投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 7月 6日(火)23時11分0秒
4日(日)に再び村松浜に行ってきました。
金毘羅神社に隣接する平野家墓地は小高い砂丘の上にありましたが、白砂の上のさっぱりしたお墓というのも、なかなかいいものですね。
神社参詣後、3キロほど離れた新潟県立紫雲寺記念公園に行きましたが、ここの松林を歩いていると平衡感覚がおかしくなりそうでした。
冬場はどんだけ風が強いんだか。
日本海沿いの道路を走っていると、「密漁禁止 ○○漁業組合」だとか「海岸で不審船や不審者を見かけたら不用意に近づいたりせず110番又は118番へ通報しましょう。」といった看板を頻繁に見かけます。
最初は何だか遠くに来てしまったなあ、という感慨を抱いたのですが、この種のことも直ぐに慣れました。
ちなみに118番は海上保安庁への緊急連絡用電話番号ですね。
海を眺めてから紫雲寺潟を開拓した竹前権兵衛・小八郎兄弟の墓がある紫雲寺に行ってみましたが、硫黄鉱山で稼いだ金を大干拓事業に注ぎ込んだ事業家にしては随分ささやかな墓で、逆に好感が持てました。
>筆綾丸さん
「確か東島氏の批判を受けて網野氏が追加した部分」云々は完全な勘違いでしたね。
失礼しました。
※写真
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
Zen 2010/07/01(木) 20:06:30
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B9%96
「中国の唐代に活躍し、後に禅宗の中心的な教団となる馬祖道一と石頭希遷の2人が活躍した地域が、現在の江西省と湖南省であり、そこから禅宗僧侶の世界を「江湖」と称するようになり、後に「江湖会」と言えば、夏安居を指すようになった」
江湖について、ウィキの日本語訳には上のようにありますが、公界について、網野善彦氏『増補 無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー)には次のようにあります。江湖と公界の語源がともに禅宗にあるらしいというのは、面白いですね。
「「公界」も「十楽」と同じく仏教用語であるが、これはもともと中国の禅院で使われた言葉に源をもっていたのではないかと推測され、日本の文献では、道元が「雲堂公界の座禅」といい、無学祖元が「円覚公界」と書いているように、まず禅宗寺院に関連して現れてくる。「公界上堂」(法堂で正式に行なう説法の定期化したものをさす)などといわれるように、仏界に対する一般公衆の用いる場所をさす、と説かれているが、建長二年(一二五〇)の九条道家家処分状には、東福寺について、「公界人百人」として、長老・知事などの禅僧を書き上げており、むしろ、俗界の縁をたち切って修行を行なう場をさしていたように思われる」(120頁)
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B9%96
「中国の唐代に活躍し、後に禅宗の中心的な教団となる馬祖道一と石頭希遷の2人が活躍した地域が、現在の江西省と湖南省であり、そこから禅宗僧侶の世界を「江湖」と称するようになり、後に「江湖会」と言えば、夏安居を指すようになった」
江湖について、ウィキの日本語訳には上のようにありますが、公界について、網野善彦氏『増補 無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー)には次のようにあります。江湖と公界の語源がともに禅宗にあるらしいというのは、面白いですね。
「「公界」も「十楽」と同じく仏教用語であるが、これはもともと中国の禅院で使われた言葉に源をもっていたのではないかと推測され、日本の文献では、道元が「雲堂公界の座禅」といい、無学祖元が「円覚公界」と書いているように、まず禅宗寺院に関連して現れてくる。「公界上堂」(法堂で正式に行なう説法の定期化したものをさす)などといわれるように、仏界に対する一般公衆の用いる場所をさす、と説かれているが、建長二年(一二五〇)の九条道家家処分状には、東福寺について、「公界人百人」として、長老・知事などの禅僧を書き上げており、むしろ、俗界の縁をたち切って修行を行なう場をさしていたように思われる」(120頁)
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