小児アレルギー科医の視線

医療・医学関連本の感想やネット情報を書き留めました(本棚2)。

クスリとしてのハチミツ

2019年10月29日 08時18分08秒 | 小児医療
 近年、一部の小児科医の間で密かにハチミツ・ブームが起こっています。
 かぜ薬(咳止め)としてハチミツを処方しているのです。

 「え? ハチミツって薬なの?」

 という反応がふつうですよね。
 当初、私もそうでした。
 でも、れっきとした医学論文もあるのです。

小児の夜間の咳に対するハチミツの有効性
2012年08月21日:Medical Tribune


 イスラエルの小児科医が1〜5歳の小児の風邪症状に対してハチミツと偽薬(=プラセボ:ハチミツに似たナツメヤシ・シロップ)を投与したところ、ハチミツ投与群の方が、対象者全員で咳と睡眠の改善が認められ、さらにハチミツ群の方が改善の程度が有意に高かった、という内容です。
 ただハチミツは、乳児ボツリヌス症のリスクがあるため、1歳未満の乳児には使用できないこと,さらには齲歯リスクの観点からハチミツの使用は必要最小限にとどめるべき、との注意点も示しています。
 気になることは、この研究が「イスラエルハチミツ連盟などによる資金提供を受けて実施」されていること、偽薬(プラセボ)でも効果があったことですね。関連団体からお金をもらっていると、その団体に有利な結果が出る傾向がありますから。

 一方、なんと「WHOは1歳未満の乳児以外への咳止めとして使用を推奨している」という文章もあり、ちょっと驚きました。
 同じ論文を扱った記事をもう一つ見つけました;

薬よりも効果が高い?かぜの代替療法
2014/12/24:日経メディカル



 「子どもの咳には蜂蜜が効果的かもしれない」─。にしむら小児科の西村龍夫氏はこう話す。実際、就寝30分前にスプーン半分から2杯の蜂蜜を与えた小児の群は、プラセボを投与した群に比べ夜間の咳嗽が緩和され、夜間の咳に伴う本人と親の睡眠状態を有意に改善したというランダム化比較試験(RCT)のデータがある(図A)。
 日本薬局方には「ハチミツ」が収載されている。「外来で親に説明し、初回は薬局で処方してもらうとよい」(西村氏)。ただし、蜂蜜にはボツリヌス中毒の恐れがあるため、1 歳未満には与えないよう注意が必要だ。
 蜂蜜入りコーヒーは、成人を対象にしたRCTでもステロイドやグアイフェネシンを含む去痰薬よりも咳嗽を軽減させている(Raeessi MA, et al.Prim Care Respir J. 2013;22:325-30.)。成人では蜂蜜単独よりも蜂蜜入りコーヒーの方が咳嗽を軽減させる効果が高いという(Raeessi MA, et al:Iranian Journal of Otorhinolaryngology.2011;23:1-8.)。



 フムフム・・・。
 ハチミツって咳止め効果があるんだ!
 と思いきや、実は、クスリでなくても何かを飲ませるだけで乳幼児の夜間咳嗽は改善するという報告もあります。

乳幼児の夜間咳嗽にはプラセボでも効果
2014/11/20:日経メディカル
 急性の非特異的咳嗽で受診した生後2~47カ月の乳幼児に対して、就寝前のアガベネクター(アガベシロップともいう。リュウゼツラン由来の天然甘味料で、主にフルクトースとグルコースからなる)またはプラセボの投与により、無治療に比べて有意に症状の軽減効果があることがランダム化比較試験(RCT)の結果として示された。米Pennsylvania州立大学のIan M. Paul氏らが、JAMA Pediatrics誌電子版に2014年10月27日に報告した。
 ・・・・・
 ペンシルバニア州内の大学に付属する小児科外来施設2カ所で、2013年1月28日から2014年2月28日に、生後2~47カ月の小児で急性の非特異的咳嗽が発生してから7日以内の患者を登録。発熱、鼻閉、鼻漏など咳嗽以外の症状を有する小児も登録可能とした。喘息や肺炎など、治療が可能な疾患が疑われる患者は除外した。
 ・・・・・
 介入前夜と介入日の夜の各症状のスコアの差を求めて3群間で比較したところ、治療なし群に比べて、アガベネクター群とプラセボ群では、咳嗽の煩わしさ(P=0.06)以外の項目に有意な改善が認められた(P<0.05)。しかし、アガベネクター群とプラセボ群には、差は認められなかった。



 ここでは1歳未満にも使えるアガペネクター(成分はフルクトースとグルコース、つまりハチミツと同じ)を採用し、アガペネクター投与群と偽薬群と何も投与しない群で比較したところ、投与2群は非投与群より咳嗽が改善したけど、アガペネクターと偽薬では差がなかった、という結果です。つまり、ハチミツ類似のアガペネクターが効いたわけではない、ということ。
 論文著者の結論は「急性の非特異的咳嗽を呈する乳幼児には・・・プラセボ効果のみが期待される治療の実施を検討してもよいのではないか」というオチ(?)でした。

 ウ〜ン・・・上記を読んでも、
 「本当にハチミツってクスリとして効果があるの?」
 という素朴な疑問が残ります。
 
 たくさんの信頼できる論文を集めて解析したコクラン・レビューにも蜂蜜の評価がありました。

蜂蜜は小児の急性咳嗽に効くのか?
2018/04/23:ケアネット
 小児の咳症状は、外来受診の理由となることが多い。蜂蜜は、小児の咳症状を和らげるために、家庭で一般的に用いられている。University of Calabar Teaching HospitalのOlabisi Oduwole氏らは、小児の急性咳嗽に対する蜂蜜の有効性を評価するためにシステマティックレビューを実施し、2018年4月10日、Cochrane Database of Systematic Reviewsに公開した。本レビューは、2010、2012、2014年に続く更新。本レビューの結果、蜂蜜は、無治療、ジフェンヒドラミン、プラセボと比較して、咳症状を多くの面で軽減するが、デキストロメトルファンとはほとんど差がない可能性が示唆された。また、咳の持続時間についてはサルブタモール、プラセボより短縮する可能性はあるが、蜂蜜使用の優劣を証明する強固なエビデンスは認められなかったと結論している。
 著者らは、MEDLINE、Embase、CENTRAL(Cochrane Acute Respiratory Infections Group's Specialised Registerを含む)などをソースとして、2014~18年2月のデータを検索した。また、2018年2月にはClinicalTrials.govとWHOのInternational Clinical Trial Registry Platformも同様に検索した。対象とした試験は、急性の咳症状で外来受診した12ヵ月~18歳の小児に対する治療(蜂蜜単独、蜂蜜と抗菌薬の併用、無治療、プラセボ、蜂蜜ベースの咳止めシロップ、その他の咳止め薬)における無作為化比較試験で、899例の小児を含む6試験。今回の更新で、3試験331例の小児が追加された。これらの試験では、蜂蜜をデキストロメトルファン、ジフェンヒドラミン、サルブタモール、ブロメライン(パイナップル科の酵素)、無治療、プラセボと比較していた。



