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「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

市河三喜とは犬猿の仲?

2014-10-22 | 南原繁『国家と宗教』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年10月22日(水)22時38分55秒

>筆綾丸さん
多芸多才の中島健蔵といえども、「進歩的文化人」的立場からの評論はさすがに古臭くて、今の時点で読み返す価値のあるものは少なそうですね。
ウィキペディアを見たら、中島健蔵自身も戦争責任に絡んで奇妙なことを書かれていますね。
また、

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1928年、東京帝大を卒業。副手として研究室に残る。英文科教授の市河三喜から、フランス語の動詞の変化に関して質問を受けたが即答できなかったために侮りを受け、以来、市河とは犬猿の仲となる。


などとありますが、これはウィキペディアのルールとしても「要出典」でしょうね。

>記念プレート
『辻邦生全集』第20巻の井上明久編「辻邦生年譜」によれば、

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平成十五年(二〇〇三年)
誕生日にあたる九月二十四日、二十年間借りていたパリ、デカルト街三十七番地のアパルトマンの壁面に記念のプレートがつけられ、パリ第四大学総長ピット教授、パリ五区のティベリ区長、平林駐仏大使、パリ日本文化会館磯村館長、そして日本からも訪れた多くの参加者の前で、佐保子と弟の愛也の手によって除幕式が行われる。(後略)
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とありますね。
「磯村館長」は元NHKの磯村尚徳氏なんでしょうね。

>『知ろうとすること。』
評判はツイッターでいろいろ聞いているのですが、未読です。
早速、読んでみます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

カルチェ・ラタンの男 2014/10/21(火) 13:37:19
小太郎さん
中島健蔵の講義内容から察するに、「はしにも棒にもかからない」「札つきの神がかりの学者」という筧克彦評は、「べらんめいを混えた江戸前の早口」による「高座の落語」のようなエピソードのひとつ、くらいに受け取ったほうがいいのかもしれませんね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E9%82%A6%E7%94%9F
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後年はパリ5区、Rue Descartesに位置するポール・ヴェルレーヌが没した建物の左隣に在住した。没後はヴェルレーヌと並び記念プレートが掲げられている。
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http://4travel.jp/travelogue/10861164
私もこの通りが好きで何度も歩きましたが、記念プレートを見て、辻邦生はフランスでも有名なんだね(駐仏日本大使あたりがパリ市長と交渉して掲げさせたのかもしれませんが)、と驚いたものです。パンテオンの裏は名門アンリ4世校で、その裏通りに面していて、辻邦生はヴェルレーヌよりもデカルトの名に惹かれて滞在したのかな(séjourné という表現からすると、所有ではなく賃借のようですね)、と思いました。デカルト通りを南下したムフタール通りの両側は商店街で、おそらく最もパリらしい通りのひとつで、辻(辻子)という言葉が似合いそうな通りですね。

2011年4月、福島原発の4号機が予断を許さぬ危険な状態にあったとき、東大工学部は授業の開始を5月に遅らせた、とあって、次のような会話になります(『知ろうとすること。』54頁~)。
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糸井 それは、どういう理由で?
早野 はっきり発表されたわけではないんですが、要するに、原発でさらによくないことが起こった場合に、首都圏が混乱に陥る可能性がゼロではないという認識を持ったみたいでした。
糸井 東大の工学部がそういう認識だというのは、ちょっと怖いですね(笑)。
早野 自分たちが知り得ないことを知ってるんじゃないかと、ちょっと思っちゃいますよね。実際、本当にそういう可能性があるんだったら、そのことをきちんと言って東大全体を遅らせるべきだ、というような議論がかなりありました。(後略)
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首都圏の大学の内、文系などは論外として、どのくらいの理工系学部がこういう認識を共有していたのでしょうね。半分皮肉ですが、さすが東大工学部だね、という感じです。
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