The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
中川毅著・新書“人類と気候の10万年史―過去に何が起きたのか、これから起こるのか”を読んで
安部政権の支持率はやはりフリーフォールの様相。そこに起きた期待の女性閣僚のみじめな事実上の更迭。この遅すぎる対応にますます、支持率は低下するように思われる。そして、それが国家防衛の実力組織に与えた害悪は当面消えることのない禍根となって残る。そこに残る政府組織への影響は意外に甚大で深刻なものではないか。
そもそも、この女性の一体何に首相は有為を感じたのでろうか。元々国会での質問でも口汚い罵りを含める品格のない人柄だった。弁護士でありながら、どうやら法の背景にある考え方への理解欠如、或いは法知識そのものの不足、さらには弁護士として職業柄当然記憶しているはずの法廷出席状況の忘却すらあった。これでは、この人物の何が信頼できるのか、全く分からない。つまり普通なら出来るだけ付き合いたくない、御近付きも願い下げたいような御仁だ。これを安倍氏は将来の宰相と見込んだようなのだ。そんな人物を見る目のない安倍氏そのものが信頼できる人物とは全く思えない。
このように何せ政策が問題なのではなく、人柄が原因での支持率低下は、国会答弁での振る舞いを改めるような表面的なことだけでは押しとどめられるものではない。にもかかわらず、閉会中審査での対応は私には意外だった。“信なくば立たず”が信条だったはずなので、これまでの振る舞いも当然のこと、信念に基づいているから変えられないものと思ったからだ。そこまでいい加減な信念だとは思っていなかった。なにもかも全てが“その言や虚なり”だったのだ。微塵も“信”など在り得なかった、にもかかわらず“立った”いい加減な人物なのだ。何のために“立った”のかは不明だ。
だがこれからの対応では弥縫策であっても、“誠意ある対応”が求められるのだ。それは疑惑まみれの政治決定を“白紙撤回”することに外ならない。だが、どうやら御当人はそこまで深刻な事態とは理解していない様子だ。否、“白紙撤回”それ自体が政権崩壊につながると考えているのではないか。この政治決定は未だこれから正式決定となる途上にあるので、今後文科省の“大学設置・学校法人審議会”で“忖度”なしでどのような決定がなされるのか、注目される。
首相の汚職が強く疑われ、その人格が問われる問題だ。安倍氏の祖父は、直接手を下さず“濾過機”を使うのを旨としていたが、そこまで悪知恵は働かなかったようだ。安倍氏の思惑に関わらず、間違いなく政権は崩壊へと進展する。
こうした政権の虚を突くように、北はミサイルを発射した。しかもその性能は向上しているという。前回の実験から1ヶ月を満たない期間で改良したミサイルを発射し、日本のEEZ内に撃ち込んだのだ。これに対し、日本のJアラートはどのような改善が見られたであろうか。的確にどの領域に落下するのか、果たして事前に予測し警告を発することはできたのであろうか。私がニュースを見る限りにおいて“発射されたようです”の言葉が続いて、ある程度時間がたってようやく“落下した模様です”としか言わず、具体的に何処に落下したのか特定した推測に言及しなかった。同じような対応でやり過ごしていては、いずれ数か月以内に実際に国民が住んでいる地域に落ちてからであってもなお、“落下した模様です”としか言えない状態になるのではないか。もしそうであれば、現在のミサイル迎撃態勢そのものに疑問があることになる。
EEZ内に落下すると見られれば、これは国民と国家に重大な危害を及ぼす問題であるとして、直ちに超法規的処置つまり迎撃を実施するべきではなかったか。日頃の“国民の生命財産を守る”という安倍氏の台詞も、徹底して虚言であったのだ。もしそれが出来ていればここで政権浮揚に絶大な威力を発揮したと思われるにもかかわらず、なのだ。結局何もできない御仁なのだ。安倍氏の民族派、ナショナリストという評価も嘘なのだろう。何でこんな下らない人物が首相になったのか。
否、振り返ってみれば、日米韓いずれも怪しい人物が政治のトップにある。これが国際的流行とは情けない。ジョンウンに舐められるのは当然の成り行きだ。背景のロシアはそうやって米国の影響力を少しずつ削いで行っているのだ。
