「しかし京都も変わってしまった。拙僧がいた頃とは大違いだ」
始発の新幹線に乗り、京都駅に降り立った円光は、その変貌ぶりにつくづくと慨嘆した。
初めに驚かされたのは京都駅で、降り立った瞬間、円光は自分がどこにいるのか、さっぱり見当も付かない有り様だった。ホームからは、まるで巨大な船を一隻そのまま地上に据えつけでもしたかのようなビルがそびえ立ち、なじみ深い京都タワーを円光の視線から隠している。さんざん迷った末、駅員に聞いてようやく烏丸口から出る事ができたが、この分では、自分がかつて修行していた町並みがはたして残っているのか、心細くもなる円光である。
「にゃん?」
円光がきょろきょろ辺りを見回す様子に、アルファが疑わしげな目で鳴いた。大丈夫なのか? と問いかけられた円光は、ようやく自分のいる位置をつかんで、足下の二匹に笑顔を向けた。
「心配無用。こっちだ」
円光は北に方角を定め、先に立って歩き始めた。だが、二匹の同伴は、疑わしげな表情でついていくのも渋々の様子である。それに気が付いた円光は、本当に心配いらない、と二匹に語りかけた。
「アルファ、ベータ、京都の町並みが東西南北に、いわゆる碁盤目状の形になっているのは存じているな」
「にゃん」
アルファがもちろんと返事をした。
「その京都の道には、皆何らかの名前が付いている。例えば、この南北に通る道は烏丸通り、この東西に交差する道は、七条通りと申す。その交差点が、七条烏丸、と言うわけだ。京の道には昔から覚えるためのこつがあって、童歌になって残っている。まぁるたけ~えべすぅ、におしおいけ~」
「キャン!」
円光が突然はりあげたかん高い声に、ベータが思わず悲鳴を上げた。七条烏丸と言えば京都駅の真ん前。人通りもかなり多い。何人もの通行人が、おかしな取り合わせの一人と二匹に冷たい視線を浴びせかける。アルファ、ベータは、円光がこの街ではさほど目立たないと言う事実にさすが京都と妙に感心していたのだが、当の本人が型はずれな事をすれば結局変わらないと言う事を、改めて確認させられた。対する円光はまるで平気なもので、そもそも見ず知らずの通行人の評価など気にかけてもいない。二匹は必死で円光に歌をやめてくれるようせがみ、円光も不肖不肖それを承知した。
「だから丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、と言う。丸は丸太町通り、竹は竹屋町通り、えべすは、夷のなまりで夷川通り、と言う風に、北から順に通りの頭文字を並べて歌にしてある。それから言うと、四綾仏高、つまり、四条通り、綾小路通り、仏光寺通り、の順で通りが北から並んでいる事になる。すなわちこの先に、綾小路通りがあると言うわけだ」
それだけ言うと、さっそく円光は歩き出した。アルファ、ベータもこうなっては黙って付いて行くしかない。
円光がわざわざ京都まで出てきたのは、榊から麗夢の消息について連絡を受けたからだった。実は不覚にも円光、アルファ、ベータとも、麗夢が平安貴族にさらわれる時には既に気を失ってしまっており、榊からの電話でようやく目を覚ますていたらくだった。そして、榊の京都綾小路通りでの一件を聞くに及び、取るものも取りあえず、円光等は痛む身体を押して新幹線に飛び乗ってきたのである。
「麗夢殿、しばし拝借つかまつる。ごめん!」
出かけるに際して、普段からお金という物を持ち歩かない円光は、アルファが気を利かせて奥から持ち出してきた麗夢の財布を借り受け、ようやくこの京都までたどり着いた。
それでもこうして麗夢の消息を伝える地に無事降り立った事は、円光とアルファ、ベータの士気を嫌が上にもかき立てた。
一行は意気込みも新たに烏丸通りを北上し、およそ20分ほどで綾小路と名付けられた小さな通りに入り込んだ。
まず、異変を感知したのは、やはりベータだった。ベータの嗅覚が、昨夜の残滓とも言うべき腐敗した魚のような異臭をキャッチしたのである。ベータに続いて円光もその異臭に気が付いた。
「どうやら榊殿がおっしゃっていた臭いはこれだな。かすかだが、昨夜の妖気が確かに感じられる」
ワン! とベータが同意して、先に立って通りを西向きに進み始めた。すぐ後をアルファが駆けていき、円光も同じく西に足を向けた。
この道は車一台がやっとの狭い通りだが、四条通りの混雑を避けようと以外にたくさんの車が入ってくる。円光はその度に道の端から時には他人の家の軒先まで入り込んで車を避けながら、ひたすら西へ歩き続けた。
こうして一行が堀川、西大路といった大きな道を横断しつつ先を進む事40分。およそ4キロの道を来ると、町並みは俄然綾小路を意識させられるものになった。綾小路橋と名付けられた古い石橋を渡り、メゾン綾小路と言う名のマンションの前を過ぎ、綾小路町の文字を刷り込んだ秋祭りの提灯や町内会の掲示板が、落ちついた下町の風情を醸し出す。様々な鉢植えを並べた格子戸の前で車を避けた円光は、足下の子犬に何度目かの問いを繰り返した。
「どうだ、ベータ。まだ臭うか?」
「ワン」
「そうか」
(それにしても、まだ一日もたっていないのに残り香が少なすぎる。一体どうしたと言うのだ?)
