かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

6.追跡

2008-03-30 12:29:38 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「しかし京都も変わってしまった。拙僧がいた頃とは大違いだ」
 始発の新幹線に乗り、京都駅に降り立った円光は、その変貌ぶりにつくづくと慨嘆した。
 初めに驚かされたのは京都駅で、降り立った瞬間、円光は自分がどこにいるのか、さっぱり見当も付かない有り様だった。ホームからは、まるで巨大な船を一隻そのまま地上に据えつけでもしたかのようなビルがそびえ立ち、なじみ深い京都タワーを円光の視線から隠している。さんざん迷った末、駅員に聞いてようやく烏丸口から出る事ができたが、この分では、自分がかつて修行していた町並みがはたして残っているのか、心細くもなる円光である。
「にゃん?」
 円光がきょろきょろ辺りを見回す様子に、アルファが疑わしげな目で鳴いた。大丈夫なのか? と問いかけられた円光は、ようやく自分のいる位置をつかんで、足下の二匹に笑顔を向けた。
「心配無用。こっちだ」
 円光は北に方角を定め、先に立って歩き始めた。だが、二匹の同伴は、疑わしげな表情でついていくのも渋々の様子である。それに気が付いた円光は、本当に心配いらない、と二匹に語りかけた。
「アルファ、ベータ、京都の町並みが東西南北に、いわゆる碁盤目状の形になっているのは存じているな」
「にゃん」
 アルファがもちろんと返事をした。
「その京都の道には、皆何らかの名前が付いている。例えば、この南北に通る道は烏丸通り、この東西に交差する道は、七条通りと申す。その交差点が、七条烏丸、と言うわけだ。京の道には昔から覚えるためのこつがあって、童歌になって残っている。まぁるたけ~えべすぅ、におしおいけ~」
「キャン!」
 円光が突然はりあげたかん高い声に、ベータが思わず悲鳴を上げた。七条烏丸と言えば京都駅の真ん前。人通りもかなり多い。何人もの通行人が、おかしな取り合わせの一人と二匹に冷たい視線を浴びせかける。アルファ、ベータは、円光がこの街ではさほど目立たないと言う事実にさすが京都と妙に感心していたのだが、当の本人が型はずれな事をすれば結局変わらないと言う事を、改めて確認させられた。対する円光はまるで平気なもので、そもそも見ず知らずの通行人の評価など気にかけてもいない。二匹は必死で円光に歌をやめてくれるようせがみ、円光も不肖不肖それを承知した。
「だから丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、と言う。丸は丸太町通り、竹は竹屋町通り、えべすは、夷のなまりで夷川通り、と言う風に、北から順に通りの頭文字を並べて歌にしてある。それから言うと、四綾仏高、つまり、四条通り、綾小路通り、仏光寺通り、の順で通りが北から並んでいる事になる。すなわちこの先に、綾小路通りがあると言うわけだ」
 それだけ言うと、さっそく円光は歩き出した。アルファ、ベータもこうなっては黙って付いて行くしかない。
 円光がわざわざ京都まで出てきたのは、榊から麗夢の消息について連絡を受けたからだった。実は不覚にも円光、アルファ、ベータとも、麗夢が平安貴族にさらわれる時には既に気を失ってしまっており、榊からの電話でようやく目を覚ますていたらくだった。そして、榊の京都綾小路通りでの一件を聞くに及び、取るものも取りあえず、円光等は痛む身体を押して新幹線に飛び乗ってきたのである。
 「麗夢殿、しばし拝借つかまつる。ごめん!」
 出かけるに際して、普段からお金という物を持ち歩かない円光は、アルファが気を利かせて奥から持ち出してきた麗夢の財布を借り受け、ようやくこの京都までたどり着いた。
 それでもこうして麗夢の消息を伝える地に無事降り立った事は、円光とアルファ、ベータの士気を嫌が上にもかき立てた。
 一行は意気込みも新たに烏丸通りを北上し、およそ20分ほどで綾小路と名付けられた小さな通りに入り込んだ。
 まず、異変を感知したのは、やはりベータだった。ベータの嗅覚が、昨夜の残滓とも言うべき腐敗した魚のような異臭をキャッチしたのである。ベータに続いて円光もその異臭に気が付いた。
「どうやら榊殿がおっしゃっていた臭いはこれだな。かすかだが、昨夜の妖気が確かに感じられる」
 ワン! とベータが同意して、先に立って通りを西向きに進み始めた。すぐ後をアルファが駆けていき、円光も同じく西に足を向けた。
 この道は車一台がやっとの狭い通りだが、四条通りの混雑を避けようと以外にたくさんの車が入ってくる。円光はその度に道の端から時には他人の家の軒先まで入り込んで車を避けながら、ひたすら西へ歩き続けた。
 こうして一行が堀川、西大路といった大きな道を横断しつつ先を進む事40分。およそ4キロの道を来ると、町並みは俄然綾小路を意識させられるものになった。綾小路橋と名付けられた古い石橋を渡り、メゾン綾小路と言う名のマンションの前を過ぎ、綾小路町の文字を刷り込んだ秋祭りの提灯や町内会の掲示板が、落ちついた下町の風情を醸し出す。様々な鉢植えを並べた格子戸の前で車を避けた円光は、足下の子犬に何度目かの問いを繰り返した。
「どうだ、ベータ。まだ臭うか?」
「ワン」
「そうか」
(それにしても、まだ一日もたっていないのに残り香が少なすぎる。一体どうしたと言うのだ?)
 円光は、ともすれば紛れがちになる臭いに意識を集中させ、額に汗を浮かべて更に西へと歩き続けた。すると、唐突に道は終わりを告げた。綾小路通りは西小路通りという南北向きのやや大きな道と出会い、T字路になって西の果てを迎えたのである。道路を挟んでセメントブロックを十段積み上げ、更に高さ7メートルほどの緑のネットで一行の行く手を遮ったのは、地元の中学校であった。円光、アルファ、ベータは道路を渡ってその壁にたどり着くと、たちまち途方に暮れて立ち尽くした。
「臭いが消えてしまった・・・」
「くーん」
「そうか、ベータにも分からぬか」
 念のため、円光は道を北にとって四条通りまで歩き、南に返して高辻通りまで行って、やはり何も感知できない事を確かめた。
「ううむ、麗夢殿はどこに行ってしまわれたのだ」
 円光は握り拳に青筋を立てて、東向きに綾小路通りを睨み付けた。
「とにかくこのまま逆に戻ってみよう、アルファ、ベータ。麗夢殿がこの付近まで運ばれてきたのは確かだし、何か見落としたやもしれぬ」
 それに、榊殿にもあって話を伺ってみないと。円光の言葉に二匹はなおも未練げに綾小路通りを見つめたが、やがてあきらめたように元来た道をとぼとぼと帰り始めた。
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7.植物消失 その1

2008-03-30 12:29:30 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 鬼童が長躯夢隠し村から京都へ転がり込んで早1ヶ月。鬼童は北岡の指導の元、謎の植物の培養実験を続けていた。無菌環境を事務机ほどの面積に生み出すクリーンベンチと言う機械に向かい、70%エタノールの刺激的な匂いをまといながら、小さな細胞を生かし続ける努力の毎日である。150℃の恒温器で完全滅菌されたメスとピンセットを操り、オートクレーブという圧力釜で121℃・15分間滅菌したガラス容器内の培地ー各種栄養素を溶かし、0.6%の寒天で固めた半透明な培地ーに、接ぎ木の残りの組織から取った細胞を植え付ける。無菌のアルミ箔でふたをしてしっかりと密着させ、手が触れた部分をさらにガスバーナーであぶって殺菌してから、25℃にセットされた培養器に移す。細胞は恵まれた栄養素を元に分裂と生長を続け、カルスと呼ばれる細胞の固まりになる。これをまたメスで細かく切り、新たな培地に植え直して、より大きな細胞塊へと育てていく。その繰り返しで夜が更けていく。
 かつて、この京都で絶大なる権力を誇った白川上皇は、その自分でも意にならぬとして3つのものをかかげた。同じように天才の名を欲しいままにする鬼童にも、もちろん自由にならないものが幾つかある。その中でも最たるものは時間であろう。こればかりは、どんな天才、凡才でも一日は等しく24時間であり、1時間は60分にすぎない。鬼童はその事を十分理解するが故に、自分の研究のために最大限時間を割り振る男であった。特に深夜から早朝にかけての時間帯は、大学が最も人気の少なくなる時間でもある。ほとんど全ての学生が姿を消し、長老然とした教授達もいない。つまり、鬼童他若干名の研究至上主義者にとっては、誰にも煩わされる事無く研究に没頭できるこの時間帯が何よりも貴重な数時間であり、とても惰眠をむさぼる気にはなれないのである。
 学生達が去ってようやく空いたクリーンベンチで、今日も徹夜を予感しつつ一通りの操作を開始したのが午後8時。栄養素の組成を微妙に変えた各種培地への植え替えを終えると、次は細胞の性質を探る実験を始める。電子顕微鏡にかけて内部構造を見るためのサンプルの採取。細胞の生命力を見るATP活性検査。幾つかのホルモンを与えた時の反応。温度ショック、酸素濃度、紫外線、赤外線の影響評価。更に加えて鬼童独自の精神エネルギー測定、など、一つ一つを取れば学部学生レベルではそれぞれ一晩ずつかかりそうな実験の数々を、鬼童は驚異的なスピードでこなしていく。それでも一通りの実験データを取り終えた頃には、窓の外が白々と明るみ、キャンパスを根城にする鳥たちのさえずりが聞こえてくる。鬼童は軽くこわばった首をぐるりと回し、膨大なデータの山を解析すべく、自分用にあてがわれたコンピューターへと席を移動した。
「ほお、今日も徹夜かいな」
 朝一番に研究室へやってくる北岡は、今日も変わらぬ先客の精力ぶりに軽く舌を巻いた。
「大概にしとかんと、あんまり根つめると倒れてまうぞ」
「大丈夫だよ。北岡」
 鬼童は、徹夜明けとは思えないしっかりした口振りで北岡に答えた。
「夕方に3時間は寝ているからな」
 その時間すら惜しい、と言わんばかりな鬼童の様子に、北岡は、あくびが出かかった口を軽く手で抑えた。
「相変わらずやな。で、様子はどうや? 少しは何か出てきそうか?」
 ここ一月あまりの朝の決まり文句だが、鬼童の答えもまた変化がない。
「うん、残念だがまだどうもいい数字が取れない。これなんだが・・・」
と鬼童はさっき測定したばかりの精神エネルギー値のデータを北岡に見せた。値の読み方は既に鬼童に教わっている。北岡はここ一ヶ月の数値の変化を思い起こし、確かに芳しい変化がない事を確認した。
「君のおかげで培養は成功した。だが、どうしても初めに感知した精神エネルギーが出てこない」
「お前の勘違いやったんとちゃうか?」
 これも、北岡が毎日一度は口にする疑問である。夢隠し村で計測した数値そのものが、機械の不調、暗闇の中での見間違い、その他何らかの原因による異常だったのではないか、と北岡は考えている。鬼童もその可能性については認めながらも、諦めきれない気持ちが、まだ未知の条件に対する希望を持ち上げる。
「いや、何かが足りないんだ。何か。あるいはカルスでは駄目で、植物体に再生する事が大事なのかも知れない」
「でも、接ぎ木した奴かてエネルギーは出てないやないか」
「それは、そう、だが・・・」
 確かに北岡の言う通りであった。白い謎のサボテン様植物は、北岡のこれも神に入ったテクニックで見事三角柱に接ぎ木され、温度、湿度、光線条件を完璧に制御された人工気象室で大切に育てられている。もちろん接ぎ木の当初から鬼童はこちらの方でも計測を続けているのだが、思うような結果が出ず、内心焦りを覚えつつあった。
「まあええ、こいつが発見された時の状況は知らんし、お前の言うとおり何かが欠けてるのかもしれん。それより、今日は動かそうと思うんやがどうや」
 北岡の提案は、接ぎ木の成功を確認した時から予定されていた事だった。謎の植物を人工気象室から出し、屋外の、馴化施設の方に移すのである。ここで植物は初めて外界の存在を知る事になる。もちろん実際には外界とは完全に隔絶された施設で、気温、湿度などの環境は相変わらず人工制御されてはいる。しかしここは、植物が何よりも必要とする最大のもの、太陽光線が初めて与えられるという意味で、今までの人工気象室とは決定的な違いがあるのである。
「判った。今からやるか?」
「そうだな、他のもんが来る前に片付けとくか」
 北岡は軽く頷くと、鬼童を誘って人工気象室へと足を向けた。
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7.植物消失 その2

