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発達障害について―理解のための読書2冊
先週2月7日は、“1855年に択捉島の北に国境線を引いた日露通好条約の調印日にあたる。この日を政府は1981年に「北方領土の日」と定め、毎年恒例”で北方領土返還要求全国 大会を開催してきた。しかしこの度“安倍晋三首相は「領土問題を解決して、平和条約を締結する」と型通りのあいさつをし、「日本固有の領土」や「北方四島の帰属」といった表現は避けた”という。何故か。お仕着せの参加者の鉢巻には「平和条約の早期締結を」となっていたとのこと。そんなに日露平和条約にこだわるのならば、“日本固有の領土を放棄し、ロシアの主権を是認”すれば容易に実現するではないか。
“ロシア外相は「北方領土」の名称さえ日本は使うべきではないと要求した。これに応じるかのように、日本はこのところ「不法占拠」の表現を封印し、ラブロフ発言にも反論しない。これでは対等な交渉とは言えないのではないか。”と伝える有力新聞もある。
一体、安倍首相とは何者?御本人は“信なくば立たず”と言ってはばからないが、本当にナショナリストなのだろうか。米国には卑屈になり、ロシアには忖度し、オヨヨ、オヨヨの連続で“得意の”外交が可能と言えるのか。ライフ・ワークと胸を張っていた“北朝鮮拉致問題”もすっかり音無しの構え。首相の立場になってしまえば、後はどうなろうと関係なし、なのだろうか。
正にゲスそのもので、げんなり、情けなさで一杯だ。日本国民は何故、このような愚劣な人物を支持するのだろうか。この国の何かが壊れている。
最近、子供の行動が理解できない状態になって来た。まさか何か精神に障害があるのだろうか、と不安がよぎる。フト最近はやりの“発達障害”という言葉が脳裏に浮かんだ。しかしこの方面に全く疎い。となると先ずは手軽に読めるもの・・・とネットで探してアマゾン評価を参考に2,3候補をリストアップしたが、それでも読みやすくなじめる本は書店で、実際に見てみなくては分からない。
結局のところ、次の2点、先に香山リカ氏の本①を読み、そこに推奨されていたのが岩波明氏の本②なので、引き続きそれも読んでみた。
①香山リカ・著 “「発達障害」と言いたがる人たち”SB新書437(2018/6/6)
②岩波 明・著“発達障害”文春新書1123(2017/3/17)
精神科医・香山リカ氏の本は読んだことがあって信頼できる筆者との思いから、①の“「発達障害」と言いたがる人たち”は安心できる内容だろうと、何はともあれ読んでみることにした。本の紹介文に次のようにあった。
“(必ずしもそうではないのに、)「あなたは発達障害です」と言ってほしい人たちがいる。誤解を避けるために言っておくと、私は、実際に発達障害と診断を受けながら生活している人やその家族、その医療に携わる人たちや支援する人たちを批判するつもりはまったくない。/そうではなく、その可能性は低いのに、「私は発達障害かも」と思う人が増えているという、医療の問題というより社会的な現象について取り上げ、その原因などを考えてみたい、というのが本書の目的だ。”(括弧内は本書“はじめに”にある記述。斜線以降は紹介文による追加。)
だから、一見初学者が読むべき本ではないように思えるが、“発達障害”に対する社会の側の“病理”そのものに触れることで、むしろその本質に触れることができるのではないかと直感し、それは間違っていなかった。何故ならば初学者にも分かるように発達障害の概要について説明があり、それについての世の中の的外れな理解を概観しているからだった。巧い記述で読みやすく、この本だけで読む目的は達成されたかに思えた。
しかし念のため、この本文中で複数回推奨された②岩波明・著“発達障害”も読むことにした。この紹介文を投稿するに当たって、予定が取れず週末に間に合わず、週末に食い込んでの読書だったが、遅読の私には珍しく2日強で読み切った。軌道に乗ってからが早かった。内容はさすがに充実していて、私にとっては香山氏の内容を確認・裏付けるものでもあった。
