学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

「伊藤君、つまらんですか。教科書に使ったら、どんな傑作でもつまらんですよ」(by 竹山道雄)

2018-12-28 | 「五〇年問題」と網野善彦・犬丸義一
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月28日(金)11時21分31秒

『明平、歌と人に逢う』(筑摩書房、1989)には「伊藤律」というタイトルのエッセイもあります。
これもアララギ派、土屋文明門下の短歌雑誌『放水路』に1966年1月から66年6月の間に載ったエッセイの一つですね。

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 中越可末〔かずえ〕といっても、もう誰も記憶していないだろう。結城哀草果選歌にしばらく載っていた女性で、大沢寺安居会にも出席していたようにおもう(そういえば「短歌新聞」七月号かに大沢寺歌会の写真がのっていたから参照されたい)。しかし地味で目立たぬ存在だった。たぶん、中越さんの郷里が岐阜県中津川か恵那のあたりで、信州の隣だったから出席したのだろう。
 わたしが中越さんと会ったのは、伊藤律の指示によってであった。中越さんは伊藤と同郷で、女子大を出て、田舎で小学校の先生をしていたらしいが、ちょうど、そのころ東京に出てきていたのだろう。
 伊藤律はいまだ消息不明だが、一時は徳田球一のふところ刀として日本共産党で実権をにぎっていた。わたしは戦後は一九四九年一月、共産党に入党したとき代々木の本部で一度伊藤律に会ったきりで、前にも後にもあったことがないし会おうとも思わなかった。というのは彼は中央委員も党内最高の実力者だったから、わたしはそういうえらい人と話をするのがきらいだったので、敬遠することにきめていたのである。しかし、後で暴露されたような女たらしで節操のない人物だとは思わず、苦節十年、革命に青春をささげてきた英雄として尊敬はしていた。
 伊藤律は一高の同級生で、中学四年からの入学組で、せいもわたしと同じくらい低かった。色は青白いが下顎骨が発達しているので顔面が四角形をなして、あまり美男子とも思えなかったのに女性には人気があったらしい。中越さんも弟のように伊藤を愛していたようである。
 伊藤が学校で秀才であったかどうか知らない、というのは彼は入学まもなく左翼運動に入ったらしく、一度も試験を受けていないので一度も成績がつかなかったからである。それでもときどき教室に出てきて、ドイツ留学から帰朝したばかりのドイツ語の竹山道雄教授が、ソフォクレスの「アンチゴーネ」独訳本をテキストにして購読をはじめたとたん、「ああ、つまんねェな」と大きな声でつぶやいたりした。竹山先生はさっと顔色をかえて、「伊藤君、つまらんですか。教科書に使ったら、どんな傑作でもつまらんですよ。よろしい、ソフォクレスはやめます。どうせつまらんなら、次の時間からアイヒェンドルフの『タウゲニヒツ』をやりますから用意してきてください」とパタンと本をとじて出ていってしまった。
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ということで(p186以下)、伊藤律は一高に入学早々、竹山道雄を激怒させていますね。
竹山道雄は1903年生まれなので、伊藤律・杉浦明平らが一高に入学した1930年にはまだ27歳の若さです。
竹山についてはこの掲示板でも何回か好意的に取り上げていますが、新進気鋭のドイツ文学者とはいえ、左翼思想が熱病のように流行していた当時の一高では、竹山も古臭い教養主義の代弁者のように思われていたのかもしれません。
「アイヒェンドルフの『タウゲニヒツ』」は1938年、『愉しき放浪児』のタイトルで岩波文庫から出ていますが、

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アイヒェンドルフ(1788‐1857)の代表作で,ドイツ・ロマン主義文学の白眉ともいうべき佳品.その美しくまとまった巧みな構想とほがらかな抒情的気分とによって,読者は,自由に憧れ旅を愛するこの愉快な放浪児とともに自分もまた1梃のヴァイオリンに生涯を託して神の広い世界へさまよい出で,やがてほほえみかけてくる幸運を待ちながら春の陽に心の窓を開く思いを抱くであろう.

https://www.iwanami.co.jp/book/b247808.html

という内容なので、これを用いた講義はソフォクレスの「アンチゴーネ」よりは面白かったでしょうね。
ま、伊藤は竹山の講義には二度と出席しなかったのかもしれませんが。

竹山道雄(1903-84)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B1%B1%E9%81%93%E9%9B%84
『愉しき放浪児』(「新ヴィッキーの隠れ家」サイト内)
http://sekitanamida.hatenablog.jp/entry/ausdemlebeneinestaugenichts


『偉大なる暗闇 岩元禎と弟子たち』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1cef11eac16b0c7e7faf16b7d215aa98
平川祐弘著『竹山道雄と昭和の時代』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f84af123d6a7256514b434d80254ef63
「先生には複雑な心理学はなかった。政治的な指導もなかった。ただ理想主義一筋だった」(by 竹山道雄)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ed97972995a39f43ede99e8143ac49d1
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