投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年11月 4日(金)10時56分9秒
東日本大震災の津波避難に関して訴訟になった事例の中で一番最初に判決が出たのは「日和幼稚園」事件(仙台地判平成25・9・17)で、原告勝訴の点でも最初でしたが、これは過失が極めて明瞭なケースでした。
マスコミでも広く報道されましたが、「記憶の部屋・東日本大震災」サイトで各種新聞記事を見ると、若干感情移入が強すぎて法的な問題点が分かりにくいものが多いですね。
「日和幼稚園送迎バスの悲劇・石巻市門脇町」
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_hiyori.html
そこで、一審判決の全文を掲載している『判例時報』2204号から、編集者が判決の要旨を簡潔にまとめた部分の前半を借用して、同事件の概要を紹介してみます。(p57以下)
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▽東日本大震災の津波に幼稚園児が園の送迎バスとともに巻き込まれ死亡した事故につき、園長に津波に対する情報収集の懈怠があったとして、同園の運営法人及び園長に対する遺族からの損害賠償請求が認容された事例
〔損害賠償請求事件、仙台地裁平二三(ワ)一二七四号、平25・9・17民一部判決、一部認容、一部棄却(控訴)〕
本件は、東日本大震災の際に、Y1学院が設置するA幼稚園の園長Y2が園児らを同園の送迎用バスに乗車させ、同バスが高台の園舎より低い海側の地帯を進行中に発生した津波に流され横転し、津波に巻き込まれて園児五名が死亡した事故につき、被災園児のうち四名の両親X1~X8が、園長Y2らが、津波に対する情報収集を懈怠して、送迎バスを出発させ、避難にかかる指示・判断を誤ったことにより発生したものであると主張して、Y1学院に対しては安全配慮義務違反の債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、また、Y2に対しては不法行為による損害賠償請求権に基づき、それぞれの損害金及び遅延損害金の連帯支払を求めた事案である。
これに対して裁判所はXらの請求のいずれについてもその一部を認容したものである。その理由によると、A幼稚園は、市の標高二三メートルの高台にあり、園児送迎用の大型バスと小型バスが朝夕二回、園児の送迎を行なっていたこと、平成二三年三月一一日午後二時四六分頃、宮城県沖を震源とするマグニチュード9・0の地震が発生し(本件東日本大震災)、当日はA幼稚園では約一〇〇名の園児が登園したが、本件地震発生時刻には、園には五五名が残っていたこと、本件地震が発生した時、Y2は園児を机の下に入らせる等園児の安全確保に務め、揺れが収まると園児らを本件幼稚園の南側の園庭に避難させたこと、その後、Y2は、保護者の迎えのある園児は保護者に引き渡し、午後三時に教諭らに園児らをバスで帰宅させることを命じたこと、この指示に基づき教諭らは、海側コースを運行する小型バスに本件被災園児五名(本来は山側コースをとるバスに乗車すべき者)を含めて一二名を載せ高台の園を出発させ、途中B小学校の校庭ほかで、迎えにきた保護者に園児七名を引き渡したこと、その段階ではじめて大津波警報が出ていることを知ったY2は、職員を介してバス運転手に「バスを戻せ」と伝え、運転手は、これに従って園に引き返す途中で渋滞に巻き込まれ、この海岸から約七〇〇メートルの地点で小型バスは津波に巻き込まれ、車に残っていた被災園児五名が死亡するに至ったこと【後略】
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ということで、この事件は石巻市中心部で僅かに津波被害を免れた高台にあった幼稚園の園長が、津波の可能性を繰り返し放送するラジオを聞かず、サイレン音の後に大津波警報の発令と津波避難を呼びかける防災行政無線の放送内容にも注意を払わず、標高23mの高台からわざわざ沿岸部に送迎バスを出発させたという事例です。
判決本文を引用すると、
