河岡義裕、堀本研子 著、講談社ブルーバックス(2009年発行)
河岡先生の現在の肩書きは「東京大学医科学研究所ウイルス感染分野教授、同感染症国際研究センター長」。
つまり今をときめく第一線のインフルエンザ研究者、による解説本です。
小児科医である私は、今から10年以上前にインフルエンザ脳症の患者さんを立て続けに3例経験したことがあり、その頃本で調べたり学会に参加してセミナーを聴講したり、情報集めに躍起になっていました。ほとんどが実際に患者さんを診療をしている臨床医の解説でしたが、ある時から河岡先生の名前をよく聞くようになりました。彼は純粋な研究者(出身大学では「獣医学」専攻)であり、その発言内容はクリアで聞き応えがあったことを記憶しています。
最近はTV露出も多く、ヒゲを蓄えた風貌と相まって、すっかり有名人になりましたね。
この本も自然に対する限りない興味を突き進めた内容で、さながら「ウイルスをめぐる冒険」のよう。
著者の少年のような純粋な探求心にドキドキワクワクしながら読み終えました。
なんと、”リバース・ジェネティックス”という手法を用いてインフルエンザウイルスを造ってしまうんですから、目から鱗が落ちます。
以下に「フムフム」と頷いたところをメモ書きしてみます;
・日本以外では、一部を除いてインフルエンザを治療するという発想がそもそも無いため、診断キットや抗ウイルス薬がほとんど普及していない。
・ウイルス(virus)はラテン語で「毒素」を意味する言葉で、これが転じて病気を引き起こす毒、すなわち病原体の意味を持つようになった。
・風邪症候群を起こす病原体
30-40%:ライノウイルス
15-20%:パラインフルエンザウイルス
10% :コロナウイルス
5-15% :インフルエンザウイルス
5-10% :RSウイルス
3-5% :アデノウイルス
他(マイコプラズマ、クラミジア、肺炎球菌、モラキセラ):10%以下
・強毒性のトリインフルエンザが爆発的に広まらない理由;ウイルスが効率的に伝播するためには、ある程度病原性が弱まる必要があり、致死率60%という病原性を保ったまま大流行を起こすことはまず無い(ちなみにスペイン風邪の致死率は2-2.5%)。しかし、致死率がどの程度下がればウイルスの流行が拡大するのかはわかっていない。
・インフルエンザの存在は古くから知られてきたが、「インフルエンザ」という名前を付けたのは16世紀のイタリア人。当時、インフルエンザは毎年冬になると流行することから、冬の天体や寒さにより発生するモノだと考えられた。イタリアで「天の影響」を意味する「influentia coeli」がその名の由来である。
・インフルエンザウイルスの大きさは100ナノメートル(1万分の1ミリメートル)。そのゲノムは1本鎖のRNAで8本に分かれている。
核酸とタンパク質からなる単純な構造体であるウイルスには代謝機構が無く、エネルギーを合成できない。駆動力を持たないウイルスは、宿主となる生物に自らの力で近づくことができない。従って、細胞への感染も基本的に”運任せ”ということになる。
空気中に漂うインフルエンザウイルスは、それを吸い込んだ宿主の気道の粘膜にくっつく。そして宿主の細胞内に侵入してRNAを送り込み、代謝機構を乗っ取って大量の”子ウイルス”を作らせる。そして宿主の生体反応を利用してウイルス粒子を排出する。
・1回の咳で飛散する飛沫の数は5万個、くしゃみに至っては約10万個であり、この一つ一つの飛沫それぞれにウイルスがタップリと含まれている。
・NAはシアル酸を切断し、誕生しかけのウイルス粒子を細胞表面から切り離す。HAが宿主細胞に感染する際に必要な「接着剤」ならば、NAは宿主細胞から離れるときに必要な「ハサミ」である。