香山氏の本では、発達障害は生育時の問題ではなく、生来のモノとの指摘があり、NHKのウェブサイトの文言を紹介している。そこでは“発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達のアンバランスさ・凸凹によって、社会生活に困難が発生する障害のこと”と説明している、と。また“「おとなになってから始まる発達障害」であっても、その脳の素因は生まれつき、存在していたと思われる。”とも言っている。
多くの場合小児の時に症状が発現しているので、診断の場合は母親に生育過程をインタビューするのが普通だということだった。この点で世間の誤解が未だにあり、場合によっては、障害者の両親を苦しめている事実があると指摘している。はなはだしきは、政治がこの誤解に基づいて政策を歪める場合が見られたが、それは専門家たちが何とか喰い止めたという指摘もしている。
コミュニケーション力を含めて社会への適応障害という状態が、様々な原因から発現している場合があり、その原因の一つが“発達障害”であるため、正確な診断が困難となっているという。このことが急速なネット社会への変化に伴い、コミュニケーションの社会的態様が変わる中に在って、障害者側の猜疑心や社会の側の疑心暗鬼を生んでいる可能性があるとの指摘は重い。このため“グレー領域”にいる人々が特に混乱せざるを得ない状態で、“「あなたは発達障害です」と言ってほしい人たち”が出てきているのだという。“グレー領域”には、一定時間過ぎれば元に復する人々も含まれる場合もあるようだ。
そこで「心の病はレントゲン検査では分からない」と言われるが、診断のブレを防ぐためにも、たとえば血液検査や脳の画像診断などの客観的な指標を探す研究もなされているという。
この発達障害の割合は、“最近の研究では「100人に数人」となっているものが多いが、調査によって1%から十数%までその数字にもバラつきがある。”この振れ幅の大きさも、本当に発達障害なのかどうかの判断を歪める原因になっているようだ。
香山氏は“現代社会は「平凡である」「どこにでもいる人間である」というのは、生きる価値がないに等しいほどつらいことである。”と言うが、本当だろうか。“無事、これ名馬”という格言は現代では通用しないのか。だが、気鋭の精神科医の指摘であるからには、それが現代の実相なのだろう。香山氏は続けて“そういう人たちにとっては、「ADHD」や「アスペルガー症候群」はまたとない『個性』である。”と言う。
そういった社会心理状況で、成毛眞氏や勝間和代氏、堀江貴文氏の発達障害者としての著書を通じてのカミングアウトが、“発達障害は「困りごとを抱えた人」というより、だんだん「特別な能力が与えられた人」とポジティブなものに思えてくるのではないだろうか。”とも言っている。そこで、“「発達障害」と言ってほしい人たち”に“いまの社会の『自分さがし願望』の強さに心から同情”して次のように言うとしている。
“――-あなたは、発達障害ではありませんよ。・・・でも大丈夫です。発達障害ではなくても、あなたはあなたです。平凡なのはすばらしいことじゃないですか。自分に自信を持って生きて行ってください。”
②の岩波明氏は、昭和大学医学部精神医学講座主任教授(医学博士)。その上、香山氏の本でも予約の取れない精神科病院として紹介されていた、精神科診断の先端を行く昭和大学附属烏山病院の院長である。
この本では、発達障害の代表例であるASD(自閉症スペクトラム)やADHD(注意欠如多動性障害)の詳細で専門的な症例紹介から始まり、最後に病院での障害者の社会参加の実践プログラムの紹介となっている。とにかく、この本は香山氏の本の補完的、というよりもより詳しく専門的であり、大いなる補充と言って良い。私はたくまずも①から②の順で読んだが、これは順序として正解と思える。