2008-03-30 12:29:23 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「だが、少なくとも培養がこんなに容易にいくとは正直思わなかった。本当に植物というのは大した生き物だな」
 人気のない大学構内を歩きながら、鬼童は素直な気持ちを口にした。北岡もそれに関しては何の疑問もない、と言うように頷いた。
「そうやな。生命力に関して言えば、この世でこいつらにかなうもんはない。たった一個の細胞からでも完全体に復活しうる再生能力。寿命など無いかのように何年も成長を続ける生命力。それに、どんな不利な環境に置かれても、眠り続けて環境の変化を待つ事ができる持久力。四千年前のハスの種が掘り出された途端芽を出したりするんやからな。人間などとてもかなわん・・・」
 全くだ、と鬼童も思った。
「この種だって多分800年は眠っていたはずなんだ。それが曲がりなりにも芽を出し、こうして育っている。本当に、驚くしかない」
「それなんやがな、鬼童、やっぱりどう考えても800年はおかしいとしか思えんのや」
「君の言いたいことはよく判るよ、北岡」
 鬼童は、これが800年前に封印されていたと思われる事を北岡に告げた時、まん丸の顔が破裂せんばかりに驚いた事を思い出した。
「それは何かの間違いや! サボテンの歴史は何ぼさかのぼっても江戸時代、第一発見されたのはコロンブス達が新大陸に行ってからの事やぞ!」
 サボテンは、南北アメリカ大陸に特異的に分布する植物である。それがヨーロッパ人によって「発見」されたのは、大航海時代たけなわの十六世紀の事。それから約百年かけて日本まで伝わったというのが歴史の記録である。だが、この白いのは外観はもとより、三角柱に接ぎ木できた事からも、サボテンである事は間違いない。異種間の接ぎ木など、どんな技術を使っても不可能なのだ。北岡はその証拠を元に、鬼童の言う800年前説を頭ごなしに否定したのである。だが、鬼童自身は800年前説を否定できない事情があった。これは何といってもあの平智盛が封印されていた、夢隠し村鍾乳洞にあったのだ。
「本当に、江戸時代より前にサボテンが日本にやってきた事はなかったんだろうか?」
 鬼童の半ば独り言めいたつぶやきに、北岡は答えた。
「当たり前や。考えてもみいや、鬼童。確かにサボテン自身の歴史は少なくとも万年単位のオーダーで刻まれとる。その間に奇跡的に漂着するとかで日本列島にたどり着いた奴も、ひょっとしたらあったかもしれん。でも、サボテンは日本の気候では余りに育ちにくい。特に夏に雨が多すぎるんや。万々が一、サボテンが海を渡ってくるような奇跡があったとしても、自然のまま何万年も時を超えてその血が残るとは到底考えられん」
「誰かが育てたとしたら?」
「どうやって? それに何のためや? こんな食えもせん手間ばかりかかるもんを、どこの酔狂が苦労して育てよう思うんや?」
 夢守の民、と言う言葉を鬼童は呑み込んだ。今、両手で大事に運んでいる植物については、随分込み入った事情まで北岡には話してある。だが、それがある特異な集団と結びついている、と言う仮説までは披露してはいない。一笑に付されるのが落ちだし、北岡の専門からいってもそこまで鬼童の話についてこれるとは思えない。だが、と鬼童は思うのだ。アメリカ大陸と日本。この、地球を半周する距離を、800年前、あるいはもっと昔に踏破する事は本当に不可能だったのか。出雲国風土記の国引き神話を、日本を中心としたアジア周辺各国との密接なネットワークが存在した痕跡と見る研究者がいる。人間の腸内寄生虫の古生物学的研究やウイルスの遺伝学的研究から、アジアとアメリカ大陸との壮大な人類大移動を提唱する学者もいる。南米エクアドルの遺跡からは、日本の縄文式そっくりの土器が出土する。第一、インディアンやアラスカの黄色人種がベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡った、という定説があるが、それなら逆にたどってアジア大陸の方へやってきた人がいてもおかしくはないではないか。その中に「夢守の民」の祖先がいたとしたら。そして、その時この謎のサボテンを携えていたとしたら。南米アステカ文明では、ある種のサボテンに含まれる天然麻薬成分を使って壮大な儀式を執り行っていた。夢守の民が、このサボテンを何かに利用していたとしても不思議ではない。
 ・・・だが、証拠も何もない。
 これらは今のところ鬼童の夢想でしかないのだ。そんな自分自身すらまだ信じ切っていないような事柄をあっさり人に話すほど、鬼童の口は軽くできていなかった。
「さて、その隅でも空けよか」
 ちょっと見ただのガラス温室にしか見えない馴化室に入った北岡は、東側の空きが多い棚を整理し始めた。折から上り始めた太陽が、ガラス越しに馴化室の植物達を少しずつ照らし始めた。
「よっしゃ。そこに置いてくれ、鬼童」
「うん」
 鬼童は北岡の指図のままに、親指ほどの大きさの三角形をしたサボテンが植わった鉢を、その空間の真ん中に置いた。少しずつ、しかし確実な足取りで太陽光線が影の領域を浸食していき、今置いたばかりの鉢もやがて暖かい光に包まれた。
 神々しいまでに白く光り輝いた鬼童のサボテンに異変が起こったのはその瞬間である。突然、鬼童が携帯する精神エネルギー検出器が悲鳴のような警報音をがなり立て、鬼童と北岡の度肝を抜いた。この反応は謎のサボテンに違いない! と言う共通認識のままに振り向いた二人は、今しも青白い炎を上げて縮んでいく、白いサボテンの最後を見た。炎は数瞬の間にたちまち消え、後には三角柱の緑の柱が残るばかり。白い方はというと、わずかな灰も残す事なく、完全に消滅したのである。
「なんなんや一体。日の光を浴びて燃え上がるなんて・・・。信じられん。これじゃまるで吸血鬼ドラキュラやないか」
 唖然とする北岡の隣で、鬼童もまたこの一瞬の出来事に、徹夜の連続でついに幻覚でも見たのかと目をしばたかせた。しかし、幾ら目をこすっても、視界に映るのはやや間の抜けた接ぎ木跡をさらす三角柱の姿ばかりである。活着して生長を始めていたはずの白いサボテンが失われたのは、幻覚でも夢でもない。
 鬼童は半身を失ったかのような深刻な喪失感に襲われつつも、今北岡がつぶやいた言葉に、ピン、と何かを閃きかけていた。
(そういえば、こいつが芽生えたところは・・・)
 何事もなかったかのように静まり返った馴化室で、鬼童の脳だけが、再び慌ただしい計算に加熱し始めていた。
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8.円光逮捕 その1

