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“知的な痴的な教養講座”

私は個人的には2月以来まだ、サントリー・カルチャーを引きずっています。この本は、ご存知かどうか、あのサントリーのコピーライターだった開高健の随筆です。というか、昔 開高が絶頂期だった頃、私は同氏の本に馴染まなかったというか、そのレベルに達する余裕がなかったという潜在的反省によるものかも知れません。時代遅れの読書です。
この本の内容は ほぼ1970~80年代の頃の話題が中心です。なので 当時の空気を知らないと微妙なところが完璧には理解できないのではないか、という懸念を持ちます。ですが、私には逆に 当時のことを思い起こされて懐かしい印象です。

この本のイメージは かつての“男の世界”つまりタバコと酒の匂いを背景にした趣向・趣味のカッコヨサといったところです。
読んでみて 面白い。文庫本の裏表紙に“1ページに一度はニヤリと笑い、ウーンと唸ります。”と書かれていますが、実にその通りです。書かれている内容は 森羅万象、タブーもなく取り上げられています。下半身にまつわる話題も多い。第一話にしてしかり。“潮吹き”の話もあります。しかし、決して下品に堕していない。上手い書き方、こんな表現法があるのだ、と改めて感心させられます。
この本は、集英社の週刊誌に連載された記事の製本化、さらには文庫本化したもののようです。

私にも“ノブレス・オブリュージュ”は気懸かりな言葉の一つですが、著者の具体的イメージが面白く紹介されています。
“貴族というのは、つね日ごろは庶民の汗の上にあぐらをかいて、チンタラ、チンタラお城で暮らして美女と戯れ、美酒を飲み、美食に耽ったり、美音に耽ったり、遊ぶことに情念を傾けていたのだが、いったん緩急あって祖国が危機に瀕すると、とたんに女と寝ていたベッドからガバとばかりにはね起き、すがる女の手を振りほどき、二日酔いをかなぐりすて、鎧兜に身をかため、「ハイヨー!」と大声を発し全軍のまっ先かけて突進していった。危機の中へまっ先かけて突進する。”
これが 具体的イメージだということです。
恐らく、“突進して、目覚しい戦功をあげる。”まで続くのでしょうが、実際には “チンタラ、グータラ”生活で軟弱化した肉体では“二日酔いをかなぐりすて、鎧兜に身をかため、全軍のまっ先かけて突進する”のは 非常に困難で、普通の人は “鎧兜に身をかため”たとたん、ヨロヨロと崩れるのが関の山。なので、日頃の精進潔斎の努力が 必要です。その姿勢に ストイックさが出てくるのですが、ここのイメージは実は それの上を行っているのです。つまり、“グータラ”生活しているかのように振る舞いつつも ツボを心得て見えないところで努力している。それがカッコイイ、といった感覚です。この努力“いったん緩急”あって、始めて実を結ぶのですが、“いったん緩急”が無ければ、単なる“グータラ”男としての評価しか残らない、が それで良い!というカッコヨサもあります。
さらに 付け加えれば“いったん緩急”が有って、“目覚しい戦功”を 挙げられず 野たれ死ぬかもしれないが、それまでいい目をしたのだから、それで良い!という、イサギヨサも含まれるのです。

まぁ、こういったところなのですが、この本に恐ろしい迫力ある記述が一箇所あります。
“私はどうも、漱石が好きになれん。『吾輩は猫・・・・・・』はおもしろいが、へたくそな小説家だと思うし、特に有名になってからは、無理矢理、自分を難しくしちゃってる。”
と言っています。ドナルド・キーンも開高の見解を聞いて“ホッとしましたよ”と言ったとか。小宮豊隆、寺田寅彦、獅子文六も同じ意見だったという。“やっぱり目のある人はいるんだよ。”

80年代当時では 未だあまり語られていなかった 異常気象や アマゾンの原生林の山焼きの危うさ、核戦争の危機、についても語っています。

タブーなど全く無く、自由と自信にあふれています。博覧強記の天才が語る森羅万象ですが、その背景には こんな ジョンブル的“男の世界”が 横溢している、一種独特の雰囲気のカイコー・ワールドでした。

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