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“大阪都構想”の是非
“大阪都構想”の是非がこの5月17日の住民投票で決着がつく、ということだ。“大阪”の住民ではない私には“どうでも良い問題”とタカをくくっていた。しかし一方では、青年期まで大阪で過ごし育ち多くの恩恵を受けたので、離れて神戸在住が長いがその将来には大いに興味がある。
とは言うものの、関西経済圏に居住する限りは、その最も中核となる“大阪”の将来は関西全体に及ぼす影響が絶大である。否、否、日本第2の都市“大阪”の将来は日本全体に及ぼす影響が結構大きいものとも見るべきなのだ。ある政治評論家だったと思うが、橋下氏率いる“維新”勢力がこの大阪で勝利すると、それが政界中央に及ぼす影響力は非常に大きくなるので5月17日の成り行きに注目しているとコメントしていた。つまり、現政権の改憲論議を有利にするため、“維新”勢力を利用して公明党を牽制するようになる、というのだ。
さらに、この度の統一地方選挙でも分かるように、大阪のリベラル勢力が“維新”の幻惑もあってか壊滅しているが、その傾向がさらに昂進することになる。これは、政治的には偏りのある極めて不健全な状態と見るべきではなかろうか。
そうした理由で、5月17日の“大阪都構想”住民投票に私も関心を示し始めていて、在阪テレビ局の解説番組や賛成・反対の討論番組、或いは新聞の解説記事には注目してきている。しかし、“お勉強”不足で情報垂れ流しのマスコミでは本質的な報道ができておらず、しかも情報を細切れにしたり、真実を含んだ情報を伝えてもそれは後日には残さないように慎重に報道している。それは“維新”派が勝利した場合に攻撃されないように備えてのことだろう。そこにマスコミの権力と戦う姿勢は見えず、一般大阪人には問題の本質が見えて来ない状況になっている。
そういう現状で“大阪都構想”を見た場合、橋下氏率いる“維新”派が大阪府側から大阪市を“単なる地方都市のくせに生意気でけしからん。あいつらが利権の巣窟だ。”と攻撃をしかけている構図のように映っている。そういうある種の利権争奪戦のように見えるだけに、“維新”派にも怪しげな印象がつきまとう。さりとて自民党を筆頭に反対しているいわゆる“旧勢力”こそには、利権の胡散臭さがつきまとってしまっている。しかも何よりも、“大阪”を現状のように衰退させてきたのは彼らの責任によるところが大きいように思える。そこで、“維新”こそは“大阪改革の旗手”ではないかと思う人々が橋下氏を支持して来た。いや、やっぱり橋下氏もその言動からして何だか心底信じられない。こういう“大阪人”は結構多いのではないだろうか。そこで“大阪”に関心を持つ私も、投票するつもりで総合的に“大阪都構想”を整理してみた。
私はこの問題の本質は、色々調べて行くに従い自治民主主義派と強権中央集権派の激突であると考えるようになった。即ち、都市自治体と地方自治体の戦いなのだ。都市自治体とは歴史的・社会的背景の重厚な大阪市である。地方自治体とは明治期以降の中央集権のための地方統治の人為的機構である都道府県庁、ここでは大阪府のことである。中央に対する地方の機構であり都市自治体の及ばない地域への補完機能を果たす。そして橋下氏はこの対立をより鮮明化させたものと考えられ、強権志向の橋下氏はこれを中央集権側から都市自治体を壊滅させようとしているものと思うようになった。彼の思考背景には道州制があり、これこそは都市自治体を根こそぎ破壊させるものである。
都市自治体には“中央”も“地方”もない。“自治”は自らで自立しておりそれ自身で中心だからだ。だから、“地方自治”という言葉は本来ありえない概念だ。しかし、明治以降都市自治体がカバーしきれない地域のために中央が統治の必要上、都道府県として作り上げた過渡的・人為的機構である。
ここで、“都市”とは“自然条件の下に交通の要衝に多数の人口が高度に集積し、商工業などが経済生活の主体をなす集合体のことで、人口の集積度の小さい農村に対立する概念”だと考えている。歴史的に見て民主主義は人口が高度に集積した都市の商工業者市民によって形成され、育まれて来た政治形態である。ギリシャのポリスや中世からルネッサンスを支えたイタリアの諸都市がその典型である。そうした自治と民主の伝統が近代の市民革命によって国民国家規模で開花し、民主主義が大きく文明の根幹となった。これが“(都市の)自治が民主主義の学校である”と言われる所以であり、歴史的背景である。(余計なことだが、城下町は農村から生まれた武家・封建権力と都市商工業者の折り合いによって生まれた過渡的都市形態であると見るべき。大坂には豊臣政権以外確固とした封建領主は存在せず。)
これに対し、都道府県制とは日本では幕藩体制後の近代中央集権国家による、都市自治体以外の空白地域を補完統治するために考え出された人為的機構である。道州制とは都道府県制を広域化して統治を効率化するものだ。
