The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
努力の結果の不運に思うこと
傷心に じっと手を見る。
そして最近 伸び上がって来た運命線をなぞってみる。
手相が変われば運命は 変わると言う。しかし、我が運命に変化の兆はない。
手のシワに運命が左右されるとは、実にバカバカしい迷信だ。
努力しても、それはムダなことであると この歳になってようやく知った。
若い時に この諦観を知ってしまうと、何もできなくなるかも知れない。
可能性がなくなって はじめて知るべき人生の真実なのだろう。
しかし、何かをすることに どんな意味があるというのか。
仏陀は 言った。人生に意味はない、と。意味があると思うから不幸になるのだ。
我が 努力は他人に利用されるのだ。我に 適切な報酬が戻ることはない。
この世は 誰かを搾取するためにある。少数が搾取し、大勢は搾取される対象なのだ。
自然に そうなっている場合もあるし、嵌められる場合もある。
だから、大抵の人の人生は パッとしない。それが 平凡というものなのか。
いずれにせよ、嵌められたとは 結果を知って始めて解かること。
だが、知った時は すでに遅い。時間は取り戻せない。
世の中に 神も仏もありはしない。自分に都合の良い神や仏は居ないのだ。
孔子は言った。怪力乱心を語らず。まして、守護霊など ある訳がない。
だが、世の中には 神も仏や 守護霊を語る者がいる。
彼らは 迷える人々を 嵌めているのだ。一時の 夢を与えているのだ。
変な夢を 与えられるよりは、不運を 受け入れさせられる、それが、救済と 言うものだろう。
現実にあるのは 意味のない現実存在と運命だけだ。
それは 個の努力では 抗いようのないものなのだ。
オリオン座の星が まもなく爆発するという。その後の星占いはどうなるのか。
星の配列に意味はない。手のシワにも意味はないのだ。
やっぱり、人生に意味はないし、怪力乱心を語らずが 正しい態度なのだ。
絶え間ない努力をして その果てに不幸な死を遂げる人もいる。
坂の上には 必ずしも 雲はない。だが足元には 石ころも 穴もある。
雲も、石ころも 穴も 運命なのだ。
平凡な人生でも つまずかずに歩く絶え間ない努力のプロセスなのだ。
禍福は糾える縄 とは言い難い。禍福は 一様には存在しない。その偏在が 運命なのだ。
今、この瞬間、そこに生きている現実存在は 努力では どうしようもない運命なのだ。
だから、世の中に 神も仏もありはしない。
このように個人の努力は 必ずしも成功には至らない。
その成功は 運命の下にあり、しかも その確率は低く、不幸に至ることもある。
だから個人の努力が虚しいのは 人生の真実なのだ。
しかし、集団の努力は奇跡を生む。
日本の戦後の経済的成功は 敗戦で傷心の日本人の不屈の努力の結果だった。
生物の進化は 種という集団の意志と努力の結果だ。
鳥類が 空を飛べるのも、鯨が深海を潜れるのも 種の意志と努力の結果だ。
集団の努力は 虚しい個人の努力の集合体なのだ。
その虚しい個人の努力の集積は 奇跡的成功を生むのだ。
累々たる不幸と、不運の犠牲の果てに 奇跡的成功があるのだ。
だから、努力は尊いのだ。個人の努力の放棄は 反社会的なのだ。
世の中に 神も仏もありはしない、という妄言は反社会的なのだ。
そして最近 伸び上がって来た運命線をなぞってみる。
手相が変われば運命は 変わると言う。しかし、我が運命に変化の兆はない。
手のシワに運命が左右されるとは、実にバカバカしい迷信だ。
努力しても、それはムダなことであると この歳になってようやく知った。
若い時に この諦観を知ってしまうと、何もできなくなるかも知れない。
可能性がなくなって はじめて知るべき人生の真実なのだろう。
しかし、何かをすることに どんな意味があるというのか。
仏陀は 言った。人生に意味はない、と。意味があると思うから不幸になるのだ。
我が 努力は他人に利用されるのだ。我に 適切な報酬が戻ることはない。
この世は 誰かを搾取するためにある。少数が搾取し、大勢は搾取される対象なのだ。
自然に そうなっている場合もあるし、嵌められる場合もある。
だから、大抵の人の人生は パッとしない。それが 平凡というものなのか。
いずれにせよ、嵌められたとは 結果を知って始めて解かること。
だが、知った時は すでに遅い。時間は取り戻せない。
世の中に 神も仏もありはしない。自分に都合の良い神や仏は居ないのだ。
孔子は言った。怪力乱心を語らず。まして、守護霊など ある訳がない。
だが、世の中には 神も仏や 守護霊を語る者がいる。
彼らは 迷える人々を 嵌めているのだ。一時の 夢を与えているのだ。
変な夢を 与えられるよりは、不運を 受け入れさせられる、それが、救済と 言うものだろう。
現実にあるのは 意味のない現実存在と運命だけだ。
それは 個の努力では 抗いようのないものなのだ。
オリオン座の星が まもなく爆発するという。その後の星占いはどうなるのか。
星の配列に意味はない。手のシワにも意味はないのだ。
やっぱり、人生に意味はないし、怪力乱心を語らずが 正しい態度なのだ。
絶え間ない努力をして その果てに不幸な死を遂げる人もいる。
坂の上には 必ずしも 雲はない。だが足元には 石ころも 穴もある。
雲も、石ころも 穴も 運命なのだ。
平凡な人生でも つまずかずに歩く絶え間ない努力のプロセスなのだ。
禍福は糾える縄 とは言い難い。禍福は 一様には存在しない。その偏在が 運命なのだ。
今、この瞬間、そこに生きている現実存在は 努力では どうしようもない運命なのだ。
だから、世の中に 神も仏もありはしない。
このように個人の努力は 必ずしも成功には至らない。
その成功は 運命の下にあり、しかも その確率は低く、不幸に至ることもある。
だから個人の努力が虚しいのは 人生の真実なのだ。
しかし、集団の努力は奇跡を生む。
日本の戦後の経済的成功は 敗戦で傷心の日本人の不屈の努力の結果だった。
生物の進化は 種という集団の意志と努力の結果だ。
鳥類が 空を飛べるのも、鯨が深海を潜れるのも 種の意志と努力の結果だ。
集団の努力は 虚しい個人の努力の集合体なのだ。
その虚しい個人の努力の集積は 奇跡的成功を生むのだ。
累々たる不幸と、不運の犠牲の果てに 奇跡的成功があるのだ。
だから、努力は尊いのだ。個人の努力の放棄は 反社会的なのだ。
世の中に 神も仏もありはしない、という妄言は反社会的なのだ。
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