The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
シー・シェパード
先日、エコロジカル・フット・プリントの本を パラパラめくっていて、ふっと思った。果たして、牧場は 環境負荷は軽いと言えるのだろうか。というのは その前に “家畜の排出するCO2ガスが問題になっている。”という 環境金融の専門家の一言がひっかかったのだ。もちろん、その家畜のゲップが問題なのだ、という話は以前にも聞いたことがある。ゲップにはCO2ガスよりはるかに温暖化効果の高いメタン・ガスが含まれているので問題だと言うのは まぁ そんなものなのかなぁ、という感想だったが、今や家畜の呼気そのものが問題になっているとは 知らなかったのだ。その専門家は“今、全世界に500億頭の家畜が居るということなので、その家畜が吐く息そのものが問題となるのは 当然でしょう。”と言っていた。
いよいよ 話は そこまで来たのか、という印象だ。
温暖化が問題で、それが人為的排出CO2ガスの増加によるものだという説が幅を利かせ、なおかつ環境オタク達にファナティックに主張されるようになると、それが 様々な規制に 影響が及んで来るのではないかという懸念はあったが、とうとう ここまで来たのかという思いだ。
そうなると、のどかな牧場風景と言えば、“環境に優しい”というイメージがあるが、そうでもないのではないか、と思える。
家畜に矛先が向いている内は 未だ ましだが、それが人間に及ぶようになると深刻な問題になるのではないかと思う。つまり、環境負荷の大きな人、つまり物理的に身体の大きい人に矛先が向かい、人間に炭素税ならぬ、身体的炭素負荷税の課税となることになるかも知れないと思うのだ。身体が大きければ それだけ食料も余分に消費するだろうし、排泄も多い、当然 呼気もその分多い。普通の人より その生存が より大きな環境負荷になっているのだ。それだけ、その存在が 公益を害することになる。そう思うと、電車の中で 身体の大きい者がドッカリ座って傍若無人に振舞うのを見るとイライラさせられるところだが・・・。身体的炭素負荷税とは、考えすぎだろうか。
閑話休題。
環境問題をファナティックに叫ぶと言えば、環境テロで有名な シー・シェパードを思い出すが、アディ・ギル号大破のその後は どうなったのか 報道が全くないので 私は よく知らない。彼らは 自分たちに有利な場所で、訴訟に持ち込もうと活動するだろう。
しかし、彼らこそ 国際的にも問題団体ではあるようだ。アメリカ連邦捜査局(FBI)などの各国の治安当局によりテロ組織(エコテロリスト)の1つとして監視下に置かれていたりしているらしい。
一方では 彼らを支援している著名人や 企業、団体もあるようだ。そこには 欧米人の日本人への人種的偏見も ないまぜの根深い意識としてあるのは事実のようだ。ロスアンジェルス・タイムズがそう指摘している記事を ジャパンタイムズが掲載していたのを見たことがある。したがって、訴訟となれば 中々問題が解決しない事態に陥る可能性はある。
そこで、彼らが言いがかりを付け難いように 日本側も理論武装することが必要だと考えるが 政府は、そのような準備をしているのだろうか。“鯨を 可愛い、と言うが 牛は可愛くないのか”などとうそぶいてみても あまり効果的ではない。
19世紀に 鯨を乱獲したのは 欧米人ではなかったか、などと言ってみても 現在の話ではないので これも説得力は 非常に乏しい。
ここで、冒頭で 取上げたエコロジカル・フット・プリントを使うのが いかにもsmartな 反論になるのではないかと思われるがいかがだろう。すなわち、日本人の食生活のエコロジカル・フット・プリントと 欧米人のそれを比較して見せることだ。そこに 鯨肉の計算も含めてみることだ。牛肉を多く食べている欧米人の食事の 地球環境負荷は 日本人のそれに比べて相当に高いのではないか、と思うのだが どうだろうか。
エコロジカル・フット・プリントを持ち出せば 欧米人の環境オタクにも 多少は影響を与えることができるように思うのだ。