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眼下に海が間近に見える高台に位置する本件幼稚園に勤める被告園長としては、午後三時二分過ぎ頃に本件小さいバスを高台から出発させるに当たり、たとえ本件地震発生時までにはいわゆる千年に一度の巨大地震の発生を予想し得なかったとしても、約三分間にわたって続いた最大震度6弱の巨大地震を実際に体感したのであるから、本件小さいバスを海沿いの低地帯に向けて発車させて走行させれば、その途中で津波により被災する危険性があることを考慮し、ラジオ放送(ラジカセと予備の乾電池は職員室にあった。)によりどこが震源地であって、津波警報が発令されているかどうかなどの情報を積極的に収集し、サイレン音の後に繰り返される防災行政無線の放送内容にもよく耳を傾けてその内容を正確に把握すべき注意義務があったというべきである。
そうであるのに、被告園長は、巨大地震の発生を体感した後にも津波の発生を心配せず、ラジオや防災行政無線により津波警報等の情報を積極的に収集しようともせず、保護者らに対する日頃の送迎ルートの説明に反して、本来は海側ルートに行くはずのない本件小さいバスの三便目の陸側ルートを送迎される本件被災園児ら五名を二便目の海側ルートを送迎する同バスに乗車させ、海岸堤防から約二〇〇ないし六〇〇mの範囲内付近に広がる標高〇ないし三mの低地帯である門脇町・南浜町地区に向けて同バスを高台から発車させるよう指示したというのであるから、被告園長には情報収集義務の懈怠があったというべきである。
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ということで(p83)、まあ、当然の判決ですね。
担当したのは裁判長裁判官・斎木教朗、裁判官・荒谷謙介、同・遠藤安希歩の三氏で、荒谷謙介・遠藤安希歩氏は常磐山元自動車学校事件(裁判長裁判官、高宮健二氏)も担当されていますね。
なお、一部棄却というのは請求金額に若干の減額があっただけの話で、内容的には原告の完全勝利です。
控訴されましたが、仙台高裁での訴訟上の和解においては、異例なことに「当裁判所は、私立日和幼稚園側が被災園児らの死亡について、地裁判決で認められた内容の法的責任を負うことは免れ難いと考える」という法的判断が示されています。
『リスク対策.com』サイト内
「日和幼稚園事件控訴審和解について」(中野明安弁護士)
http://www.risktaisaku.com/articles/-/993
大川小学校・常磐山元自動車学校事件判決に批判的な立場の人でも、さすがにこの判決を批判する人はいないようですね。
東日本大震災の津波避難に関して訴訟になった事例の中で一番最初に判決が出たのは「日和幼稚園」事件(仙台地判平成25・9・17)で、原告勝訴の点でも最初でしたが、これは過失が極めて明瞭なケースでした。
マスコミでも広く報道されましたが、「記憶の部屋・東日本大震災」サイトで各種新聞記事を見ると、若干感情移入が強すぎて法的な問題点が分かりにくいものが多いですね。
「日和幼稚園送迎バスの悲劇・石巻市門脇町」
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_hiyori.html
そこで、一審判決の全文を掲載している『判例時報』2204号から、編集者が判決の要旨を簡潔にまとめた部分の前半を借用して、同事件の概要を紹介してみます。(p57以下)
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▽東日本大震災の津波に幼稚園児が園の送迎バスとともに巻き込まれ死亡した事故につき、園長に津波に対する情報収集の懈怠があったとして、同園の運営法人及び園長に対する遺族からの損害賠償請求が認容された事例
〔損害賠償請求事件、仙台地裁平二三(ワ)一二七四号、平25・9・17民一部判決、一部認容、一部棄却(控訴)〕
本件は、東日本大震災の際に、Y1学院が設置するA幼稚園の園長Y2が園児らを同園の送迎用バスに乗車させ、同バスが高台の園舎より低い海側の地帯を進行中に発生した津波に流され横転し、津波に巻き込まれて園児五名が死亡した事故につき、被災園児のうち四名の両親X1~X8が、園長Y2らが、津波に対する情報収集を懈怠して、送迎バスを出発させ、避難にかかる指示・判断を誤ったことにより発生したものであると主張して、Y1学院に対しては安全配慮義務違反の債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、また、Y2に対しては不法行為による損害賠償請求権に基づき、それぞれの損害金及び遅延損害金の連帯支払を求めた事案である。