円光は、ともすれば紛れがちになる臭いに意識を集中させ、額に汗を浮かべて更に西へと歩き続けた。すると、唐突に道は終わりを告げた。綾小路通りは西小路通りという南北向きのやや大きな道と出会い、T字路になって西の果てを迎えたのである。道路を挟んでセメントブロックを十段積み上げ、更に高さ7メートルほどの緑のネットで一行の行く手を遮ったのは、地元の中学校であった。円光、アルファ、ベータは道路を渡ってその壁にたどり着くと、たちまち途方に暮れて立ち尽くした。
「臭いが消えてしまった・・・」
「くーん」
「そうか、ベータにも分からぬか」
念のため、円光は道を北にとって四条通りまで歩き、南に返して高辻通りまで行って、やはり何も感知できない事を確かめた。
「ううむ、麗夢殿はどこに行ってしまわれたのだ」
円光は握り拳に青筋を立てて、東向きに綾小路通りを睨み付けた。
「とにかくこのまま逆に戻ってみよう、アルファ、ベータ。麗夢殿がこの付近まで運ばれてきたのは確かだし、何か見落としたやもしれぬ」
それに、榊殿にもあって話を伺ってみないと。円光の言葉に二匹はなおも未練げに綾小路通りを見つめたが、やがてあきらめたように元来た道をとぼとぼと帰り始めた。
始発の新幹線に乗り、京都駅に降り立った円光は、その変貌ぶりにつくづくと慨嘆した。
初めに驚かされたのは京都駅で、降り立った瞬間、円光は自分がどこにいるのか、さっぱり見当も付かない有り様だった。ホームからは、まるで巨大な船を一隻そのまま地上に据えつけでもしたかのようなビルがそびえ立ち、なじみ深い京都タワーを円光の視線から隠している。さんざん迷った末、駅員に聞いてようやく烏丸口から出る事ができたが、この分では、自分がかつて修行していた町並みがはたして残っているのか、心細くもなる円光である。
「にゃん?」
円光がきょろきょろ辺りを見回す様子に、アルファが疑わしげな目で鳴いた。大丈夫なのか? と問いかけられた円光は、ようやく自分のいる位置をつかんで、足下の二匹に笑顔を向けた。
「心配無用。こっちだ」
円光は北に方角を定め、先に立って歩き始めた。だが、二匹の同伴は、疑わしげな表情でついていくのも渋々の様子である。それに気が付いた円光は、本当に心配いらない、と二匹に語りかけた。
「アルファ、ベータ、京都の町並みが東西南北に、いわゆる碁盤目状の形になっているのは存じているな」
「にゃん」
アルファがもちろんと返事をした。
「その京都の道には、皆何らかの名前が付いている。例えば、この南北に通る道は烏丸通り、この東西に交差する道は、七条通りと申す。その交差点が、七条烏丸、と言うわけだ。京の道には昔から覚えるためのこつがあって、童歌になって残っている。まぁるたけ~えべすぅ、におしおいけ~」
「キャン!」
円光が突然はりあげたかん高い声に、ベータが思わず悲鳴を上げた。七条烏丸と言えば京都駅の真ん前。人通りもかなり多い。何人もの通行人が、おかしな取り合わせの一人と二匹に冷たい視線を浴びせかける。アルファ、ベータは、円光がこの街ではさほど目立たないと言う事実にさすが京都と妙に感心していたのだが、当の本人が型はずれな事をすれば結局変わらないと言う事を、改めて確認させられた。対する円光はまるで平気なもので、そもそも見ず知らずの通行人の評価など気にかけてもいない。二匹は必死で円光に歌をやめてくれるようせがみ、円光も不肖不肖それを承知した。
「だから丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、と言う。丸は丸太町通り、竹は竹屋町通り、えべすは、夷のなまりで夷川通り、と言う風に、北から順に通りの頭文字を並べて歌にしてある。それから言うと、四綾仏高、つまり、四条通り、綾小路通り、仏光寺通り、の順で通りが北から並んでいる事になる。すなわちこの先に、綾小路通りがあると言うわけだ」
