学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

塩鮭史・肉じゃが史

2009-01-07 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 1月 7日(水)23時18分55秒

今日は『経済失政はなぜ繰り返すのか-メディアが伝えた昭和恐慌』(中村宗悦著、東洋経済、2005)を読んでみましたが、本来のテーマ以外の部分でも、けっこう面白い記述が多いですね。
例えば、こんな具合です(p49)。

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 二十世紀、とくに第一次世界大戦を画期として、日本人の生活は衣・食・住ともに急速に洋風化していった。このことは日本の産業構造が変わり、全国的に都市化が進展していったことと並行する。
 筆者は、別に日露戦後期の日本における生産と流通の実態がどのようなものであったかを、府県レベルの統計書をデータベース化することによって具体的に解き明かそうという共同研究に参加し、水産品・水産加工品を事例にしながらその分析を行ったのであるが、まさに二十世紀初頭のこの時期の生産と流通の変化してゆく様子は、具体的な産品を通じてのみ理解できることを実感した。
 たとえば、現代のわれわれの食生活にも欠かすことのできない食品として塩鮭がある。塩鮭そのものは、それこそ北海道が蝦夷地と呼ばれるようになるもっと前から保存食として作られてきたものであるが、今ではコンビニエンス・ストアやお弁当屋さんの人気定番メニューの一つである「鮭弁」の主役として全国どこでも食べられている。
 しかし、日露戦争後に日本の漁業基地としての北海道・樺太開発が進み、大量の鮭・鱒が、これまた瀬戸内から輸送されてきた塩(北海道では良質の食塩は手に入りにくい)によって加工され、東京を中心とした大都市にも移出されるようになったことはほとんど知られていない。この時期に初めて、日本人の食のメニューに「塩鮭をおかずにしたご飯」といった「定番」が加わったのである(ちなみに、「肉じゃが」もこの頃に「定番」に加わった一つである。東郷平八郎が自身のイギリス留学時に食べたビーフシチューをヒントに、のちに艦上食としてつくらせたものがもともとのルーツという。舞鶴市公式サイト掲載「肉じゃが発祥の地」を参照)。
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肉じゃがは日本版ビーフシチューだったんですね。

「舞鶴市ホームページ」
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