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今年の漠然とした目標

2015-01-01 | 将基面貴巳『言論抑圧-矢内原事件の構図』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月 1日(木)22時51分33秒

新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。

一昨年の11月頃から久しぶりに日本史の勉強に復帰し、中世国家とは何だろうか、みたいなことを出発点に様々な本を読み、あちこち寄り道しながら少しずつ進んで来ましたが、昨年の夏、南原繁の『国家と宗教』に出会って、国家と宗教との関係を考えることが自分なりの長期的なテーマになりそうな予感がしました。
また、南原繁の周辺を追って行くうちに、もともと興味のあった知識人の類型論をより具体化する必要を感じ、大規模な危機的状況における知識人の行動について、戦前、特に昭和初期の経済恐慌から敗戦までの期間における知識人の行動パターンと2011年3月の原発事故以降の知識人の行動パターンを比較することによって、何か新しい知見を得られるのではないか、との見通しを立てました。
『言論抑圧』以降、原理日本社などに妙に入れ込んでいたので、何をやっているのか疑問に思った方も多いでしょうが、私としては戦前の知識人の行動パターンを見極めるために必要な作業との位置づけでした。
比較の対象である原発事故以降の知識人の行動パターンは、現在まだ進行中の事態に関わることですが、中期的な目標として少しずつ研究してみたいと思っています。
対象を知識人一般とすると範囲が広すぎて自分の能力を超えるので、とりあえずは従来から興味深く観察していた島薗進・保立道久等の「東京大学原発災害支援フォーラム(TGF)」関係者と歴史学研究会周辺を対象とするつもりです。
更に、知識人の類型論に関連するもうひとつの課題として、中里成章氏の言われるところの「スペシャリスト」と「インテレクチュアル」の問題を考えてみたいと思っています。
歴史学者の場合、「スペシャリスト」の育成はそれなりに順調に進んでいますが、日本には果たして「インテレクチュアル」と分類できる歴史学者がどれだけいるのか。
私がイメージする「インテレクチュアル」歴史学者とは、具体的にはウォーラーステインのような存在ですが、こうした「インテレクチュアル」歴史学者は、ある種の天才として突然変異的に誕生するのをボーッと待つしかないのか、それとも「インテレクチュアル」歴史学者を生み出すために国家・社会が行うべき基盤整備事業はあるのか、あるとすればどのようなものなのか。
ま、今年はこんなことを少しずつ考えてみようと思っています。

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