 有効、無効の論文が混在する中で、結論は「急性咳嗽に対して蜂蜜使用の優劣を証明する強固なエビデンスは認められなかった」というもの。
 まあ、“微妙”ということです。
 
 では、最も有効な咳止め薬は?
 知りたいですよね。
 ・・・実は、存在しないんです。

「風邪による咳に効く薬はない」米学会が見解
2017/12/08:HealthDay News:ケアネット
 しつこい咳を抑える風邪薬を探し求めている人に、残念なニュースだ。市販されているさまざまな咳止めの薬から米国で「風邪に効く」とされているチキンスープといった民間療法まで、あらゆる治療法に関して米国胸部医学会(ACCP)の専門家委員会が文献のシステマティックレビューを行ったところ、効果を裏付ける質の高いエビデンスがある治療法は一つもなかったという。これに基づき同委員会は指針をまとめ、「風邪による咳を抑えるために市販の咳止めや風邪薬を飲むことは推奨されない」との見解を示した。
 このシステマティックレビューと指針はACCP専門家委員会の報告書として「Chest」11月号に掲載された。筆頭著者で米クレイトン大学教授のMark Malesker氏によると、数多くの米国人が風邪による咳に対して市販薬を使用しており、2015年の米国における市販の風邪薬や咳止め薬、抗アレルギー薬の販売額は95億ドル(約1兆700億円)を超えていたという。
 今回、同氏らはさまざまな咳に対する治療法の効果を検証したランダム化比較試験(RCT)のシステマティックレビューを実施した。その結果、抗ヒスタミン薬や鎮痛薬、鼻粘膜の充血を緩和する成分が含まれる風邪薬に効果があることを示す一貫したエビデンスはなかった。また、ナプロキセンやイブプロフェンなどの非ステロイド性抗炎症薬(NSAID)の試験データの分析からも、これらの効果を裏付けるエビデンスはないことが分かった。
 ACCPがこのトピックについてシステマティックレビューを実施したのは2006年に発表した咳ガイドライン以来だが、「残念ながら2006年以降、風邪が原因の咳に対する治療の選択肢にはほとんど変化がない」と同氏らは説明している。



 なんだか、力の抜けるオチになってしまいました。
 結局は、(薬を飲ませる行為を含めた)家族の優しい看護が最も有効な治療、というこでなのでしょう。

 実はハチミツ、クスリとしては人間と長い付き合いがあります。
 以下に、Wikipediaから一部抜粋しました:

薬用
・古代エジプトの医学書エーベルス・パピルスおよびエドウィン・スミス・パピルスには内用薬および外用薬(軟膏剤、湿布薬、坐薬)への蜂蜜の活用が描かれている。

・『旧約聖書』の「サムエル記・上」には疲労と空腹により目のかすみを覚えたヨナタンが蜂蜜を食べて回復する逸話が登場する。

・古代ギリシャでは医学者のヒポクラテスが炎症や潰瘍、吹き出物などに対する蜂蜜の治癒効果を称賛している。

・古代ローマの皇帝ネロの侍医アンドロマコスは、蜂蜜を使った膏薬テリアカを考案した。テリアカは狂犬病に罹った犬や毒蛇に噛まれた際の、さらにはペストの治療薬として用いられた。テリアカの存在は奈良時代に日本へ伝えられ、江戸時代になってオランダ人によって現物が持ち込まれた。

薬効とその科学的根拠
・蜂蜜は古来、外科的な治療に用いられてきた。古代ローマの軍隊では、蜂蜜に浸した包帯を使って傷の治療を行っていた。蜂蜜は無毒で非アレルギー性で、傷にくっつくことはなく、痛みを与えず、心を落ち着かせ、殺菌スペクトルは広域で、抗生物質の耐性菌にも有効であり、かつ耐性菌を生まない。元となる花の種類は効果に差を生じさせないようである。創傷(けが)に有効性を示した研究は少なくなく、火傷では流水後、火傷に直接つけるかガーゼに浸潤させたり、また閉塞性のドレッシング材にて覆ってもいい。交換頻度は、滲出液によってハチミツが薄まる速度に応じて行う。

・蜂蜜には強い殺菌力のあることが確認されており、チフス菌は48時間以内に、パラチフス菌は24時間、赤痢菌は10時間で死滅する。また、皮膚の移植片を清浄で希釈や加工のされていない蜂蜜の中に入れたところ、12週間保存することに成功したという報告がある。蜂蜜の殺菌力の根拠についてカナダのロックヘッドは、浸透圧が高いことと、水素イオン指数が3.2ないし4.9で弱酸性であることを挙げている。蜂蜜の持つ高い糖分は細菌から水分を奪って増殖を抑える効果をもたらし、3.2ないし4.9という水素イオン指数は細菌の繁殖に向いていない。しかしながらポーランドのイズデブスカによって、蜂蜜に水を混ぜて濃度を10分の1に薄めても殺菌力を発揮することが確認され、ロックヘッドの主張と両立しないことが明らかとなった。アメリカのベックは、皮膚のただれた箇所に蜂蜜を塗って包帯を巻くとリンパが分泌され、それにより殺菌消毒の効果が得られると主張している。前述のように蜂蜜に含まれる酵素グルコースオキシターゼは、グルコースから有機酸(グルコン酸)を作り出すが、その過程で生じる過酸化水素には殺菌作用がある。人類は古くから蜂蜜がもつ殺菌力に気付いていたと考えられ、防腐剤として活用した。

・蜂蜜は古来瀉下薬として用いられ、同時に下痢にも効くとされてきた。蜂蜜に含まれるグルコン酸には腸内のビフィズス菌を増やす効能があり、これが便秘に効く理由と考えられる。フランスの医学者ドマードは、悪性の下痢を発症し極度の栄養失調状態にある生後8か月の乳児に水と蜂蜜だけを8日間、続けてヤギの乳と水を1:2の割合で混ぜたものを与えたところ、健康状態を完全に回復させることに成功したと報告している。これは、蜂蜜のもつ殺菌作用によって腸内環境が改善されたためと考えられている。

・古代エジプトの医学書中には盲目の馬の目を塩を混ぜた蜂蜜で3日間洗ったところ目が見えるようになったという記述が登場する。また、マヤ文明ではハリナシバチが作った蜂蜜を眼病の治療に用いていた。その後、蜂蜜が白内障の治療に有効であることが科学的に明らかとなった。インドでは20世紀半ばにおいて、蜂蜜が眼病の特効薬といわれていた。