改革派と見えるにもかかわらず“維新”も胡散臭く思えるのは、当初から橋下氏は論点をズラしている感が強いこともある。そもそも、この騒動が“大阪都構想”となっているが、5月17日に賛成多数となっても大阪府は“大阪都”とはならない。だから“都構想”とは“不当表示”と言え、論点をズラす隠蔽工作のおもむきがあるがどうだろうか。元来、弁護士の出身の橋下氏が、こういう誤解を与える不正確な表示を平気で掲げさせるのは、好ましくないと思う。しかし、当の橋下氏自身が“その著書で「ウソつきは政治家と弁護士の始まり」と述べて”いるようなので、言動には要注意である。
とにかく橋下氏以下“維新”派は“大阪都”にすると、強弁しているがそのような立法の見通しは困難なようだ。何よりも、橋下氏と一時蜜月だった元都知事の石原氏自身が難色を示しており、他にも“大阪都”にする法案に賛成する勢力は大阪の“維新”以外に存在しない。下手をすると関東の“維新”派すら反対に回る可能性があるのではないか。
ここで改めて“大阪都構想”の本質とは何であろうか。最近、神戸の大きな書店店頭に平積みされていた、京都大学教授・内閣官房参与の藤井聡氏が書いた“大阪都構想が日本を破壊する”を読んでみた。概要は以下の通りだった。
(1) 今の「都構想」とは、「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」こと。
(2) 年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」する。
(3) 流出した2200億円の多くが,大阪市「外」に使われる可能性が非常に高い。
(4) 特別区の都との人口比は東京は「7割」だが、大阪府との人口比は「たった3割」
(5) 東京23区の人々は「東京市」が無いためで「損」をしている。
(6) 東京の繁栄は「都」という仕組によるのではなく、「一極集中の賜(たまもの) 」である。
(7) 「都構想」に精力が削がれて府や市の官僚が自治体の成長戦略を描く機会を喪失している。
ここで、気懸りは(2)と(3)である。この本によればどうやらこれが最大の問題のように思うのだが、年間2200億円の算定根拠が具体的に示されず、ただ協定書を読めばわかる、とだけ言っていて、これでは解説になっていない。肝心な部分がブラインドでは、橋下氏と同じ手法だ。だがこの点については朝日新聞も5月9日付の解説記事では現状の東京都が23区から8000億円召上げているのと比較して1900億円と算定しているので、2000億円前後の召上げは適切な想定なのだろう。(これは重要な問題だが私の知る範囲でテレビ等での議論ではこの問題は論じられていない。)(3)は、そのような余剰金が出てくるのならば、負債の多い大阪府はそれを埋め合わせに使われる可能性が高いのは当然だろう。この説明に藤井教授は多くの紙幅を費やしているが、算定根拠を示す方が重要ではないか。(4)は(3)の主張を説明するための一つの論拠を示したに過ぎない。つまり府議会で多数を占めるのは旧大阪市選出の府会議員ではないので、2200億円の余剰金は旧大阪市のために使用される可能性は低くなる、という主張だ。(5)は明確な根拠を挙げて主張している訳ではない。世田谷区長の発言を例として引用している程度だ。しかし、私もネット上に東京23区の特別区協議会のホーム・ページがあり、ある種の一体性・統一性を常に検討していることは承知していたので理解できる。(6)については、新幹線の配置に注目しているのには括目した。確かに新幹線は東京に東北各地からと、上信越さらに北陸、東海道・山陽から多数全国から集中している。これに対して、大阪は東海道と山陽の結節点にあるものの1本しかなく、東京への通過点にしかなっていない。しかも本来、北陸は関西圏であったが今春の新線開通により、東京圏へ奪われた。さらに関西圏であるべき四国へは新幹線は未だ無い。これでは、西の拠点としての関西・大阪の地盤沈下は当然であろう。これは政府中央の政官一体の“「一極集中」の賜(たまもの)”の一例である。「補助金行政」も東京集中の大きな要因になっていると私は考えるが、その点はここでは触れていない。この“都構想”騒ぎで(7)も深刻な影響を受けている。京都や神戸はそれぞれ成長戦略を推進して着々と実績を重ねているが、大阪からはバブル後の成長戦略は一切聞こえて来ず、有効な実績も無さそうだ。その間、大阪の成長資源は衰亡して既に空洞化している印象すらある。
以上で、この本によれば “大阪都構想”の本質とは(1)の“要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」こと”に在るということであろうか。となると、それで大阪市民の本来享受するべき権利・利益が確保できるかどうかが重要な論点となろう。
また、(2)に関連して大阪府と大阪市の間に利害相反があるのなら、この問題を大阪市民だけで決めて良い問題だろうか、とも思う。しかしそうなると、(4)の効果が働いて有無を言わさず“大阪都構想”は賛成多数となってしまう。それでは大阪市民の稼ぎを非大阪市民の府民が奪い取る多数の横暴になるので、それは“許せない”という議論は公平であろう。やっぱり大阪市民で決める現行ルールが今回は妥当、と思わざるを得ない。