2008-03-30 12:28:44 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「やあ、遅くなってすまんな」
 12時を15分ほど回ったところで、榊はいつものコート姿に平謝りの苦笑を乗せて、円光に声をかけた。京都府警前の大きな通りに面した街路樹の下である。昼時のオフィス街とあって、昼食に急ぐ人々も多い路上だったが、円光もアルファ、ベータも辛抱強く榊が府警本部から出てくるのを待っていたのである。
「榊殿、待ちかねました」
 円光がうれしそうに答えるのに、榊はもう一度笑顔で謝った。
「で、どうだった? 何か判ったか? 円光さん」
 榊は少なからぬ期待を持って円光の顔をのぞき込んだ。円光やアルファ、ベータなら、自分のような常人には感知できない何かを掴んだかも知れない。いや、掴んでいて欲しい、と榊は願った。円光と連絡が取れてやはり昨夜の百鬼夜行に取り込まれたのが麗夢に違いない、と判った今、さしあたりそれ以外に有力な手だてがあろうとも思えなかった。円光こそ唯一の手がかりになりうる、と榊は思っていたのだ。だが、期待で一杯の視線を送られた方は、送り主の気にいるような答えを持っていなかった。
「無念ながら、何も・・・」
 肩をうなだれたその姿は、およそ日頃の円光からは予測も付かない。頬はこけ、頭のつやも曇りがちなのに、目だけは空腹の肉食獣が獲物を見つけた時のようにぎらぎらと殺気だっているものだから、榊ですら思わず腰が引けてしまう程人相が悪化している。
(麗夢さんがさらわれたくらいでこのていたらくだ。もしこれで本当に麗夢さんがいなくなったりしたら、一体どうなるだろう?)
 榊には十分円光の心中を理解できるのだが、もう少し余裕を持てないものか、と老婆心にこの若者を心配するのである。
「で、榊殿、何かわかりましたか?」
「あ? ああ、円光さんが言っていた高雅だな。正直言って全くの偶然なんだが、まあこれを見てくれ」
 榊はおもむろに懐から小さく畳んだ新聞の切り抜きを取り出した。
「今朝新聞を読んでいてたまたま見つけたんだ。ここを見て」
 榊の太い指が、切り抜きの右隅に直径3センチあまりの円内に張り付けられた、顔写真の脇で止まった。モノクロの、新聞特有の荒い写真だが、個人の顔を識別するのはそれほど難しいものではない。
「地元新聞の園芸相談コーナーなんだが、同じ名前なんで、もしやひょっとして、と思ってね。どうだい、その顔に見覚えは?」
「・・・」
 円光は食い入るように、京都府立植物園技師、綾小路高雅と名前の入ったその写真を凝視した。しゃがみ込んで、アルファ、ベータにも確かめさせる。円光達の力を知る榊は、ひょっとしてその焦点が合えば新聞が火を噴く事になるのではないか、と半ば本気で心配したが、何とか新聞は無事なまま榊の手元に帰ってきた。
「面影は似ております。だが、これではそうとはっきり申す事は出来かねます」
 アルファ、ベータも難しげな顔つきで円光の言葉に同意した。
「拙僧、これよりその植物園へ参り、この男と面談してみます。アルファ、ベータも直に会えば、写真では判らない匂いや気配で、こ奴がにっくき拐かしかどうか、判ると存ずる」
「そうか。では十分気を付けてくれ。相手は化け物共を操り、麗夢さんを拉致するような輩だ。どんな罠を設けているか判らんからな」
「承知」
 二度の不覚は取らない、という円光の闘志が目に見えるようだ。榊は一抹の不安を覚えながらも、それ以上足を引っ張るような事は差し控えた。何のかんのいって榊自身、この僧侶の実力には深い信頼を置いているのである。榊は腕時計を見てまだ時間に余裕がある事を確かめると、円光に言った。
「昼飯まだだろう? 向こうの地下鉄の駅のそばにうまい店があるんだ。植物園へもその地下鉄で行くといい」
「拙僧、今はとても食事など・・・」
「腹が減っては戦はできぬ、だよ、円光さん」
 固辞しようとする円光に強いて笑顔で頷いた榊は、まあついて来い、とアルファ、ベータにも目配せした。円光はしばしのためらいをようやく納めると、足下の二頭に言った。
「では参ろう、アルファ、ベータ」
 円光はか細い手がかりを胸に抱いて、榊の後を追いかけていった。
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8.円光逮捕 その2

2008-03-30 12:28:35 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 京都市営地下鉄北山駅で降り立った円光は、駅の地上口真ん前にある植物園入り口で、円光は気合いを入れ直しし、意を決して入場料金200円を払った。
 門をくぐってまず手渡された案内図を見る。
 広い。
 総面積24万平方メートル。散策路が網目状に繋がり、様々な樹種が茂みを作って、見通しはほとんどない。虱潰しに歩いて偶然の出会いを期待するには、円光、アルファ、ベータの目と足だけでは到底間に合いそうもなかった。時間も余りない。植物園は、5時には閉まってしまうのだ。一枚の案内図を6つの目で食い入るように睨む事しばし。結局たまたま通りかかった一人の女性職員に、綾小路高雅に会いたい旨を告げた。近藤というネームプレートを付けたその職員は、円光の恐ろしげな容貌に一瞬腰を引いたが、すぐ愛想笑いを浮かべると園南端の植物園会館に行くよう指示した。そこに、植物園の総合事務所がある。円光は礼を言うと、怪訝な顔の女性職員と別れ、事務所を目指して歩き始めた。
 
 ちょうど円光が事務所を訪れたころ、高雅は、近藤加代というなじみの同僚から不穏な話を聞かされていた。何でも人相のごっつ悪いぼんさんが、自分の事を捜しているという。
「何や知らんけど、気ィつけなあかんで、高ちゃん」
 その言いぐさもさる事ながら、その情報は、高雅の心臓を不審と不安という二枚の板でぎゅうと挟み込んだ。まさか、と思う反面、もしそうだったらどうしよう、と喉元に酸味が上ってくるのが感じられる。とにかく確認してみないと。高雅は恐る恐る事務所を目指した。
(お婆ちゃんは心配ない、ってたが・・・)
 まさか追いかけてきていたとは、と言う驚きに加え、「お婆ちゃん」の言葉を頼りに押さえ込んでいた、麗夢誘拐が公になる事への不安が、じわじわと表に染み出してくる。高雅は、締め付けられたまま喘ぐ心臓の鼓動を感じつつ、管理用の小道を縫った。
 互いに相手を先に見つけようと必死の二人の遭遇は、その努力もむなしく唐突だった。
 事務所でも空振りに終わり、じき帰ってくる、と言う職員の言葉を頼りに会館を出た円光は、そこでばったり高雅と出会い頭に対面したのである。
「あっ!」
 気づいたのは高雅の方が先だった。茶の地味なセーターにGパン姿という極めて日常的な風体をしていた高雅に、あの平安朝貴族の傾いた格好しか見ていなかった円光、アルファ、ベータは、明らかに一拍、気づくのが遅れた。その事あるを予期して既に逃げ腰に構えていた高雅は、瞬時に偵察から逃走へとベクトルを変えた。
「追うのだ! アルファ、ベータ!」
「ワ、ワン!」
「ニャア!」
 円光達の一瞬の遅れの内に、高雅はもと来た管理用の小道に駆け込んだ。鬱蒼と茂る森の中で、熟知した小道を縫って高雅は走る。高雅は生まれて初めて恐怖を原動力に足を動かした。息が切れ、何度もつまづいて一度は派手に転んだが、痛みに勝る切迫感が、高雅の足を強引に動かした。ようやく管理用の小道を抜け出た高雅の行く手に、学校で写生に来ているのか、自分の身体ほどある画板を下げた小学生の群が道を埋め尽くしていた。咄嗟に進路を変えて、もう一度針葉樹林の森に飛び込む。こうして何とか管理棟に通じる職員専用の門までたどり着いた時、高雅は呼吸と拍動がついていかない苦しさに、腰くだけに倒れ込んだ。
 「どうした、高ちゃん?」
 全身から汗を吹き出して、ゆがめた顔を上げた高雅は、そこに初老の皺を刻む日焼けした顔を見て泣き出しそうになった。
「た、田中さん、追われているんです」
「追われてるって、一体誰に?」
 普段はついぞ見せた事のない切迫した高雅の表情に、田中はただ目を丸くするばかりだった。それでもようやく事態が容易ならざるものである事を理解すると、田中は肩を貸して門の内側に高雅を押し込んだ。
 円光が追いついてきたのは、丁度後ろ手に田中が門を閉じた直後だった。高雅の後を追って森を抜けた円光は、遠く高雅が門の前でへたり込んでいるのを発見して一気に突っ切ろうとした。しかし、たちまち小学生の群に進路を阻まれ、高雅が門の内側に逃げ込むのを歯がみして悔しがりながら、ようやく田中の前まで走り込んだのである。
「ここを通されよ! ここに男が逃げ込んだであろう!」
 円光の必死の形相に、こわもてで鳴る田中もさすがに内心たじろいだ。だが、円光の聞き慣れない東京なまりに、田中の生粋の京都人としての神経が、かちん、と刺激された。田中は、一瞬だけこわばったきつい目で円光を見たが、すぐに素知らぬ体をつくろうと、一見柔和な表情で、円光に向かって穏やかに言った。
「さあ、知りまへんなぁ」
「知らぬはずはあるまい! 拙僧はちゃんと見ていたのだ! さあ、通されよ!」
「お客はん、何を勘違いされてるのかようわかりまへんが、ここから先は、関係者以外立入禁止の区域になってます。どこのどなたとも知れへんややこしい人を、通すわけにはいきまへん」
「拙僧はあの男に用があるのだ!」
「うちの職員にご用なら、向こうにある事務所へ行かれはった方がええ」
 こうして田中が円光の剣幕すさまじき要求をのらりくらりとかわしている間に、高雅は自分の「城」に、息も絶え絶えになってたどり着いた。
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8.円光逮捕 その3