否々、日本では腐敗した保守に替わる受け皿がないという深刻な政治状況にある。リベラル勢力はとうの昔に崩壊している。日本には健全な政治状態が整わないのは何故なのか。どうすればこの閉塞を改善できるのか、何が問題なのか誰がその答えを持っているのか。だからこそ、日本が世界に枢要な地位を占めることができないのではないか。
日本人に哲学や思想的原則がないまま、社会に出ている人が殆どであるからではないかと思われる。無宗教者が殆どを占める社会なのだ。正に“信なくとも”首相になれる社会なのだ。この社会を変えるのは大変なことだ。
7月初めにISO9001審査員資格の移行準備のため東京のISO審査員教育機関に研修会出席のため赴いた。その道中、新幹線車中で渡辺淳一著の“仁術先生”を読み終えて、講談社ブルーバックスの“人類と気候の10万年史”も読みかじっていたが、先週ようやく読了したので、今回はそれを紹介したい。
この著者は中川毅[ナカガワタケシ]氏。紹介によれば次の通り。
1968年、東京都生まれ。1992年、京都大学理学部卒業。1998年、エクス・マルセイユ第三大学(フランス)博士課程修了。Docteur en Sciences(理学博士)。国際日本文化研究センター助手、ニューカッスル大学(英国)教授などを経て、現在は立命館大学古気候学研究センター長。専攻は古気候学、地質年代学。
この本を読みたいと思ったのは、その副題“過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか”、このコピーそのものに魅かれたのだ。そして帯には、“人類はたいへんな時代を生きてきた。わずか数年で7℃の温暖化、かたや今より10℃も寒冷化、海面が100メートル変動し、異常気象が続いた時代も。世界中の研究者が注目、日本発「年代の目盛り」が明らかにした驚きの地球気候史!”とある。これらのコピーは現在の気候温暖化通説に少しでも疑問を感じている者にとっては、極めて刺激的ではないか。特に地球史上の気候変動についての解説書は殆ど一般の世界には出ていない。実際に読んでみて、その内容・表現は非常に魅力的であり、どんどん喰い付いて行けるものだった。というのは、この著者の表現・説明は極めてよく計算されていて、間接的に現在の気候通説を徹底的に論難していると言えるのではないか。
たとえば、5億年弱前から現代までの温暖~寒冷気候の変化図(岩石の酸素同位体分析による)では、変動は認められるものの“きわめて温暖な時代があったいっぽうで、ある限度以上の温暖化はいちども起こっていない”との説明が付けられている。しかも直近1億年以内の動きは寒冷化に向かっており、我々が洗脳されている直近数百年の気候動向とは異なった傾向を示している。“たとえば今から1億年前から7000万年前頃の地球は今よりはるかに暖かく、北極にも南極にもいわゆる氷床が存在しなかった。これは、IPCCが予測する100年前後の地球よりもはるかに温暖な状態である。”と淡々と語る。1億年前から7000万年前頃は恐竜時代であろうか。
次に示される図は、500万年前から現代に至る気候(気温)変動図である。(この図は世界各地の海底の泥の酸素同位体比から復元とある。)この図は、激しいハンチング(短期間の大きな変動)が近年に至るにしたがって大きくなっていることが認められ、しかもその振幅の上下限界線と中央線に下降する傾向がある。つまり、この図でも大局的に見て温暖化ではなく、寒冷化に向かっているものと見えるのだ。この図で著者は“5000万年前には、地球上のどこにも、南極や北極にさえも、氷河は存在していなかった。それが300万年前くらいから、ときどき顕著に寒い時代が到来するようになった。・・・はじめは「やや涼しい」くらいだったのが、時代が進むにつれて氷期の寒さも厳しくなっていった。このような傾向が見られることの原因には未解明の部分も多く残っているが、ヒマラヤ山脈が隆起したことと、地球と太陽の位置関係が変化したことが重要だとする考え方が有力である。”と言っている。
その次の図は、私個人にとっては以前に見た、東北大学理学部の示していた南極フジ・ドームでの氷の分析に基づく直近30万年の気候変動とよく似た印象の図である。ここで示された図は過去80万年の変動図であって、私が見た図よりも長期にわたっている。図の説明では“南極の氷に含まれる酸素と水素の同位体比から復元した”とあるので、データの出元は同じか極めて近いと思われるので、似たものとなっているのだろう。