“大阪都構想”についてはネット上では立命館大学教授の村上宏氏の報告書が目立つ。これは少々古い2011年の報告書で未だ堺市が“都構想”の包含対象となるかどうか、不明の時期に書かれてはいるが、“大阪都構想”のメリットも含めて適切に論点整理しているように思える。しかし、その論調は反橋下である。“大阪都構想”の提起した問題点に対し“大阪の競争力、二重行政等の非効率、区への住民参加の3点セットが重要課題”だとしていて、現状の“大阪”の問題を指摘していて納得性が高い。そこに掲げられた図に“大阪都”モデルと現行の政令指定都市、海外の特別市のイメージを掲げているものがある。これは“都構想”の本質をイメージするには有益に思うので下に紹介する。
世界の都市との規模比較については、私も急遽ネットで調べてみた。なので数字の信頼性はともかく、概要としてのイメージ作りには役立つだろう。これによれば、大阪市には国際的に見ても東京23区ほどの特異点は見当たらないことが分かる。そして、橋下氏の台詞“大阪市は統治困難な巨大都市である。”がウソであることも分かる。
ここで、大阪市行政の非効率性について村上教授は、2004~2008年(平成6~20年)のデータを用いて、大阪市の“人件費以上に扶助費(福祉関係)の歳出が指定都市平均を上回る”、つまりどちらかというと貧困層に優しい自治体であり、“大阪市の「人口1人当たり人件費・物件費」は指定都市の平均より2割強大きく第1位ですが,改善(削減)されつつあり”、“大阪市の財政運営はやや「ぜいたく」だが、非常にというわけではなく、かつ抑制されつつある”と評価している。また、債務状況の程度に関して、“大阪市は人口(常住人口)約260万人にくらべて昼間人口が約360万人と大きく、それに対する行政サービス(地下鉄,道路,各種用地費,ゴミ処理など)が膨張する”不利があるが、“これを計算に入れると、大阪市の数値は、名古屋,神戸,京都などにかなり近づきます。また、上の総務省資料でも分かるように、大阪市は職員数や給与水準を削減し”て来た。先の藤井教授も2002~2014年のデータを示して大阪市、大阪府の累積債務の推移について2002年両者ともに5兆円強あったものが、2014年見込みで大阪府約6.5兆円、大阪市約4.7兆円と開きが出てきている。何故か“維新”派が長らく拠点とした大阪府は単純増加しているが、大阪市は減少させて来ている。このような状態で“財政運営の多少の非効率を理由に、ある重要な自治体の廃止を主張するのは、あまりに短絡的で前例もありません。それは地方自治の価値を考えない、「ある制度に問題があれば全否定する」過激派の論理”と言えると、村上教授は評している。こうなると大阪市の現状の何がいけないのか、となる。
“維新”派が“都構想”を示すにあたって強く主張しているのが“二重行政”問題であるが、藤井教授の本によると、“維新”派は当初年間4000億円節約可能と言っていたが、府市で調査検証したところ155億円となり、直近の議会答弁では1億円にまで減額してしまったという。
トーンダウンした今も残っている“二重行政”問題について、毎日放送のテレビ番組でも取り上げていたが、それをベースにまとめたのが、下の表である。港湾管理を除いて“何だこんなことに「二重行政」で目くじら立てるのか”と思える程度のものだ。こんなことならば、全国どこにでも多数問題があり、それが各地の財政問題となっているはずだが。特に、大学が府市それぞれに在って問題というのなら、国立の大阪大学も府内に存在するが、それは“三重行政”と言うべきだろうか。“維新”派の言いがかりにしか見えない。MBSテレビ番組では、病院の統廃合は市民サービス低下に直結する問題になっていて、“維新”派の思うようには進んでいない、と報道していた。また市立病院で昔全国的に有名だった桃山病院は合理化の対象となって今はもうない。大阪市はここでも既にそれなりに改革を実施し、努力している。
“三重行政”と言えば、藤井教授が問題提起している。例えば、国民健康保険や介護保険、水道事業等は市解体後の5つの区役所では一体的運用が困難になり非効率になるのでその事業毎に専門的な組合を構成して運営することになると、“都構想”では計画されていると指摘している。そうなると様々な分野が重なる問題が生じた時、場合によっては住民の利便性が低下することもあり、事業組合、区役所に府庁も加わって“三重行政”が出現する可能性があると言うのだ。このような分野が、4事業分野、住民情報系7システム、福祉施設、市民利用施設、医療・斎場・霊園施設管理、財産管理等6400億円の規模で存在するとのことである。
“大阪都構想”が実現・実施となると初期費用に600億円必要とされる。“大部分は庁舎にかかる424億円だ。さらに住民票の取得などに使われるシステムの改修費150億円のほか、住所が変わることによる表示板の張り替えや、新設される特別区議会の備品購入などの経費9億円も含まれる。特別区になってからもシステムの運用などで年20億円かかる見通し。”という。