2008-03-30 12:28:23 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 高雅は、最後の力を振り絞って滑りの悪い試験棟の入り口を引き明け、這うように奥の実験室に向かった。焦りに理性を失いつつもこれだけは忘れない、室内に直射日光が差し込んでいない事を確かめ、家庭用冷蔵庫くらいの大きさの、緑と白で鮮やかに彩られた人工気象機に手をかけた。がちゃん! とバイオトロンをひっくり返しそうな勢いで取っ手を引っ張り、高雅は、扉が開かない事にまた恐慌にとらわれた。そうだ、鍵だ! 高雅は大慌てでポケットに手を突っ込むと、鍵束を引っぱり出して、取っ手の鍵穴に、震える手でキーを差し込んだ。そのキーをぶらさげたままドアを勢いよく開け、白色の蛍光灯に照らされた中に鎮座する白いサボテンを手に取った。その途端、突然動いた自分の口に、高雅は安堵の余りへたり込んだ。
『高坊、どないしたん』
「お婆ちゃん!」
 高雅は、ようやく「対面」できた祖母に、息せき切って訴えた。
「あかん。お婆ちゃんどないしょ、あいつが、あの坊主が追いかけてきよった! どないしたらええねん?」
『慌てやんでもええ、高坊。お婆ちゃんを抱いて、堂々と胸をお張り。ああ、日に当てへん様に気を付けてな』
 その途端、外から田中の叫び声が届いた。
「あかん! 勝手に入ったら!」
 高雅は一瞬だけ振り返って円光の「どこだ! 綾小路高雅!」の叫びを耳にすると、感電でもしたかのように勢いよく立ち上がった。
 高雅が自分の実験室で一人二役を演じていた頃、アルファとベータがとっさの機転で押し問答する二人の足下をすり抜け、門の隙間から飛び込んだ。田中の巧妙な足止め策に業を煮やしていた円光も、田中が二匹に気を取られた隙に棒高跳びの要領で錫杖を使って一気に門を飛び越した。が、その強行突破も後一歩及ばなかった。既に変身した高雅が、円光達を待っていたのである。
 一見高雅はあの現代人、小心で目立たない若者だった。もし本来のそんな高雅だったなら、円光とてこれはもしや人違いだったかも、と少しは悩んだかもしれない。だが、茶色のセーターを着ていようと、白粉やお歯黒をしていなかろうと、その憂鬱そうな目つきで、いかにも不快だといいたげに唇をゆがめたその顔は、あの時探偵事務所を襲った、平安貴族そのものであった。
「何用じゃ」
「麗夢殿を返してもらおう!」
 円光が憤りを抑えきれずに吼えたてた。
「ふーっ!」
「ワンワンワン!」
 アルファ、ベータも目一杯小さな身体の毛を逆立てて、高雅に迫った。高雅は、ふん、と一瞬だけ冷笑を顔面にひらめかせたが、すぐに元の傲岸不遜の憎々しげな澄まし顔に戻って、円光に言った。
「下郎めが。その恥もわきまえぬ行動がどのような罪に問われるか、理解しておるのじゃろうな?」
「罪に問われるのは貴様だ!」
 円光はわなわなと震える拳を握りしめ、叫ぶように怒りを吐き出した。
「自分の事は棚に上げて、よくもぬけぬけと罪を問うだと? 麗夢殿をどこにやった? 素直に白状するならよし、さもないと・・・」
「さもないと、どうするのじゃ?」
 あまりにも人を小馬鹿にしたような高雅の態度が、円光の怒りに火薬を投げ込んだ。かっとなった円光は、返事の代わりに錫杖を振り上げて飛びかかった。だが岩をも砕く円光の錫杖は、背後から突然かけられた声に、高雅の頭皮から紙一枚分だけ余してぴたりと止まった。
「おまわりさん! こっちや!」
 さっき押し問答を繰り返した田中の声が、円光の殺気を消し飛ばした。何、と振り返った円光の目に、青い制服に身を固めた警官が3人、田中に先導されてこちらに向かってくるのが見えた。円光に門を突破された田中が、植物園を出てすぐのところにある交番に連絡を入れたのである。
「こいつや! 無茶しおって立入禁止区域に押し入った上、うちの職員に手ぇかけようとしてる! 早う捕まえったってや!」
「し、しばし待たれよ! 拙僧はこの男に用があるだけだ」
 警察沙汰になった事に慌てた円光が大急ぎで弁明したが、三人の警官の耳は、すぐそばにいた中年の女性の声に吸い付けられた。初めに円光に問いかけられ、疑念を抱いていた近藤加世が、円光が高雅に打ちかかるのを目撃したのである。
「うそや! この人、確かに高ちゃんに暴力ふるってはったわ!うち見てたんやから!」
「それは誤解だ! 拙僧は当てようと思って撃ちかかったわけではない」
「いーや、あれは絶対高ちゃんを叩こうとしてた」
 けたたましく円光を非難する近藤を押さえ、丁度榊くらいの年に見える一番年長の一人が、犯罪者に対する警官の表情で円光に言った。
「では、撃ちかかったというのは認めるんやね?」
 返答に窮した円光に無言のイエスを感じると、警官は高雅にも質問をした。
「で、あんたはどうなんや? この人に脅されるか何かされとったのか?」
 すると、それまで不敵という文字を全身で体現していた高雅の姿勢が、熱湯を浴びる氷のようにたちまちの内に溶け去った。高雅は、いかにも恐ろしい体験をしたと言わぬばかりに突然顔色を青く染め、続いてほっとした表情で警官に言った。
「そうです。この人、突然訳わからん事言うて、襲いかかってきたんです。ああ、怖かった」
「この! 嘘をつくな!」
 円光がかっとなって高雅をにらみ据えたが、それを遮るように田中が割って入った。
「阿呆! 高ちゃんは嘘つくような人やないで!」
「そやそや! あんた坊主のくせに嘘つくんか?」
「まあ、とにかくちょっとそこまで来てもらいましょか」
 警官は、部下の若い二人に目配せして、円光を取り押さえさせた。円光は3人が10人でも難なく打ち据えてここを脱出できると踏んだが、その熱しきった頭にふっと榊の顔が浮かんだ瞬間、ここで抵抗する事の無益を悟った。今警官相手に暴れたら、榊に迷惑をかける事になる、と円光は考えたのだ。
 円光はがっくり肩を落とすと、黙って京都府立植物園を後にした。その背中に浴びせられた職員の罵声から逃げるように、アルファとベータも円光の後を追って、その小さい足を懸命に動かしてついていった。
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9.綾小路高雅 その1

2008-03-30 12:28:16 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 榊が円光逮捕の報を聞いたのは、既に窓の外が暗くなった会議終了後の事であった。榊とは旧知の、京都府警上鴨署の藤川という警部から電話が入ったのである。植物園でおかしな男が捕まったと聞かされた瞬間、榊はいやな予感が的中した事を知って、舌打ちを禁じえなかった。
「どうやら坊さんらしいが、えらい人相の悪い奴や。「榊警部を呼んでくれ」と要求しとるんやが、榊はんの知り合いか?」
 取りあえず上鴨署の方で拘置しているがどうする、と聞かれて、榊は躊躇する事なくすぐ会いたいと藤川に告げた。では榊が来るまで待つ、という藤川に一言礼を言うと、榊はすぐに車を一台借り、京都府警本部を後にしようとした。
「榊さん! 榊警部!」
 アクセルを踏み込む直前に突然フロントガラスを叩き、榊の注意を引いたのは、昨夜震えの止まらないのを無理矢理タクシーに押し込んで別れた浦辺貴之であった。榊は一瞬だけ困った色を顔に出したが、運転席のサイドウインドゥを開けた時には、厳しい警察官のまなざしを取り戻していた。
「何かね? 浦辺さん」
「やあ、間に合って良かった。どこに行かれるんです?」
「今急いでいるんだ。用事なら後にしてくれないか?」
「見て欲しいものがあるんですよ!」
 ごそごそとサイドバックをまさぐりだした浦辺に、榊は癇癪寸前のいらつきを隠さず言った。
「だから後にしてくれって言ってるだろう? 今君の用事に付き合っている暇はないんだ」
 榊は返事も待たず、窓を閉めて車をスタートさせようとした。それを浦辺は、例のつぶらな瞳に悪戯っぽい色を閃かせながら、榊に言った。
「いやあ、折角ばっちり撮れてるんだけどなあ、昨日の女の子」
 するすると上がっていったサイドウインドゥがぴたりと止まった。その内側で、驚愕の表情が振り返る。
「・・・何だって?」
 浦辺は、この瞬間、主導権争いに勝利した事を確信した。今、厳重な榊のガードを貫いて、驚きと不信、そして巨大な期待をない交ぜにした感情が、その内面で爆発したのを感じ取ったのだ。
「詳しい事は走りながら話しましょう。お急ぎなんでしょう?」
「・・・乗りたまえ」
 榊は心中忌々しさを感じつつも、すぐに助手席のロックをはずした。嬉々として乗り込んできた浦辺が助手席のシートベルトをつける間もなく、榊は車のアクセルを踏んだ。
「それで、君が私に見せたいものは何だ?」
 半ば答えは予想していたが、榊は改めて聞いてみないではいられなかった。
「へへへ、昨日の晩の事はお忘れじゃないでしょう?」
 浦辺は勝ち誇った様子で言った。
「実はね、あの現場の撮影に成功したんですよ」
「しかしあの時撮影できる余裕が君にあったとは到底思えないがな。第一、カメラも持ってなかっただろう?」
 榊は多少の皮肉も交えて浦辺の言葉に応じた。君はあの時、全身瘧でも起こったみたいに震えて、私の足にしがみついていたではないか。暗に榊がそう指摘しているのを承知の上で、浦辺はサイドバックから小さな箱を取り出した。
「職業柄、カメラは常に持ち歩いてますよ。もっとも昨日はこのデジカメでしたけどね」
 なるほど、デジタルカメラか。ちらと横目でいっこうにカメラらしくない小さな箱を見ながら、榊はそんな手もあったかと妙に納得した。あの小ささなら目立たないし、第一あの形は榊にとってはとてもカメラには見えない。
「それで何が撮れたんだ?」
「ですから、昨日のパレードですよ」
 浦辺はサイドバックから一枚の写真を取り出した。
「見てください。割と良く撮れているでしょう?」
 車が交差点の信号に引っかかった。榊は浦辺が指し示すまま、視線を前からその写真へと移した。A4の光沢のある紙に、4枚、サービスサイズほどの写真が写っている。かなり粒子が粗く、コントラストがきつくて見ずらい画像だったが、確かにそこには昨日榊が一瞬だけかいま見た、麗夢の姿がくっきりと浮かび上がっていた。
「やはり麗夢さんか」
「知り合いですか? 警部」
 榊は、思わずつぶやいてしまった事にはっと失態を悟ったが、好奇心満々なつぶらな瞳にはもうごまかすゆとりはない。榊は観念するとぼそりと言った。
「実は誘拐されたんだ。東京でね」
「なるほど、それで警部が京都に来たんですね」
 浦辺の誤解に、榊は黙って前を見た。信号が変わって、車をスタートさせる。
「でも昨日の今日にどうやってそんなものを」
「さっき警部が言ったように僕は実際怖くてそれどころじゃなかったんです。でも、やっぱり記者根性って言うんですかね。気がついたらデジカメを握って無茶苦茶にシャッターを切ってました。だから構図も露出もあったもんじゃないです。でも、デジカメで撮ったのが正解でしたよ。即画像処理してプリントアウトできましたからね。おかげで朝から色々収穫もありました」
「どう言う事だ?」
「実は、今朝からこの写真を綾小路通りで見せて歩いてるんです。ひょっとして夜更かしして昨日のパレードを見ている人がいるかも知れないと思いましてね。それで、その一人がやっと見つかったんですよ」
「なんだって?!」
 榊はたまらず車をいったん脇に止めてハザードランプを点滅させると、改めて浦辺に振り返った。
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9.綾小路高雅 その2

