投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年10月25日(土)13時11分40秒
このニュース、そもそものきっかけになったのが読売新聞記事なので、読売が一番詳しいですね。
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昭和天皇実録、陛下指摘で訂正…和歌巡る記述
宮内庁の風岡典之長官は23日の定例記者会見で、同庁が今年9月9日付で公表した「昭和天皇実録」の本文中、昭和天皇が詠んだ和歌に関する時期や背景に誤りがあったとして訂正し、謝罪した。
天皇陛下の指摘を受け判明したという。
風岡長官によると、この和歌は、皇太子妃(今の皇后さま)が浩宮(今の皇太子さま)を乳母車に乗せて歩かれる情景を詠んだ「山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく」。実録では、昭和天皇が1960年7月1日に東宮御所を訪問した際の情景を詠んだと記述していた。
この和歌と背景について、読売新聞が9月12日朝刊の実録に関する連載記事「天皇の昭和」で紹介したところ、記事を読まれた天皇陛下から同庁に「山百合であれば那須御用邸での情景ではないか」と指摘があり、誤りが判明。同庁が皇后さまにも聞くなどして確認したところ、60年8月6日の那須御用邸(栃木県)での情景を詠んだ歌と分かった。風岡長官は会見で「思い込みで資料の十分な検討も行わなかった。両陛下におわび申し上げた。読者の方々にもご迷惑をおかけした」と述べた。
高齢の天皇陛下の注意力・記憶力の高さに驚く、というのが普通の読者の反応だと思いますが、昭和天皇御製、しかも皇太子妃時代の美智子さまを詠まれた歌のことなので、あるいは最初に気づかれたのは皇后陛下かもしれないですね。
私見では昭和天皇は同時代の短歌の風潮とは全く関係のない場所にひとり屹立する和歌の天才であり、今の皇室で昭和天皇の歌風を承継されているのは皇后陛下で、皇后陛下は昭和天皇の歌を相当深く研究されていますね。
皇后陛下ならば記述の誤りに一瞬で気づかれたでしょうが、自ら宮内庁に指摘するのもどうか、ということで、奥ゆかしくも天皇陛下に伝えていただいた、ということではないですかね。
そのあたりの事情が「同庁が皇后さまにも聞くなどして確認したところ」という記述にそこはかとなく現われているのでは、というのが私の深読みです。
ま、動植物へのご造詣が深い天皇陛下が最初に「山百合」に気づかれたとしても別に不自然という訳ではありませんが、失礼ながら天皇陛下はそれほど和歌にはご執心ではないようなので、以上のように拝察する次第です。
>筆綾丸さん
>「故」を付けた理由
これは全く分かりません。
渡辺一夫が装幀した本を悉皆調査して、具体的に何時、どんな本の装幀に際して使ったのか、「六隅許六」系統と「故六隅許六」系統ではどのような使い分けがなされているのかを分析すれば何か出てきそうですが。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
望月の腰掛 2014/10/24(金) 17:03:18
http://www.momat.go.jp/CG/architecture.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%99%BD%E5%B7%9D%E5%AE%AE%E8%83%BD%E4%B9%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B
昨日、北の丸公園を散歩したついでに、旧近衛師団司令部庁舎を眺めてから、北白川宮能久親王の銅像(昭和60年建立)の碑文を読むと、「北白川能久親王は近衛師団長として台湾に出征・・・炎熱瘴癘の地で疫病に罹患せられ、台南で御薨去遊ばされ・・・」(碑文には「宮」の字はなかったですね)。植民地時代の台湾ならともかく、昭和60年において、「炎熱瘴癘の地」は台湾に失礼だろう、と思いました。
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC
『ガルガンチュワとパンタグリュエル』は、はじめ、フランソワ・ラブレー(François Rabelais)のアナグラムであるアルコフリバス・ナジエ(Alcofribas Nasier)の名で出版されているので、渡辺一夫もラブレーの顰に倣って、「ミクロコスム」(microcosme)のアナグラム「六隅許六」を考えた、まではわかるのですが、「故六隅許六」としてしまうと、アナグラムではなくなってしまいますよね。渡辺一夫が「故」を付けた理由などはわかりますか。普通、物故した職人の作品に「故」などは付けないので、「故六隅許六」は俺はまだ生きている職人なんだということを逆説的に強調したかったのでしょうか。とすると、「故」の字に嫌味な外連味が生じるような気がします。あるいは、「故六隅」は相撲の小結を示唆し、ガルガンチュアのような巨人族つまり横綱や大関にはとても及ばない、というような謙遜なんでしょうか。