それ以外に、ランニング・コストとして区議会議員の報酬や定数をどうするのか、初期投資より気懸りだ。そこで現状の市会議員の報酬や定数はどうなっているのか調べてみて、下表に示す。これで見ても、意外にも現状の大阪市が特に問題となるような点は認められない。議員報酬は高いようだが、その分定数は少ない。住民一人当たりの報酬負担も不当には高くない。むしろ効率的に運営されている印象を持つ。しかし、5区に分割後は政策課題に対し議論する議員定数は見合うようにできるであろうか。また議員報酬のレベルは引き下げられるようであり、それでこれまでのような人材レベルを確保できるであろうか、若干疑問だ。同じことは議員ばかりでなく官僚の側にも起きるのだろうか。
早稲田大学教授・片木淳氏は“都構想”についての論説文(“公営企業”2012)の冒頭で次のように言っている。“孔子は、子路に政治を訊かれ、「必ずや名を正さんか。」と答えたという。・・・政策の定義を明らかにし、論理的な説明ができなければ、目的は実現できないということを指摘したものである。為政者の以て銘とすべき点であることは、今日においても変わらないものといえよう。”また“(「維新」派は)多くの国民・住民に過大な期待を抱かせてこれを扇動し、自らの望む方向に誘導、動員”していないか。“これを批判的に論評することこそ、学者、マスコミ等の責務であるということができよう。”とも言っている。
また同教授は関西経済圏の低迷の要因を“都構想”は明らかにせず、その改革との論理的関連性も明らかにしていないと論難している。つまり暗に、橋下氏は“名を正している”とは言えないと言っているのだ。そして逆に力のある基礎自治体は都道府県並みの権限を持つ“特別自治市”へ格上することこそ、活性化への道であり、それは世界的潮流であると言う。これは村上教授の大都市モデルの“特別市”と共通している。これがドイツ大都市制度研究の専門家の意見だ。
ここまで反“大阪都構想”の参考文献ばかりの引用だと言われるかもしれないが、提案に対する問題点を知るには先ずは反対意見を検証するのが適切であろう。しかも、賛成意見の文献は少ない。だが、ここで一つ企業コンサルタント上山信一氏によるものを見つけたので紹介する。同氏は“自らをグローバル人材と呼ぶ”ことをギャグにしている“維新”応援団の1人である。自治体と企業ではその成り立ちが基本的に異なるように思うので少々違和感はある。実際に読んでみても、そういう点がひっかかって素直には読めなかった。つまり企業改革の逸話が述べられ、後半から大阪市の成り立ちについて書かれてはいるが、少々情緒的であり具体的な問題点とその解決策が書かれているものではなかった。
そこで、大阪維新の会のホーム・ページで都構想Q&Aを頼りとすることにした。一部割愛して紹介するが、完全に知りたければ実際にHPを開いて確認していただきたい。
最重要点、“大阪市の権限・財源が、大阪府に吸い取られるの?”に対し、“そもそも、大阪市民は大阪府民でもあり、広域行政サービスの実施主体が大阪市から大阪都に移ったとしても、実施主体が異なるだけで、同様のサービスを受けられる限り市民に不利益はありません。今までの大阪府と大阪市で多くの税金を、バラバラに無駄に使い二重行政を行ってきた不幸な過去を見直すものです。”と通り一遍の説明をしている。東京都の例を引いて約2000億円の召上げについては言及しない。
“二重行政のせいで、どれくらいの税金がムダになったの?”に対しては、目減りした“二重行政”の財政効果について“例えば、大阪府はりんくうゲートタワービルに659億円、大阪市はWTCに1,193億円の税金を投入しましたが、どちらの事業も破綻しました。それ以外にも二重にムダな税金が費やされてきた施設、プロジェクトは枚挙にいとまがないくらいです。こうした「お金のムダ」を無くすのが大阪都構想です。”と、“二重行政”とは関係のない、否“二重行政”でなくても生じる見通しの甘い投資活動を非難している。これは論点のすり替えである。
“水道事業やごみ焼却事業を実施するため一部事務組合を設立することは三重行政にならないの?”に対しては、“府、特別区、一部事務組合が担う事務は明確に役割分担されており、三重行政との指摘は的外れです。民営化が検討されている水道事業や、特別区がそれぞれで担うのは非効率なごみ焼却事業を、特別区の水平連携で担うのが一部事務組合制度です。大阪府下でも、多くの市町村が一部事務組合を設立し、これらの業務を行っています。”と原則論で済ませている。藤井教授らが疑問とした点には意識的に触れていない。ここに誤魔化しがある。原則論で済むのなら、Q&Aなど不要である。そして、言語明瞭にしてウソばかりの橋下氏の本質の一端が見えて来る。
結論的に言うと、私は大阪府という機構はある面中央集権のための装置であり、歴史的社会的背景のある自治都市の空白空間を埋める補完的、過渡的機構であると考えている。それに対し、大阪市という存在は江戸期には“天下の台所”として或いはそれ以前からの平城京、平安京への入口としての機能を果たすべく人口集積があったという重厚な歴史的背景を有しており、その結果としての現状の大阪市の存在と形態があり得ている。こうした歴史的背景を持った大阪市を解体して、むしろ人為的な機構に集約強化するのは、都市自治を阻害する中央集権的対応だと思う。ある意味、都市自治や民主主義の発露を破壊する強権的意図とも勘ぐれる。それはむしろ橋下氏には似つかわしい発想とも言えるかも知れない。
