学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

久野収・鶴見俊輔について

2015-06-19 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月19日(金)09時33分52秒

>筆綾丸さん
ご引用の「顕教と密教」論は1950年代の市民運動の中では多少の政治的意味があったのかもしれませんが、学問的には洗練されたものではないですね。
論者によれば「顕教とは、天皇を無限の権威と権力を持つ絶対君主とみる解釈のシステム、密教とは、天皇の権威と権力を憲法その他によって限界づけられた制限君主とみる解釈のシステム」とのことですが、密教のごく一般的・初歩的な意味は「秘密の教え」ですので、私にはそもそも後者を「密教」に譬える感覚が理解できません。
「天皇の権威と権力を憲法その他によって限界づけられた制限君主とみる解釈」は明治憲法制定直後からごく普通に流布していますし、天皇機関説も別に特定大学だけで秘伝的に教えられていた訳でも何でもなく、美濃部の教科書は普通に出版されていましたし、易しい通俗講演的な出版物も沢山出ています。
宮沢俊義『天皇機関説事件─史料は語る(下)』所収の検察・警察関係者の座談会記録(出席者:唐沢俊樹・戸沢重雄・白根竹介・中村敬之進・林茂)によれば、天皇機関説事件のとき、当局が憲法を論じている本を四百冊ほど集めたところ、殆ど全てが機関説だったという話もあります。
この掲示板でも天皇機関説事件やその前後の思想弾圧については何度か取り上げましたが、今さら久野収・鶴見俊輔の「顕教と密教」論に何か学ぶべきことがあるのだろうか、というのが私の率直な感想です。
なお、黒田俊雄の「顕密体制論」との関係も特にないと思います。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

鶴久顕密体制論 2015/06/18(木) 15:06:25
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/1/4120410.html
いまさらですが、久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想ーその五つの渦ー』(1956年)における「顕教と密教」の論点が気になり、拾い読みしてみました。

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 しかし天皇の側近や周囲の輔弼機関からみれば、天皇の権威はむしろシンボル的・名目的権威であり、天皇の実質的権力は、機関の担当者がほとんど全面的に分割し、代行するシステムが作りだされた。
 注目すべきは、天皇の権威と権力が、「顕教」と「密教」、通俗的と高等的の二様に解釈され、この二様の解釈の微妙な運営的調和の上に、伊藤の作った明治日本の国家がなりたっていたことである。顕教とは、天皇を無限の権威と権力を持つ絶対君主とみる解釈のシステム、密教とは、天皇の権威と権力を憲法その他によって限界づけられた制限君主とみる解釈のシステムである。はっきりいえば、国民全体には、天皇を絶対君主として信奉させ、この国民のエネルギーを国政に動員した上で、国政を運用する秘訣としては、立憲君主説、すなわち天皇国家最高機関説を採用するという仕方である。
(中略)
 軍部だけは、密教の中で顕教を固守しつづけ、初等教育をあずかる文部省をしたがえ、やがて顕教による密教征伐、すなわち国体明徴運動を開始し、伊藤の作った明治国家のシステムを最後はメチャメチャにしてしまった。昭和の超国家主義が舞台の正面におどり出る機会をつかむまでには、軍部による密教征伐が開始され、顕教によって国民大衆がマスとして目ざまされ[sic]、天皇機関説のインテリくささに反撥し、この征伐に動員される時を待たねばならなかった。
 この連合勢力の攻撃に直面したとき、明治の末年以来、国家公認の申しあわせ事項であった天皇機関説、明治国家の立憲君主的解釈は、天皇自身の意志に反してさえ、一たまりもなく敗北させられたのである。国民大衆から全く切りはなされた密教であるかぎり、この運命はまことにやむをえなかった。密教は、上層の解釈にとどまり、国民大衆をとらえたことは、一回もなかったのである。(131頁~)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%95%E5%AF%86%E4%BD%93%E5%88%B6
黒田俊雄の「顕密体制論(1975年)」は「鶴久顕密体制論(1956年)」にヒントを得て構想されたものではあるまいか、と思いました。もっとも、だから、どうしたんだ、というようなことにすぎませんが。(蛇足ながら、鶴久は「かっきゅう」「つるく」ではなく素直に「つるひさ」と読みます)

600年と3日後のこと
http://www.bbc.com/news/blogs-eu-33169050
BBCのワーテルロー200年祭の記事はシニカルですね。
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It is true that Paris is sending only an ambassador to mark the last of Napoleon's battles.
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only an ambassador の only は、大統領とは言わないが、外相くらい出席してもいいのではないか、というようなニュアンスですかね。
Marengo, Austerlitz, Friedland, Wagram はすべてパリ市内の地名に選ばれているのに、Waterloo だけはないですね、当たり前ですが。パリ市内を歩けば、犬が棒にあたるように、ナポレオン・グッズに遭遇する・・・。
BBCとフランスの200祭報道は内容がずいぶん違い、EUの時代とは言いながら、国家意識丸出しなのは、これも当たり前のことですね。
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