昨日、何気なく夕刊を開いたら、哲学者の中村雄二郎氏が亡くなっていたことを告げる記事が掲載されていました。既に今年の8月26日、91歳の老衰でお亡くなりになっていたのですね。迂闊にも、昨日まで全く気付かずにおりました。
私が初めて中村雄二郎氏の名前を知ったのは、ミシェル・フーコーの 『知の考古学』 (河出書房新社) の訳者としてだったように記憶しています。その後、 『共通感覚論』 (岩波現代選書) 以降、80年代後半辺りまでの著書は全て読みました。
実は今から10年ほど前、もう二度と読むことは無いと思い、哲学、社会学関連の本の大半を処分してしまいました。
“さらば知の巨人達。今の私にとって必要なのは、知識ではなくパンなのだ!”
というわけで、てっきりもう何も残っていないと思っていたら・・・・・・この 『術語集』 (岩波新書) が一冊だけ残っていました。これを手に取るのも30年何年振りか?。
若い頃は生活費を切り詰めて捻出したお金で沢山の本を読み、良い映画を鑑賞し、美術館や博物館に足を運びました。それが将来、必ず自分自身の糧になってくれると信じて。でも、今のトホホ~な状況を考えると、大して役には立っていないようなような気がするなぁ (笑) 。
私が初めて中村雄二郎氏の名前を知ったのは、ミシェル・フーコーの 『知の考古学』 (河出書房新社) の訳者としてだったように記憶しています。その後、 『共通感覚論』 (岩波現代選書) 以降、80年代後半辺りまでの著書は全て読みました。
実は今から10年ほど前、もう二度と読むことは無いと思い、哲学、社会学関連の本の大半を処分してしまいました。
“さらば知の巨人達。今の私にとって必要なのは、知識ではなくパンなのだ!”
というわけで、てっきりもう何も残っていないと思っていたら・・・・・・この 『術語集』 (岩波新書) が一冊だけ残っていました。これを手に取るのも30年何年振りか?。
若い頃は生活費を切り詰めて捻出したお金で沢山の本を読み、良い映画を鑑賞し、美術館や博物館に足を運びました。それが将来、必ず自分自身の糧になってくれると信じて。でも、今のトホホ~な状況を考えると、大して役には立っていないようなような気がするなぁ (笑) 。