この図の説明は次のようである。
“現代は例外的に温暖な時代であることが分かる。現代と同等あるいはそれより暖かい時代は、全体の1割ほどしかない。残りの9割はすべて「氷期」である。・・・数十万年のスケールで見た場合、「正常」な状態とは氷期のことであり、現代のような温暖な時代は、氷期と氷期の間に挟まっている例外的な時代に過ぎない。”
“図をよく見ると、氷期と温暖な時代にはある種のリズムがる。最近のおよそ1万年間は温暖な時代だが、そのひとつ前の温暖期はおよそ10万年前、もうひとつ前の温暖期は20万年前だった。同様のピークは30万年、40万年、50万年前頃にも認められる。つまり温暖な時代は、驚くほど等間隔に、10万年ほどの時間をおいて繰り返している。”
この著者の説明に付け加えると、現代はその温暖化のピークに近付きつつあり、IPCCの指摘通りまだまだ温暖化が継続して行くのか、何らかのこれまで同様の地球気候のメカニズムにより寒冷化に向かうのかの分岐点に近付いているか、どちらかであると言える段階のようだ。この著者はそこまで言及はしていないのだが。
著者は、この“氷期と温暖な時代にはある種のリズム”を周期が10万年のミランコビッチ・サイクルによるものとデータの相関を示して言っている。(気温変化と地球公転軌道・離心率の変化)
このように時間スケールをどのように取るかで地球の気候変動イメージは少しずつ、或いは大きく異なると言える。少なくとも、IPCCのように高々数百年スケールでの温暖化議論は気候学の変動を語る上での姿勢としては疑問が多いことが分かる。現に、1970年当時は学者の間では寒冷化が懸念されていたと著者は言っている。(当時はそんな議論があったことは私は知らなかった。)これは現状の傾向を単にそのまま単純延長して未来予測する人間の傾向にあるのではないか、とも洗練された言い回しで指摘している。(リーマン・ショックは予測できなかったが、AIでは可能だろうか。)
この後 著者は次のような指摘をしている。自然界のある種のリズムは原理的には簡単なメカニズムによって引き起こされるものと見て良いが、この簡単なメカニズムが複数加わると結構複雑なパフォーマンスを引き起こすということだ。
例えば、極めて単純な力学要素を構成していると考えられる二重振り子の挙動である。この挙動の再現性は非常に困難ということ。それは微妙な初期条件の違いでその後の動きが全く異なることを指摘している。
またこの逆に、単純な数式モデルをコンピュータにインプットすると初めはランダムな結果を示すものが、やがて一斉に同じ結果となって反応する現象になることがあるという。乱雑な状態と、安定した状態が不規則に現れるのだという。規則性が全くない。これを“カオス的遍歴”と数学では言っているとのこと。
こうした現象があるという科学的エピソードをわざわざ提示したのは、気候変動をコンピュータ・シミュレーションで推計し、示すことの科学性への疑問に言及したかったのではないか。モデルの設定によっては、蝶の羽ばたきが嵐の原因になるというエピソードも聞いたことがある。現実に気象予報で使われているコンピュータ・シムレーションを100年先の気候変動に使っていると聞いたこともあるが、1週間先の気象予報が不正確であるにもかかわらず、100年先の気候予測が正しいと言えるのかという単純な推測もある。つまりは計算結果がある種の暴走の結果であることも考えられるのだ。気候変動のコンピュータ・シミュレーション結果を真面目に受け取らない方が良いのは当然のことなのだろう。
その後、話は福井県にある三方五湖のひとつ“水月湖の年縞”に及ぶ。年縞とは、堆積物が地層のように積み重なり縞模様を成しているもので、樹木の年輪に相当するようだが、詳しくは本書をはじめこの著者の書物にある。2012年に水月湖の年縞が、世界の年代測定の基準つまり“標準時計”になり、世界中の研究が、その年代特定で“水月湖の年縞”を参照するようになったという。このプロジェクトに着手したのが安田喜憲氏であり、それを引継いで成果を挙げたのが著者だということ。