・欧米には「ハチミツがガンに効くという漠然とした"信仰"に近いもの」が根強く存在する。1952年に西ドイツのアントンらが19000人あまりを対象に職業別の悪性腫瘍発症率を調べたところ、ほとんどの職業において1000人中2人の割合であったところ、養蜂業の従事者については1000人中0.36人の割合であった。この結果からは養蜂業従事者の生活習慣の中に悪性腫瘍を抑制する要因があることが読み取れるが、それを蜂蜜の摂取に求める見解がある。フランスのアヴァスらは、動物実験によってハチミツに悪性腫瘍を抑制する作用があることを確認している。また、前述のように蜂蜜には生成の過程でローヤルゼリーに含まれる物質が混入すると考えられているが、カナダのタウンゼンドらはローヤルゼリーの中に悪性腫瘍を抑制する物質(10-ヒドロキシデセン酸)を発見している。

・二日酔いには蜂蜜入りの冷たい水が有効であるとされる。蜂蜜に含まれるフルクトースは肝臓がもつアルコール分解機能を強化する効果をもち、さらにコリンやパントテン酸にも肝臓の機能を高める作用がある。デンマークの医師ラーセンは、泥酔者に蜂蜜を飲ませたところ、短時間で酔いから覚めたと報告している。また、ルーマニアのスタンボリューは124人の肝臓病患者が蜂蜜を摂取することにより全快したと報告している。

・古代ローマの詩人オウィディウスは『恋愛術(恋の技法)』の中で、精力剤としてヒュメトス産の蜂蜜を挙げている。蜂蜜の精力増強作用について、19世紀の科学者は懐疑的であったが、20世紀に入りイタリアのセロナは0.9gの蜂蜜中に20国際単位の発情物質が含まれると発表した。

・蜂蜜には血圧を下げる効能があるといわれてきた。蜂蜜にはカリウムが多く含まれるが、食塩を過剰に摂取した際にカリウムを摂取すると血圧を下げることができる。また、蜂蜜に含まれるコリンには高血圧の原因となるコレステロールを除去する効果がある。

・古代エジプトや中国の文献には、蜂蜜の駆虫作用に関する記述がみられ、甘草と小麦粉、蜂蜜から作った漢方薬「甘草粉蜜糖」は駆虫薬として知られる。1952年(昭和27年)に日本の岐阜県岐阜市にある小学校で実験が行われ、蜂蜜を飲んだ小学生の便からは回虫の卵がなくなるという結果が得られた。蜂蜜に含まれるどの成分が駆虫作用をもたらすかについては明らかになっていない。

・その他に、鎮静作用が認められ、咳止め、鎮痛剤、神経痛およびリウマチ、消化性潰瘍、糖尿病に対する効能が謳われている。

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医療裁判における薬剤添付文書の位置づけ

2019年10月07日 07時08分28秒 | 医療問題
 一般に、医療(保険診療)で用いる薬剤の使い方は、その薬の説明書である「添付文書」に従います。
 しかし、時代を経ると、病気とその治療に対するスタンスが変わり、添付文書の内容が古く感じられることもしばしば。
 その際に参考になるのが「ガイドライン」で、各専門学会が公表しています。

 さて、薬の副作用で後遺症が残ったという医療事故が起きた場合、その薬剤が添付文書上は対象疾患に適応がなかった、でもガイドラインには記載があった、という場合、どうなるのでしょう。
 法律違反になるのか、それともその時の標準治療として認められるのか・・・臨床現場での悩みです。

 この点に関して、医療問題専門弁護士さんの書いた記事を見つけました。
 結論から申し上げると、

・医師は添付文書に記載された注意義務を必ず順守しなければならないものではないが、それに反する措置を取った場合には、その合理的理由を明らかにする必要がある。

・医療機関の主張する理由が当時の医療水準に照らして合理性を有していれば、過失は認められず、医療機関において合理的理由が説明できないのであれば、過失が認められることになる。

・添付文書と異なった使用方法であったとしても、“特段の合理的な理由”があれば、医師の過失は推定されない、その使用方法が診療ガイドラインの推奨に則していた場合には、“特段の合理的な理由”があることの有力な根拠になり得る。


 ということのようです。

 私が困っているのが漢方の使い方です。
 例えば麻黄湯。
 この薬は、「乳児の鼻閉」に適応があります。かぜ気味で鼻がズコズコ・フガフガつらそうなときに、この漢方薬を練って口の中になすりつけ、その直後におっぱいで飲み込ませると鼻づまりが改善するのです。
 ところが困ったことに、麻黄湯の添付文書には「小児に対する安全性は確立されていない」とも記載されています。
 ???
 「乳児の鼻閉」に適応があるのに「小児に対する安全性は確立されていない」とはどういうこと?
 使っていいの、それともいけないの?

→ 製薬会社のMRさんに何回質問してもうやむやな返事しかもらえません。

 二つ目の記事にあるように「添付文書は、製造業者や輸入販売業者が責任を問われないようにするために、わずかでも危険性があれば使用上の注意事項に記載しており、それに従っていると、重症患者や緊急を要する患者等に処方する薬がなくなってしまう」
 という現実があります。
 現場に責任を丸投げしているのですね。
 大きなストレスです。


添付文書とガイドラインで異なる記載、どちらを優先?
2019/7/10:日経メディカル
桑原 博道 淺野 陽介(仁邦法律事務所)
 医薬品の使用が関係する医療訴訟で、医師の過失などを判断する材料として医薬品の添付文書が重視されることはご存じかと思います。
 実際、この点については有名な最高裁判例があり、「医師が医薬品を使用するに当たって添付文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される」としています(1996年1月23日判決)。
 この最高裁判例について少し解説しますと、一般の医療訴訟では、医師の過失を証明する責任は原告(患者側)にあり、医師の過失が推定されることはありません。しかし、添付文書と異なった使用をした場合には、そうした使用について「特段の合理的理由」がない限り、医師の過失が推定されるという判断が示されたわけです。
 ただし、「特段の合理的理由」があれば医師の過失は推定されないため、医師側としては「特段の合理的理由」があるかどうかが重要になります。医薬品の使用が関係する医療訴訟では、この考え方が現在の裁判実務を支配しています。

◇ 禁忌だったにもかかわらず過失を否定
 他方、学会などが関わって多くの診療ガイドラインが作成されていますが、中には医薬品の使用に関する添付文書の記載と診療ガイドラインの記載とが異なっている場合もあります。では、こうした場合、どちらを優先すべきでしょうか。
 この点について、裁判例を3つ紹介します。
 1つ目の裁判例は、脳出血急性期の患者に対し、カルシウム拮抗薬のペルジピン(一般名ニカルジピン)の静脈内注射をしたものの、当時(2005年9月)のペルジピンの添付文書では、頭蓋内出血で止血が完成していないと推定される患者や、脳卒中急性期で頭蓋内圧が亢進している患者については、使用が禁忌であったという事例です。
 2013年11月13日岡山地裁判決は、このケースにおける投与は2005年9月時点の添付文書上、禁忌だったとした上で、こうした禁忌事項には科学的根拠がなく、海外のガイドラインと矛盾しているとしました。さらに、国内の使用状況とも合致せず、ペルジピンに代わる脳出血急性期に安全で有効な降圧薬がないという理由で、2008年に日本脳神経外科学会から見直しの要求がなされ、2009年7月にはペルジピンの添付文書から本件禁忌事項が削除された点を指摘。これらの事情からすると、本事例で添付文書の記載に従わず、ペルジピンの静脈内注射をしたことについては「特段の合理的理由」があり、過失は認められないとしました(結論も請求棄却)。

