学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「一本のフルートより音程の悪い楽器は何か」(by ミヒャエル・ハイドン)

2017-03-09 | 山口昌男再読
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 9日(木)13時13分6秒

山口昌男の自称後継者たち、例えば『山口昌男 人類学的思考の沃野』(東京外国語大学出版会、2014)の寄稿者を見ても音楽が得意そうな人はあまりおらず、もしかすると山口以降はあまり耕す人のいない「沃野」なんでしょうか。
そういえば視覚的な分野では多数の著作を出している自称天才の高山宏氏なども音楽への言及は少ないような感じがします。
ま、あまり数多く読んでいる訳ではありませんが。

ところで、「音楽 プロ・アマ対談」の中に、モーツァルトのフルート嫌いに関する発言があります。(p422以下)

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山口 フルートの音楽の幸せ不幸せというものの中には、技巧的な要素が強いから、オーケストラの中でも目立つということがあると同時に、今度はソロにおいて、ほかの渋い音楽と比べると少し─特にロマン派以後は。
金 ロマン派の時代には、余りにも無視されたという感じですね。楽器の発達が一番早く出た楽器のわりに、一番おくれたという面があるんですよね。要するに、たとえばリード楽器だったら、リードで、同じ指使いをしても、半音くらい簡単に変えられるんですよ。それで変えても、たとえばオーボエで半音口だけで変えても、音色とか音質ががっくり悪くなるということはないんですよ。何とかなるんですよ。ところが、フルートの場合は、そんなことをすると音色がガサガサになったりしちゃうわけですよね。やはりオーボエなんかは、リードがあるためにカバーできる面がすごくあるので、不自由なメカニズムの時代は、あっちのほうが断然表現力があったんじゃないですかね。モーツァルトがフルートがきらいだという、僕たちにとって非常に悲しい話があるんですけれども、実際はそういうことだったんじゃないかと思うんです。
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モーツァルトがフルートを嫌っていたというエピソードだけ知っていた私は、ふーん、としか言いようがないのですが、ちょっと面白い話ですね。
ついでに、この金氏の発言の後をもう少し引用してみると、

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山口 だけど、不自由のほうが工夫できてカバーできるところ、個人技を許すところがあるのかもしれないですね。
金 だけど、その不自由さがモーツァルトの五十年ぐらいの間に、フルートだけが残って、オーボエか何かのリードのつくり方か何かで名人がすごくぞろぞろ出てきて、それをつぐひとが出てきたんじゃないかと思うんですよ。フルートだけが取り残された。それからもう一つは、おそらくモーツァルトはザルツブルクでしょう。ザルツブルクにモーツァルトの先輩の同僚でミヒャエル・ハイドンがいて、彼が曰く、一本のフルートより音程の悪い楽器は何か─二本のフルートだって。こんなことを書いているところを見ると、フルートは音程の調節ができなかったんですよね。特にザルツブルクにおけるフルーティストはできなかったんじゃないかと思う。
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というやり取りがあります。
テープ起しに慣れない人がやっているのか、あまりに細かく口調を再現し過ぎていて読みづらい部分がありますが、「一本のフルートより音程の悪い楽器は何か」の答えが「二本のフルートだって」というのは笑えますね。

Michael Haydn(1737-1806)
https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Haydn
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