いずれにせよ 狂信的な人というものは 扱いが難しいので 困ったものであるし、それが “環境”などと 誰もが直ちには反論し難い問題で 極端な行動や暴力に訴えられると 非常に悩ましい、迷惑なこととなる。したがって、彼らの論理に乗っかって論理的に 説得するべきではないか。
いよいよ 話は そこまで来たのか、という印象だ。
温暖化が問題で、それが人為的排出CO2ガスの増加によるものだという説が幅を利かせ、なおかつ環境オタク達にファナティックに主張されるようになると、それが 様々な規制に 影響が及んで来るのではないかという懸念はあったが、とうとう ここまで来たのかという思いだ。
そうなると、のどかな牧場風景と言えば、“環境に優しい”というイメージがあるが、そうでもないのではないか、と思える。
家畜に矛先が向いている内は 未だ ましだが、それが人間に及ぶようになると深刻な問題になるのではないかと思う。つまり、環境負荷の大きな人、つまり物理的に身体の大きい人に矛先が向かい、人間に炭素税ならぬ、身体的炭素負荷税の課税となることになるかも知れないと思うのだ。身体が大きければ それだけ食料も余分に消費するだろうし、排泄も多い、当然 呼気もその分多い。普通の人より その生存が より大きな環境負荷になっているのだ。それだけ、その存在が 公益を害することになる。そう思うと、電車の中で 身体の大きい者がドッカリ座って傍若無人に振舞うのを見るとイライラさせられるところだが・・・。身体的炭素負荷税とは、考えすぎだろうか。
閑話休題。
環境問題をファナティックに叫ぶと言えば、環境テロで有名な シー・シェパードを思い出すが、アディ・ギル号大破のその後は どうなったのか 報道が全くないので 私は よく知らない。彼らは 自分たちに有利な場所で、訴訟に持ち込もうと活動するだろう。
しかし、彼らこそ 国際的にも問題団体ではあるようだ。アメリカ連邦捜査局(FBI)などの各国の治安当局によりテロ組織(エコテロリスト)の1つとして監視下に置かれていたりしているらしい。
一方では 彼らを支援している著名人や 企業、団体もあるようだ。そこには 欧米人の日本人への人種的偏見も ないまぜの根深い意識としてあるのは事実のようだ。ロスアンジェルス・タイムズがそう指摘している記事を ジャパンタイムズが掲載していたのを見たことがある。したがって、訴訟となれば 中々問題が解決しない事態に陥る可能性はある。
そこで、彼らが言いがかりを付け難いように 日本側も理論武装することが必要だと考えるが 政府は、そのような準備をしているのだろうか。“鯨を 可愛い、と言うが 牛は可愛くないのか”などとうそぶいてみても あまり効果的ではない。
19世紀に 鯨を乱獲したのは 欧米人ではなかったか、などと言ってみても 現在の話ではないので これも説得力は 非常に乏しい。
ここで、冒頭で 取上げたエコロジカル・フット・プリントを使うのが いかにもsmartな 反論になるのではないかと思われるがいかがだろう。すなわち、日本人の食生活のエコロジカル・フット・プリントと 欧米人のそれを比較して見せることだ。そこに 鯨肉の計算も含めてみることだ。牛肉を多く食べている欧米人の食事の 地球環境負荷は 日本人のそれに比べて相当に高いのではないか、と思うのだが どうだろうか。
エコロジカル・フット・プリントを持ち出せば 欧米人の環境オタクにも 多少は影響を与えることができるように思うのだ。
いずれにせよ 狂信的な人というものは 扱いが難しいので 困ったものであるし、それが “環境”などと 誰もが直ちには反論し難い問題で 極端な行動や暴力に訴えられると 非常に悩ましい、迷惑なこととなる。したがって、彼らの論理に乗っかって論理的に 説得するべきではないか。
コメント ( 1 ) | Trackback ( )
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もっとも、クジラは死後深海に沈むことで、海中にCO2を封じ込めるという説もあります。でも、バイオマス的には、プランクトンなどのほうがはるかに大きく、まあ、ある種のクジラは沈まないようですが。
貴説には十分に説得力がありと思います。とくに日本の古くからのライフスタイルはサイクルを重んじて、一方的とも言える略奪文化の欧米型ライフスタイルよりは、きっと環境にやさしい気がしますね。