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ある日の朝日新聞夕刊 “ニッポン人・脈・記”

暑い、暑いと 感じ始めた 途端、そろそろ、また 日本の戦争にまつわる話題が 登場する季節となった。
先週の朝日新聞7月22日夕刊の“ニッポン人・脈・記「毒に愛嬌あり」”に “ひのまるは 血であがい”との見出しで、ある歌が紹介されていた。
にほんのひのまる
なだてあがい
かえらぬ
おがらむすこの ちであがい
山形県の農民詩人木村迪夫氏の祖母つゑさんが1946年5月末に突然歌い始めた歌だという。強烈な 反戦歌である。つゑさんの長男は 中国に出征していたが、知らせのあった1ヶ月前に現地で病死していたという。終戦は1945年だから その1年後に 捕虜として、どういう状況で亡くなったのかは書かれていない。その祖母は“3日3晩、泣き明かした後、ご詠歌の節回しで、心の奥底からわき出る言葉を即興的に歌い始めたのだ。それより前、次男が太平洋の孤島で戦死したことが伝えられた時、つゑは天皇陛下のため名誉の戦死をしたのだと赤飯を炊き、祝っている。”とあった。
木村迪夫氏が 詩集“わが8月15日”に “祖母のうた”という章をもうけ、祖母の独創になる歌を10編収録したという。

この詩集の写真を担当した内藤正敏氏は、つゑさんの“ひのまるのうた”を 死者を大切にする東北の風土が、この歌の背景にあると言っているという。
“インテリは反戦だとか、怨霊だとか頭で考えるから、こんな詩は生まれてこない。理屈や論理を超え、子を産む女が体で歌ったような怒り、毒がある。東北の婆が、ものの見事に国家の本質を突いている。”
木村迪夫氏と 顔なじみのノンフィクション作家・吉田司氏も 次のように評している、という。
“あの歌は個人の思いを超えている。日本人の息子の血で赤いばかりでなく、アジアの犠牲者2千万人の血で赤いとも、読み解くべきではないか。”

“日の丸”は 明治以来、法令で定めなくても国旗であったし、日本人自身を含めて誰もが そう認識して来た。そして、それが 一時 “血で赤くなった”のも歴史的事実だ。そういう 事実が原因で、一部の沖縄の人々にも嫌悪感を抱かせる旗となってしまった。こういう重い重い歴史的事実や過去は どうあがいても 変えられない。
だが、だからといって日本人は 日の丸を捨ててはならない。そういう負の事実も含めて日本の歴史である。日の丸を捨ることは、その歴史の負の部分も 無責任に投げ出すことを意味する。都合の悪い部分に目を閉ざし、忘れ去ることは人間として、許されることではない。そして、そのような歴史上の負の事実を直視し、できれば真実を確かめ、何故 そうなったのかを問い続ける姿勢が 必要なのだ。そういう負の部分も 含めて歴史は構成されているものだからだ。“ひのまるのうた”も 日の丸の真実の姿の側面を映しているのだ。
しかし、もちろん 良き伝統や成果もはぐくんで来た日本と日本人の歴史に 敬意を払い、“日の丸”を仰ぎ見る姿勢も 捨ててはならないと思うのだ。
“日の丸は 血で赤い”、日本と日本人は この事実も常に重く受け止めつつ、それでもなお世界の中で 胸を張って生き抜いて行くべきなのだ。日本人が 世界市民として生きる場合、そのルーツの象徴として“日の丸”に敬意を 払わなければならない。

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