◇ 「ガイドラインで推奨、保険適応なし」の場合は?
 2つ目の裁判例は、妊娠高血圧症候群(PIH)の管理目的で入院していた妊婦がHELLP症候群を発症し、子癇発作を併発したのに対し、硫酸マグネシウムを投与しなかったことの過失が問われた事例です。診療ガイドラインでは、重症のPIHの妊婦に対して分娩後に硫酸マグネシウムを予防投与することが推奨されていましたが、こうした投与について保険適応はありませんでした。
 こちらの事例について2009年12月16日名古屋地裁判決は、子癇発作の予防措置として硫酸マグネシウムの投与が有効との報告があることや、PIH管理ガイドラインの2009年版においても、保険適応はないものの副作用に注意しつつ、重症PIHの妊婦の分娩後に予防投与することが推奨されている点を指摘。一方で、上記の各報告やガイドラインにおいても、全ての子癇発作が予防できるとまではされておらず、子癇の予防目的での投与としては保険適応がないことを考えると、標準的な予防法であるとみるのは困難であるとし、予防措置として硫酸マグネシウムを投与しなかったからといって過失は認められないとしました(他の点で過失が認められ、結論は約8400万円の賠償命令)。

 3つ目の裁判例は、関節リウマチ患者に対するリウマトレックス(一般名メトトレキサート)の投与中に発熱や咳嗽、呼吸困難が認められたのに対し、その時点でリウマトレックスの投与を中止しなかったことの過失が問われた事例です。添付文書には、投与開始後に発熱、咳嗽、呼吸困難などの異常が認められた場合には、速やかに検査をし、リウマトレックスの投与を中止するとされていました。また、関節リウマチ治療におけるメトトレキサート(MTX)ガイドラインにおいても、急に発熱、咳嗽、息切れ、呼吸困難が見られた場合には投与を中止することが記載されていました。
 こちらの事例について、2015年10月22日さいたま地裁判決は、添付文書や診療ガイドラインに投与中止の記載があり、さらには同様に記載する文献や論文も多くあるので、合理的な理由がない限りはリウマトレックスの投与を中止すべきであるとの判断を示しました。
 裁判で医師側は、(1)リウマチの治療の必要性を整形外科に確認し、必要性を肯定する回答を得た、(2)リウマトレックスを中止するとリウマチ性の肺炎を悪化させる可能性がある――ことを、「合理的な理由」として挙げました。しかし裁判所は、(1)については、本件で整形外科の医師がリウマチ治療のためにリウマトレックスの投与継続の必要性があると回答したとは言えず、(2)については、被告(病院側)の意見書作成医が、リウマトレックスはリウマチの関節症状には奏功するが肺症状に奏功するというエビデンスがないと証言していると指摘。投与を中止しなかったことに合理的理由があるとはいえず、過失が認められるとしました(死亡と過失との因果関係は否定され、「死亡時点でなお生存していた相当程度の可能性がある」という「相当程度の可能性」の理論により660万円の賠償命令)。

◇ 添付文書とも診療ガイドラインとも異なる場合は…
 これらの裁判例から、次のことが分かります。まず、添付文書と異なった使用方法であったとしても、「特段の合理的な理由」があれば、医師の過失は推定されないわけですが、その使用方法が診療ガイドラインの推奨に則していた場合には、「特段の合理的な理由」があることの有力な根拠になり得るということです。
 1つ目の裁判例は、このパターンに該当しますが、事案発生後の事情として、添付文書の記載が変更になったことも裁判所の判断に影響を及ぼしたと言えそうです。ちなみに、この事例で添付文書の変更が行われたのは、学会からの具体的な根拠に基づく見直し要求が背景にあったようです。疑問に思われる添付文書の記載に対しては、学会として見直しを要求することが有用なようです。
 次に、診療ガイドラインで推奨される治療を行わなかったとしても、保険適応がなければ過失が認められない場合があるということです。2つ目の裁判例は、そうした判断を示したものですが、判決では、診療ガイドラインで全ての子癇発作が予防できるとまではされていないことを指摘していますので、診療ガイドラインで推奨される治療を行わない場合には、推奨の意味合いも含めて考慮した方がよさそうです。
 最後に、3つ目の事例は添付文書とも診療ガイドラインとも異なった治療を行ったもので、そのことをもって直ちに過失を認めたものではありませんが、結論としては過失を認めています。こうした治療を行う場合には、患者の特性などの具体的事情からやむを得ないと言えるのか、慎重に議論や考察をしておいた方がよいでしょう。



「添付文書に従わないと裁判で負ける」の誤解
2019/9/24:日経メディカル)より抜粋
大島 眞一(奈良地家裁所長)
 医薬品は、これに添付する文書等に用法、用量、その他使用および取り扱い上の注意などを記載しなければならないとされています(医薬品医療機器等法52条1項)。では、医師がその注意義務に反することをした場合に、過失は認められるでしょうか。
 これに関する判決として、最高裁平成8年1月23日判決(民集50巻1号1頁)があります。

1 事案の概要
 虫垂炎に罹患したX(当時7歳5カ月)がY病院で虫垂切除手術を受けました。手術中に血圧低下による心停止に陥り、蘇生はしたものの重大な脳機能低下症の後遺症が残りました。
 Xに対し使用された麻酔薬(0.3%のペルカミンS)の副作用として、注入後に血圧低下を来す例があることは、かなり古くから知られていました。昭和30年代にはこれによる医療事故も多発したため、腰椎麻酔中は「頻回」に血圧の測定をする必要があるということ自体は臨床医の間で広く認識されていましたが、「頻回」とはどのくらいの間隔をいうのかは一致した認識があったとは言えませんでした。
 そこで昭和47年から、ペルカミンSの添付文書に、麻酔薬注入後10分ないし15分までの間、2分間隔で血圧の測定をすることが注意事項として記載されるようになりました。もっとも、本件で問題となった昭和49年当時の医療現場では、必ずしも2分間隔での血圧測定は行われておらず、5分間隔で測定すればよいと考える医師もかなりいたようで、本件でも、医師は5分間隔で測定するように指示していました。