その調査で分かったこと。それを“水月湖の15万年の気候の歴史”の図に示している。ミランコビッチ・サイクルにもかかわる地軸の歳差運動による日照量変化と気候変動を対比して示している。15~14万年前までは氷期であり、その後温暖化が進み、12万年後にピークとなる。この挙動は地軸の歳差運動が先行して変化していて、その後も2万3千年毎に温暖化ピークと寒冷化を4回繰り返しついに2万年前の最寒冷が今より10℃低い氷期に至る。そこから地軸歳差運動による日照量が上昇すると共に温暖化が始まり現代に至っている。この温暖化が進行し安定化した8千年前から人類の農耕文明が隆盛し、人類の繁栄が始まった。
ところがその直後から、地軸歳差運動による日照量が下降しているとデータは示しているのだ。これが大いに疑問となっているという。南極の氷からの分析によれば、8千年前からCO2とメタンの大気中の増加が既に認められるという。この原因は“アジアにおける水田農耕の普及とヨーロッパにおける大規模な森林破壊”にあると主張する学者がいるとのこと。こうなると、CO2とメタンの大気中の増加は産業革命以降の問題ではなく、人類文明そのものによっていることになる。果たして何が問題なのか分からなくなってくる。
著者は、こういった点に結論は示していない。人類の文明論的な課題であると言える。しかし地球史上寒冷期が普通であるにもかかわらず、現状は異様に長い温暖期の継続があり、なお既にその寒冷化に向かっている過程にあるにもかかわらず、そうなっていないのは問題である。寒冷化すれば現代農耕文明の崩壊は明らかで、そうなれば食糧争奪戦争が始まるのは間違いない。食糧の絶対量が少なくなれば、呑気に“援助”などは口にできなくなる。
著者は100億人の100億個の脳細胞で問題解決できるのではないか、と言って締め括っている。少々無責任だが、こうしか言えないのが現実だ。決して温暖化が喫緊の問題ではないのだ。
猛暑の夏の現実に苦しみながら温暖化は問題ない、と言えるのか・・・だが私は最近上空に度々出現する寒気団が気懸りなのだ。これが集中豪雨やそれに伴う雷の頻発や雹の落下の原因になっている。特に先日の東京に降った大きな雹は大いに気懸りだ。かつて真夏に雹が降ることはなく、天気予報に寒気団の登場が話題になることはなかったように思うからだ。これこそが寒冷化の前兆ではあるまいか。或いは丸山茂徳氏の指摘するメカニズムが起動するのであろうか。
そもそも、この女性の一体何に首相は有為を感じたのでろうか。元々国会での質問でも口汚い罵りを含める品格のない人柄だった。弁護士でありながら、どうやら法の背景にある考え方への理解欠如、或いは法知識そのものの不足、さらには弁護士として職業柄当然記憶しているはずの法廷出席状況の忘却すらあった。これでは、この人物の何が信頼できるのか、全く分からない。つまり普通なら出来るだけ付き合いたくない、御近付きも願い下げたいような御仁だ。これを安倍氏は将来の宰相と見込んだようなのだ。そんな人物を見る目のない安倍氏そのものが信頼できる人物とは全く思えない。
このように何せ政策が問題なのではなく、人柄が原因での支持率低下は、国会答弁での振る舞いを改めるような表面的なことだけでは押しとどめられるものではない。にもかかわらず、閉会中審査での対応は私には意外だった。“信なくば立たず”が信条だったはずなので、これまでの振る舞いも当然のこと、信念に基づいているから変えられないものと思ったからだ。そこまでいい加減な信念だとは思っていなかった。なにもかも全てが“その言や虚なり”だったのだ。微塵も“信”など在り得なかった、にもかかわらず“立った”いい加減な人物なのだ。何のために“立った”のかは不明だ。
だがこれからの対応では弥縫策であっても、“誠意ある対応”が求められるのだ。それは疑惑まみれの政治決定を“白紙撤回”することに外ならない。だが、どうやら御当人はそこまで深刻な事態とは理解していない様子だ。否、“白紙撤回”それ自体が政権崩壊につながると考えているのではないか。この政治決定は未だこれから正式決定となる途上にあるので、今後文科省の“大学設置・学校法人審議会”で“忖度”なしでどのような決定がなされるのか、注目される。
首相の汚職が強く疑われ、その人格が問われる問題だ。安倍氏の祖父は、直接手を下さず“濾過機”を使うのを旨としていたが、そこまで悪知恵は働かなかったようだ。安倍氏の思惑に関わらず、間違いなく政権は崩壊へと進展する。
