私が小児科医になったのは、昭和63(1988)年です。大学で研修していた年明けに、元号が「平成」に変わりました。
当時のアレルギー疾患の診療を振り返ると、現在とけっこう異なることに気づかされます。例示しますと、
【気管支喘息】
発作性疾患と捉え、発作時の治療をメインに組み立て、現在のような予防治療・定期治療は行われていなかった。
【アトピー性皮膚炎】
小児科医は食物アレルギーが原因、皮膚科医は皮膚疾患として捉え、双方の議論がかみ合わず、その間で患者さんは翻弄されました。治療に関しては、「ステロイドを使わずに治す医者が名医」という考えも一部にありました。
【アレルギー性鼻炎】
対症療法の他に、減感作療法(皮下注射法)が細々と行われていましたが、近年、舌下免疫療法が登場し、いわゆる体質改善が再注目されるようになりました。
実際に診療していて、喘息もアトピー性皮膚炎も寛解と悪化を繰り返し、ラチがあかない印象がありました。
その後、喘息では吸入ステロイド療法が登場して発作を予防管理できるようになり、アトピー性皮膚炎では近年ですがプロアクティブ療法が登場して喘息と同じように「最低限の局所ステロイド療法でコントロールする」という時代になり、患者さんの負担もずいぶん楽になったと感じます。
しかし局所ステロイドは治癒に直結するわけではなく、今後はもう一歩・二歩、医学が進む必要がありそうです。
長らく小児アレルギー分野のオピニオンリーダーであった西間三馨先生(元・国立病院機構福岡病院院長)が平成のアレルギー医療史を振り返るインタビュー記事「平成の医療史30年◆アレルギー疾患編」を見つけたので、気になった箇所を抜粋メモしておきます。
Vol. 1 ステロイド叩きを乗り越えて
Vol. 2 食物アレルギーの対策が未熟だったと痛感
Vol. 3 アレルギー専門医の育成がこれからの鍵
番外編:平成でアトピー減、鼻炎・花粉症は倍増
<メモ>
■ 1982〜2012年のアレルギー疾患有症率
■ アレルギー疾患の平成30年略史
■ アトピー性皮膚炎
・1990年代に「ステロイドバッシング」(ステロイド叩き)が一世を風靡し、ステロイド軟膏の使用を忌避する患者が増えた。
・1999年(H11年)にタクロリムス軟膏(プロトピック®)が発売され、アトピー性皮膚炎診療が大きく変わった。
・皮膚のバリア機能に欠かすことができない「フィラグリン」遺伝子などの異常がアトピー性皮膚炎患者から多く見つかり、スキンケアの重要性が注目されるようになった。
・2018年(H30年)に抗ヒトIL-4/IL-13受容体モノクローナル抗体であるデュピルマブ(デュピクセント®)が認可され、ステロイド軟膏やタクロリムス軟膏でも十分な効果が得られなかった重症患者に光が当てられた。
■ アレルギー性鼻炎
・アレルギー性鼻炎はアレルギー疾患の中で最も多く、その原因の多くはスギ/ヒノキ花粉であり、昭和の終わりから平成中期にかけて患者数が激増した。
・アレルギー性鼻炎の治療は、長年抗ヒスタミン薬(≒抗アレルギー薬)オンリーだったが、2000年代に導入された舌下免疫療法で一変、それまでの皮下注射による減感作療法に取って代わられた。現時点でスギ花粉とダニのみなので、その他の花粉症を引き起こすイネ科、キク科、カバノキ科に対する舌下免疫療法の開発が期待される。
■ 小児気管支喘息
・2017(H29)年に喘息で亡くなった小児の数がはじめてゼロになった。西間先生が石になった1968(S43)年は272人が亡くなっていた。その背景は吸入ステロイドの普及である。
・吸入ステロイド薬の変遷
(平成初期)CFC-BDP:フロンガスであるCFCを含有したベクロメタゾン
(2003年)HFA-BDP:代替フロンであるHFAを用いたベクロメタゾン
( )ドライパウダー製剤のフルチカゾン
( )ステロイド薬と長時間作用性β-2刺激薬との合剤
・ロイコトリエン受容体拮抗薬の登場
それまで使われてきたテオフィリン徐放製剤より安全域が広くて使いやすいことが特徴。
(1995年)プランルカスト(オノン®)
( )モンテルカスト(シングレア®、キプレス®)