2 判決
 最高裁は、次の通り述べて、患者側の請求を棄却した名古屋高裁判決を破棄し、差し戻しました。
 医師が医薬品を使用するにあたって添付文書に記載された使用上の注意義務に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される。仮に当時の一般開業医が添付文書に記載された注意事項を守らず、血圧の測定は5分間隔で行うのを常識とし、そのように実践していたとしても、それは平均的医師が現に行っていた医療慣行であるというにすぎず、これに従った医療行為を行ったというだけでは、医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたことにはならない。

3 解説
 医療用医薬品の投与を受ける患者の安全を確保するため、最も高度な情報を有している製造業者または輸入販売業者は、医薬品の効能や危険性を明記し、医師等に必要な情報を提供することが義務付けられています。ですから、医薬品を使用する医師には、添付文書に記載された注意事項に従って使用すべき注意義務があるといえます。
 もっとも、この点については医師から根強い批判があります。「添付文書は、製造業者や輸入販売業者が責任を問われないようにするために、わずかでも危険性があれば使用上の注意事項に記載しており、それに従っていると、重症患者や緊急を要する患者等に処方する薬がなくなってしまう」「併用禁止、併用注意とされていても、いろいろな病気を併せ持っている患者には併用せざるを得ないことがある」「患者の病態や体質等に応じて、医薬品の効用と副作用を踏まえて処方するのが医師であり、添付文書が医師の判断に優先するのは不当である」――などというものです。
 臨床の現場においては、特に緊急性を要する場合には、ある程度の危険を覚悟で、添付文書の内容に反して即効性のある処方をすることもあるようです。もっとも、上記最高裁判決の事案は、血圧測定を2分間隔ですべきであったのに5分間隔でしていたというもので、容易に使用上の注意義務に従うことができ、それにより不都合がなかったと考えられるケースですので、緊急性を要する場合の用法外の使用などとは性質が異なります。

◇ 医療水準に照らして「合理性」があるか
 本判決は、医薬品の添付文書について一般論を展開していますが、添付文書の記載事項も様々であり、事案によって異なると解すべきです。添付文書の内容に従わず、悪しき結果が生じて裁判になると敗訴するものと思われる方もいらっしゃるようですが、必ずしもそうとは限りません。
 添付文書の「警告」や「禁忌」の場合、あるいは、今回紹介した事例のように内容が一義的で明確な場合(注射速度等の数値で規定されているもの)については、それに反すると、過失があったと推定できます。しかし、例えば添付文書の記載事項の1つである「特定の背景を有する患者に関する注意」(投与に際して他の患者と比べて特に注意が必要な場合などの記載。平成29年6月8日厚生労働省医薬・生活衛生局長通知参照)に反して投与したケースであれば、具体的な投与の状況や患者の状態を検討しないことには、当該投与につき過失があったかどうかは判断できません。
 また、投与を受ける患者の個体差、病態の内容・程度は千差万別ですから、添付文書に記載された使用上の注意とは異なった取り扱いをすることに合理的理由が存する場合もあり、あるいは患者の生命を守るためにあえて危険を冒して治療行為をすることが是認される場合もあります。
 したがって、裁判において過失の有無を判断する際には、医師が添付文書に反する医療行為をした理由を十分に検討する必要があるといえます。その判断要素としては、
(1)当該疾患の重大性や他に有効な治療法がないなどといった「治療の必要性」に関する事情、
(2)当該医薬品の使用に伴う副作用の内容、程度、頻度
――を総合的に考慮して判断することになると考えられます。
 まとめますと、医師は添付文書に記載された注意義務を必ず順守しなければならないものではありませんが、それに反する措置を取った場合には、その合理的理由を明らかにする必要があるといえます。医療機関の主張する理由が当時の医療水準に照らして合理性を有していれば、過失は認められませんし、医療機関において合理的理由が説明できないのであれば、過失が認められることになると考えられます。
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消費税増税と医療費の関係

2019年10月07日 06時24分25秒 | 医療問題
 一般には知られていませんが、保険診療は消費税と無縁です。
 しかし、医療機関が購入する薬剤やワクチン、医療機器、消耗品などには当然、消費税がかかります。
 つまり、消費税が増税しても、それを収入に反映させることができないしくみになっており、経営が苦しくなります。

 医療の他に消費税が回収できない分野ってあるのでしょうか?

 今回(2019年10月)、消費税10%にアップする際、さすがに保険診療も消費税を徴収してよい、と変革されるだろうと思ってきましたが、なしのつぶてで、結局なにも変わりませんでした。
 その辺の事情を扱った記事を見つけました。
 
 皆さん、窓口負担が増えたからといって「便乗値上げだ!」と勘違いしないでください。
 適正な改定です。
 なお、保険診療外の費用は、各医療機関で自由に決められるため、消費税増税分が反映されます。


消費税10%で医療費も値上げ なぜ?
2019.9.25:読売新聞
 (田村良彦 読売新聞専門委員)
◇ 2年ごとの通常改定とは別の「臨時の値上げ」
 10月1日から消費税が10%に引き上げられるのに伴い、医療機関の初診料なども値上げされる。保険のきく医療費は非課税のはずなのに、なぜ値上げされるのだろうか。
 公的医療保険の値段は、国が一律に定めている公定価格だ。保険点数は1点が10円で、通常、2年に1回改定される。前回の改定は2018年4月だった。次回は2020年4月に予定されており、今回の値上げは2年ごとの改定の間に行われる「臨時の値上げ」ということになる。

◇ 初診料は60円、再診料は10円アップ
 10月から値上げになるのは、初診料や再診料のほか、入院にかかる基本料や管理料、保険薬局の調剤基本料などが対象だ。
 たとえば、初診料は現在の2820円から2880円に、再診料は720円から730円に引き上げられる(窓口負担はその1~3割)。



◇ 消費税10%で医療費も値上げ なぜ?
 薬剤費などを除く診療報酬本体の改定率は、プラス0・41%(医科0・48%、歯科0・57%、調剤0・12%)。薬価や材料費は実勢価格による引き下げも合わせた改定が行われる。

◇ 消費税引き上げ→医療機関にとって負担増
 消費税が上がると、なぜ保険点数が引き上げられるのか。
 医療機関は、物品などを業者から仕入れる際に消費税を支払っている。一般的な小売業であれば、小売価格に消費税を上乗せして消費者から徴収したうえで差額を納付する仕組みで、実質的な負担はないこれに対し、保険の診療費は非課税であるため、医療機関が患者から消費税を徴収することはできない
 この結果、医療機関が仕入れに際して支払った消費税分の金額は、医療機関の負担になっている。税率が8%から10%に上がれば、医療機関の仕入れにかかる負担もその分増えることになる。