この本の“はじめに”は“近年、ドラマや小説の主人公に発達障害特にアスペルガーを思わせる人物をよく見かける。たとえば・・・英国BBCのドラマ『シャーロック』(2010年放送開始)はその代表例だ。” から始まっている。それから、“トールキンのファンタジー『指輪物語』のメインキャラの一人である魔法使いのガンダルフ”、さらに“ジブリ映画『風立ちぬ』の主人公である堀越二郎”、TBSテレビ・ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年)の主人公・津崎平匡 等を列挙し、“フィクションの世界では、アスペルガー症候群など発達障害の人たちは「少し変わったところがあるが、特定の分野においては驚異的な能力を発揮する天災タイプ」として語られることが多い。”と指摘。
そして“現在、「発達障害」という病名は非常にポピュラーとなり、一般の人にも広く浸透してきた。”それは“今世紀の初頭に起こった何件かの(動機が不可解な)殺人事件がきっかけであった。”(括弧内は筆者追記)そのため香山氏のいうように“「自分も発達障害かもしれない」症候群”が目立つようになったという。しかし、その後も発達障害が正しく理解されているとは言えない。“専門家である精神科医でさえ、理解が不十分であることもたびたびある。”という。そこで、本書を書いたということだ。
まさしく適切な診断の結果で、適切な治療を施さなければ治癒・回復は期待できないのは当然なのだが、意外にもその第一歩が出来ていないのが現実なのだ。動機が不可解な殺人事件も正しい診断とそれに基づく治療ができていれば、惨劇は回避できていたはずなのだ。精神を病むと周囲の人に危害が及ぶのが通例だ。とにかく精神医学後進国の日本では、大いに必要なことではないか。(下図は本書で紹介されている「サリー・アン課題」と呼ばれる“心の理論の発達”のテスト図)
まさしく“適切な診断”はどんな疾患にも必須だ。私も昨年11月頃から腰痛に悩まされて来た。近所の整体師では一向に改善しなかった。そこで以前に似た症状を快癒させてくれた整体師が彼の地元に帰って開業していたのを、ネットで探し出して訪ねて行った。そして解剖学に基づく“適切な診断”を下してくれた。どうやら以前より腰回り筋肉が疲弊していて重症とのこと。その固くなった筋肉をほぐす治療を施してくれ、ようやく平癒しつつあるところだ。近所の整骨院にこだわってぐずぐずと3カ月も無駄にしてしまった。今後は臍下丹田に力を入れて姿勢を正さないと腰に負担がかかり又やらかすヨとのことである。
さて、元に戻そう。この本では“サヴァン症候群”や天才についても触れている。“サヴァン症候群は、発達障害や知的障害を持つ人々において、突出した、時には天才的な才能を持つ一群である。”しかし“サヴァンは模倣の才が中心であり、創造性、独創性は見られないこと、成人になると才能は消失することがある”と指摘している。また“サヴァン症候群の原因についてはいくつかの仮説が提唱されているが明確な結論は得られていない”とのこと。
また“いわゆる「天才」と呼ばれる常人とはかけ離れた能力を持つ人たちは、明確な診断がつくかどうかは別として、発達障害的な特徴を持っていることがかなりの割合で認められる”として、いくつかの事例を示している。司馬遼太郎の小説『花神』の主人公・大村益次郎であり、童話作家として著名なハンス・クリスチャン・アンデルセンや『不思議の国のアリス』の作家・ルイス・キャロルを挙げている。彼らの著作物に時として脈絡なく物語が飛ぶ点を発達障害に特徴的であると指摘している。
後は、岩波氏が烏山病院において実践されている治療プログラムの状況や症例経緯の紹介等により、発達障害者を社会参加させる試みを示している。
またこの際“親が発達障害をきちんと認識”することは、養育面で決定的違いを生じる、と指摘している。子供の状態を「症状」と見るか、「気持ちの持ち方次第」と見るかで、子供に対する評価が大きく変わり、ただいたずらに叱責するだけでは、改善せず、むしろ悪化する可能性が高いからだという。
発達障害を“うつ病や統合失調症、あるいはパーソナリティ障害と「診断」され”、見過ごされていることが多々あり、“長期にわたり治療を行っているにもかかわらず、症状が慢性化してなかなか改善がみられない”ことが多いと言って終わっている。
