現状を批判もしている。“司法の役割のひとつには、多数決を前提とする民主主義的意思決定の中で、少数者の権利を保護するという重大な役割があるはずである。そうすると現下の裁判所の消極主義は、憲法の想定とは異なっている”という。これも卓見であるが、近代法学の常識であろうか。
現代日本では、近代法学の常識が通用しない社会になりつつあるような気がする。そういった正義論をベースに現状の日本の政治、財政、経済を語る正義漢が、既に亡くなっているのは、日本の大きな不幸のような気がする。
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