それだけ言うと、さっそく円光は歩き出した。アルファ、ベータもこうなっては黙って付いて行くしかない。
円光がわざわざ京都まで出てきたのは、榊から麗夢の消息について連絡を受けたからだった。実は不覚にも円光、アルファ、ベータとも、麗夢が平安貴族にさらわれる時には既に気を失ってしまっており、榊からの電話でようやく目を覚ますていたらくだった。そして、榊の京都綾小路通りでの一件を聞くに及び、取るものも取りあえず、円光等は痛む身体を押して新幹線に飛び乗ってきたのである。
「麗夢殿、しばし拝借つかまつる。ごめん!」
出かけるに際して、普段からお金という物を持ち歩かない円光は、アルファが気を利かせて奥から持ち出してきた麗夢の財布を借り受け、ようやくこの京都までたどり着いた。
それでもこうして麗夢の消息を伝える地に無事降り立った事は、円光とアルファ、ベータの士気を嫌が上にもかき立てた。
一行は意気込みも新たに烏丸通りを北上し、およそ20分ほどで綾小路と名付けられた小さな通りに入り込んだ。
まず、異変を感知したのは、やはりベータだった。ベータの嗅覚が、昨夜の残滓とも言うべき腐敗した魚のような異臭をキャッチしたのである。ベータに続いて円光もその異臭に気が付いた。
「どうやら榊殿がおっしゃっていた臭いはこれだな。かすかだが、昨夜の妖気が確かに感じられる」
ワン! とベータが同意して、先に立って通りを西向きに進み始めた。すぐ後をアルファが駆けていき、円光も同じく西に足を向けた。
この道は車一台がやっとの狭い通りだが、四条通りの混雑を避けようと以外にたくさんの車が入ってくる。円光はその度に道の端から時には他人の家の軒先まで入り込んで車を避けながら、ひたすら西へ歩き続けた。
こうして一行が堀川、西大路といった大きな道を横断しつつ先を進む事40分。およそ4キロの道を来ると、町並みは俄然綾小路を意識させられるものになった。綾小路橋と名付けられた古い石橋を渡り、メゾン綾小路と言う名のマンションの前を過ぎ、綾小路町の文字を刷り込んだ秋祭りの提灯や町内会の掲示板が、落ちついた下町の風情を醸し出す。様々な鉢植えを並べた格子戸の前で車を避けた円光は、足下の子犬に何度目かの問いを繰り返した。
「どうだ、ベータ。まだ臭うか?」
「ワン」
「そうか」
(それにしても、まだ一日もたっていないのに残り香が少なすぎる。一体どうしたと言うのだ?)
円光は、ともすれば紛れがちになる臭いに意識を集中させ、額に汗を浮かべて更に西へと歩き続けた。すると、唐突に道は終わりを告げた。綾小路通りは西小路通りという南北向きのやや大きな道と出会い、T字路になって西の果てを迎えたのである。道路を挟んでセメントブロックを十段積み上げ、更に高さ7メートルほどの緑のネットで一行の行く手を遮ったのは、地元の中学校であった。円光、アルファ、ベータは道路を渡ってその壁にたどり着くと、たちまち途方に暮れて立ち尽くした。
「臭いが消えてしまった・・・」
「くーん」
「そうか、ベータにも分からぬか」
念のため、円光は道を北にとって四条通りまで歩き、南に返して高辻通りまで行って、やはり何も感知できない事を確かめた。
「ううむ、麗夢殿はどこに行ってしまわれたのだ」
円光は握り拳に青筋を立てて、東向きに綾小路通りを睨み付けた。
「とにかくこのまま逆に戻ってみよう、アルファ、ベータ。麗夢殿がこの付近まで運ばれてきたのは確かだし、何か見落としたやもしれぬ」
それに、榊殿にもあって話を伺ってみないと。円光の言葉に二匹はなおも未練げに綾小路通りを見つめたが、やがてあきらめたように元来た道をとぼとぼと帰り始めた。