The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
役人怠慢国家―ISOに不適合な政府組織・そしてアホノミクスはウソノミクスへ
日本の役所は一体どうなっているのか。このところ同じような投稿記事になっているが、憤りを禁じ得ない。先週末は次の3つの事案が大きく報道された。
①厚労省の基幹統計作成の手抜き
②野田市の児童保護の不徹底
③明石市長の激昂・パワハラの原因(7年間の道路工事遅延)
事案内容そのものの解説をここでする気はない。いずれも役人の怠慢が背景にある。どうしてこうなるのか。全般にマンパワー不足があるのか。これら不祥事にはいずれもマネジメント不足を強く感じる。
ではISO規格要求事項の何に不適合の要素があるのか、見てみたい。
①では役人の仕事のアウトプットを適切に“監視、測定、分析及び評価”できていなかったことは間違いない。これはISOでは9.1項に当たる。常時、仕事のプロセスの中でデータの適正性を確認する仕組みが必要だったのだ。組織の外部からの指摘でようやく気付いたというだらしなさである。従がって組織的偽装と疑われても当然である。
そして、定期的にそのパフォーマンスを含めて“9.2内部監査”は適正にできていたのだろうか。当然ながら組織的牽制機能が働くような内部監査でなければならない。まさかそんなこと、やってるはずがない!基幹統計であるならばそれだけかなり重要なデータである。厳密性、厳正性を保証する常時監視が必要だったのだろう。或いは、内部監査のやり方も財務省の外部機関による監査であった方がよいのではないか。それが前回指摘した常設の監視機関が不可欠ということになる。
とにかく、こうした組織マネジメントの“常識”不全の結果であることは間違いない。
②では、様々な局面での当事者の役人による不適切な対応があったとされるが、特に酷いのは被害者の女の子の父親が怒鳴り込んで来たのに、気おされた教育委の担当者が女の子の赤裸々な訴えを記載したアンケートを当の父親に渡すという愚行を冒したことだ。これに関して、担当者の“力量”が問題となる。そういう点で適切な人員配置であったのだろうか。担当者の“認識”に問題はなかったのか。7.1~7.3項への適合性が問題となる。
つまり現状の教育行政の体制そのものに問題があるのではないか。教育現場に司法業務経験者を配置するなど、充実したマンパワーの保持が必要な時代になっているにもかかわらず、関係者の意識が一時代も二時代前のものでしかない現実もあるようだ。中にはパソコンのできない高齢の教員もいるというお寒い話も聞く。これでは今後公立学校の荒廃が懸念される。公立学校が荒廃すれば、日本の社会間格差はますます拡大するだろう。
③は市長の人柄の問題もあるかもしれないが、8.1項の“運用の計画及び管理”のプロセスが適切に運用されていれば、市長も激怒することもなく、スムーズな行政活動が行えたのではないか。つまり適時適切に計画の遅れをチェックでき、都度是正され、7年もの計画遅れの放置はありえないはずだった。明石市としては、目抜きの繁華街の改造計画が放置されることはなかったはずだ。ドッグ・イヤーの時代に、どうしてこのような行政運営になっていたのか、大いに反省が求められる。
或いは、計画の進捗を最低年に1度は確認するべき市長による“マネジメントレビュー”の仕組を明石市は持っていないのだろうか。場合によっては組織の大幅な改善が必要なのかもしれない。そう言えば昔、明石市はISO14001の認証取得を計画したが、実情を見て断念したというニュースを聞いたことがあるように思う。
ちなみに昨年財務省の一部で見られた、記録の改竄はISO以前の不法である。従がい、重大不適合でISOでは審査不能の対象である。これが判明したのでは、その後の審査はできない。何故ならば、記録を頼りに活動の適合性を見ているのだから、その記録が改竄され、ウソが記載されているのであれば審査の正当性は失われるからだ。
改竄の原因と改竄の範囲が厳密に精査され、“修正処置(再発防止)”が適正になされたことを審査側が確認できなければ、審査再開の対象とはならない。この点、財務省ではなく第三者が厳密に検証し、その後の活動が問題ないことを保証し、秋霜烈日の処罰も含めて実施されなければならないが、そのようなことは為されず、検察は眠ったままだった。巨悪は眠り、政府機関は腐敗するのだ。官僚仲間の立場を忖度しているのだろうか。
以上の状態から概観して、日本の役所は組織マネジメントが適切に出来ているのだろうか、という疑問が湧きあがってくる。つまり、肝心なプロセスでISOの要求事項を満たせるような機能が働いていないことになる。日本の役所はISO審査をすれば不適合組織ばかりではないかという疑いが濃厚なのだ。既述の明石市以外の名だたる大都市でもISO認証取得の動きがとまり、或いは返上が続いたように記憶している。