2008-03-30 12:28:05 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「一体誰だ?」
「気になりますか?」
「当然だ! 目撃情報程貴重なものはないからな」
 浦辺は悪戯っぽい目で榊を見た。
「そうだなー、どうしようかなー」
「人一人の命がかかっているんだぞ!」
 焦れったくなって思わず声を張り上げた榊に、浦辺は動じる様子もなく指を立てた。
「怒ったって駄目ですよ、榊警部。僕にとっても大事な特ダネですからね。でも、条件次第では会見に立ち会って貰ってもいいですよ。警部と僕の仲ですからね」
「何だ、その条件というのは?」
 浦辺は期待に輝く目で榊に言った。
「夢隠村の出来事。それを教えてくれるなら同行を許可しますよ」
 一瞬、榊は自身の持つ強大な権力ー警察力ーを行使する誘惑に囚われた。だが、海千山千のジャーナリストがそう易々と屈するとも思えない。第一、事態は既に警察が手出しできる状況ではない。単に麗夢が東京から誘拐されたと言うだけならともかく、その犯人に実は人外の化け物がからんでいる、ときてはどうにもならないだろう。そんなものをまじめに相手しようと言う警察官は、日本中で榊ただ一人に違いないのだ。
 榊は、腹を決めた。
「よし、かなり込み入った話だからちょっと整理の時間が欲しいが、必ず話すと約束しよう」
「警部がそうおっしゃるなら信用しますけど、今、一言で結構です。ちょっとだけ教えてくれませんか?」
 榊は黙って3つ数え、南東約4キロの地点にある音羽山清水寺本堂こと清水の舞台から、心の中で飛び降りた。
「巨大怪物が暴れたんだ」
「やっぱり! それしか考えられないと思ったんだ! で、どんな怪物で・・・」
した? と喜色満面の浦辺が言い切る前に、榊は言った。
「それは後! 今は百鬼夜行だろう?」

 会見は、府立植物園北山口のすぐ前にある喫茶店で行われた。
「警部は僕の同僚でカメラマンの榊さん、と言う事にしておきましょう。僕の事は貴ちゃんと呼んで下さい。いいですね? あ、服も替えといた方がいいな。それから、話は僕がしますから、警部はしゃべっちゃ駄目ですよ」
と、榊は途中のショッピングセンターで普段余り着る事のないニットのセーターを当てがわれた上、更に一眼レフカメラを手渡された。指定された奥の席に陣取った榊は、現れたのがあの綾小路高雅の写真とそっくりだった事に危うく声を上げそうになった。
「何か?」
「え、いや今朝新聞で見たのとよく似たお顔なんで、びっくりしたんです」
 慌てて言い繕う榊の言葉に、相手は神経質そうな不審の色を、穏やかな微笑みに塗り替えた。
「ああ、読んで下さったんですね、あのシリーズ、今一反響が無くて読んでいる人いるのかな? って不安だったんですけど、よかった」
 構えられると面倒だな、と思っていた浦辺は、相手の態度に暖かみが増した隙に手早く挨拶を済ませた。
「今朝はどうもお忙しいところ失礼しました。こっちは同僚のカメラマンで榊と言います」
 高雅は、ちらと榊を見て軽く眉を顰めた。
「写真は、ちょっと・・・」
「ええ、もちろん撮影する時は許可を求めますし、お嫌でしたら絶対撮ったりしません。ご安心下さい」
 榊は内心これで何とかごまかせる、とほっとしたが、同時に、高雅からピン、と鋭く尖った氷柱のような視線が放たれた事を感じて気を引き締めた。円光が言う通りなら、この男は円光、アルファ、ベータの抵抗を難なく払いのけ、白昼堂々、麗夢をさらっていった屈指の強者である。榊は浦辺の隣でメモを取る風を装いながら、じっとその姿を観察した。
 会見は30分ほどで終わった。高雅があれはどうも夢だったように感じられる、と、百鬼夜行の存在を否定したがったのと、浦辺が無理にそれ以上突っ込まなかったからである。榊は隣でもどかしい思いにじりじりしていたが、「ヘタにしゃべってぼろが出ては困る」と浦辺と沈黙を約束していた手前、ただ黙って見ているより無かった。が、おかげで榊は、目の前の若者にかいま見える、ある不自然さに気づいた。外見上、高雅はどちらかというと人慣れしない風で、訥々としゃべるその姿はおとなしく、陰気に見えた。だが、時折その表面に、底無き暗黒に突き立った、氷の刃を思わせる強烈な負の感情が閃めくのを、榊は見逃さなかった。それは瞬きも堪えてじっと凝視していなければ捉えられない、本当に一瞬の事である。しかし榊の勘にはそれで充分だった。
 それは、「では仕事がまだ残っているので」と席を立った高雅が最後に送った鋭い殺気によって、よりはっきりと確信できた。別れの挨拶を済ませ、取りあえず元の位置に坐った榊は、ぐるりとさっきまでの高雅の座席に移動した浦辺へ、30分間の不満をまずぶつけた。
「どうしてもっと追求しなかったんだ? あの男、間違いなく何か隠していたぞ」
「まあ慌てちゃ駄目ですよ、警部」
 浦辺は、結局手を付けないまま冷めてしまったコーヒーに砂糖を山盛りにして入れながら言った。
「あのタイプはあんまり押したら駄目なんです。でも見てなさい、きっと彼の方からもう一度会いたいって言って来ますよ」
「来なかったらどうする?」
「その時はまた口実を設けて押し掛けるまでです」
 ところで、と前置きして、浦辺は言った。
「警部、確かどこか用事があったんじゃないですか?」
「用事? あっ!」
 榊は、すっかり失念していた円光の事を思いだした。
「浦辺君、済まない。ちょっと急用なんだ。これで失礼するよ」
 浦辺はにこっと笑って榊に答えた。
「次は榊警部のお話、期待してますよ」
 榊は苦笑を挨拶代わりに、そそくさと喫茶店を後にした。
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10.襲撃 その1

2008-03-30 12:27:16 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 予定よりおよそ30分遅れで警察から救出された円光は、すっかり日が落ちて暗くなった上鴨署前で、心配げに肩寄せ合っていたアルファ、ベータの盛大な歓迎を受け、ようやく気色を取り戻した。
「全く、無事で良かったが一つ間違えばしばらく出られないところだ」
 ほっとする榊の隣で、円光は素直に非を認めた。
「面目次第もござらぬ。よもやあのような仕儀になろうとは拙僧も思いもよらず・・・」
「ニャォーゥン」
「ワンワン!」
 アルファ、ベータも肩を落とす円光を励ますように足下で元気に声を上げる。
「そうだ、しょげ返っている暇はないぞ、円光さん。麗夢さんの救出を最優先に考えよう」
「もとより拙僧、それ以外に考える事はありませぬ。しかし一体どこに行ってしまわれたのか・・・」
 榊等の励ましで一端は和らいだ円光の顔が、また険しく暗いものになった。麗夢を追って東京から京都まで出ては来たものの、足取りは杳として判らない。わずかの時間も惜しいというのに、ようやく掴んだ手がかりには翻弄され、いたずらに時を浪費するばかりだった。焦りは禁物、と頭では考えてみても、心はともすると千々に乱れ、募る焦慮に思わず「麗夢殿ぉ~~~っ!」と叫びたくなる始末である。そんな苦悩する円光に、榊はかいつまんでさっきの会見を話して聞かせた。
「何と狡猾な奴め! 夢かも知れないなど白々しいにも程がある!」
 高雅の白の切りように歯がみして円光は悔しがった。その場に自分が居たならけしてそんな言い逃れは許さなかっただろうと思うと、余計高雅の奸計に落ちた自分の不甲斐なさが腹立たしい。
「まあそう怒るな、円光さん。おかげで相手は特定できたし、居場所も分かった。後は、どう追いつめるか、だ」
「すぐに参りましょう! 奴の居場所が知れた以上、ぐずぐずしている場合ではありませんぞ!」
 円光の積極策に、アルファ、ベータも尻尾を振って賛同した。既に主と離れて丸一日が経つ。おそらくは同じ街に居るはずなのに、毛程も麗夢の精神波動をキャッチできず、二匹の焦りと不安は円光に勝るとも劣らなかった。だが、あえて榊はその勇を抑えた。
「待つんだ、みんな。相手に麗夢さんの身柄を押さえられているのを忘れてはならないぞ。生かすも殺すもあの男次第なんだ。ここは慎重に行かないと」
「しかし! それでは麗夢殿が・・・」
 榊の冷静な判断に、消極的に過ぎる、と円光が食ってかかるのをまあまあ、と抑えていた榊は、人気のない駐車場に停めてある自分の車のすぐ脇に、一人の男が立っているのを見た。こちらに背中を向け、運転席のサイドミラー辺りで何かしている様子である。榊は車上狙いかと疑った。こんな時に困った奴だと苛立った榊は、一旦円光に目配せすると、一人近寄って呼ばわった。
「誰だ! 人の車に何をしている!」
 充分に意表を突いたはずの榊の言葉だったが、榊の期待ほどには相手は驚かなかった。いや、まるで聞こえていないかのように向こうを向いたまま黙々と作業に熱中している。無視された形の榊は、心中こみ上げる憤怒のままに更に近づくと、おい、と相手の肩に手をやった。
「こっちを向いて返事をしたらどうだ!」
 その時、掌に感じた異様な冷たさが、唐突に危険の赤信号を榊の心に点滅させた。はっと榊が手を引いたのと、突然振り返った男が万歳して襲いかかってきたのとはほとんど同時だった。瞬間、まるで初めからそうすると決めていたかのように、榊の身体がくるりと回った。手は自然に相手の襟首を捉え、足が相手の重心がかかった向こうずねを払いのける。一瞬で相手の男は榊の腰を軸にして一回転し、どうとアスファルトに叩き付けられた。警視庁でも指折りの鮮やかな柔術が決まったが、相手の戦闘意欲は、それくらいの奇襲では衰えなかった。まるでダメージを感じていないように相手の男が立ち上がった時、初めて榊は、その異様な冷たさに合点がいって背筋に冷や汗を吹き出した。
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10.襲撃 その2