つまるところ、私はこうした財政的効果も薄い“大阪都構想”改革には反対である。大阪市には“都構想”を否決決着させ、早く将来戦略を描いて、京都・神戸に追いつき、早急に関西広域連合も充実させて欲しい。
とは言うものの、関西経済圏に居住する限りは、その最も中核となる“大阪”の将来は関西全体に及ぼす影響が絶大である。否、否、日本第2の都市“大阪”の将来は日本全体に及ぼす影響が結構大きいものとも見るべきなのだ。ある政治評論家だったと思うが、橋下氏率いる“維新”勢力がこの大阪で勝利すると、それが政界中央に及ぼす影響力は非常に大きくなるので5月17日の成り行きに注目しているとコメントしていた。つまり、現政権の改憲論議を有利にするため、“維新”勢力を利用して公明党を牽制するようになる、というのだ。
さらに、この度の統一地方選挙でも分かるように、大阪のリベラル勢力が“維新”の幻惑もあってか壊滅しているが、その傾向がさらに昂進することになる。これは、政治的には偏りのある極めて不健全な状態と見るべきではなかろうか。
そうした理由で、5月17日の“大阪都構想”住民投票に私も関心を示し始めていて、在阪テレビ局の解説番組や賛成・反対の討論番組、或いは新聞の解説記事には注目してきている。しかし、“お勉強”不足で情報垂れ流しのマスコミでは本質的な報道ができておらず、しかも情報を細切れにしたり、真実を含んだ情報を伝えてもそれは後日には残さないように慎重に報道している。それは“維新”派が勝利した場合に攻撃されないように備えてのことだろう。そこにマスコミの権力と戦う姿勢は見えず、一般大阪人には問題の本質が見えて来ない状況になっている。
そういう現状で“大阪都構想”を見た場合、橋下氏率いる“維新”派が大阪府側から大阪市を“単なる地方都市のくせに生意気でけしからん。あいつらが利権の巣窟だ。”と攻撃をしかけている構図のように映っている。そういうある種の利権争奪戦のように見えるだけに、“維新”派にも怪しげな印象がつきまとう。さりとて自民党を筆頭に反対しているいわゆる“旧勢力”こそには、利権の胡散臭さがつきまとってしまっている。しかも何よりも、“大阪”を現状のように衰退させてきたのは彼らの責任によるところが大きいように思える。そこで、“維新”こそは“大阪改革の旗手”ではないかと思う人々が橋下氏を支持して来た。いや、やっぱり橋下氏もその言動からして何だか心底信じられない。こういう“大阪人”は結構多いのではないだろうか。そこで“大阪”に関心を持つ私も、投票するつもりで総合的に“大阪都構想”を整理してみた。
私はこの問題の本質は、色々調べて行くに従い自治民主主義派と強権中央集権派の激突であると考えるようになった。即ち、都市自治体と地方自治体の戦いなのだ。都市自治体とは歴史的・社会的背景の重厚な大阪市である。地方自治体とは明治期以降の中央集権のための地方統治の人為的機構である都道府県庁、ここでは大阪府のことである。中央に対する地方の機構であり都市自治体の及ばない地域への補完機能を果たす。そして橋下氏はこの対立をより鮮明化させたものと考えられ、強権志向の橋下氏はこれを中央集権側から都市自治体を壊滅させようとしているものと思うようになった。彼の思考背景には道州制があり、これこそは都市自治体を根こそぎ破壊させるものである。
都市自治体には“中央”も“地方”もない。“自治”は自らで自立しておりそれ自身で中心だからだ。だから、“地方自治”という言葉は本来ありえない概念だ。しかし、明治以降都市自治体がカバーしきれない地域のために中央が統治の必要上、都道府県として作り上げた過渡的・人為的機構である。
ここで、“都市”とは“自然条件の下に交通の要衝に多数の人口が高度に集積し、商工業などが経済生活の主体をなす集合体のことで、人口の集積度の小さい農村に対立する概念”だと考えている。歴史的に見て民主主義は人口が高度に集積した都市の商工業者市民によって形成され、育まれて来た政治形態である。ギリシャのポリスや中世からルネッサンスを支えたイタリアの諸都市がその典型である。そうした自治と民主の伝統が近代の市民革命によって国民国家規模で開花し、民主主義が大きく文明の根幹となった。これが“(都市の)自治が民主主義の学校である”と言われる所以であり、歴史的背景である。(余計なことだが、城下町は農村から生まれた武家・封建権力と都市商工業者の折り合いによって生まれた過渡的都市形態であると見るべき。大坂には豊臣政権以外確固とした封建領主は存在せず。)
これに対し、都道府県制とは日本では幕藩体制後の近代中央集権国家による、都市自治体以外の空白地域を補完統治するために考え出された人為的機構である。道州制とは都道府県制を広域化して統治を効率化するものだ。
改革派と見えるにもかかわらず“維新”も胡散臭く思えるのは、当初から橋下氏は論点をズラしている感が強いこともある。そもそも、この騒動が“大阪都構想”となっているが、5月17日に賛成多数となっても大阪府は“大阪都”とはならない。だから“都構想”とは“不当表示”と言え、論点をズラす隠蔽工作のおもむきがあるがどうだろうか。元来、弁護士の出身の橋下氏が、こういう誤解を与える不正確な表示を平気で掲げさせるのは、好ましくないと思う。しかし、当の橋下氏自身が“その著書で「ウソつきは政治家と弁護士の始まり」と述べて”いるようなので、言動には要注意である。