こうした政権の虚を突くように、北はミサイルを発射した。しかもその性能は向上しているという。前回の実験から1ヶ月を満たない期間で改良したミサイルを発射し、日本のEEZ内に撃ち込んだのだ。これに対し、日本のJアラートはどのような改善が見られたであろうか。的確にどの領域に落下するのか、果たして事前に予測し警告を発することはできたのであろうか。私がニュースを見る限りにおいて“発射されたようです”の言葉が続いて、ある程度時間がたってようやく“落下した模様です”としか言わず、具体的に何処に落下したのか特定した推測に言及しなかった。同じような対応でやり過ごしていては、いずれ数か月以内に実際に国民が住んでいる地域に落ちてからであってもなお、“落下した模様です”としか言えない状態になるのではないか。もしそうであれば、現在のミサイル迎撃態勢そのものに疑問があることになる。
EEZ内に落下すると見られれば、これは国民と国家に重大な危害を及ぼす問題であるとして、直ちに超法規的処置つまり迎撃を実施するべきではなかったか。日頃の“国民の生命財産を守る”という安倍氏の台詞も、徹底して虚言であったのだ。もしそれが出来ていればここで政権浮揚に絶大な威力を発揮したと思われるにもかかわらず、なのだ。結局何もできない御仁なのだ。安倍氏の民族派、ナショナリストという評価も嘘なのだろう。何でこんな下らない人物が首相になったのか。
否、振り返ってみれば、日米韓いずれも怪しい人物が政治のトップにある。これが国際的流行とは情けない。ジョンウンに舐められるのは当然の成り行きだ。背景のロシアはそうやって米国の影響力を少しずつ削いで行っているのだ。
否々、日本では腐敗した保守に替わる受け皿がないという深刻な政治状況にある。リベラル勢力はとうの昔に崩壊している。日本には健全な政治状態が整わないのは何故なのか。どうすればこの閉塞を改善できるのか、何が問題なのか誰がその答えを持っているのか。だからこそ、日本が世界に枢要な地位を占めることができないのではないか。
日本人に哲学や思想的原則がないまま、社会に出ている人が殆どであるからではないかと思われる。無宗教者が殆どを占める社会なのだ。正に“信なくとも”首相になれる社会なのだ。この社会を変えるのは大変なことだ。
7月初めにISO9001審査員資格の移行準備のため東京のISO審査員教育機関に研修会出席のため赴いた。その道中、新幹線車中で渡辺淳一著の“仁術先生”を読み終えて、講談社ブルーバックスの“人類と気候の10万年史”も読みかじっていたが、先週ようやく読了したので、今回はそれを紹介したい。
この著者は中川毅[ナカガワタケシ]氏。紹介によれば次の通り。
1968年、東京都生まれ。1992年、京都大学理学部卒業。1998年、エクス・マルセイユ第三大学(フランス)博士課程修了。Docteur en Sciences(理学博士)。国際日本文化研究センター助手、ニューカッスル大学(英国)教授などを経て、現在は立命館大学古気候学研究センター長。専攻は古気候学、地質年代学。
この本を読みたいと思ったのは、その副題“過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか”、このコピーそのものに魅かれたのだ。そして帯には、“人類はたいへんな時代を生きてきた。わずか数年で7℃の温暖化、かたや今より10℃も寒冷化、海面が100メートル変動し、異常気象が続いた時代も。世界中の研究者が注目、日本発「年代の目盛り」が明らかにした驚きの地球気候史!”とある。これらのコピーは現在の気候温暖化通説に少しでも疑問を感じている者にとっては、極めて刺激的ではないか。特に地球史上の気候変動についての解説書は殆ど一般の世界には出ていない。実際に読んでみて、その内容・表現は非常に魅力的であり、どんどん喰い付いて行けるものだった。というのは、この著者の表現・説明は極めてよく計算されていて、間接的に現在の気候通説を徹底的に論難していると言えるのではないか。