◇ 医療機関の負担増を診療報酬で補填
 消費税による負担分の 補ほ填てん を求める医療側に対し、国は、診療報酬の改定に上乗せする形で対応。税率が5%から8%に引き上げられた2014年4月の診療報酬改定においても、増税による医療機関の負担増分を含めた引き上げが行われている。ただしこの時は、通常の2年ごとの改定と同時だったため、患者側にとっては、消費税増税による値上げという印象は薄かったかもしれない。
 実は、今回の診療報酬改定の作業中、前回の5%から8%に上がった際の改定による補填が不十分だったとの検証結果が明らかにされた。このため、今回の改定にあたっては、税率が5%から8%に上がった部分も含めた、5%から10%の部分について、より正しい補填となるように点数の見直しを実施したとしている。

◇ 差額ベッドやセカンドオピニオンの料金は?
 消費税率の引き上げが影響するのは、これだけではない。保険適用外の費用で消費税の対象となっているものは、税率アップがそのまま患者の負担増となる可能性がある。
 たとえば、治療法の決定などに際して別の医師の参考意見を聞くセカンドオピニオン。原則、保険適用外だ。
 国立がん研究センター中央病院(東京都)によると、同病院のセカンドオピニオン外来は、60分で現在の4万3200円(税込み)から、4万4000円(同)になる。差額ベッド代についても、たとえば従来1日3万7800円(税込み)の部屋は、3万8500円(同)といった具合に、消費税の2%アップに伴って10月から値上げされる。

◇ 診断書などの文書代、おむつ代なども
 保険適用外で実費徴収が認められている費用の例としては、次のようなものなどがある。
 ・おむつ代や病衣貸与代、テレビ代や理髪代、クリーニング代などの日常生活上のサービスにかかるもの
 ・診断書などの文書の費用や、カルテ開示の手数料など
 ・在宅医療にかかる交通費や薬剤の容器代
 ・インフルエンザなどの予防接種や美容形成の費用など
 実際の負担額は医療機関によっても異なるが、消費税の課税対象となっているものは10月から税込み費用が上がる可能性がある。それぞれの医療機関で確認したい。


 
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その小児の急性中耳炎に抗菌薬(抗生物質)は必要ですか?

2019年10月06日 16時29分30秒 | 感染症
 私は小児科医ですが、必要に迫られて中耳炎の診療もしています。
 多くは、風邪を引いて何日か経過後、熱が続き、かつ耳が痛いと訴える子どもたちです。
 私の方針は・・・・

 耳の中を耳鏡で観察し、
・鼓膜が赤い(充血)
・腫れている(膨隆)
・膿が溜まっている(混濁)
 の3つの所見が揃うと抗菌薬(=抗生物質)を処方しています。
 揃わないときは解熱鎮痛剤で様子観察します。
 治療薬はペニシリン系抗菌薬です。5日間服用していただきます。
 服用終了後に治癒確認目的で再度来院を指示します。
 風邪は症状が良くなれば結果オーライですが、中耳炎は所見が消えることを確認する必要があります。
 なぜかというと、膿が溜まっている状態が続く(慢性中耳炎)と、聴力低下のリスクがあるからです。
 数週間後も所見が消えない場合や、中耳炎を反復してもともと耳鼻科に通っている患者さんは、治癒確認もそちらでしてもらうよう指示しています。

 さて、私の治療法は、日本耳鼻科学会から出ている中耳炎診療ガイドラインに合っているのでしょうか。

 小児の急性中耳炎に抗菌薬が必要かどうか問う記事を見つけました。
 自分の診療を振り返り、必要があれば修正する目的で読んでみました。

小児の急性中耳炎に抗菌薬を出しますか?
2019/10/3:日経メディカル
有吉 平(山口大学大学院医学系研究科小児科学講座)

症例:
 3歳男児。数日前から咳嗽、鼻汁があり、昨日から発熱したとのことで小児科外来を受診。
 体温は38.0℃で咳嗽、鼻汁があった。耳痛はなかったが、母親から「最近よく耳を触るんです。中耳炎がないか心配です」と言われたため鼓膜を観察した。すると右の鼓膜が、腫れてはいないものの全体的に発赤していた。右急性中耳炎と診断したが、抗菌薬を処方する必要はあるだろうか……?

 小児の急性中耳炎への抗菌薬投与に対して、Choosing Wiselyでは以下の推奨が示されている。

<推奨>2~12歳の重症感のない急性中耳炎に対して、経過観察が適切であれば、ルーチンの抗菌薬投与は行わない(米国家庭医学会)

◆推奨の根拠となった主な論文
Lieberthal AS, et al. The Diagnosis and Management of Acute Otitis Media. Pediatrics. 2013; 131: e964-99.

◎「重症感のない中耳炎」とは、48時間以内の軽度の耳痛や、体温が39℃未満の中耳炎を指す。
◎ 最初から抗菌薬を投与すれば、早期の症状緩和や中耳炎の治癒率向上に、わずかに寄与する可能性がある。一方で、下痢や発疹、アレルギー反応などの副作用や耐性菌の原因となる。
◎ 最初に経過観察することで、抗菌薬の使用量を減らし、副作用や耐性菌を減らすことにつながる。また、治療が遅れたとしても、患者が受ける不利益はわずかである。
◎ 経過観察する場合、発症48~72時間以内に症状の増悪がないか確認する。

解説:経過観察で済むに越したことはない。しかし…

 小児において急性中耳炎はありふれた疾患で、特に保育園に入園したての児ではよくみかける。従来は経口抗菌薬の投与で速やかに治癒する疾患と考えられてきた。しかし、本邦では近年、薬剤耐性菌による難治化が問題となり、抗菌薬の適正使用が重要視されるようになった。
 推奨の根拠となった論文(米国小児科学会の2013年の急性中耳炎診療ガイドライン)によると、急性中耳炎の診断は鼓膜所見と耳痛、耳漏の有無によってなされる。重症度は耳痛の強さと持続時間、39℃以上の発熱の有無で判定し、それに年齢と両側性か否かを考慮し、無治療で経過観察可能かを判定する(表1)。


表1 急性中耳炎が経過観察可能かの判定基準
(Pediatrics 2013; 131: e964-99.を参考に筆者作成)

 本邦の「小児急性中耳炎診療ガイドライン2018年版」でも、軽症例に限って3日間は抗菌薬の投与は行わず、自然経過を観察することが推奨されている。当ガイドラインでは以下の通り、鼓膜所見と臨床症状によってスコアリングして重症度を判定している(表2)。米国のガイドラインと細かな点は異なっているが、年齢と症状、鼓膜所見で抗菌薬の適応を決定するという点では一致しており、冒頭の症例の場合、いずれのガイドラインに照らし合わせても経過観察可能と判断される。


表2 重症度スコア
(「小児急性中耳炎診療ガイドライン2018年版」[p37]を改変し引用)
軽症:5点以下、中等症:6~11点、重症:12点以上

 ただし、Choosing Wiselyの推奨でも「ルーチンの抗菌薬投与は行わない」と言うにとどまっているように、経過観察はその後の臨床所見の評価が可能であることが前提である。もちろん、感冒と同様に不必要な抗菌薬投与は行うべきではなく、経過観察の重要性を患者に説明することは重要である。しかし、Choosing Wiselyの理念は医療者と患者が対話を通じて、患者にとって真に必要で、かつ副作用の少ない医療の「賢明な選択」を目指すことである。患者にも様々な背景や事情があることを考慮し、医療者が一方的に方針を押し付けることがないよう肝に銘じておくべきである。