とにかく橋下氏以下“維新”派は“大阪都”にすると、強弁しているがそのような立法の見通しは困難なようだ。何よりも、橋下氏と一時蜜月だった元都知事の石原氏自身が難色を示しており、他にも“大阪都”にする法案に賛成する勢力は大阪の“維新”以外に存在しない。下手をすると関東の“維新”派すら反対に回る可能性があるのではないか。
ここで改めて“大阪都構想”の本質とは何であろうか。最近、神戸の大きな書店店頭に平積みされていた、京都大学教授・内閣官房参与の藤井聡氏が書いた“大阪都構想が日本を破壊する”を読んでみた。概要は以下の通りだった。
(1) 今の「都構想」とは、「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」こと。
(2) 年間2200億円の大阪市民の税金が市外に「流出」する。
(3) 流出した2200億円の多くが,大阪市「外」に使われる可能性が非常に高い。
(4) 特別区の都との人口比は東京は「7割」だが、大阪府との人口比は「たった3割」
(5) 東京23区の人々は「東京市」が無いためで「損」をしている。
(6) 東京の繁栄は「都」という仕組によるのではなく、「一極集中の賜(たまもの) 」である。
(7) 「都構想」に精力が削がれて府や市の官僚が自治体の成長戦略を描く機会を喪失している。
ここで、気懸りは(2)と(3)である。この本によればどうやらこれが最大の問題のように思うのだが、年間2200億円の算定根拠が具体的に示されず、ただ協定書を読めばわかる、とだけ言っていて、これでは解説になっていない。肝心な部分がブラインドでは、橋下氏と同じ手法だ。だがこの点については朝日新聞も5月9日付の解説記事では現状の東京都が23区から8000億円召上げているのと比較して1900億円と算定しているので、2000億円前後の召上げは適切な想定なのだろう。(これは重要な問題だが私の知る範囲でテレビ等での議論ではこの問題は論じられていない。)(3)は、そのような余剰金が出てくるのならば、負債の多い大阪府はそれを埋め合わせに使われる可能性が高いのは当然だろう。この説明に藤井教授は多くの紙幅を費やしているが、算定根拠を示す方が重要ではないか。(4)は(3)の主張を説明するための一つの論拠を示したに過ぎない。つまり府議会で多数を占めるのは旧大阪市選出の府会議員ではないので、2200億円の余剰金は旧大阪市のために使用される可能性は低くなる、という主張だ。(5)は明確な根拠を挙げて主張している訳ではない。世田谷区長の発言を例として引用している程度だ。しかし、私もネット上に東京23区の特別区協議会のホーム・ページがあり、ある種の一体性・統一性を常に検討していることは承知していたので理解できる。(6)については、新幹線の配置に注目しているのには括目した。確かに新幹線は東京に東北各地からと、上信越さらに北陸、東海道・山陽から多数全国から集中している。これに対して、大阪は東海道と山陽の結節点にあるものの1本しかなく、東京への通過点にしかなっていない。しかも本来、北陸は関西圏であったが今春の新線開通により、東京圏へ奪われた。さらに関西圏であるべき四国へは新幹線は未だ無い。これでは、西の拠点としての関西・大阪の地盤沈下は当然であろう。これは政府中央の政官一体の“「一極集中」の賜(たまもの)”の一例である。「補助金行政」も東京集中の大きな要因になっていると私は考えるが、その点はここでは触れていない。この“都構想”騒ぎで(7)も深刻な影響を受けている。京都や神戸はそれぞれ成長戦略を推進して着々と実績を重ねているが、大阪からはバブル後の成長戦略は一切聞こえて来ず、有効な実績も無さそうだ。その間、大阪の成長資源は衰亡して既に空洞化している印象すらある。
以上で、この本によれば “大阪都構想”の本質とは(1)の“要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」こと”に在るということであろうか。となると、それで大阪市民の本来享受するべき権利・利益が確保できるかどうかが重要な論点となろう。
また、(2)に関連して大阪府と大阪市の間に利害相反があるのなら、この問題を大阪市民だけで決めて良い問題だろうか、とも思う。しかしそうなると、(4)の効果が働いて有無を言わさず“大阪都構想”は賛成多数となってしまう。それでは大阪市民の稼ぎを非大阪市民の府民が奪い取る多数の横暴になるので、それは“許せない”という議論は公平であろう。やっぱり大阪市民で決める現行ルールが今回は妥当、と思わざるを得ない。
“大阪都構想”についてはネット上では立命館大学教授の村上宏氏の報告書が目立つ。これは少々古い2011年の報告書で未だ堺市が“都構想”の包含対象となるかどうか、不明の時期に書かれてはいるが、“大阪都構想”のメリットも含めて適切に論点整理しているように思える。しかし、その論調は反橋下である。“大阪都構想”の提起した問題点に対し“大阪の競争力、二重行政等の非効率、区への住民参加の3点セットが重要課題”だとしていて、現状の“大阪”の問題を指摘していて納得性が高い。そこに掲げられた図に“大阪都”モデルと現行の政令指定都市、海外の特別市のイメージを掲げているものがある。これは“都構想”の本質をイメージするには有益に思うので下に紹介する。
