小児アレルギー科医の視線

医療・医学関連本の感想やネット情報を書き留めました(本棚2)。

「子ども虐待という第四の発達障害」

2009年09月06日 16時11分54秒 | 小児医療
著者:杉山登志郎(あいち小児保健医療センター心療科部長兼保健センター長)
発行:学研(2007年)

先日、NHKで「追跡 A to Z, 虐待の傷は癒えるのか?」という番組を見ました。
被虐待児の中でも発達障害をきたした子ども達を収容する情緒障害児短期治療施設(略して”情短”)の日常を紹介する内容ですが、そこにはどうしようもなく混乱し、問題を抱えた現場が映し出されていました。
この本を購入したあったのを思い出し、本棚から取り出して読んでみました。

本の内容は、虐待の現場で子どもとその親をチーム医療で支える医師から見た「虐待の病理」です。
仕事柄、私も虐待事例を扱ったことはありますが、その子達が5年後、10年後どうなっているかまでは一般小児科医は知る術がありません。この本を読んで、その厳しい現実に今までの認識が一変する思いでした。

ただし、一般書ではありますが、専門用語が飛び交うので一般読者には敷居が高いと思われます。「わかりやすく書いた」と著者は述べているものの、例えば「反応性愛着障害抑制型と広汎性発達障害の鑑別」と小児科医の私でさえピンとこないような項目があります(!?)。

 ショックだったのは、虐待は確実に脳を侵し、脳のある部分の容積が減ってしまう器質的疾患を引き起こすという事実。脳に変化が起こるということは「治らない」ことを意味します。それから、被虐待児の終末像としての「多重人格」。被虐待児はあまりにも悲惨な現実を受け入れることができず、他の人格を造って逃げることにより自分を守るという術を獲得せざるを得ない、壮絶で悲しい戦い。現実を受けとめるよりも壊れてしまった方が楽なのです。
 もしかしてオカルト映画の「エクソシスト」は虐待が裏にあったのかもしれないな、とさえ思いました。
 そして結論は、虐待は「家族の病理」であり、「社会の病理」が端的に現れたもの・・・これは予想通りでした。

気になった部分を抜き出してみます。

■ 「虐待は第四の発達障害」と認識すべきである
1.精神遅滞、肢体不自由群
2.自閉症症候群
3.学習障害
4.発達障害としての子ども虐待

■ 子ども虐待の影響は年齢による症状の推移がある。
・幼児期:反応性愛着障害(TVでも出てきた病名です)
・小学生:多動性の行動障害
・思春期:解離障害、外傷後ストレス障害、一部は非行へ
・最終的には「複雑性PTSD」(子ども虐待の終着駅症候群)に至る。
 解離が常在化して意識状態は容易に変異し健忘が生じ、多重人格を呈することが少なくない、未来への希望を持たない重度のうつ病状態となる。さらに「意味の混乱」が起きる。つまり、「自分は何のために生まれてきたのか?」という問題が吹き出してくる。答えを見つけられずに自殺未遂を繰り返すことも希ではない。

 TVの「情短」では多動性行動障害を呈するものが非常に多く、衝動コントロールが不良で、些細なことから相互に刺激をし合い、時にはフラッシュバックを起こし、大げんかになるかフリーズを生じるかといった状況を、毎日のように繰り返していました。

 実はこれとおなじような状況をTVで見たことがあります。

 内戦が終了したばかりのアフリカ某国。少年兵としてかり出された子ども達が小学校へ帰ってきました。しかしそこではケンカばかりで全然授業になりません。なぜなのか、原因を追及してみると・・・
 彼らは少年兵として数日間銃の扱い講習を受けるとすぐに前線へ送られました。そこは敵を殺さなければ自分が殺される極限状況。恐怖で身動きできなくなるのを防ぐために日常的に麻薬を使って不安を沈めているという恐ろしい現実がありました(「ブラッド・ダイヤモンド」という映画にも危ない眼をした少年兵が出てきました)。そんな体験をすると、感情のコントロールができなくなってしまうのでしょう。会話ではなく、すべて暴力で解決するようたたき込まれたのですから。

■ 子ども虐待は脳自体の発達にも影響を与える
 被虐待児の脳を調べた報告では、前頭前野および側頭葉の体積が減少し、さらに早期から虐待を受けた方が大脳が小さく、虐待を受けていた期間が長いほど脳が小さい。また、左右の大脳半球をつなぐ脳梁も小さく、小さいほど強い解離症状を認めた。元被虐待児の大人の調査では、記憶の中枢である海馬と扁桃体の体積が10~15%減少している。

<被虐待児で異常が指摘されている脳領域>
  脳梁、(島)   →  解離症状
  海馬、(扁桃体) →  PTSD
  前頭前野     →  実行機能の障害
  前帯状回     →  注意の障害
  上側頭回、眼窩前頭皮質、扁桃体 →  社会性・コミュニケーションの障害