インフルエンザウイルスが遊離する際、細胞膜の一部がウイルス粒子と一緒にもぎ取られる。これが外被膜(エンベロープ)となる。すなわち、ウイルスの外被膜とは、宿主の細胞膜をそのまま横取りしたモノなのだ。
感染した細胞は、ウイルスに代謝機構を乗っ取られた上に、遊離する際に細胞膜を切り取られてしまうため、細胞の維持に必要な物質やエネルギーが合成できなくなり、最終的に死に至る。
・ウイルスそのものには「毒性」はない。ウイルスの増殖が進むと「サイトカイン」という物質が分泌される。サイトカインは細胞から放出されて、免疫や抗ウイルスなどの生体防御に関わる物質で、全身に向けてウイルスの増殖を抑えるよう指令を出す。その生体反応の副作用として、発熱・悪寒・筋肉痛・関節痛が起きる・・・つまりこれが「病原性」である。
病原性の違いはウイルスが増殖できる臓器の種類と増殖速度の違いによる。
低病原性トリインフルエンザウイルスはニワトリの呼吸器や腸管でしか増えない(局所感染)のに対して、高病原性トリインフルエンザウイルスはニワトリの脳を含む全身の細胞で増殖する(全身感染)。ウイルスが増殖できる組織が多ければ多いほど、宿主が大きなダメージを受けることになる。
・「ブタインフルエンザ」は豚の間では定期的に流行を繰り返している。年間を通じて発症し、晩秋から冬にはしばしば集団感染を起こす。ただし、症状は軽く、致死率も高くない。豚から主として分離されるインフルエンザウイルスはH1N1, H1N2, H3N2, H3N1亜型である。
・RNAウイルスであるインフルエンザウイルスは、他の生物種であれば何百万年もかかるような進化を、年単位・月単位でやり遂げる。
生物はDNAやRNAを複製しながら子孫を増やしていくが、その際に一定の割合でコピーミスが生じる。DNAの場合は、DNAを複製するDNAポリメラーゼという酵素にコピーミスを修復する機能があるが、RNAを複製するRNAポリメラーゼにはそれに相当する機能がない。そのため、RNAウイルスではDNAをもつヒトに比べて1000倍~1万倍の確率で遺伝子変異が生じる。
・1918年に大流行したスペイン風邪ウイルスのRNA解析によると、もともとは水禽類で流行していたトリインフルエンザウイルス(H1N1亜型)を構成する8本のRNA分節に由来することが判明した。スペイン風邪による死亡者数は、第一次世界大戦による死亡者数(戦死者900万人、非戦闘員死者1000万人)を上回る2000万~4000万人に達した。
ところが1957年、このスペイン風邪の末裔(H1N1亜型)と低病原性トリインフルエンザウイルス(H2N2亜型)が遺伝子再集合してH2N2亜型のアジア風邪ウイルスという新型インフルエンザが生まれた。
そして1968年、今度はアジア風邪ウイルス(H2N2亜型)とトリインフルエンザウイルス(H3亜型、NAは不明)とが遺伝子再集合して香港風邪ウイルス(H3N2亜型)が誕生した。
歴史的に新型インフルエンザが大流行(パンデミック)すると、それまで勢いのあったウイルスが消えてしまう現象が観察されているが、その理由は科学的に解明されていない。
・2009年春に発生した新型インフルエンザは鳥・ヒト・豚由来のインフルエンザウイルスの遺伝子再集合により誕生した。その遺伝子構成は・・・
PB2とPA分節:北米の鳥ウイルス由来
PB1分節:ヒトのH3N2亜型ウイルス由来
HA(H1)、NP、NS分節:古くから豚で蔓延していたウイルス由来
NA(N1)とM分節:ユーラシアのトリインフルエンザウイルスが豚に適合し蔓延していたウイルス由来
と、4種類のウイルスが遺伝し再集合を起こして誕生したもの。
・スペイン風邪の致死率は、流行が始まった春先にはそれほど高くなかったが、第二波の流行がやってきた秋には5倍になった。