その結果と思われるが、JAB日本適合性認定協会のホームページで確認すると、公共行政分類でISO14001の認証取得しているのは40団体しかない。そこには第3セクターかと思われる株式会社組織も混じっている。だから純粋な役所の認証数はもっと少ないという情けない実情だ。
或いは、お役人にとってISOマネジメントなど組織運営の初歩の初歩、当たり前のことだ、とでも思っているのだろうか。むしろこれでアホな民間組織を指導するツールになるとでもお考えだったのだろうか。少し以前、経産省や国交省はISOの認証取得を奨励していた時期があった。その影響は今も残っていて、官公署の調達基準にISOの認証取得が要求事項として入っている事例は多い。このように役所は民間に対し、ISO認証取得を要求し、その方向に“指導”しているつもりのようだが、自身はISO要求事項そのものの理解はできていないのが現実ではないか。
とは言うものの“そんなことまでやるのか?面倒くさい!” というお役人の本音が聞こえてきそうだ。だが、仕事は“面倒”なものだから そこから報酬の源泉は生まれる。面倒くさくなければ、金銭の絡む仕事は成立しない。それが基本中の基本の考え方ではないか。何せ“面倒くさい”と言って手抜きをして、不法行為まで働くようでは、税金で暮らしているお役人としては完全に失格である。性根の叩き直しが必要ではないか。
役人の怠慢による統計詐称の不法行為でアホノミクスはウソノミクスになった。日本の景気が良いというウソ喧伝はいい加減止めるべきだ。そんなに“景気が良い”のならば、明日からでも直ぐに日銀の政策金利を上げるべきだ。何せ、超低金利で地銀は青息吐息で苦しんでいるが放置され、見殺しされそうな状態なのだから。
一方、超低金利で不動産市場はバブっている。やがてこの異様なあだ花も極限まで膨らんではじけるだろう。そして不動産バブルがはじけた後は、最早景気底上げの手段は日本にはない。何故なら、既に金利はゼロ、財政は巨額赤字で、金融・財政の景気回復の双璧手段が日本には無いからだ。
こうして正に“やってるフリ”政治の安倍政権によって、平成は停滞の時代*だったが、後退の幕開けに入ったのかもしれない。
*先日、あの竹中平蔵氏が講演でこう語っていた。その責任の一端は御本人の政策にもあるはずだが、その自覚は全くなく、ケロリとしたものだった。御立派な経済学者のなさることではない。
このようにかつて美徳であった“日本人の生真面目さ”が最近大きく損なわれていることに、大いなる不安を感じるが、いかがであろうか。こんな風に、日本社会は静かにフォール・ダウンして行っているように思うが、杞憂であろうか。しかも人口減少は厳然たる事実であるし、やがて日本人とその社会は地球上から静かに消滅するような気がするがどうだろう。
①厚労省の基幹統計作成の手抜き
②野田市の児童保護の不徹底
③明石市長の激昂・パワハラの原因(7年間の道路工事遅延)
事案内容そのものの解説をここでする気はない。いずれも役人の怠慢が背景にある。どうしてこうなるのか。全般にマンパワー不足があるのか。これら不祥事にはいずれもマネジメント不足を強く感じる。
ではISO規格要求事項の何に不適合の要素があるのか、見てみたい。
①では役人の仕事のアウトプットを適切に“監視、測定、分析及び評価”できていなかったことは間違いない。これはISOでは9.1項に当たる。常時、仕事のプロセスの中でデータの適正性を確認する仕組みが必要だったのだ。組織の外部からの指摘でようやく気付いたというだらしなさである。従がって組織的偽装と疑われても当然である。
そして、定期的にそのパフォーマンスを含めて“9.2内部監査”は適正にできていたのだろうか。当然ながら組織的牽制機能が働くような内部監査でなければならない。まさかそんなこと、やってるはずがない!基幹統計であるならばそれだけかなり重要なデータである。厳密性、厳正性を保証する常時監視が必要だったのだろう。或いは、内部監査のやり方も財務省の外部機関による監査であった方がよいのではないか。それが前回指摘した常設の監視機関が不可欠ということになる。
とにかく、こうした組織マネジメントの“常識”不全の結果であることは間違いない。
②では、様々な局面での当事者の役人による不適切な対応があったとされるが、特に酷いのは被害者の女の子の父親が怒鳴り込んで来たのに、気おされた教育委の担当者が女の子の赤裸々な訴えを記載したアンケートを当の父親に渡すという愚行を冒したことだ。これに関して、担当者の“力量”が問題となる。そういう点で適切な人員配置であったのだろうか。担当者の“認識”に問題はなかったのか。7.1~7.3項への適合性が問題となる。
つまり現状の教育行政の体制そのものに問題があるのではないか。教育現場に司法業務経験者を配置するなど、充実したマンパワーの保持が必要な時代になっているにもかかわらず、関係者の意識が一時代も二時代前のものでしかない現実もあるようだ。中にはパソコンのできない高齢の教員もいるというお寒い話も聞く。これでは今後公立学校の荒廃が懸念される。公立学校が荒廃すれば、日本の社会間格差はますます拡大するだろう。