・オマリズマブ(ゾレア®)登場は難治喘息患者にとって大きな福音となった。
■ 食物アレルギー
・「茶のしずく石けん事件」(2009年〜);石けんに含まれていた加水分解小麦が原因で小麦アレルギーを発症し、被害者数は2000人以上。視点を変えると、これは壮大な人体実験であり、食物アレルギーが皮膚感作から発症し、それがアナフィラキシーショックまで引き起こすことが図らずも証明されてしまった。これを機に、正しい情報提供を目的とした「アレルギーポータルサイト」(日本アレルギー学会&厚生労働省)が創設された。
・2012(H24)年に東京都調布市で牛乳アレルギーの小学5年生女児が給食に出たチーズ入りチヂミを食べてアナフィラキシーショックを起こして死亡するという痛ましい事件が起こった。エピペンを所有していたが、それを使いタイミングが遅れたことが残念である。この事件を教訓に、日本小児アレルギー学会が「エピペンを使用すべき13の徴候」を作成・発表した。これを機に、学校側の体制が一気に変わった。それまでは「学校の中に医療は絶対持ち込ませない、薬を飲ませるのだって抵抗する、注射なんて論外」という風潮があったが、事故後はエピペンが普通に学校に使われるようになり、学校生活管理指導表(アレルギー疾患についての詳しい情報を主治医が記した用紙)が提出されればきちんと対応をとるようになった。
・経口免疫療法の開発が進んでいるが、まだ確立されておらず、今後に期待したい。
■ アレルギー疾患ガイドライン(GL)とその周辺の歴史
(1993年)喘息、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎の診療GL公表
(1995年)アレルギー性結膜炎のGL公表
(2007年)気管支喘息、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーをまとめた「アレルギー疾患診療・治療GL」公表
(2014年)「アレルギー疾患対策基本法」公布(2015年施行)
(2019年)アレルギー研究10ヵ年戦略公表予定
当時のアレルギー疾患の診療を振り返ると、現在とけっこう異なることに気づかされます。例示しますと、
【気管支喘息】
発作性疾患と捉え、発作時の治療をメインに組み立て、現在のような予防治療・定期治療は行われていなかった。
【アトピー性皮膚炎】
小児科医は食物アレルギーが原因、皮膚科医は皮膚疾患として捉え、双方の議論がかみ合わず、その間で患者さんは翻弄されました。治療に関しては、「ステロイドを使わずに治す医者が名医」という考えも一部にありました。
【アレルギー性鼻炎】
対症療法の他に、減感作療法(皮下注射法)が細々と行われていましたが、近年、舌下免疫療法が登場し、いわゆる体質改善が再注目されるようになりました。
実際に診療していて、喘息もアトピー性皮膚炎も寛解と悪化を繰り返し、ラチがあかない印象がありました。
その後、喘息では吸入ステロイド療法が登場して発作を予防管理できるようになり、アトピー性皮膚炎では近年ですがプロアクティブ療法が登場して喘息と同じように「最低限の局所ステロイド療法でコントロールする」という時代になり、患者さんの負担もずいぶん楽になったと感じます。
しかし局所ステロイドは治癒に直結するわけではなく、今後はもう一歩・二歩、医学が進む必要がありそうです。
長らく小児アレルギー分野のオピニオンリーダーであった西間三馨先生(元・国立病院機構福岡病院院長)が平成のアレルギー医療史を振り返るインタビュー記事「平成の医療史30年◆アレルギー疾患編」を見つけたので、気になった箇所を抜粋メモしておきます。
Vol. 1 ステロイド叩きを乗り越えて
Vol. 2 食物アレルギーの対策が未熟だったと痛感
Vol. 3 アレルギー専門医の育成がこれからの鍵
番外編:平成でアトピー減、鼻炎・花粉症は倍増
<メモ>
■ 1982〜2012年のアレルギー疾患有症率
■ アレルギー疾患の平成30年略史
■ アトピー性皮膚炎
・1990年代に「ステロイドバッシング」(ステロイド叩き)が一世を風靡し、ステロイド軟膏の使用を忌避する患者が増えた。