これに対して裁判所はXらの請求のいずれについてもその一部を認容したものである。その理由によると、A幼稚園は、市の標高二三メートルの高台にあり、園児送迎用の大型バスと小型バスが朝夕二回、園児の送迎を行なっていたこと、平成二三年三月一一日午後二時四六分頃、宮城県沖を震源とするマグニチュード9・0の地震が発生し(本件東日本大震災)、当日はA幼稚園では約一〇〇名の園児が登園したが、本件地震発生時刻には、園には五五名が残っていたこと、本件地震が発生した時、Y2は園児を机の下に入らせる等園児の安全確保に務め、揺れが収まると園児らを本件幼稚園の南側の園庭に避難させたこと、その後、Y2は、保護者の迎えのある園児は保護者に引き渡し、午後三時に教諭らに園児らをバスで帰宅させることを命じたこと、この指示に基づき教諭らは、海側コースを運行する小型バスに本件被災園児五名(本来は山側コースをとるバスに乗車すべき者)を含めて一二名を載せ高台の園を出発させ、途中B小学校の校庭ほかで、迎えにきた保護者に園児七名を引き渡したこと、その段階ではじめて大津波警報が出ていることを知ったY2は、職員を介してバス運転手に「バスを戻せ」と伝え、運転手は、これに従って園に引き返す途中で渋滞に巻き込まれ、この海岸から約七〇〇メートルの地点で小型バスは津波に巻き込まれ、車に残っていた被災園児五名が死亡するに至ったこと【後略】
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ということで、この事件は石巻市中心部で僅かに津波被害を免れた高台にあった幼稚園の園長が、津波の可能性を繰り返し放送するラジオを聞かず、サイレン音の後に大津波警報の発令と津波避難を呼びかける防災行政無線の放送内容にも注意を払わず、標高23mの高台からわざわざ沿岸部に送迎バスを出発させたという事例です。
判決本文を引用すると、
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眼下に海が間近に見える高台に位置する本件幼稚園に勤める被告園長としては、午後三時二分過ぎ頃に本件小さいバスを高台から出発させるに当たり、たとえ本件地震発生時までにはいわゆる千年に一度の巨大地震の発生を予想し得なかったとしても、約三分間にわたって続いた最大震度6弱の巨大地震を実際に体感したのであるから、本件小さいバスを海沿いの低地帯に向けて発車させて走行させれば、その途中で津波により被災する危険性があることを考慮し、ラジオ放送(ラジカセと予備の乾電池は職員室にあった。)によりどこが震源地であって、津波警報が発令されているかどうかなどの情報を積極的に収集し、サイレン音の後に繰り返される防災行政無線の放送内容にもよく耳を傾けてその内容を正確に把握すべき注意義務があったというべきである。
そうであるのに、被告園長は、巨大地震の発生を体感した後にも津波の発生を心配せず、ラジオや防災行政無線により津波警報等の情報を積極的に収集しようともせず、保護者らに対する日頃の送迎ルートの説明に反して、本来は海側ルートに行くはずのない本件小さいバスの三便目の陸側ルートを送迎される本件被災園児ら五名を二便目の海側ルートを送迎する同バスに乗車させ、海岸堤防から約二〇〇ないし六〇〇mの範囲内付近に広がる標高〇ないし三mの低地帯である門脇町・南浜町地区に向けて同バスを高台から発車させるよう指示したというのであるから、被告園長には情報収集義務の懈怠があったというべきである。
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ということで(p83)、まあ、当然の判決ですね。
担当したのは裁判長裁判官・斎木教朗、裁判官・荒谷謙介、同・遠藤安希歩の三氏で、荒谷謙介・遠藤安希歩氏は常磐山元自動車学校事件(裁判長裁判官、高宮健二氏)も担当されていますね。
なお、一部棄却というのは請求金額に若干の減額があっただけの話で、内容的には原告の完全勝利です。
控訴されましたが、仙台高裁での訴訟上の和解においては、異例なことに「当裁判所は、私立日和幼稚園側が被災園児らの死亡について、地裁判決で認められた内容の法的責任を負うことは免れ難いと考える」という法的判断が示されています。
『リスク対策.com』サイト内
「日和幼稚園事件控訴審和解について」(中野明安弁護士)
http://www.risktaisaku.com/articles/-/993
大川小学校・常磐山元自動車学校事件判決に批判的な立場の人でも、さすがにこの判決を批判する人はいないようですね。
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