③は市長の人柄の問題もあるかもしれないが、8.1項の“運用の計画及び管理”のプロセスが適切に運用されていれば、市長も激怒することもなく、スムーズな行政活動が行えたのではないか。つまり適時適切に計画の遅れをチェックでき、都度是正され、7年もの計画遅れの放置はありえないはずだった。明石市としては、目抜きの繁華街の改造計画が放置されることはなかったはずだ。ドッグ・イヤーの時代に、どうしてこのような行政運営になっていたのか、大いに反省が求められる。
或いは、計画の進捗を最低年に1度は確認するべき市長による“マネジメントレビュー”の仕組を明石市は持っていないのだろうか。場合によっては組織の大幅な改善が必要なのかもしれない。そう言えば昔、明石市はISO14001の認証取得を計画したが、実情を見て断念したというニュースを聞いたことがあるように思う。
ちなみに昨年財務省の一部で見られた、記録の改竄はISO以前の不法である。従がい、重大不適合でISOでは審査不能の対象である。これが判明したのでは、その後の審査はできない。何故ならば、記録を頼りに活動の適合性を見ているのだから、その記録が改竄され、ウソが記載されているのであれば審査の正当性は失われるからだ。
改竄の原因と改竄の範囲が厳密に精査され、“修正処置(再発防止)”が適正になされたことを審査側が確認できなければ、審査再開の対象とはならない。この点、財務省ではなく第三者が厳密に検証し、その後の活動が問題ないことを保証し、秋霜烈日の処罰も含めて実施されなければならないが、そのようなことは為されず、検察は眠ったままだった。巨悪は眠り、政府機関は腐敗するのだ。官僚仲間の立場を忖度しているのだろうか。
以上の状態から概観して、日本の役所は組織マネジメントが適切に出来ているのだろうか、という疑問が湧きあがってくる。つまり、肝心なプロセスでISOの要求事項を満たせるような機能が働いていないことになる。日本の役所はISO審査をすれば不適合組織ばかりではないかという疑いが濃厚なのだ。既述の明石市以外の名だたる大都市でもISO認証取得の動きがとまり、或いは返上が続いたように記憶している。
その結果と思われるが、JAB日本適合性認定協会のホームページで確認すると、公共行政分類でISO14001の認証取得しているのは40団体しかない。そこには第3セクターかと思われる株式会社組織も混じっている。だから純粋な役所の認証数はもっと少ないという情けない実情だ。
或いは、お役人にとってISOマネジメントなど組織運営の初歩の初歩、当たり前のことだ、とでも思っているのだろうか。むしろこれでアホな民間組織を指導するツールになるとでもお考えだったのだろうか。少し以前、経産省や国交省はISOの認証取得を奨励していた時期があった。その影響は今も残っていて、官公署の調達基準にISOの認証取得が要求事項として入っている事例は多い。このように役所は民間に対し、ISO認証取得を要求し、その方向に“指導”しているつもりのようだが、自身はISO要求事項そのものの理解はできていないのが現実ではないか。
とは言うものの“そんなことまでやるのか?面倒くさい!” というお役人の本音が聞こえてきそうだ。だが、仕事は“面倒”なものだから そこから報酬の源泉は生まれる。面倒くさくなければ、金銭の絡む仕事は成立しない。それが基本中の基本の考え方ではないか。何せ“面倒くさい”と言って手抜きをして、不法行為まで働くようでは、税金で暮らしているお役人としては完全に失格である。性根の叩き直しが必要ではないか。
役人の怠慢による統計詐称の不法行為でアホノミクスはウソノミクスになった。日本の景気が良いというウソ喧伝はいい加減止めるべきだ。そんなに“景気が良い”のならば、明日からでも直ぐに日銀の政策金利を上げるべきだ。何せ、超低金利で地銀は青息吐息で苦しんでいるが放置され、見殺しされそうな状態なのだから。
一方、超低金利で不動産市場はバブっている。やがてこの異様なあだ花も極限まで膨らんではじけるだろう。そして不動産バブルがはじけた後は、最早景気底上げの手段は日本にはない。何故なら、既に金利はゼロ、財政は巨額赤字で、金融・財政の景気回復の双璧手段が日本には無いからだ。
こうして正に“やってるフリ”政治の安倍政権によって、平成は停滞の時代*だったが、後退の幕開けに入ったのかもしれない。
*先日、あの竹中平蔵氏が講演でこう語っていた。その責任の一端は御本人の政策にもあるはずだが、その自覚は全くなく、ケロリとしたものだった。御立派な経済学者のなさることではない。
このようにかつて美徳であった“日本人の生真面目さ”が最近大きく損なわれていることに、大いなる不安を感じるが、いかがであろうか。こんな風に、日本社会は静かにフォール・ダウンして行っているように思うが、杞憂であろうか。しかも人口減少は厳然たる事実であるし、やがて日本人とその社会は地球上から静かに消滅するような気がするがどうだろう。
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