たとえば、5億年弱前から現代までの温暖~寒冷気候の変化図(岩石の酸素同位体分析による)では、変動は認められるものの“きわめて温暖な時代があったいっぽうで、ある限度以上の温暖化はいちども起こっていない”との説明が付けられている。しかも直近1億年以内の動きは寒冷化に向かっており、我々が洗脳されている直近数百年の気候動向とは異なった傾向を示している。“たとえば今から1億年前から7000万年前頃の地球は今よりはるかに暖かく、北極にも南極にもいわゆる氷床が存在しなかった。これは、IPCCが予測する100年前後の地球よりもはるかに温暖な状態である。”と淡々と語る。1億年前から7000万年前頃は恐竜時代であろうか。
次に示される図は、500万年前から現代に至る気候(気温)変動図である。(この図は世界各地の海底の泥の酸素同位体比から復元とある。)この図は、激しいハンチング(短期間の大きな変動)が近年に至るにしたがって大きくなっていることが認められ、しかもその振幅の上下限界線と中央線に下降する傾向がある。つまり、この図でも大局的に見て温暖化ではなく、寒冷化に向かっているものと見えるのだ。この図で著者は“5000万年前には、地球上のどこにも、南極や北極にさえも、氷河は存在していなかった。それが300万年前くらいから、ときどき顕著に寒い時代が到来するようになった。・・・はじめは「やや涼しい」くらいだったのが、時代が進むにつれて氷期の寒さも厳しくなっていった。このような傾向が見られることの原因には未解明の部分も多く残っているが、ヒマラヤ山脈が隆起したことと、地球と太陽の位置関係が変化したことが重要だとする考え方が有力である。”と言っている。
その次の図は、私個人にとっては以前に見た、東北大学理学部の示していた南極フジ・ドームでの氷の分析に基づく直近30万年の気候変動とよく似た印象の図である。ここで示された図は過去80万年の変動図であって、私が見た図よりも長期にわたっている。図の説明では“南極の氷に含まれる酸素と水素の同位体比から復元した”とあるので、データの出元は同じか極めて近いと思われるので、似たものとなっているのだろう。
この図の説明は次のようである。
“現代は例外的に温暖な時代であることが分かる。現代と同等あるいはそれより暖かい時代は、全体の1割ほどしかない。残りの9割はすべて「氷期」である。・・・数十万年のスケールで見た場合、「正常」な状態とは氷期のことであり、現代のような温暖な時代は、氷期と氷期の間に挟まっている例外的な時代に過ぎない。”
“図をよく見ると、氷期と温暖な時代にはある種のリズムがる。最近のおよそ1万年間は温暖な時代だが、そのひとつ前の温暖期はおよそ10万年前、もうひとつ前の温暖期は20万年前だった。同様のピークは30万年、40万年、50万年前頃にも認められる。つまり温暖な時代は、驚くほど等間隔に、10万年ほどの時間をおいて繰り返している。”
この著者の説明に付け加えると、現代はその温暖化のピークに近付きつつあり、IPCCの指摘通りまだまだ温暖化が継続して行くのか、何らかのこれまで同様の地球気候のメカニズムにより寒冷化に向かうのかの分岐点に近付いているか、どちらかであると言える段階のようだ。この著者はそこまで言及はしていないのだが。
著者は、この“氷期と温暖な時代にはある種のリズム”を周期が10万年のミランコビッチ・サイクルによるものとデータの相関を示して言っている。(気温変化と地球公転軌道・離心率の変化)
このように時間スケールをどのように取るかで地球の気候変動イメージは少しずつ、或いは大きく異なると言える。少なくとも、IPCCのように高々数百年スケールでの温暖化議論は気候学の変動を語る上での姿勢としては疑問が多いことが分かる。現に、1970年当時は学者の間では寒冷化が懸念されていたと著者は言っている。(当時はそんな議論があったことは私は知らなかった。)これは現状の傾向を単にそのまま単純延長して未来予測する人間の傾向にあるのではないか、とも洗練された言い回しで指摘している。(リーマン・ショックは予測できなかったが、AIでは可能だろうか。)
この後 著者は次のような指摘をしている。自然界のある種のリズムは原理的には簡単なメカニズムによって引き起こされるものと見て良いが、この簡単なメカニズムが複数加わると結構複雑なパフォーマンスを引き起こすということだ。