・・・続きは後ほど・・・
河岡先生の現在の肩書きは「東京大学医科学研究所ウイルス感染分野教授、同感染症国際研究センター長」。
つまり今をときめく第一線のインフルエンザ研究者、による解説本です。
小児科医である私は、今から10年以上前にインフルエンザ脳症の患者さんを立て続けに3例経験したことがあり、その頃本で調べたり学会に参加してセミナーを聴講したり、情報集めに躍起になっていました。ほとんどが実際に患者さんを診療をしている臨床医の解説でしたが、ある時から河岡先生の名前をよく聞くようになりました。彼は純粋な研究者(出身大学では「獣医学」専攻)であり、その発言内容はクリアで聞き応えがあったことを記憶しています。
最近はTV露出も多く、ヒゲを蓄えた風貌と相まって、すっかり有名人になりましたね。
この本も自然に対する限りない興味を突き進めた内容で、さながら「ウイルスをめぐる冒険」のよう。
著者の少年のような純粋な探求心にドキドキワクワクしながら読み終えました。
なんと、”リバース・ジェネティックス”という手法を用いてインフルエンザウイルスを造ってしまうんですから、目から鱗が落ちます。
以下に「フムフム」と頷いたところをメモ書きしてみます;
・日本以外では、一部を除いてインフルエンザを治療するという発想がそもそも無いため、診断キットや抗ウイルス薬がほとんど普及していない。
・ウイルス(virus)はラテン語で「毒素」を意味する言葉で、これが転じて病気を引き起こす毒、すなわち病原体の意味を持つようになった。
・風邪症候群を起こす病原体
30-40%:ライノウイルス
15-20%:パラインフルエンザウイルス
10% :コロナウイルス
5-15% :インフルエンザウイルス
5-10% :RSウイルス
3-5% :アデノウイルス
他(マイコプラズマ、クラミジア、肺炎球菌、モラキセラ):10%以下
・強毒性のトリインフルエンザが爆発的に広まらない理由;ウイルスが効率的に伝播するためには、ある程度病原性が弱まる必要があり、致死率60%という病原性を保ったまま大流行を起こすことはまず無い(ちなみにスペイン風邪の致死率は2-2.5%)。しかし、致死率がどの程度下がればウイルスの流行が拡大するのかはわかっていない。
・インフルエンザの存在は古くから知られてきたが、「インフルエンザ」という名前を付けたのは16世紀のイタリア人。当時、インフルエンザは毎年冬になると流行することから、冬の天体や寒さにより発生するモノだと考えられた。イタリアで「天の影響」を意味する「influentia coeli」がその名の由来である。
・インフルエンザウイルスの大きさは100ナノメートル(1万分の1ミリメートル)。そのゲノムは1本鎖のRNAで8本に分かれている。
核酸とタンパク質からなる単純な構造体であるウイルスには代謝機構が無く、エネルギーを合成できない。駆動力を持たないウイルスは、宿主となる生物に自らの力で近づくことができない。従って、細胞への感染も基本的に”運任せ”ということになる。
空気中に漂うインフルエンザウイルスは、それを吸い込んだ宿主の気道の粘膜にくっつく。そして宿主の細胞内に侵入してRNAを送り込み、代謝機構を乗っ取って大量の”子ウイルス”を作らせる。そして宿主の生体反応を利用してウイルス粒子を排出する。
・1回の咳で飛散する飛沫の数は5万個、くしゃみに至っては約10万個であり、この一つ一つの飛沫それぞれにウイルスがタップリと含まれている。
・NAはシアル酸を切断し、誕生しかけのウイルス粒子を細胞表面から切り離す。HAが宿主細胞に感染する際に必要な「接着剤」ならば、NAは宿主細胞から離れるときに必要な「ハサミ」である。
