学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

"the ruthlessness of the pure in heart"

2017-03-09 | 山口昌男再読

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 3月 9日(木)12時12分51秒

少し検索してみたら「心清き者がもつ無慈悲さ」は "the ruthlessness of the pure in heart"で、『アメリカの政治的伝統─その形成者たち』(田口富久治・泉昌一訳、岩波書店、1959)に出てくるみたいですね。
後で確認してみます。
また、ウィキクォートによれば、ヴォルテールの発言として有名な「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」(Si Dieu n'existait pas, il faudrait l'inventer.)は、

「三人の詐欺師の本の著者への書簡」。1770年11月10日。
Épître à l'Auteur du Livre des Trois Imposteurs

が出典だそうですが、どんな文脈での発言なのか、正確に理解したいですね。
邦訳はあるのかな。

「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」(by ヴォルテール)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2101a017933d9a219cdf5cadc2751515

>筆綾丸さん
四半世紀前に山口昌男を熱心に読んでいた頃は自分に音楽の素養が全くなく、音楽関係の記事も馬耳東風的に読み流していましたが、今読むと非常に面白いですね。
山口とフルート奏者・金昌国の「音楽 プロ・アマ対談」(『オペラの世紀─山口昌男音楽対談集』、第三文明社、1989所収。初出は『音楽の友』1983・11)によれば、北海道の田舎町の菓子屋の息子として育った山口昌男の音楽的環境は貧しいものだったようですが、疎開してきた音楽評論家の藁科雅美と仲良くなって、レコードを聴かせてもらったりしたそうです。
大学に入ってから、当時としては極めて高価な六千円ほどの真鍮製のフルートを買おうとしたら、商売人の親に、「そういう軟弱なことをしてもらっちゃ困る。学業に必要な本のお金だったら幾らでも出すけれども、そういうふうなことには金出さない」と言われ、アルバイトで金を貯めてやっと購入し、三年くらい相当熱心にやったそうです。
本人によれば結局はそれほどモノにならなかったそうですが、若い頃に単に聴くだけでなく自ら楽器に打ち込んだ経験が、後になって非常に役に立ったようですね。

「日本ショパン協会創立50年/北海道・美幌町ゆかりの藁科雅美」
http://masaokato.jp/2010/03/12/121655

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

騎士団長と椿 2017/03/07(火) 19:08:42
小太郎さん
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO13568590S7A300C1000000
『ドン・ジョヴァンニ』に関して、引用の続きは以下のとおりですが、村上春樹の新作『騎士団長殺し』は『ドン・ジョヴァンニ』に由来するそうですね。まだ読んでませんが。
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そうとすれば、ドタバタ演劇的クライマックスである剣戟の直後に、死に行く騎士長の死に際のアンダンテの三重唱は、その典型的な例であるといえよう。P・J・ジュ―ヴはこのくだりを次のように描く。「騎士長のいまわの言葉<Sento l'anima partire魂が消えてゆくのを感じる>は、ほとんど地平線を這い、そして三つの声の群れは言葉にはつくしがたい易しさを帯びます。殺害者と犠牲者が並行して、しかも一連の似たようなフレーズでー殺害者は犠牲者よりも悲壮に歌います。(以下略)
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https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/90000/261660.html
『五瓣の椿』(2001)の再放送が始まりましたが、導入部に『春の祭典』が使われているのに、クレジットタイトルにストラヴィンスキー(1882‐1971)の名前がなく、著作権上、問題があるような気がします。初演時以来、誰からも指摘されなかったのかな。不思議なことです。

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