全体に様々な発達障害についてのエピソード紹介があり、私にはこれまで全く埒外だった領域なので非常に興味深かった。
さて、ここまで“お勉強”して我子のことに当てはめてみて、どうやら発達障害にはあたらない、と思えて一安心した。無暗に心配だけするのも非生産的。当面は少し辛抱強く見守ってみようかと思っている。
“ロシア外相は「北方領土」の名称さえ日本は使うべきではないと要求した。これに応じるかのように、日本はこのところ「不法占拠」の表現を封印し、ラブロフ発言にも反論しない。これでは対等な交渉とは言えないのではないか。”と伝える有力新聞もある。
一体、安倍首相とは何者?御本人は“信なくば立たず”と言ってはばからないが、本当にナショナリストなのだろうか。米国には卑屈になり、ロシアには忖度し、オヨヨ、オヨヨの連続で“得意の”外交が可能と言えるのか。ライフ・ワークと胸を張っていた“北朝鮮拉致問題”もすっかり音無しの構え。首相の立場になってしまえば、後はどうなろうと関係なし、なのだろうか。
正にゲスそのもので、げんなり、情けなさで一杯だ。日本国民は何故、このような愚劣な人物を支持するのだろうか。この国の何かが壊れている。
最近、子供の行動が理解できない状態になって来た。まさか何か精神に障害があるのだろうか、と不安がよぎる。フト最近はやりの“発達障害”という言葉が脳裏に浮かんだ。しかしこの方面に全く疎い。となると先ずは手軽に読めるもの・・・とネットで探してアマゾン評価を参考に2,3候補をリストアップしたが、それでも読みやすくなじめる本は書店で、実際に見てみなくては分からない。
結局のところ、次の2点、先に香山リカ氏の本①を読み、そこに推奨されていたのが岩波明氏の本②なので、引き続きそれも読んでみた。
①香山リカ・著 “「発達障害」と言いたがる人たち”SB新書437(2018/6/6)
②岩波 明・著“発達障害”文春新書1123(2017/3/17)
精神科医・香山リカ氏の本は読んだことがあって信頼できる筆者との思いから、①の“「発達障害」と言いたがる人たち”は安心できる内容だろうと、何はともあれ読んでみることにした。本の紹介文に次のようにあった。
“(必ずしもそうではないのに、)「あなたは発達障害です」と言ってほしい人たちがいる。誤解を避けるために言っておくと、私は、実際に発達障害と診断を受けながら生活している人やその家族、その医療に携わる人たちや支援する人たちを批判するつもりはまったくない。/そうではなく、その可能性は低いのに、「私は発達障害かも」と思う人が増えているという、医療の問題というより社会的な現象について取り上げ、その原因などを考えてみたい、というのが本書の目的だ。”(括弧内は本書“はじめに”にある記述。斜線以降は紹介文による追加。)
だから、一見初学者が読むべき本ではないように思えるが、“発達障害”に対する社会の側の“病理”そのものに触れることで、むしろその本質に触れることができるのではないかと直感し、それは間違っていなかった。何故ならば初学者にも分かるように発達障害の概要について説明があり、それについての世の中の的外れな理解を概観しているからだった。巧い記述で読みやすく、この本だけで読む目的は達成されたかに思えた。
しかし念のため、この本文中で複数回推奨された②岩波明・著“発達障害”も読むことにした。この紹介文を投稿するに当たって、予定が取れず週末に間に合わず、週末に食い込んでの読書だったが、遅読の私には珍しく2日強で読み切った。軌道に乗ってからが早かった。内容はさすがに充実していて、私にとっては香山氏の内容を確認・裏付けるものでもあった。
香山氏の本では、発達障害は生育時の問題ではなく、生来のモノとの指摘があり、NHKのウェブサイトの文言を紹介している。そこでは“発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達のアンバランスさ・凸凹によって、社会生活に困難が発生する障害のこと”と説明している、と。また“「おとなになってから始まる発達障害」であっても、その脳の素因は生まれつき、存在していたと思われる。”とも言っている。