2008-03-30 12:27:09 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「何だこいつは?!」
 異変に駆け寄った円光、アルファ、ベータは、昨日麗夢の事務所で見たのとほとんど同じその姿に仰天した。
「榊殿、危ない!」
 一足飛びに駆け寄った円光は、榊と男の間を錫杖で割った。今にも飛びかかろうとしていた男が、その勢いに初めてひるみを見せる。男を突き動かす邪念が、円光の急激に高まった霊的な波動を捉えたのだろう。
 円光に急場を助けられ、一息ついた榊は、目の前の男を改めて見て怖気を振るった。
 ほとんど髑髏状態の頭は目の光を失って既に久しく、暗黒の眼孔とそぎ落ちた鼻、皮が破れ、文字通り耳まで裂けた口が既に朽ち果て土に帰るばかりなはずの男の状態を物語る。身体はこれでも布かと一見して疑われるようなぼろをまとわりつかせ、露出する身体は張りも艶もとうに失せ、一部は皮膚すら失って命無き内部をかいま見せている。干涸らびた手足に腹だけが異様に膨れ、腐敗と汚濁の悪臭を辺りに放つ。それは、昨日、麗夢の事務所を襲い、榊がその行進を見たのと同じ、餓鬼の姿であった。
「ノウマクサマンダバザラダンカン・・・、怨敵退散!」
 奔騰する怒りの炎を紅蓮に上げて、不動明王真言を誦した円光は、劇的に高まった法力を錫杖に乗せ、一気呵成に餓鬼へと打ち付けた。ほとんど同時にアルファ、ベータも退魔滅敵の燭光を両目から放った。瞬く間に餓鬼は、三つの巨大な精神エネルギーの波濤に呑み込まれた。餓鬼は耳を聾する絶叫を上げ、爆発的に分解、消滅してしまった。榊は円光達の凄まじい力を唖然として見守っていたが、やがて、はっと気づくと内ポケットから携帯電話を取り出した。
 もどかしい思いで登録した番号を呼び出し、鳴り始めた呼び出し音に、どうか無事でいてくれ、早く出てきてくれ、と祈る。
 1回、2回、3回、4回。
 呼び出し音が耳元でむなしく流れ、最悪の事態を予測した榊が不安を覚え始めた時、ようやく相手が電話を取った。
「もしもし! 私だ! 榊だ! 浦辺君、君は無事か・・・?」
 焦りのままにまくし立てた榊の耳に、ついさっき聞いた覚えのある声が流れ込んだ。
「ふふふ、よくぞこの高雅を謀ったわ。あの坊主の仲間だったとはのう。下郎にしては上出来よ・・・」
「貴様は綾小路! 浦辺君をどうした!」
「ふふふ、主らを我が婚儀へ招待しよう。有り難く受けるが良い」
「貴様の婚儀だと? どういう事だ! それより浦辺君は・・・」
「子の刻に綾小路を東の端から入るがいい。無事我が元までたどり着けたなら、我と夢姫の婚儀へ席を設けて進ぜよう。ふふふ、疾く参れよ」
「待て! 浦辺君はどうした! おい!」
 耳障りな雑音を最後に、通話は一方的に切られた。恐らく、携帯電話が踏み潰されたか、ひねり潰されたかしたのであろう。浦辺の安否は判らないが、こうなっては最悪の事態を考えないわけにはいかない。榊は円光に振り返り、高雅の「招待」について披露した。一通り黙って聞いた円光は、眦を決して榊に言った。
「もはやためらう時ではありません! おごり高ぶる奴の隙を突き、麗夢殿を取り返す機会は、ここしかない!」
 榊殿が行かぬのなら、拙僧一人でも参ります! と気色ばむ円光に、榊ももはや引き返すことのできない所まで来たことを悟った。
「私も行こう。行って麗夢さんを救出し、浦辺君に対する責任を問う」
「ふーっ!」
「わん、わんわん!」
 アルファ、ベータも身震いして戦闘開始を宣言した。今度こそ絶対に不覚を取らない。必ず全てのけりを付けてみせると、二人と二匹は各自の胸に強く誓った。
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11.綾小路の激闘 その1

2008-03-30 12:26:58 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 子の刻、すなわち午前零時。
 榊達二人と二匹は、綾小路高雅が指定した場所に立った。寺町通りという大手家電量販店や小さなパソコンショップなどが立ち並ぶ、京都随一の電脳タウンの一角である。目の前に、幅4メートルがやっとの狭い道が榊達を誘うように暗い空間を西へ連ねている。
 綾小路通り。
 この道は、つい十数時間前に円光、アルファ、ベータが通り抜けてきたところであった。
「うむ。確かに妖気を感じます」
 円光は一言つぶやくと、道の中央で跪づき、右手の平をアスファルトに当てた。前回と雰囲気が一変している。恐らく高雅がその言葉通り結界の一部を開けたのであろう。油断無く辺りに目を配った円光は、榊とアルファ、ベータに目配せすると、先頭に立って綾小路通りに侵入した。
 すぐ隣があの四条通りだとは思えないほど静かで落ちついた住宅街の中を、坦々とした細い道がどこまでも続く。
「壬生寺だ。どうやら半分来たぞ」
 榊は、手にしたポケットサイズの地図をペンライトで覗き込みながら、円光に現在位置を知らせた。ただの観光ならここに新撰組隊士の墓がある事を告げて参詣に入って行くところだが、今の彼等にとっては、ただ中間点を示す標識に過ぎない。
 それから更に百メートル足らずを歩いてJR山陰本線の高架を過ぎる。あと、1キロちょっとで、前回円光達の行く手を阻んだ中学校のコンクリ壁に達するはずである。ここまでのところ、誰もさしたる異変を感じとる事はなかった。辺りこそ暗いが、円光、アルファ、ベータは一度通った道でもある。そのまま綾小路橋を渡り、メゾン綾小路を右手に見つつ御前通りを横断し、西大路通りの広い交差点を渡る。阪急電鉄の陸橋を渡ると、最終電車であろうか。西南に向けて一両の飴色に塗装された列車が、光芒と騒音をまき散らしながら足下を通過していった。ここまで来れば、もう中学校までは500メートルもない。円光も油断無く構えながらも、現在位置をはっきりと認識していた。その認識が怪しくなったのは、果たしてどの辺りからだろうか?
 その事に気づいたのは、円光よりも榊が先であった。榊は、急に靴底に感じる地面の様子が変化し、かつかつと革靴を跳ね返していたはずのアスファルトから、突然じゃりっと言う音が鳴った事に気が付いた。
「円光さん!」
「どうしました、榊殿」
 円光も、足を踏みしめ振り返った瞬間に榊が何を言いたいのかを直感的に悟った。地面からアスファルトがなくなっているのだ。
「工事でもしているのか?」
「いいえ、昨日ここを通った時は、工事などしていなかった。それに、何か随分暗くなったような気がしますぞ、榊殿」
 そういえば、と榊は左右をかえりみた。さっきまで一応薄ぼんやりと辺りを映していた街灯がいつのまにか消え、数メートル先も見通せないほど夜の闇が暗さを増している。
 日本第一級の大都市の渦中にいるのに、空を見上げると一面黒い紙の上へ塩をまき散らしたように星々が重なりあい、向こうには天の川が瞬きながら横たわっているのが見える。もしその素養と観測装置があったなら、おのおのの星座の位置が微妙に異なっている事にも気づけたであろう。
「まるで、50年ほど時代を逆行したみたいだ・・・」
「50年どころじゃなさそうです、榊殿」 
 円光が油断無く辺りを見回しながら、みんなに警戒を呼びかけた。
「家の屋根に瓦が無い」
 家々には、瓦ばかりか窓もサッシもない。道には電信柱も無い。道路標識もない。マンホールもない。確かに50年どころじゃ無いな、という事は榊にも感じとれた。ざっと100年以上さかのぼれば、こんな雰囲気になるのだろうか。まさか平安時代? と榊はふと思いついた。そんな思いつきを証明してやろうとでも思ったのだろうか。円光が、何か来る! と叫ぶやいなや、榊の足下の地面に、一本の矢がザッと鋭く突き立った。同時に暗がりの向こうから、古風な鎧兜に身を固めた騎馬武者が一騎、手にした長刀を振りかざして、榊めがけて突っ込んできた。
「榊殿! あぶない!」
 足下の矢を見て一瞬身体を堅くした榊に、隙ありと見て必殺の長刀が突きかかる。榊は円光のかけ声に肉体の呪縛が解け、ばねが跳ねるように右に飛び転がった。瞬間、翻ったコートのすそがちぎれ飛び、榊の左脇5センチの所で、猛々しい馬蹄に巻き込まれて粉々に粉砕された。手応えの軽さに目指す獲物を捕り損ねた事を知った騎馬武者は、直ちに馬の手綱を引き、向きを変えて再び襲いかかってきた。そこへ円光が、騎馬の横あいから錫杖を叩き込む。脇腹へまともに直撃を喰らった騎馬武者は、たまらずもんどりうって落馬した。すかさず円光は長刀を蹴り飛ばし、仰向けになった武者の喉元に錫杖を突きつけた。榊も一時の驚愕から醒めて円光の元に駆け寄った。
「またこいつか・・・」
 榊が、砂利の味がする渇いた口を辛うじて開き、誰に言うともなく一人ごちた。麗夢の事務所を襲い、綾小路を集団で行進し、上鴨署で榊達を襲った、あの餓鬼である。浦辺の携帯で「無事に着けたなら」と高雅が言ったその理由が、今こうして襲いかかってきたわけだ。その途端に、京都に来て以来何度となく遭遇した地震が、また榊等の足下を揺るがした。気象庁から、原因不明。極めて浅い震源の直下型群発地震と発表された、あの地震である。ひとしきり揺れた地震が収まった時、それを待っていたかのように、ベータが突然吼えたてた。
「う~、わんわんわん!」
 その警戒コールに、円光は早くも次の襲撃が迫っている事を知った。
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11.綾小路の激闘 その2