・1999年(H11年)にタクロリムス軟膏(プロトピック®)が発売され、アトピー性皮膚炎診療が大きく変わった。
・皮膚のバリア機能に欠かすことができない「フィラグリン」遺伝子などの異常がアトピー性皮膚炎患者から多く見つかり、スキンケアの重要性が注目されるようになった。
・2018年(H30年)に抗ヒトIL-4/IL-13受容体モノクローナル抗体であるデュピルマブ(デュピクセント®)が認可され、ステロイド軟膏やタクロリムス軟膏でも十分な効果が得られなかった重症患者に光が当てられた。
■ アレルギー性鼻炎
・アレルギー性鼻炎はアレルギー疾患の中で最も多く、その原因の多くはスギ/ヒノキ花粉であり、昭和の終わりから平成中期にかけて患者数が激増した。
・アレルギー性鼻炎の治療は、長年抗ヒスタミン薬(≒抗アレルギー薬)オンリーだったが、2000年代に導入された舌下免疫療法で一変、それまでの皮下注射による減感作療法に取って代わられた。現時点でスギ花粉とダニのみなので、その他の花粉症を引き起こすイネ科、キク科、カバノキ科に対する舌下免疫療法の開発が期待される。
■ 小児気管支喘息
・2017(H29)年に喘息で亡くなった小児の数がはじめてゼロになった。西間先生が石になった1968(S43)年は272人が亡くなっていた。その背景は吸入ステロイドの普及である。
・吸入ステロイド薬の変遷
(平成初期)CFC-BDP:フロンガスであるCFCを含有したベクロメタゾン
(2003年)HFA-BDP:代替フロンであるHFAを用いたベクロメタゾン
( )ドライパウダー製剤のフルチカゾン
( )ステロイド薬と長時間作用性β-2刺激薬との合剤
・ロイコトリエン受容体拮抗薬の登場
それまで使われてきたテオフィリン徐放製剤より安全域が広くて使いやすいことが特徴。
(1995年)プランルカスト(オノン®)
( )モンテルカスト(シングレア®、キプレス®)
・オマリズマブ(ゾレア®)登場は難治喘息患者にとって大きな福音となった。
■ 食物アレルギー
・「茶のしずく石けん事件」(2009年〜);石けんに含まれていた加水分解小麦が原因で小麦アレルギーを発症し、被害者数は2000人以上。視点を変えると、これは壮大な人体実験であり、食物アレルギーが皮膚感作から発症し、それがアナフィラキシーショックまで引き起こすことが図らずも証明されてしまった。これを機に、正しい情報提供を目的とした「アレルギーポータルサイト」(日本アレルギー学会&厚生労働省)が創設された。
・2012(H24)年に東京都調布市で牛乳アレルギーの小学5年生女児が給食に出たチーズ入りチヂミを食べてアナフィラキシーショックを起こして死亡するという痛ましい事件が起こった。エピペンを所有していたが、それを使いタイミングが遅れたことが残念である。この事件を教訓に、日本小児アレルギー学会が「エピペンを使用すべき13の徴候」を作成・発表した。これを機に、学校側の体制が一気に変わった。それまでは「学校の中に医療は絶対持ち込ませない、薬を飲ませるのだって抵抗する、注射なんて論外」という風潮があったが、事故後はエピペンが普通に学校に使われるようになり、学校生活管理指導表(アレルギー疾患についての詳しい情報を主治医が記した用紙)が提出されればきちんと対応をとるようになった。
・経口免疫療法の開発が進んでいるが、まだ確立されておらず、今後に期待したい。
■ アレルギー疾患ガイドライン(GL)とその周辺の歴史
(1993年)喘息、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎の診療GL公表
(1995年)アレルギー性結膜炎のGL公表
(2007年)気管支喘息、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、アトピー性皮膚炎、食物アレルギーをまとめた「アレルギー疾患診療・治療GL」公表
(2014年)「アレルギー疾患対策基本法」公布(2015年施行)
(2019年)アレルギー研究10ヵ年戦略公表予定