学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』(その1)

2021-04-25 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 4月25日(日)09時57分32秒

石川泰水氏の「歌人足利尊氏粗描」、既に紹介済みの部分以降は京極派・二条派の対立等に関してある程度の知識がないと分かりにくく、井上宗雄氏の『中世歌壇史の研究 南北朝期』もかなり難しい上に、さすがに少し古くなってしまった部分があります。
そこで、岩佐美代子氏の『風雅和歌集全注釈 下巻』(笠間書院、2004)「解題」の「四 歴史的背景」あたりを紹介しつつ、足利尊氏になったつもりで『風雅和歌集』を通して読んで、尊氏が京極派に感じたであろう違和感を追体験してみる、といった方向性を考えていました。
しかし、政治史の知識がないと歌壇史も理解が難しく、その政治史に関しても従来の歴史研究者の議論にそのまま乗る訳にも行かない部分がけっこう多いので、どうしたものかな、などと思っていたのですが、光厳院の院宣獲得をめぐり「支配の正統性」の議論に少し触れたので、ここをもう少し深めてから歌壇史に戻ろうと思います。
私が従来の歴史研究者の議論に飽き足らないと思っているのは、まさにこの「支配の正統性」の問題なので、山家浩樹氏の『足利尊氏と足利直義 動乱のなかの権威確立』(山川日本史リブレット、2018)を参照しつつ、従来の議論の問題点を検討してみたいと思います。
同書については、東大史料編纂所で山家氏の同僚でもある本郷恵子氏が、

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尊氏・直義の生涯は全国的な動乱とともにあり、彼らを取り上げる多くの書物でも、合戦の経緯や対立の構造が中心的な話題とされてきた。だが本書が注目するのは、動乱の狭間はざまで意外に平穏だった京都での政権運営の内実である。彼らは軍事面での優位を保つだけでなく、政権担当者としての正統性を示さねばならなかった。尊氏は源頼朝の後継者で、足利家は源氏の正嫡、兄弟は神仏の付託を受けて政権運営にあたっているのだと、広く社会に認知させたのである。重要な役割を果たしたのが、尊氏の祖父にあたる足利家時が、三代のうちに天下を取ることを八幡大菩薩に祈願して切腹したという伝承だった。この件への直義の関与、室町幕府が安定期を迎えた段階で、関係文書と直義の記憶とをどのように扱ったかについての著者の考証は、権力の奥深さを示して秀逸である。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20180409-OYT8T50012/

と評されていますが、この本郷恵子氏の評価の妥当性も検討対象とするつもりです。
なお、「支配の正統性」と「支配の正当性」のどちらが良いのか、という問題がありますが、私はあまり深く考えることなく「正統性」「正当性」のいずれも用いてきました。
この点、水林彪氏あたりが難しい議論をされておられますが、理屈の問題はともかく、「正当性」は一般的な用法として使われる範囲がかなり広い上に、ちょっと語感がチープなので、これからは「正統性」を使うことにしようと思います。
そんないい加減なことを良いのか、という意見もあるでしょうが、私自身は概念の厳密さを深く追求して何らかの学問的成果をあげることができるような理論家タイプではないので、ま、好みで使わせてもらいます。
山家氏も「正統性」を使われているようですね。
さて、まず『足利尊氏と足利直義』の構成を確認しておくと、日本史リブレット全般の方針によるのか、厳密な章立てにはなっていませんが、目次には、

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 ふたりによる統治
1 生誕から政権樹立まで
2 足利氏権威の向上
3 政策とそれぞれの個性
4 ふたりの対立とその後
5 ふたりの死後
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とあります。
そこで、序論にあたる「ふたりによる統治」を見て行きます。(p1以下)

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 足利尊氏(一三〇五~五八)と弟直義(一三〇七~五二)は、協力して室町幕府を築き上げた。そして、兄弟で補完しあって政権を運営した。しかし、たがいに対立するにいたり、直義は対立のなかで死を迎える。
 次の二つの場面は、ふたりの登場する政治の舞台としてよく知られている。一つは、覇権を掌握する過程。鎌倉幕府を倒す側に立って、建武政権に参加、ついで関東進軍を契機に後醍醐天皇から離反して、一度は九州へと敗走したものの京都を制圧し、光明天皇を擁して室町幕府を樹立する。二人が協力して林立する個性と競いあい、他を凌駕していくようすは、『太平記』をはじめとする軍記物語にさまざまな挿話とともに語られ、印象的な歴史の一齣となっている。もう一つは、ふたりの協力関係が瓦解して対立する過程。単なる兄弟の対立ではなく、それぞれを支持する集団の勢力争いであり、北朝・南朝という対立軸で始まった内乱状態をさらに深める結果となった。ふたりはたがいに優位さをながく保てないなか、直義の死を迎えるが、集団間の勢力争いはその死を超えて続いていく。生き残った尊氏は、みずからを支持する集団の頂点として、政権を確立することに心血を注ぐ。
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少し長くなったので、いったんここで切ります。
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