世界の都市との規模比較については、私も急遽ネットで調べてみた。なので数字の信頼性はともかく、概要としてのイメージ作りには役立つだろう。これによれば、大阪市には国際的に見ても東京23区ほどの特異点は見当たらないことが分かる。そして、橋下氏の台詞“大阪市は統治困難な巨大都市である。”がウソであることも分かる。
ここで、大阪市行政の非効率性について村上教授は、2004~2008年(平成6~20年)のデータを用いて、大阪市の“人件費以上に扶助費(福祉関係)の歳出が指定都市平均を上回る”、つまりどちらかというと貧困層に優しい自治体であり、“大阪市の「人口1人当たり人件費・物件費」は指定都市の平均より2割強大きく第1位ですが,改善(削減)されつつあり”、“大阪市の財政運営はやや「ぜいたく」だが、非常にというわけではなく、かつ抑制されつつある”と評価している。また、債務状況の程度に関して、“大阪市は人口(常住人口)約260万人にくらべて昼間人口が約360万人と大きく、それに対する行政サービス(地下鉄,道路,各種用地費,ゴミ処理など)が膨張する”不利があるが、“これを計算に入れると、大阪市の数値は、名古屋,神戸,京都などにかなり近づきます。また、上の総務省資料でも分かるように、大阪市は職員数や給与水準を削減し”て来た。先の藤井教授も2002~2014年のデータを示して大阪市、大阪府の累積債務の推移について2002年両者ともに5兆円強あったものが、2014年見込みで大阪府約6.5兆円、大阪市約4.7兆円と開きが出てきている。何故か“維新”派が長らく拠点とした大阪府は単純増加しているが、大阪市は減少させて来ている。このような状態で“財政運営の多少の非効率を理由に、ある重要な自治体の廃止を主張するのは、あまりに短絡的で前例もありません。それは地方自治の価値を考えない、「ある制度に問題があれば全否定する」過激派の論理”と言えると、村上教授は評している。こうなると大阪市の現状の何がいけないのか、となる。
“維新”派が“都構想”を示すにあたって強く主張しているのが“二重行政”問題であるが、藤井教授の本によると、“維新”派は当初年間4000億円節約可能と言っていたが、府市で調査検証したところ155億円となり、直近の議会答弁では1億円にまで減額してしまったという。
トーンダウンした今も残っている“二重行政”問題について、毎日放送のテレビ番組でも取り上げていたが、それをベースにまとめたのが、下の表である。港湾管理を除いて“何だこんなことに「二重行政」で目くじら立てるのか”と思える程度のものだ。こんなことならば、全国どこにでも多数問題があり、それが各地の財政問題となっているはずだが。特に、大学が府市それぞれに在って問題というのなら、国立の大阪大学も府内に存在するが、それは“三重行政”と言うべきだろうか。“維新”派の言いがかりにしか見えない。MBSテレビ番組では、病院の統廃合は市民サービス低下に直結する問題になっていて、“維新”派の思うようには進んでいない、と報道していた。また市立病院で昔全国的に有名だった桃山病院は合理化の対象となって今はもうない。大阪市はここでも既にそれなりに改革を実施し、努力している。
“三重行政”と言えば、藤井教授が問題提起している。例えば、国民健康保険や介護保険、水道事業等は市解体後の5つの区役所では一体的運用が困難になり非効率になるのでその事業毎に専門的な組合を構成して運営することになると、“都構想”では計画されていると指摘している。そうなると様々な分野が重なる問題が生じた時、場合によっては住民の利便性が低下することもあり、事業組合、区役所に府庁も加わって“三重行政”が出現する可能性があると言うのだ。このような分野が、4事業分野、住民情報系7システム、福祉施設、市民利用施設、医療・斎場・霊園施設管理、財産管理等6400億円の規模で存在するとのことである。
“大阪都構想”が実現・実施となると初期費用に600億円必要とされる。“大部分は庁舎にかかる424億円だ。さらに住民票の取得などに使われるシステムの改修費150億円のほか、住所が変わることによる表示板の張り替えや、新設される特別区議会の備品購入などの経費9億円も含まれる。特別区になってからもシステムの運用などで年20億円かかる見通し。”という。
それ以外に、ランニング・コストとして区議会議員の報酬や定数をどうするのか、初期投資より気懸りだ。そこで現状の市会議員の報酬や定数はどうなっているのか調べてみて、下表に示す。これで見ても、意外にも現状の大阪市が特に問題となるような点は認められない。議員報酬は高いようだが、その分定数は少ない。住民一人当たりの報酬負担も不当には高くない。むしろ効率的に運営されている印象を持つ。しかし、5区に分割後は政策課題に対し議論する議員定数は見合うようにできるであろうか。また議員報酬のレベルは引き下げられるようであり、それでこれまでのような人材レベルを確保できるであろうか、若干疑問だ。同じことは議員ばかりでなく官僚の側にも起きるのだろうか。