2008-03-30 12:26:50 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「すさまじい妖気だ。アルファ、ベータ、ぬかるなよ!」
 円光の言葉が終わらない内に、馬蹄の響きが八つの耳に轟いた。それも、どうやら一頭や二頭ではない。榊は騎馬武者が落としていった長刀を拾い上げた。榊は、柔道や逮捕術は達人クラス、剣道も警視庁では指折り数えられる有段者であるが、長刀という武器は扱った事がない。せめて拳銃があれば、と榊は思ったが、ただ会議のために出張する警官に、拳銃所持を認めるほど警視庁の武器管理は甘くない。とにかく全力を尽くすのみ、と決意を新たに、榊は向かってくる五騎の騎馬武者を迎え撃った。
 先陣はまず円光が切った。気合いのこもった雄叫びとともに騎馬武者の隊列に突っ込んだ円光は、破邪の口訣を口ずさんで一気に跳んだ。弓で円光を狙おうとした武者の群は、突然円光が視界から消えたのに戸惑った。
 破局はその直後にやってきた。
 一足飛びで北側に連なる家々の屋根に飛び移った円光は、間髪を入れずに先頭の騎馬武者へ襲いかかった。頭上からの攻撃を想定していなかった騎馬武者は、もろくも落馬して後続の一団に全身を踏み砕かれた。円光はすかさず次の馬に飛び移り、錫杖の一撃で武者を突き落とすと、慌てて繰り出された隣の長刀を柄の部分ではっしと受けとめて逆にぐいと引き込んだ。バランスを失った三騎目が落馬するのと同時に、残る二騎が円光と榊に別れて手にした獲物を振り上げた。
 榊は突っ立ったまま、豪刀の一閃を受けとめるような愚かなまねはしなかった。相手の長刀が振り下ろされたと見た瞬間、榊は大きくしゃがみ込んで、渾身の力を込めて、馬の足を払い切った。全速力でかけ込んで足を折られた馬は、小気味がいいほど見事にひっくり返った。そこにアルファ、ベータが襲いかかった。なりは小さくともこの種の戦闘経験は榊よりもよほど古強者である。武者はたちまちぼろぼろに引きちぎられて戦闘能力を失った。円光も簡単に騎馬武者をなぎ倒して、再び榊の元に戻ってきた。
「やりますな、榊殿」
 額にうっすらと汗を浮かべている他は、呼吸にも動作にも乱れがない。そんな円光を見て榊はやっと笑顔を作ったが、こちらの方はと言うと、相手にも聞こえるのではないかと思えるくらい心臓が高鳴りして、はあはあと激しい呼吸を止める事が出来ない。
「急ぎましょう。この分ではどんどん邪魔者が増えますぞ」
「しかしせめて拳銃が一丁あれば、もう少し楽に戦えるのだが・・・」
「拳銃ならあります」
 慣れない武器は使いづらい、と言いながら、長刀を握るしびれたままの手がぴたりと停まった。
「今、何と言ったね」
「だから、拳銃がある、と」
「何で円光さんが拳銃なんて持っているんだ?!」
 驚きのあまり気色ばむ榊に、円光は澄ました顔で言った。
「実は拙僧のものではないのです」
 そうして懐から取り出された拳銃は、見るからに獰猛そうな黒光りする銃身を驚く榊へ見せつけた。
「これは、麗夢さんのじゃないか!」
 榊が普段持っているものからすれば、数回りは巨大な「大砲」が、その外見にふさわしい重みを榊の手に伝えた。その手応えに軽い戦慄を覚えながら、榊は構えを取った。あの可愛らしい少女がこんなものを振り回しているのが今更ながらに信じがたい気もするが、今はそんな感想をコネ回している時ではない。榊は何度か構えなおして、以外に扱いやすいバランスの取れた銃身に、満足そうに頷いた。
「だが、どうして円光さんがこれを?」
「綾小路高雅に襲撃されたあと、事務所に転がっていたのをベータが持って行けと拙僧に預けたのです。その時は麗夢殿に返さなくては、と思いましたが、榊殿が使われるのなら、麗夢殿も許していただけるでしょう」
 榊は弾倉を開いて弾が全弾装填されているのを確かめた。
「予備の弾はないのかね」
「残念ながら。さすがに麗夢殿の部屋をあちこち探し歩くわけにもいきませんので」
 あまり無駄遣いできないな、と榊は思ったが、相手はこちらの都合に合わせてくれる気は毛頭無いようだった。
「さあ、また来ましたぞ」
 円光の指摘に一拍遅れて、綾小路におどろおどろしい馬蹄の響きが鳴り響いた。
「どれ、一発試し撃ちしておこうか」
 榊は、円光にあぶないから脇に退いているように注意すると、下腹にぐっと重心を移し、両足を踏ん張って銃を構えた。これだけの大口径銃なら、その反動はすさまじいものになるはずである。本来なら麗夢のようなあどけない少女が片手で扱えるような代物ではないのだ。
 榊は狙いを絞り、闇を通しておぼろに相手が浮かんでくるのを見すかすと、ゆっくりと引き金を引いた。
 多分武者達は、突然雷の直撃を喰らったような気持ちだっただろう。初めて聞いた銃声は、そのまま地獄へとこだまする死神の喚声となって武者達の群を貫いたのである。
 耳鳴りするような余韻がようやく闇に溶けた時、恐らく十数騎はいたはずの武者の群がまるで最初からいなかったかのように姿を消していた。
「さすがは麗夢さんの拳銃・・・」
 マンモスでも一発という銀の弾丸は、直撃したものばかりでなく、その周囲にいた奴等まで叩き伏せた。あまりの威力に唖然としていた榊に、円光が言った。
「榊殿、先へ急ぎましょう!」
「あ、ああ!」
 榊に呼びかけると同時に走り出す円光を、榊、アルファ、ベータが追う。ひたすら走るその先に中学校はなく、存在しないはずの道がまっすぐ西に向けて延びている。そして、ついにその視線の先に、目的地と思われるところが見えてきた。それは、一目五〇体は下らないと思われる、餓鬼達がひしめく綾小路の終点であった。
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12.破壊神、降臨。その1

2008-03-30 12:26:10 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 儀式が始まった。
 どれほどとも知れぬ広さの闇の中に屹立する一本の白い大木。自ら燐光を放って青白い姿を浮かべる白い柱には、表面に、大きく波打つ一三陵の襞が刻まれている。時折脈打つように全身を震わせているその身体には、一枚の葉も一折れの枝もない。ただ、木の辛うじて見透かせる高さに、ちょうど腕のように真横に出た後、きゅっと直角に天に向かって伸びている大きなこぶが一つ張り出している。見事に生長した夢の木の蕾。あの蕾が花開く時、夢守800年の悲願が成就される。
(同じだ。何もかもあの時と。今度こそ成就してみせる。今度こそ!)
 高雅は祖母の心で木を見つめると、木の白さにも負けない白装束に、見事な碧の黒髪をうちかけた美少女へ振り向いた。
「お待たせしたな、夢姫殿。では始めますぞ」
 麗夢は操り人形のようにこっくりと頷いた。漆黒の瞳に焦点はなく、虚ろに闇を映すばかりだ。高雅は勝ち誇った喜びで歩み寄ると、木を前にして麗夢と向かい合った。
 高雅は言った。
「汝が身は如何にか成れる」
 麗夢が答えた。
「吾が身は成り成りて成り合はさざる所一所あり」
 それは、まるで感情のない平板な語りであった。せりふの棒読みでももう少し人らしさが感じられるであろう。が、儀式とはようは形式なのだ。その手順がちゃんと踏襲されている限りにおいて、演者の状態や上手下手は問題ではない。むしろ、間違えぬよう完璧さを求めるとすれば、そんな人間感情こそが最大の障壁になるはずであった。高雅は麗夢が完全に自分の操るままになっている事に満足し、儀式を先に進めた。
「我が身は、成り成りて成りあまれる所一所あり。故、この我が身の成りあまれる所を持ちて、汝が身の成り合はさざる所に差し塞ぎて夢を生みなさんと思う。生む事如何に」
「然善けむ」
「しからば吾と汝とこの夢の御柱を行き巡りあいて、御所の目合ひ為む。汝は右より巡れ。我は左より回り逢わん」
 麗夢は無言で高雅の言葉に従うと、ゆっくり木の回りを右回りに歩き出した。高雅も左に回り始める。そして半周して互いに再び向かい合うと、最後のせりふをかけあった。
「あなにやし、えをとめを」
「あなにやし、えをとこを」
 儀式の言葉が終わると同時に、二人の目の前で木が縦に裂けた。裂け目は二人の背丈ほどにも広がり、中から、鴨川にさらす絹布のように揺らめきながら、植物の蔓を思わせるものが何本も延びた。蔓はゆっくりと二人にからみついた。やがて、まず麗夢が宙に浮き木の裂け目へと引き込まれた。続けて高雅も、裂け目の奥に身体を沈め始める。同時に、樹上高くでも変化が起こった。つぼみが更にその身を伸ばし、やがて、幾重にも重なったその花弁を、ゆっくりと開き始めたのである。辺りには得も言われぬ福郁とした甘い香が立ちこめ、ついに開花が始まった事を報せていた。
『いよいよかなうぞ、今度こそ、今度こそ夢の御子を生み申さん』
 高雅が、感極まった喜びを祖母の声で表現したその時だった。円光、榊、アルファとベータが、屋敷前の熾烈な激闘を乗り越えて飛び込んだのである。
「麗夢殿!」
 目ざとく白い木に埋まりつつある麗夢を見付けた円光が叫び、猛然とダッシュをかけて走り寄った。アルファ、ベータも負けてはいない。ここへ来てようやく辺りの空気が魔界のそれに満ち満ちた。二匹が秘めた力を解放する環境を得たのである。突進するアルファとベータの身体がまばゆい光に包まれ、その光がたちまち数十倍に膨らんだ。次の瞬間、光を蹴破るように現れた強力無比の巨大な魔獣二頭は、怒りの咆哮を一声上げると、大地を蹴って一足飛びに白い木へ飛び付いた。
 しかし、一人と二匹の常人離れした突進力も、白い木の持つ防衛本能には一歩及ばなかった。突然一旦閉じようとした裂目が開き、数本の白い鞭が飛び出して円光、アルファ、ベータを打ち据えたのである。したたかに弾き返された円光が、地に落ちる寸前でとんぼを切り、アルファ、ベータもそれぞれに体をひねって着地する。そして今度は十分にためを効かせると、左右へ目にも止まらぬフットワークで不規則に飛びながら、三体の「獣」は麗夢目掛けて突っ走った。
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12.破壊神、降臨。その2