例えば、極めて単純な力学要素を構成していると考えられる二重振り子の挙動である。この挙動の再現性は非常に困難ということ。それは微妙な初期条件の違いでその後の動きが全く異なることを指摘している。
またこの逆に、単純な数式モデルをコンピュータにインプットすると初めはランダムな結果を示すものが、やがて一斉に同じ結果となって反応する現象になることがあるという。乱雑な状態と、安定した状態が不規則に現れるのだという。規則性が全くない。これを“カオス的遍歴”と数学では言っているとのこと。
こうした現象があるという科学的エピソードをわざわざ提示したのは、気候変動をコンピュータ・シミュレーションで推計し、示すことの科学性への疑問に言及したかったのではないか。モデルの設定によっては、蝶の羽ばたきが嵐の原因になるというエピソードも聞いたことがある。現実に気象予報で使われているコンピュータ・シムレーションを100年先の気候変動に使っていると聞いたこともあるが、1週間先の気象予報が不正確であるにもかかわらず、100年先の気候予測が正しいと言えるのかという単純な推測もある。つまりは計算結果がある種の暴走の結果であることも考えられるのだ。気候変動のコンピュータ・シミュレーション結果を真面目に受け取らない方が良いのは当然のことなのだろう。
その後、話は福井県にある三方五湖のひとつ“水月湖の年縞”に及ぶ。年縞とは、堆積物が地層のように積み重なり縞模様を成しているもので、樹木の年輪に相当するようだが、詳しくは本書をはじめこの著者の書物にある。2012年に水月湖の年縞が、世界の年代測定の基準つまり“標準時計”になり、世界中の研究が、その年代特定で“水月湖の年縞”を参照するようになったという。このプロジェクトに着手したのが安田喜憲氏であり、それを引継いで成果を挙げたのが著者だということ。
その調査で分かったこと。それを“水月湖の15万年の気候の歴史”の図に示している。ミランコビッチ・サイクルにもかかわる地軸の歳差運動による日照量変化と気候変動を対比して示している。15~14万年前までは氷期であり、その後温暖化が進み、12万年後にピークとなる。この挙動は地軸の歳差運動が先行して変化していて、その後も2万3千年毎に温暖化ピークと寒冷化を4回繰り返しついに2万年前の最寒冷が今より10℃低い氷期に至る。そこから地軸歳差運動による日照量が上昇すると共に温暖化が始まり現代に至っている。この温暖化が進行し安定化した8千年前から人類の農耕文明が隆盛し、人類の繁栄が始まった。
ところがその直後から、地軸歳差運動による日照量が下降しているとデータは示しているのだ。これが大いに疑問となっているという。南極の氷からの分析によれば、8千年前からCO2とメタンの大気中の増加が既に認められるという。この原因は“アジアにおける水田農耕の普及とヨーロッパにおける大規模な森林破壊”にあると主張する学者がいるとのこと。こうなると、CO2とメタンの大気中の増加は産業革命以降の問題ではなく、人類文明そのものによっていることになる。果たして何が問題なのか分からなくなってくる。
著者は、こういった点に結論は示していない。人類の文明論的な課題であると言える。しかし地球史上寒冷期が普通であるにもかかわらず、現状は異様に長い温暖期の継続があり、なお既にその寒冷化に向かっている過程にあるにもかかわらず、そうなっていないのは問題である。寒冷化すれば現代農耕文明の崩壊は明らかで、そうなれば食糧争奪戦争が始まるのは間違いない。食糧の絶対量が少なくなれば、呑気に“援助”などは口にできなくなる。
著者は100億人の100億個の脳細胞で問題解決できるのではないか、と言って締め括っている。少々無責任だが、こうしか言えないのが現実だ。決して温暖化が喫緊の問題ではないのだ。
猛暑の夏の現実に苦しみながら温暖化は問題ない、と言えるのか・・・だが私は最近上空に度々出現する寒気団が気懸りなのだ。これが集中豪雨やそれに伴う雷の頻発や雹の落下の原因になっている。特に先日の東京に降った大きな雹は大いに気懸りだ。かつて真夏に雹が降ることはなく、天気予報に寒気団の登場が話題になることはなかったように思うからだ。これこそが寒冷化の前兆ではあるまいか。或いは丸山茂徳氏の指摘するメカニズムが起動するのであろうか。
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