https://ja.glosbe.com/ja/fr/%E3%81%8A%E5%B0%BB
『ガルガンチュワとパンタグリュエル』には糞尿譚(スカトロジー)が多くありますが、「ぼくは君のお尻がなめたい」という作品において、渡辺一夫は「尻」にどんなフランス語を宛てたのでしょうね。
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fesse; cul; fessier; pleine lune; fesses; miches; érieur; séant; fouindé; postérieur; croupe; derrière; post; arrière; âne; mégot; lune
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ラブレーの国だけあって、「尻」の仏語は呆れるほど豊富ですが、「原文」がわかれば面白いですね。ラブレーをまねて下品な語にしたのか、あるいは、pleine lune(望月)のような婉曲的な美辞麗句で奥様を礼賛したのか。
「ぼくは君のお尻がなめたい」という文を見て、一字違いですが、一瞬、不倫小説の巨匠(?)渡辺淳一の遺言かと思いました。
http://www.momat.go.jp/CG/architecture.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%99%BD%E5%B7%9D%E5%AE%AE%E8%83%BD%E4%B9%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B
昨日、北の丸公園を散歩したついでに、旧近衛師団司令部庁舎を眺めてから、北白川宮能久親王の銅像(昭和60年建立)の碑文を読むと、「北白川能久親王は近衛師団長として台湾に出征・・・炎熱瘴癘の地で疫病に罹患せられ、台南で御薨去遊ばされ・・・」(碑文には「宮」の字はなかったですね)。植民地時代の台湾ならともかく、昭和60年において、「炎熱瘴癘の地」は台湾に失礼だろう、と思いました。
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BC
『ガルガンチュワとパンタグリュエル』は、はじめ、フランソワ・ラブレー(François Rabelais)のアナグラムであるアルコフリバス・ナジエ(Alcofribas Nasier)の名で出版されているので、渡辺一夫もラブレーの顰に倣って、「ミクロコスム」(microcosme)のアナグラム「六隅許六」を考えた、まではわかるのですが、「故六隅許六」としてしまうと、アナグラムではなくなってしまいますよね。渡辺一夫が「故」を付けた理由などはわかりますか。普通、物故した職人の作品に「故」などは付けないので、「故六隅許六」は俺はまだ生きている職人なんだということを逆説的に強調したかったのでしょうか。とすると、「故」の字に嫌味な外連味が生じるような気がします。あるいは、「故六隅」は相撲の小結を示唆し、ガルガンチュアのような巨人族つまり横綱や大関にはとても及ばない、というような謙遜なんでしょうか。
https://ja.glosbe.com/ja/fr/%E3%81%8A%E5%B0%BB
『ガルガンチュワとパンタグリュエル』には糞尿譚(スカトロジー)が多くありますが、「ぼくは君のお尻がなめたい」という作品において、渡辺一夫は「尻」にどんなフランス語を宛てたのでしょうね。
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fesse; cul; fessier; pleine lune; fesses; miches; érieur; séant; fouindé; postérieur; croupe; derrière; post; arrière; âne; mégot; lune
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ラブレーの国だけあって、「尻」の仏語は呆れるほど豊富ですが、「原文」がわかれば面白いですね。ラブレーをまねて下品な語にしたのか、あるいは、pleine lune(望月)のような婉曲的な美辞麗句で奥様を礼賛したのか。
「ぼくは君のお尻がなめたい」という文を見て、一字違いですが、一瞬、不倫小説の巨匠(?)渡辺淳一の遺言かと思いました。
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