2008-03-30 12:26:04 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
 次々に繰り出す鞭のうなりがその素早い機動に遅れ、事ごとく空を切る。が、後一歩までに迫った三体を、今度は無数の白い鞭が出迎えた。麗夢がはまり込んだ裂目だけではなく、その周辺からも突然白い鞭が生まれ、繰り出される槍のように真っすぐ正面から円光達を貫いたのである。円光、アルファ、ベータは、その稠密な槍ぶすまを驚異的な反射神経でかいくぐったが、全てをかわすのはさすがに不可能であった。円光、アルファ、ベータはまたもや弾き飛ばされ、今度は受け身を取る間もなく地面に叩きつけられた。すさまじい衝撃に目が眩み、辛うじて噛み締めた口の中に、金気を帯びた血の味と、強制的に割り込んできた砂粒のじゃりっとした歯ごたえが感じられる。円光は節々を襲う強い痛みを必死にこらえて立ち上がると、口の中の不快な混合物を吐き出し、強烈なダメージを食らったとは思えない鋭い視線で、敵、綾小路高雅をにらみ据えた。
「ほほほ、間におうたか、下郎。さあ、その席で黙って我らが祝言を見ているが良い」
 勝ち誇る高雅に怒りを新たに沸騰させながら円光が叫んだ。
「貴様! これのどこが祝言だというのだ!」
「夢守には夢守のしきたりがある。下々の習俗と違っていて当たり前じゃ」
 高雅がしゃべる間も夢の木は動き続け、少しづつ高雅と麗夢を中に取り込みつつあった。ついに麗夢がその表面から完全に没し、続いて高雅が、高笑いを残して木に取り込まれると、耳を聾する大音響で、高雅の声が鳴り響いた。
『時は満ちた。都には既に我が根が満ち、夢の木も花開く時が来た。我らが800年の夢を、今こそここにかなえるのじゃ。それにはまずこのような薄汚ないまやかしの田舎町などいらぬ。我が求めるは聖なる都、夢の王都。貴様等はそこで、我らがかなえる夢を黙って見ているがいい!』
 声が虚空にこだまして消えるのを待っていたかのように、白色の夢の木は、突然はじけるように驚異的な勢いで生長を開始した。次第にその身をねじりつつ、上を目指して伸び続ける。それはまさに一匹の白い巨大な竜が、天を目指して飛びたとうとしているようにも見えた。円光は、半ば茫然として天空高く立ち上がったその先端を見透かした。
 「麗夢殿ぉっ!」
 円光の絶叫に、榊は打ちひしがれた土気色の顔色で円光に言った。
「円光さん、ここは一時退却しよう」
 敗北感もあらわに告げる榊に対し、円光は抑え様のない激情のままに、榊の提案を突っぱねた。
「榊殿、何をおっしゃる! まだ麗夢殿はあそこに囚われたままなのですぞ!」
 相手が榊でなければ胸ぐらを掴んでその怯懦を激しく罵ったかもしれない。冷静を欠いた円光の血走った目を見つめながら、榊は根気強く説得した。
「このまま突っ込んでも麗夢さんは助けられない! ここは一旦引いて態勢を建てなおし、チャンスを待つんだ!」
「しかし麗夢殿が・・・」
 円光がなおもためらいを見せる中、辺りの空気も不穏な方向へ傾斜しつつあった。その空気はやがて榊でも気が付くほどの不気味な鳴動となって榊達を押し包んだ。うなり声のような地鳴りが次第にはっきりと大地から響き始め、ついに立つ事すら難しいほどの激震となって、一堂から上空への注意を引き剥がした。
「なんだあれは!」
 榊の叫びに、円光、アルファ、ベータの視線が白い木の根元に集まった。その八つの視線の前で、突然土を割って巨大な白いものが現われた。そして、あっと言う間もなく東に向けて次々と大地に亀裂が生じたかと思うと、それを追いかけて急激に地面がふくれ上がり、次の瞬間、同じ白いものが土を弾き飛ばしながら出現した。その一連の動きは、堤防を切った濁流の勢いで円光達の足元を砕くと、火の付いた導火線さながら一直線に東へと走った。
「根だ。おそらく、あの白い木の根に違いない!」
 榊は、直観的にそれが何であるのかを悟った。高雅も言っていたではないか。既に都に根が満ちた、と。今、地上が伸びるのに呼応して、地下部もまた激烈な生長を始めたに違いない。榊はそう円光に説明すると、心得た、とばかりに円光はその根に錫杖を振り上げた。
「ちょっと待て! 円光さん何をするつもりだ!」
「これがあの奇怪な植物の根なら、叩き切れば何らかの影響を与える事ができるはず! アルファ、ベータ、手伝ってくれ!」
「待つんだ! これが根だとしても何があるか判らない!」
 高雅は確かに都に根が満ちたと言った。つまりこれだけのはずがないのだ。だが、そんな榊の制止も聞かず、一抱えは有にあるその白い根に、果敢にも円光は打ちかかった。
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12.破壊神、降臨。その3

2008-03-30 12:25:54 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平成京都編』
「どぉりゃあぁっ!」
 気合一閃! 
 円光の一撃は、軟らかい豆腐を叩いた様な容易さで、根の三分の二程にいきなり入った。これなら切断は容易だ! と思わずほくそ笑んだ円光が、今度こそ切断しようと錫杖を引き抜いたその時だった。ぶしゅっと白い樹液が傷口からほとばしったのを合図に、途轍もない事態が始まったのである。
 まず突然膨張した凄まじい妖気に、思わず仰け反った円光を追い、樹液あふれる傷口から、あの白い鞭が十本余りも飛び出して円光の体に巻き付いた。あっと駆け寄ったアルファ、ベータ、榊も、円光から鞭を引き剥がそうと悪戦苦闘する間もなく、たちまち新たに現われた蔓に囚われて身動きが取れなくなった。
「ぐうっ!」
 凄まじい力で絞られて思わず呻いた榊は、いきなり先の夢の木本体にも劣らぬ勢いで空中高く持ち上げられた。円光、アルファ、ベータも、ほぼ同じ速さで榊の隣を上昇していく。辛うじて首を出して下を見た榊は、両脇に軒を連ねる綾小路通りの家々が白い根に押しつぶされて行くのを見た。一抱え程度の太さだったあの白い根が、高圧空気を強制的に吹き込まれた風船のようにその体積を飛躍的に増したのだ。そして、巨大化した根が軒先でつばぜり合いするように立っていた家々を、ブルドーザーのように押しつぶしていったのである。更に上昇を続ける榊の目は、遥か東の果てまで続く白い道を捉えた。その両脇に押し潰された家屋が大雑把に積み上げた土嚢のようにうず高い壁を作りつつある。
「なんてこった・・・」
 少しづつ京都市の全貌が目に入った榊は、その絶望的な光景に、ただ呆然と見つめる以外に為す術を知らなかった。
(あれは、ひょっとして平安京?)
 榊の遥か下で、白い巨大な碁盤目が、京都の街を覆い尽くしつつあった。既に京都の人工光源はほとんどその光を失いつつあったが、かわりに時を得て力を増した夢の木の放つ燐光が、京都の惨状を見せ付けるかのようにあたりを照らし上げた。それはまさに、極め付けの悪夢が宿る、夢の王都に違いなかった。
 はるか東で、新幹線を降り立った榊や円光の目を見張らせたあの新京都駅ビルが崩れつつあった。ビルの壁面を覆う壮麗なガラスの壁から触手のごとき白い蔓が何本も突き出して揺らめき、高さ60メートル、総工費1500億円の一大建築を締め上げながら砕いていく。その北側、駅ビルに寄り添うように立つ京都一高い「お東さんの蝋燭」、京都タワーが、足元を破壊され、ゆっくりと駅ビルに倒れかかっていく。東西に伸びる新幹線の高架も、各所で寸断されてもはや鉄路と呼び得る状態ではない。更に北では、榊が浦辺とそぞろ歩き、その繁栄ぶりに目を見張った、四条、新京極といった繁華街が瓦礫の山と化していくのが見えた。京都高島屋、阪急デパート、大丸百貨店といった大型店舗が砂のお城のように崩れていき、その周辺の大小さまざまなビジネスビルも、後を追うように姿を消していく。その先では、建物の高さ、格式の高さ、そして値段の高さで京都一を誇ったその名も京都ホテルが、60メートルの巨体を、ピサの斜塔の様にゆっくりと傾むけ始めた。恐らくこのまま倒れるのを免れたとしても、二度と宿泊する事はかなわないであろう。
 これら建物群は京都でも目立つ高層建築であり、榊にも容易に判別できたのだが、榊の目から見えないところでも、京都の死命を制しかねない大破壊が、地下を中心に進行していた。京福電鉄、京都市営地下鉄、阪急電鉄京都線、JR東海道線と山陰本線、近畿日本鉄道京都線といった公共交通機関が軒並み各所で寸断され、電気、水道、下水道、ガス、電話のライフラインも著しく機能を損ない、完全停止するのも時間の問題と思われた。
 無論破壊されたのは現代の財産だけではない。1602年、徳川時代の到来を象徴すべく建築された二条城が、ちょうど中央を東西南北から交差する白い根によって分断され、四つに割れて周囲の堀を埋めながら崩壊していった。北東に目を転じれば、主無き今も御所の名で呼ばれ、宮内庁が管理し皇宮警察が警備に付く京都御所が、その土地の四分の三を抉り取られるようにして白い根に蹂躙されていく。京都駅西側の梅小路蒸気機関車館で、今も完全稼働する戦前の古強者が、金属的な悲鳴を上げながらスクラップへと身をやつし、三条通りの京都文化博物館所蔵の貴重な歴史の遺産達が、コンクリート塊と一緒くたにされて埋もれていく。その中で、今や建築物高さ京都一を取り戻した東寺の五重の塔だけが、不気味なほどすっくとそびえ立っていた。京都の玄関口、東寺は、江戸時代再建された建物ではあったが、平安京開闢以来変わらぬ位置で建ち続け、土地を占有していたがために、かつての大路小路を再現しつつあった白い根の暴虐を免れたのである。だが、一人東寺が生き残ったとしても、1200年日本有数の大都市であり続けた一つの町が、急速にその寿命を終えようとしてるのは間違いないようであった。
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