 この記事の内容を吟味してみます。
 まず、中耳炎の診断は、
① 鼓膜所見
② 耳痛
③ 耳漏
 の有無で判定される、とあります。

 あれ? 
「耳漏」のところには、以前は「鼓膜混濁」があったはずなのに、いつの間にか入れ替えられていることに気づきました。

 次に重症度は、
① 耳痛の強さと持続時間
② 39℃以上の発熱
 の有無で判定し、それに
④ 年齢
⑤ 両側性か否か
 を考慮、とあります。
 これらを表のスコアで加算していき、その数字で重症度判定をします。

 では、シミュレーションをしてみましょう。

(症例1)1歳男児
(主訴)咳/鼻水、発熱(38.2℃)、右耳痛
(経過)約1週間前に咳と鼻水がはじまり、数日後に熱が出て、さらにその数日後(昨日)に右耳痛を訴えるようになり、夜間ぐずっていたので来院。診察時は耳痛はなさそうでケロッとしている。
(鼓膜所見)右鼓膜全体が発赤・一部膨隆・混濁している(耳漏はない)


 診断は明白です。
 重症度は、
・非持続性耳痛(1)
・発熱(1)
・不機嫌(1)
・鼓膜全体発赤(4)
・鼓膜膨隆(4)
・耳漏なし(0)
・年齢(3)
 合計14点で「重症」という評価になります。

 これを「経過観察可能かどうか」の表に当てはめると・・・
・重症
・年齢:生後6ヶ月〜23ヶ月
・罹患側:片側
→ 抗菌薬治療の適応

 となります。
 というわけで、私がふだんよく診るタイプの乳児中耳炎は抗菌薬が必要であると再確認できました。

 ここで気づいたのですが、鼓膜全体が膨隆していると8点、とハイスコアに設定されているのですね。
 鼓膜膨隆は重症所見のポイント、と覚えておきます。
 まあ、中耳炎の時の耳の痛みは、鼓膜がパンパンに張って痛いからですから、当たり前と言えば当たり前。

 もう1パターン提示してみます。
 私が「鼓膜炎レベルで中耳炎まで進んでないから、抗菌薬は不必要。解熱陣痛剤で様子観察し、良くならなかったらまた来てね」と説明している患者さんタイプ。

(症例2)3歳女児
(主訴)咳/鼻水、発熱(38.2℃)、右耳痛
(経過)約1週間前に咳と鼻水がはじまり、数日後に熱が出て、さらにその数日後(昨日)に右耳痛を訴えるようになり、夜間ぐずっていたので来院。診察時は耳痛はなさそうでケロッとしている。
(鼓膜所見)右鼓膜の一部が発赤・膨隆なし・混濁なし(耳漏もない)


 重症度は、
・非持続性耳痛(1)
・発熱(1)
・不機嫌(1)
・鼓膜一部発赤(2)
・鼓膜膨隆なし(0)
・耳漏なし(0)
・年齢(0)
→ 合計5点:軽症

 「経過観察可能かどうか」では、
・重症ではない
・年齢:生後24ヶ月以上
・罹患側:片側
→ 抗菌薬なしで経過観察可能

 はい、こちらも私の方針が間違っていないと再確認できました。


<参考>
乳幼児のかぜ診療で失敗しないコツ
2018/7/25:日経メディカル
日馬 由貴(国立国際医療研究センター病院AMR臨床リファレンスセンター)
・・・・・
◇ 急性中耳炎など細菌性の合併症に注意
 乳幼児では気道感染症自体は細菌が原因となることは少ないものの、気道感染症に伴う細菌性合併症は高頻度に発生する。乳幼児期に頻度の高いかぜの細菌性合併症は急性中耳炎であり、特に生後6カ月~12カ月で最も頻度が高い5)。そのため、子どものかぜに対して、ルーチンに鼓膜診察を行う小児科医は多い。
 日本耳科学会、日本小児耳鼻咽喉科学会、日本耳鼻咽喉科感染症・エアロゾル学会による「小児急性中耳炎ガイドライン2018」は、ガイドラインの使用者を耳鼻咽喉科医だけでなく、小児急性中耳炎の診療に携わる全ての医師に広げている。また、ガイドラインの重症度スコアリングでは、「2歳未満」のスコアが重くなっている。重症度スコアリングで軽症の場合は抗菌薬非投与で経過観察を行うが、中等症、重症の場合には抗菌薬投与を推奨する 6)。
 米国小児科学会では、2歳未満の急性中耳炎は重症化、遷延化しやすいため、両側性の場合には重症度に関係なく、片側性の場合には重症の場合に抗菌薬投与を推奨している 7)。中耳炎が遷延すると、慢性化したり、海面静脈血栓症や脳膿瘍などの引き金となる乳突洞炎を生じたりするため、常に中耳炎を見逃さない心づもりが大切である。
 細菌性副鼻腔炎も乳幼児に起こり得る細菌性の合併症である。結合型肺炎球菌ワクチンが導入される前の疫学研究では、1~5歳児のかぜの9%程度が合併していた8)。データはないが、この頻度は肺炎球菌ワクチンの導入で減少している可能性がある。米国小児科学会はかぜ症状が10日を超えて改善しない場合、症状が悪化する場合、症状が重篤な場合に副鼻腔炎と診断するよう推奨している。また、偽陽性となることが多いことから、画像診断は通常、行わないこととしている 9)。これは日本のガイドラインにおいても同様で、日本では鼻漏、不機嫌・湿性咳嗽、鼻汁・後鼻漏の所見から判断する独自の重症度判定のスコアリングシステムが用いられている 10)。

【参考資料】
・・・・・
5) Kaur R et al. Pediatrics. 2017;140(3).
6) 日本耳科学会・日本小児耳鼻咽喉科学会・日本耳鼻咽喉科感染症・エアロゾル学会. 小児急性中耳炎ガイドライン2018年版. 金原出版; 2018
7) Lieberthal AS et al. Pediatrics. 2013;131:e964-e99.
8) Aitken M et al. Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine. 1998;152:244-8.
9) Wald ER et al. Pediatrics. 2013.132:e262-80.
10) 日本鼻科学会. 急性鼻副鼻腔炎診療ガイドライン2010年版.(Accessed on 17th July 2018)