多くの場合小児の時に症状が発現しているので、診断の場合は母親に生育過程をインタビューするのが普通だということだった。この点で世間の誤解が未だにあり、場合によっては、障害者の両親を苦しめている事実があると指摘している。はなはだしきは、政治がこの誤解に基づいて政策を歪める場合が見られたが、それは専門家たちが何とか喰い止めたという指摘もしている。
コミュニケーション力を含めて社会への適応障害という状態が、様々な原因から発現している場合があり、その原因の一つが“発達障害”であるため、正確な診断が困難となっているという。このことが急速なネット社会への変化に伴い、コミュニケーションの社会的態様が変わる中に在って、障害者側の猜疑心や社会の側の疑心暗鬼を生んでいる可能性があるとの指摘は重い。このため“グレー領域”にいる人々が特に混乱せざるを得ない状態で、“「あなたは発達障害です」と言ってほしい人たち”が出てきているのだという。“グレー領域”には、一定時間過ぎれば元に復する人々も含まれる場合もあるようだ。
そこで「心の病はレントゲン検査では分からない」と言われるが、診断のブレを防ぐためにも、たとえば血液検査や脳の画像診断などの客観的な指標を探す研究もなされているという。
この発達障害の割合は、“最近の研究では「100人に数人」となっているものが多いが、調査によって1%から十数%までその数字にもバラつきがある。”この振れ幅の大きさも、本当に発達障害なのかどうかの判断を歪める原因になっているようだ。
香山氏は“現代社会は「平凡である」「どこにでもいる人間である」というのは、生きる価値がないに等しいほどつらいことである。”と言うが、本当だろうか。“無事、これ名馬”という格言は現代では通用しないのか。だが、気鋭の精神科医の指摘であるからには、それが現代の実相なのだろう。香山氏は続けて“そういう人たちにとっては、「ADHD」や「アスペルガー症候群」はまたとない『個性』である。”と言う。
そういった社会心理状況で、成毛眞氏や勝間和代氏、堀江貴文氏の発達障害者としての著書を通じてのカミングアウトが、“発達障害は「困りごとを抱えた人」というより、だんだん「特別な能力が与えられた人」とポジティブなものに思えてくるのではないだろうか。”とも言っている。そこで、“「発達障害」と言ってほしい人たち”に“いまの社会の『自分さがし願望』の強さに心から同情”して次のように言うとしている。
“――-あなたは、発達障害ではありませんよ。・・・でも大丈夫です。発達障害ではなくても、あなたはあなたです。平凡なのはすばらしいことじゃないですか。自分に自信を持って生きて行ってください。”
②の岩波明氏は、昭和大学医学部精神医学講座主任教授(医学博士)。その上、香山氏の本でも予約の取れない精神科病院として紹介されていた、精神科診断の先端を行く昭和大学附属烏山病院の院長である。
この本では、発達障害の代表例であるASD(自閉症スペクトラム)やADHD(注意欠如多動性障害)の詳細で専門的な症例紹介から始まり、最後に病院での障害者の社会参加の実践プログラムの紹介となっている。とにかく、この本は香山氏の本の補完的、というよりもより詳しく専門的であり、大いなる補充と言って良い。私はたくまずも①から②の順で読んだが、これは順序として正解と思える。
この本の“はじめに”は“近年、ドラマや小説の主人公に発達障害特にアスペルガーを思わせる人物をよく見かける。たとえば・・・英国BBCのドラマ『シャーロック』(2010年放送開始)はその代表例だ。” から始まっている。それから、“トールキンのファンタジー『指輪物語』のメインキャラの一人である魔法使いのガンダルフ”、さらに“ジブリ映画『風立ちぬ』の主人公である堀越二郎”、TBSテレビ・ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年)の主人公・津崎平匡 等を列挙し、“フィクションの世界では、アスペルガー症候群など発達障害の人たちは「少し変わったところがあるが、特定の分野においては驚異的な能力を発揮する天災タイプ」として語られることが多い。”と指摘。