・・・これだけ解析されている事実に驚くばかりです。なお、広汎性発達障害や一般的なADHDではこれほど明確な器質的変化は認められていないと報告されているそうです。

■ 反応性愛着障害とは?
 生後5歳未満までに親やその代理となる人と愛着関係がもてず、人格形成の基盤において適切な人間関係を作る能力の障害が生じるに至ったもの。愛着の未形成により乳幼児は無反応となり、たとえ十分な栄養が与えられていても、心身の発達の著しい遅れ、さらには免疫機能の低下までが生じ、時として死に至ることもある。
 愛着障害の症状で気になった単語を抜き出してみます:孤独感、疎外感、未来に絶望している、自分自身のみならず人間関係や人生に否定的、自分を悪い子だと思っている、愛することができないと思っている・・・等(悲しすぎます)。

・・・結果的に世紀の大実験となった「チャウシェスク・ベビー」を思い出しましたが、この本でも詳しく取り上げられていました。

■ 「しつけ」について
 「しつけ」などの社会的な練習は、こどもの欲求を抑えつけることに他ならない。愛着者の優しいまなざしが内在化されることによって初めて、愛着者の喜びを自らの喜びと重ね合わせ、社会的な規範が抑圧ではなく倫理や道徳へと転ずるのである。

・・・わかりやすい例を挙げると、尊敬する人に叱られると「気にかけてもらって嬉しい」と自己反省するけど、イヤな人に叱られるとウザイだけ、という現象です。

■ 被虐待児における傷ついた愛着の修復は、ゼロからの出発なのではなくて、マイナスからの出発なのだ。そして愛着の修復は多大の努力にもかかわらず、限定的である。傷が治癒したとしても瘢痕を残すように、一度受けた深刻な心の傷が跡形もなく消失することはもとより不可能である。我々の行っていることは「敗戦処理」であると感じることも少なくない。次世代の連鎖を完全になくすことは無理であっても、軽減させることは可能である。
 治療の困難さを考えると、第一に考えたいのが予防である。できるだけ3歳までに(特に1歳未満の子どもを抱える母子に対しては)、母子の愛着を形成するための絶好の時期であるので愛着形成をサポートすべきである。

■ 解離現象
 脳が目に見える器質的な傷を受けたわけではないのに、心身の統一が崩れて記憶や体験がバラバラになる現象(わかりにくい!)。
(例)母親から殴られる虐待が日常化していた7歳の少女。彼女は殴られるときにいつも意識を飛ばして幽体離脱をしていた。天井に上がってそこから殴られる自分を見ていたので全然痛くなかった言う。

・・・現実を受け入れられず自己防衛のため、生き残る戦略としてこのようなシステム(解離)が働くのでしょう。まるでオカルト映画の一シーンのようで、ゾッとしました。

■ 非社会的な様々な行動が生じると、周囲から「しつけの悪い子」という誤った判断を下されがちであり、両親がしつけによって子どもの身勝手に見える行動を修正しようとすると、さらに愛着の遅れが生じ、社会的な能力は遅れることになる。加えて、激しい叱責や突き放し、体罰に発展することも少なくなく、心理的虐待、身体的虐待に至ってしまう。

■ 一般的なADHDと虐待によるADHD様症状の鑑別
 多動の生じ方が異なる。ADHD様症状の方はムラが目立ち、非常にハイテンションの状態と、不機嫌にふさぎ込む状態とが交代で見られることが少なくない。一般的なADHDは眠くなると多動がひどくなるが、日内変動は少ない。
 メチルフェニデート(商品名:リタリン、コンサータ)は虐待系の多動にはほとんど無効である。
 また、反抗挑戦性障害や非行への移行は虐待系の多動は非常に多いのに対して、一般的なADHDでは比較的少ない。
 最も大切は鑑別点は、虐待系では「解離」の存在があることである。米国精神医学会の診断基準では解離性障害が認められる場合にはADHDから除外されることが規定されている。

■ 子ども虐待は「家族の病理」であり、家族というある種の閉鎖システムに穴を開ける作業が必要となる。さらに治療を行っていけば、親とその親の関係、すなわち一世代前の親子関係に必ずたどり着く。
 暴力にさらされた子どもは、治療をきちんと受けない限り暴力にとても親和性が高い大人に育ち、DV夫となる暴力的な男性に引き寄せられ、さらに自らも子どもに何らかの虐待を行う危険性が高くなってしまう。

■ 愛着障害(あるいは「虐待的きずな」というゆがんた愛着)を起こしている被虐待児に、愛情をもって接すれば子どもの心が癒されるかというと、そう単純なものではない。愛情が注がれればそれだけ逆に問題が噴出するというパターンになる。

 なぜ虐待が増えたのか? 
 結論として、著者は日本文化の変容を挙げています。
「弱者は社会が保護する」という文化がいつの頃からか無くなりつつある。家族・家庭の意味が子育ての単位から自己実現の単位に変わったとき、子どもの育ちは危機に瀕する。

・・・「虐待の連鎖」とはマスコミでよく使われる言葉ではあります。私は以前から「親子関係だけではなく、3世代、いやもっと連鎖は続いてきているのではないか?」と感じていました。それは結局「社会のゆがみ」が弱者である子どもに押しつけられた危機的状況を警告しているのでしょう。
 子どもがまともに育たない社会・・・50年後の日本は自滅しているかもしれません。
コメント
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