早稲田大学教授・片木淳氏は“都構想”についての論説文(“公営企業”2012)の冒頭で次のように言っている。“孔子は、子路に政治を訊かれ、「必ずや名を正さんか。」と答えたという。・・・政策の定義を明らかにし、論理的な説明ができなければ、目的は実現できないということを指摘したものである。為政者の以て銘とすべき点であることは、今日においても変わらないものといえよう。”また“(「維新」派は)多くの国民・住民に過大な期待を抱かせてこれを扇動し、自らの望む方向に誘導、動員”していないか。“これを批判的に論評することこそ、学者、マスコミ等の責務であるということができよう。”とも言っている。
また同教授は関西経済圏の低迷の要因を“都構想”は明らかにせず、その改革との論理的関連性も明らかにしていないと論難している。つまり暗に、橋下氏は“名を正している”とは言えないと言っているのだ。そして逆に力のある基礎自治体は都道府県並みの権限を持つ“特別自治市”へ格上することこそ、活性化への道であり、それは世界的潮流であると言う。これは村上教授の大都市モデルの“特別市”と共通している。これがドイツ大都市制度研究の専門家の意見だ。
ここまで反“大阪都構想”の参考文献ばかりの引用だと言われるかもしれないが、提案に対する問題点を知るには先ずは反対意見を検証するのが適切であろう。しかも、賛成意見の文献は少ない。だが、ここで一つ企業コンサルタント上山信一氏によるものを見つけたので紹介する。同氏は“自らをグローバル人材と呼ぶ”ことをギャグにしている“維新”応援団の1人である。自治体と企業ではその成り立ちが基本的に異なるように思うので少々違和感はある。実際に読んでみても、そういう点がひっかかって素直には読めなかった。つまり企業改革の逸話が述べられ、後半から大阪市の成り立ちについて書かれてはいるが、少々情緒的であり具体的な問題点とその解決策が書かれているものではなかった。
そこで、大阪維新の会のホーム・ページで都構想Q&Aを頼りとすることにした。一部割愛して紹介するが、完全に知りたければ実際にHPを開いて確認していただきたい。
最重要点、“大阪市の権限・財源が、大阪府に吸い取られるの?”に対し、“そもそも、大阪市民は大阪府民でもあり、広域行政サービスの実施主体が大阪市から大阪都に移ったとしても、実施主体が異なるだけで、同様のサービスを受けられる限り市民に不利益はありません。今までの大阪府と大阪市で多くの税金を、バラバラに無駄に使い二重行政を行ってきた不幸な過去を見直すものです。”と通り一遍の説明をしている。東京都の例を引いて約2000億円の召上げについては言及しない。
“二重行政のせいで、どれくらいの税金がムダになったの?”に対しては、目減りした“二重行政”の財政効果について“例えば、大阪府はりんくうゲートタワービルに659億円、大阪市はWTCに1,193億円の税金を投入しましたが、どちらの事業も破綻しました。それ以外にも二重にムダな税金が費やされてきた施設、プロジェクトは枚挙にいとまがないくらいです。こうした「お金のムダ」を無くすのが大阪都構想です。”と、“二重行政”とは関係のない、否“二重行政”でなくても生じる見通しの甘い投資活動を非難している。これは論点のすり替えである。
“水道事業やごみ焼却事業を実施するため一部事務組合を設立することは三重行政にならないの?”に対しては、“府、特別区、一部事務組合が担う事務は明確に役割分担されており、三重行政との指摘は的外れです。民営化が検討されている水道事業や、特別区がそれぞれで担うのは非効率なごみ焼却事業を、特別区の水平連携で担うのが一部事務組合制度です。大阪府下でも、多くの市町村が一部事務組合を設立し、これらの業務を行っています。”と原則論で済ませている。藤井教授らが疑問とした点には意識的に触れていない。ここに誤魔化しがある。原則論で済むのなら、Q&Aなど不要である。そして、言語明瞭にしてウソばかりの橋下氏の本質の一端が見えて来る。
結論的に言うと、私は大阪府という機構はある面中央集権のための装置であり、歴史的社会的背景のある自治都市の空白空間を埋める補完的、過渡的機構であると考えている。それに対し、大阪市という存在は江戸期には“天下の台所”として或いはそれ以前からの平城京、平安京への入口としての機能を果たすべく人口集積があったという重厚な歴史的背景を有しており、その結果としての現状の大阪市の存在と形態があり得ている。こうした歴史的背景を持った大阪市を解体して、むしろ人為的な機構に集約強化するのは、都市自治を阻害する中央集権的対応だと思う。ある意味、都市自治や民主主義の発露を破壊する強権的意図とも勘ぐれる。それはむしろ橋下氏には似つかわしい発想とも言えるかも知れない。
つまるところ、私はこうした財政的効果も薄い“大阪都構想”改革には反対である。大阪市には“都構想”を否決決着させ、早く将来戦略を描いて、京都・神戸に追いつき、早急に関西広域連合も充実させて欲しい。
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