そして“現在、「発達障害」という病名は非常にポピュラーとなり、一般の人にも広く浸透してきた。”それは“今世紀の初頭に起こった何件かの(動機が不可解な)殺人事件がきっかけであった。”(括弧内は筆者追記)そのため香山氏のいうように“「自分も発達障害かもしれない」症候群”が目立つようになったという。しかし、その後も発達障害が正しく理解されているとは言えない。“専門家である精神科医でさえ、理解が不十分であることもたびたびある。”という。そこで、本書を書いたということだ。
まさしく適切な診断の結果で、適切な治療を施さなければ治癒・回復は期待できないのは当然なのだが、意外にもその第一歩が出来ていないのが現実なのだ。動機が不可解な殺人事件も正しい診断とそれに基づく治療ができていれば、惨劇は回避できていたはずなのだ。精神を病むと周囲の人に危害が及ぶのが通例だ。とにかく精神医学後進国の日本では、大いに必要なことではないか。(下図は本書で紹介されている「サリー・アン課題」と呼ばれる“心の理論の発達”のテスト図)
まさしく“適切な診断”はどんな疾患にも必須だ。私も昨年11月頃から腰痛に悩まされて来た。近所の整体師では一向に改善しなかった。そこで以前に似た症状を快癒させてくれた整体師が彼の地元に帰って開業していたのを、ネットで探し出して訪ねて行った。そして解剖学に基づく“適切な診断”を下してくれた。どうやら以前より腰回り筋肉が疲弊していて重症とのこと。その固くなった筋肉をほぐす治療を施してくれ、ようやく平癒しつつあるところだ。近所の整骨院にこだわってぐずぐずと3カ月も無駄にしてしまった。今後は臍下丹田に力を入れて姿勢を正さないと腰に負担がかかり又やらかすヨとのことである。
さて、元に戻そう。この本では“サヴァン症候群”や天才についても触れている。“サヴァン症候群は、発達障害や知的障害を持つ人々において、突出した、時には天才的な才能を持つ一群である。”しかし“サヴァンは模倣の才が中心であり、創造性、独創性は見られないこと、成人になると才能は消失することがある”と指摘している。また“サヴァン症候群の原因についてはいくつかの仮説が提唱されているが明確な結論は得られていない”とのこと。
また“いわゆる「天才」と呼ばれる常人とはかけ離れた能力を持つ人たちは、明確な診断がつくかどうかは別として、発達障害的な特徴を持っていることがかなりの割合で認められる”として、いくつかの事例を示している。司馬遼太郎の小説『花神』の主人公・大村益次郎であり、童話作家として著名なハンス・クリスチャン・アンデルセンや『不思議の国のアリス』の作家・ルイス・キャロルを挙げている。彼らの著作物に時として脈絡なく物語が飛ぶ点を発達障害に特徴的であると指摘している。
後は、岩波氏が烏山病院において実践されている治療プログラムの状況や症例経緯の紹介等により、発達障害者を社会参加させる試みを示している。
またこの際“親が発達障害をきちんと認識”することは、養育面で決定的違いを生じる、と指摘している。子供の状態を「症状」と見るか、「気持ちの持ち方次第」と見るかで、子供に対する評価が大きく変わり、ただいたずらに叱責するだけでは、改善せず、むしろ悪化する可能性が高いからだという。
発達障害を“うつ病や統合失調症、あるいはパーソナリティ障害と「診断」され”、見過ごされていることが多々あり、“長期にわたり治療を行っているにもかかわらず、症状が慢性化してなかなか改善がみられない”ことが多いと言って終わっている。
全体に様々な発達障害についてのエピソード紹介があり、私にはこれまで全く埒外だった領域なので非常に興味深かった。
さて、ここまで“お勉強”して我子のことに当てはめてみて、どうやら発達障害にはあたらない、と思えて一安心した。無暗に心配だけするのも非生産的。当面は少し辛抱強く見守ってみようかと思っている。
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