 中耳炎は鼓膜所見で診断可能ですが、副鼻腔炎(=蓄膿症)の診断はポイントとなる所見がありません。このため、症状から疑い診療することになります。
 アメリカでは「米国小児科学会はかぜ症状が10日を超えて改善しない場合、症状が悪化する場合、症状が重篤な場合に副鼻腔炎と診断」、日本では「鼻漏、不機嫌・湿性咳嗽、鼻汁・後鼻漏の所見から判断する独自の重症度判定のスコアリングシステム」を使用するよう推奨されています。
 私は、風邪を引くと副鼻腔炎になりやすい小児には漢方薬を併用しています。鼻の奥にたまる鼻汁を減らし、症状を軽減し、中耳炎・副鼻腔炎の予防になります。長期に耳鼻科で抗菌薬を使用している患者さんも半分位の確率で改善します。
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進まない風疹対策 in Japan

2019年10月06日 09時04分32秒 | 予防接種
 繰り返し取り上げてきた風疹対策。
 しかし、厚労省が切り札として出した「中年男性への風しんワクチン無料接種」も現在のところ空振りに終わっているようです。

風疹ワクチン接種1割、中高年男 無料でも利用低迷
2019/10/2:共同通信
 風疹の拡大防止策として本年度から中高年の男性に配られている、無料で抗体検査やワクチン接種を受けられる受診券の利用が1割程度と低迷していることが2日、厚生労働省の調査で分かった。厚労省は積極的な活用を呼びかけている。
 風疹は昨年2917人、今年2195人の患者が報告された。
 40~57歳の男性に免疫を持っていない人が多いことが流行の原因と考えられるため、厚労省はこの年代の男性を対象に抗体検査とワクチン接種を3年間原則無料にすると決定。
 しかし厚労省が調べた結果、今年7月までの4カ月間で抗体検査を受けたのは約16%、ワクチン接種を受けたのは約14%だった。


 いろいろな要因が指摘されてきました。
 まず、風疹に感染しても、本人は軽い症状で済んでしまい、麻疹のように患者本人の命を脅かす感染症ではありません。
 しかし妊婦さんが感染すると、お腹にいる赤ちゃんに問題が発生する可能性があります。
 つまり、自分のためではなく胎児のためという間接的なメリットなのです。
 まあ、この点に関しては、繰り返し報道されてきましたから認識は広まっていると思います。
 
 では、無料なのに検査・接種がなぜ進まないのでしょう?

風疹接種、まず男性39~46歳 今春から無料に、厚労省
2019/1/24:共同通信社
 厚生労働省は24日、風疹の新たな対策として始まる成人男性への定期接種について、まずは39~46歳を対象にすると明らかにした。今春以降、対象者には市町村から風疹の免疫の有無を調べる「抗体検査」の受診券が送付される。
 風疹は昨年、2917人の患者が報告され、問題となっている。子供のころに定期接種の機会のなかった成人男性が患者の多くを占め、厚労省は昨年12月、39~56歳の男性を対象に3年間、抗体検査とワクチン接種を原則無料にすると決めた。
 2019年度は、特に患者が多い1972年4月2日~79年4月1日生まれの人に絞って検査を促すことにした。


 上記対象年齢の男性でも、以下の条件を満たす人は、風疹に罹るリスクが低いので対象になりません。

1.風疹ワクチン(あるいは風疹ワクチン含有ワクチン)を2回接種済み
2.風疹罹患の既往

 ただし、記憶ではなく記録が必要です。
 上記が定かでない人は、風疹ワクチン接種検討対象となります。
 ここで、風疹ワクチン接種対象ではなく、風疹ワクチン接種検討対象となることがポイントです。
 血液検査で風疹抗体価が十分に上がっていれば、免疫が十分あるとしてワクチン接種が免除されます。
 なので、厚労省の施策は二段構えになっています。
 それは、

① 抗体検査
② ワクチン接種

 の二つ。

 つまり、サラリーマンが昼間、仕事の時間を削って2回医療機関に足を運ぶ必要があります。
 “無料検査&接種”としても、実施者が増えない原因がココにあると思います。
 負担ばかりでメリットを感じられないから。
 まあ、妻からは感謝されると思われますが、会社からはどうでしょう。
 働くことが大好きな日本人とその社会は、“病気でもないのに仕事中に時間を割いて病院へ行く”ことに価値が見いだせるかどうか。
 会社経営者に義務づけて未施行の場合は罰則を与えるくらいやらないと、現状は動かないのかもしれません。
 対策としては、医療者が会社に出張して検査とワクチン接種を行うことが考えられますが、実施しているという情報は聞こえてきません。


“風疹”の警戒忘れないで 県内で相次ぐ感染者、県が対策強化
2019/9/7:山形新聞
 県内で風疹の感染が8月下旬と9月上旬に相次いで確認され、感染経路が県内である可能性もあることから、今後の流行が懸念される事態となっている。妊娠中に感染すると、赤ちゃんに障害が出る恐れがあり警戒が必要だ。県は防衛策として、県内の全68病院や医師会などからの迅速な報告に加え、抗体検査やワクチン接種を促すなど、対策強化に乗り出している。
 県は4日付で各病院や医師会などへ文書で通知し、風疹が疑われる患者を診察した場合は感染拡大を防ぐため、速やかに最寄りの保健所に連絡するよう求めた。感染が疑われる場合について、同室は「必ず事前に医療機関に連絡した上で、迅速に受診してほしい」と訴える。
 風疹は十分な免疫を持たない妊娠初期の女性が感染すると、赤ちゃんに難聴や白内障、心疾患などの先天性風疹症候群を発症する恐れがある。妊娠初期の女性は予防接種が受けられず、感染予防としてなるべく人混みを避けることや、家族や職場など周囲の人が予防に努めるなどの気遣いも必要だ。

抗体検査して確認
 風疹はワクチン接種で予防できる。母子手帳などの記録から接種の有無を確認できるが、接種歴がなかったり、接種したかどうか分からなかったりする場合は、抗体検査をして免疫が十分でなければワクチン接種が望ましい。
 国は2019年度から3年計画で、予防ワクチンを受ける機会がなかった世代(1962年4月2日~79年4月1日生まれ)を対象に、無料の抗体検査とワクチン接種が受けられるクーポンを居住市町村を通じて送付している。県内では男性約11万5000人が対象で、初年度は4万9000人分に対応する。
 自身の健康管理に加え、妊婦をサポートするためにも、県は「抗体検査や予防接種を確実に受けてほしい」と呼び掛けている。



 小児科医としては、抗体検査などまどろっこしいことをしないで、いきなりワクチン接種でもよいのではないか?
 と考えてしまいがちです。
 しかしこの方法にも問題があります。
 まず、それを実行すると確実にワクチンが足りなくなること。
 現在でさえ、MRワクチン(麻疹・風疹わくちん)は数が足らず「出荷制限」中なのに・・・従来定期接種している乳幼児達の分がなくなることは明らかです。
 それから、日本の法律では、ワクチンは定期接種という設定でもあくまでも推奨で、強制はできないこと。

 というわけで、やはりサラリーマンがストレスなく検査・予防接種できる体制を整えるしかないと思います。
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