インフルエンザウイルスが遊離する際、細胞膜の一部がウイルス粒子と一緒にもぎ取られる。これが外被膜(エンベロープ)となる。すなわち、ウイルスの外被膜とは、宿主の細胞膜をそのまま横取りしたモノなのだ。
感染した細胞は、ウイルスに代謝機構を乗っ取られた上に、遊離する際に細胞膜を切り取られてしまうため、細胞の維持に必要な物質やエネルギーが合成できなくなり、最終的に死に至る。
・ウイルスそのものには「毒性」はない。ウイルスの増殖が進むと「サイトカイン」という物質が分泌される。サイトカインは細胞から放出されて、免疫や抗ウイルスなどの生体防御に関わる物質で、全身に向けてウイルスの増殖を抑えるよう指令を出す。その生体反応の副作用として、発熱・悪寒・筋肉痛・関節痛が起きる・・・つまりこれが「病原性」である。
病原性の違いはウイルスが増殖できる臓器の種類と増殖速度の違いによる。
低病原性トリインフルエンザウイルスはニワトリの呼吸器や腸管でしか増えない(局所感染)のに対して、高病原性トリインフルエンザウイルスはニワトリの脳を含む全身の細胞で増殖する(全身感染)。ウイルスが増殖できる組織が多ければ多いほど、宿主が大きなダメージを受けることになる。
・「ブタインフルエンザ」は豚の間では定期的に流行を繰り返している。年間を通じて発症し、晩秋から冬にはしばしば集団感染を起こす。ただし、症状は軽く、致死率も高くない。豚から主として分離されるインフルエンザウイルスはH1N1, H1N2, H3N2, H3N1亜型である。
・RNAウイルスであるインフルエンザウイルスは、他の生物種であれば何百万年もかかるような進化を、年単位・月単位でやり遂げる。
生物はDNAやRNAを複製しながら子孫を増やしていくが、その際に一定の割合でコピーミスが生じる。DNAの場合は、DNAを複製するDNAポリメラーゼという酵素にコピーミスを修復する機能があるが、RNAを複製するRNAポリメラーゼにはそれに相当する機能がない。そのため、RNAウイルスではDNAをもつヒトに比べて1000倍~1万倍の確率で遺伝子変異が生じる。
・1918年に大流行したスペイン風邪ウイルスのRNA解析によると、もともとは水禽類で流行していたトリインフルエンザウイルス(H1N1亜型)を構成する8本のRNA分節に由来することが判明した。スペイン風邪による死亡者数は、第一次世界大戦による死亡者数(戦死者900万人、非戦闘員死者1000万人)を上回る2000万~4000万人に達した。
ところが1957年、このスペイン風邪の末裔(H1N1亜型)と低病原性トリインフルエンザウイルス(H2N2亜型)が遺伝子再集合してH2N2亜型のアジア風邪ウイルスという新型インフルエンザが生まれた。
そして1968年、今度はアジア風邪ウイルス(H2N2亜型)とトリインフルエンザウイルス(H3亜型、NAは不明)とが遺伝子再集合して香港風邪ウイルス(H3N2亜型)が誕生した。
歴史的に新型インフルエンザが大流行(パンデミック)すると、それまで勢いのあったウイルスが消えてしまう現象が観察されているが、その理由は科学的に解明されていない。
・2009年春に発生した新型インフルエンザは鳥・ヒト・豚由来のインフルエンザウイルスの遺伝子再集合により誕生した。その遺伝子構成は・・・
PB2とPA分節:北米の鳥ウイルス由来
PB1分節:ヒトのH3N2亜型ウイルス由来
HA(H1)、NP、NS分節:古くから豚で蔓延していたウイルス由来
NA(N1)とM分節:ユーラシアのトリインフルエンザウイルスが豚に適合し蔓延していたウイルス由来
と、4種類のウイルスが遺伝し再集合を起こして誕生したもの。
・スペイン風邪の致死率は、流行が始まった春先にはそれほど高くなかったが、第二波の流行がやってきた秋には5倍になった。
・・・続きは後ほど・・・